異説万葉集 万葉史観を読む

日本書紀の歴史に異議申し立てをする万葉集のメッセージを読み解きます。このメッセージが万葉史観です。

意外と知らない万葉集

2012-04-04 | はじめに
 万葉集を読んだ人は少なくないと思います。美しい歌を口ずさめる人もいると思います。そうした万葉ファンは、万葉集をどのようにイメージしているでしょうか。美しい文学作品である日本最古の歌集というイメージでしょうか。

 たしかに、それも万葉集の形です。じっさい、日本最古の文学作品で、洗練された歌が全編にわたってちりばめられています。斎藤茂吉や久松潜一の「万葉秀歌」をめくると、高尚な文学作品にふれている気分になってきます。「万葉秀歌」を鑑賞するかぎり、万葉集は高尚な文学作品以外の何ものでもありません。

 しかし、万葉集を始めから終わりまで読みとおした人の印象は、これほど美しいものではないかもしれません。万葉集のすべてでなくてもかまいません。万葉集の巻一の1番歌から21番歌まで、いわゆる万葉集の冒頭歌群を、原文訓みくだしですべて読んだとしたら、万葉集の印象はかなり変わるはずです。

 万葉集の歌には、歌本体のほかに、歌の前につく題詞と、歌の後ろ(左側)につく解説・左注がつきます。本体だけ、あるいは題詞と左注の片方だけという歌もあります。歌の解説をする左注は、歌がつくられた背景などを読者に教えるのが目的です。ところが、万葉集冒頭の歌群にかぎっては、そうなっていません。歌本体だけを鑑賞しているだけなら気持ちがよくて上品な歌が、左注を読むや、突如として表情を変えるのです。ほとんど意味不明というか、読者を混乱させるだけが狙いとしか思えない解説なのです。

 多くの万葉ファンは「まさか」と思うでしょう。「万葉集の冒頭の歌はだいたい覚えているけど、そんな解説は見たことがない」と、反論されるでしょう。それはそれで事実です。たしかに、斎藤や久松の「万葉秀歌」には、そんな解説が載っていません。ただ、それは万葉集秀歌の選者が、左注を取りあげないからで、万葉集の原文をそのまま訓みくだしたテキストにはちゃんとあります。

 話はそれますが、万葉歌人といったらだれをあげるでしょうか。柿本人麻呂、額田王、山部赤人、大伴家持でしょうか。ほかにもたくさんいますが、山上憶良をあげる人も少なくないと思います。

 ○銀も金も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも (巻五 803)
  しろがねもくがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも

 こうした家族思いの歌人として知られます。家庭派万葉歌人の第一人者といっていいかもしれません。憶良がいい、という万葉ファンもいるはずです。

 しかし、万葉の冒頭歌群は、こうしたおだやかな山上憶良のイメージを吹っ飛ばしかねません。どのように吹っ飛ばすか、それが『類聚歌林(るいじゅうかりん)』です。山上憶良が編集したとされる歌集です。これがまっとうな万葉ファンを愕然とさせるのです。それで、まっとうな研究者たちは、万葉冒頭歌群の左注を無視するのです。

 万葉集には、類聚歌林を引用した左注が九つでてきます。そのうちの五つが万葉冒頭歌群に集中します。これが訳のわからない歌の解説を展開します。万葉集に一目置いていなければ、「バカにする気か」と怒りたくなるかもしれません。それほどひどい解説です。

 これまでは内容のひどさのせいで、類聚歌林引用の解説はまっとうに検討されてきませんでした。しかし、この訳のわからない解説こそが万葉集からのメッセージなのです。このメッセージをなんの先入観もなく受けいれれば、日本書紀が主張する歴史に修正がほどこされるのです。

 万葉集が修正する歴史は、斉明天皇、天智天皇、さらには蘇我本家、聖徳太子にかかわります。これのすべてを紹介できませんが、万葉集がうったえる声の一部はとどけられると思います。(くだん庵主)

「異説万葉集 万葉史観を読む」の編集・著作は作文教室くだん塾によるものです。


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