異説万葉集 万葉史観を読む

日本書紀の歴史に異議申し立てをする万葉集のメッセージを読み解きます。このメッセージが万葉史観です。

万葉史観が本になります

2013-08-25 | 日記

 ◇一段落しました

 万葉集が中途のまま間が開いてしまいました。少しでも早く通常状態に持って行きたいと思っていましたが、健康上の障害があって思うようにいきません。還暦をすぎて、今さら健康の大切さを実感しています。

 新現役ネットでお話しした「異説万葉集」のさわりを紹介してきましたが、これが完結する前に、一部が単行本にまとまりそうです。「異説万葉集」の講座では、いくつかのテーマを取りあげました。

「天智東征」「軍王を愛した斉明天皇」「有間謀反」「持統改ざん」「平城遷都の真相ー元明天皇と長屋王」などです。今回は「天智東征」を出版する運びとなりました。原稿もようやくまとまったところで、早ければ秋には出版でそうです。本の概要です。

 タイトル=『万葉集があばく
 ・・・・・・捏造された天皇・天智』(仮題)
 体裁・・=・上下2巻
 ・・・・・・A5版各約250ページ



 ◇万葉集の歴史観に耳を傾けると

 私たちの歴史観は、基本的に日本書紀がもとになっています。書紀に描かれたストーリーが正しいか、これについて様々な見解があります。ただ一ついえることは、正しいと思って読んでも、不審の目で読んでも、日本書紀は明らかに矛盾があります。この矛盾は、書紀自体では解消できません。それで、あちこちからアプローチが試みられています。しかし、これまでに矛盾を取り払うことはできていないようです。

「異説万葉集」は、こうしたアプローチの一つです。万葉集の時代観、歴史観(これを万葉史観といっています)をもとに、日本書紀を読み解いた「新解釈」を提示しています。日本書紀の歴史に慣れた読者には、奇想天外な説に見えるかもしれませんが、先入観、偏見を排して読んだ結果をまとめています。

 万葉集のいくつかの巻は、明確に時間経過を意識して編集されています。原万葉集といわれる巻一、二も、歌が時代順に並んだ編集になっています。しかし、一般的には、巻一はすべての歌が年代順の編集されているのではない、ということになっています。

 巻一は、天皇の時代順に「標目」が立てられています。標目とは、いってみればそれぞれの章のタイトルです。この標目は明らかに時代順に並んでいます。標目(章題)は時代順に並んでいるのに、章の中では、歌が時代順に並ばない、というのです。そんなことがあるでしょうか。

 巻一冒頭歌群、これは万葉集の冒頭ということになるのですが、ここに並ぶ歌が時代順でないように見えます。確かに、巻一の7ー15番歌は、日本書紀の記述と時代観が合いません。日本書紀に書いていることがすべて正しいとしない研究者も、日本書紀と整合しない「事実」については、日本書紀に軍配を上げるようです。

 しかし、日本書紀の記事がすべて正しいわけではありません。万葉集が日本書紀と違う時代認識を冒頭で提示する。研究者の多くは、自分が持ち合わせた知識に合わないデータは、何らかの間違い、手違い、編集者のミスへと持って行きたいようです。万葉集巻一の歌の配列もこうした研究者の都合で「時代順に歌は並んでいない」とされるのです。

 4千5百首もある大がかりな歌集の冒頭に、編集的なミスなどするでしょうか。そんな編集者がいたら間抜けとしかいいようがありません。万葉編者は、それほどいい加減なインテリではありません。

 日本書紀と、その書紀に反旗を翻す万葉集。書紀が権威で、万葉集は在野。権威といわれる研究者が書紀に軍配を上げたのはいうまだもありません。だから、万葉集が主張する時代認識は無視され、単なるミスとされるのです。

 誰も受けいれないであろう、「日本書紀が間違っていて、万葉集が正しい」という前提で、日本書紀の記述を理解していったら、どんな歴史があらわれるか。本書は、日本書紀に描かれた中大兄、天智天皇を万葉集の時代認識で解釈しました。それが天智東征です。天智天皇は、筑紫から近江へと東遷した。これが分かりやすく説明されているか、読んで判断していただければ幸いです。(2013/08/25)