通勤型国電の方向幕、79形の末期から登場しましたが、101系のものは103系と比べ、やや横幅が狭かったです。
また、101系の幕は布製のものもあったり、当時は中距離の臨時対応のためなど、様々な行き先も入っていました。
支線のように両行き先を矢印表記したものは、狭い方向幕ではかなり苦心が見られるようでした。
赤羽線の『池袋⇔赤羽』には2種類のタイプが存在しました。

↑ 池袋・赤羽が縦向き文字
↓ 池袋・赤羽が横向き文字

書体もずいぶんレトロなものでした。
山手線が103系された後も、この赤羽線だけは101系8両×5編成が残され、南武線の新性能化まで活躍しました。
武蔵野線には0番台よりA基準に改造された1000番台が活躍していました。
当初は、府中本町⇔新松戸間でしたが、方向幕を見るとまるで『府中⇔松戸』のように一見見えました。
この辺は、京急の『神奈川・・・』を省略するのと同じ発想のようです。

更に、南武支線『尻手⇔浜川崎』にも、『尻手』と『浜川崎』が一段のものと、二段のものがあり、矢印の形状も違いました。両先頭車で前後で違う編成もありました。

↑ クモハ101-130 1996年3月2日 浜川崎駅
↓ クモハ100-178 1996年3月2日 尻手駅

武蔵野線と南武支線では、ローマ字が併記されていませんでした。
今のようなデジタル時代では、このような変化が無いのも寂しいものです。
新しい駅名などにもすぐに対応できてしまいますし…
五日市線や相模湖臨で、幕が無いため方向板を助手席編成番号部に掛けていたのが好きでした。
そんな時は、101系の方向幕に白幕が無かったのか、行き先の真ん中で止めていて半分他の行き先が見えているのも何だか面白かったです。
また、101系の幕は布製のものもあったり、当時は中距離の臨時対応のためなど、様々な行き先も入っていました。
支線のように両行き先を矢印表記したものは、狭い方向幕ではかなり苦心が見られるようでした。
赤羽線の『池袋⇔赤羽』には2種類のタイプが存在しました。

↑ 池袋・赤羽が縦向き文字
↓ 池袋・赤羽が横向き文字

書体もずいぶんレトロなものでした。
山手線が103系された後も、この赤羽線だけは101系8両×5編成が残され、南武線の新性能化まで活躍しました。
武蔵野線には0番台よりA基準に改造された1000番台が活躍していました。
当初は、府中本町⇔新松戸間でしたが、方向幕を見るとまるで『府中⇔松戸』のように一見見えました。
この辺は、京急の『神奈川・・・』を省略するのと同じ発想のようです。

更に、南武支線『尻手⇔浜川崎』にも、『尻手』と『浜川崎』が一段のものと、二段のものがあり、矢印の形状も違いました。両先頭車で前後で違う編成もありました。

↑ クモハ101-130 1996年3月2日 浜川崎駅
↓ クモハ100-178 1996年3月2日 尻手駅

武蔵野線と南武支線では、ローマ字が併記されていませんでした。
今のようなデジタル時代では、このような変化が無いのも寂しいものです。
新しい駅名などにもすぐに対応できてしまいますし…
五日市線や相模湖臨で、幕が無いため方向板を助手席編成番号部に掛けていたのが好きでした。
そんな時は、101系の方向幕に白幕が無かったのか、行き先の真ん中で止めていて半分他の行き先が見えているのも何だか面白かったです。