空(間)論

ロハス・デザインという言葉が注目されています。人にとっての快適な空間デザインを考える不定期ブログを筑波から発信します!

変えたいという意志=空間の創造

2006年03月17日 | Weblog
 デザイナーは少しでもいいデザインで造りたがる。それだけコストは上がりがちだ。デザイナーはコストの上がり方を抑えながら、デザインがよくなることを考えている。シンプルに、しかし美しく……。「シンプル」てのはつまり、案外、コストが上がる矛盾があって、いちばん悩むところだ。「シンプル」が「簡単」と同じでないことは、前回の釘の頭の話で分かったはずだ。

 さて、虫でない僕らが、花を美しいと認めた価値の存在はどこにあったか? 蜜がうまいかは関係がない。どんな形の花が美味しい蜜を持つかも関係ない。散歩に出て見かけた花は清々しい。これは気分の問題だ。人がそこへ出かけて見る花に夜桜がある。一面の花びらの中に埋まるようにして自分があることが、嬉しい。むろん、満開の花は美しい。夜桜の下にゴザを敷いて、ビールの栓を抜いて、盃に酒を満たして始めることは結局、「美」とは関係ない。しばらくは花も眺めるが、そのうち花など見もしない。いつの間にか目的が変わっている。花より団子、美より食欲だ。花と「空間」とは関係がなくなる。人間と人間との関わりだけになる。ときにケンカも始まる。

 花のところへ出かけるのでなく、花を採ってきて、友人らに贈ったりもする。これは何の意味か? これも、大いに「心」に関係しそうだが、「空間の美」とは直接に関係はなさそうだ。花は「美しい」から、贈れば貰った人の「心」が喜ぶ。この花の美と空間の美とは異なるのだろうか。どこがちがう? 花は空間のどこか決まったところに置かれようとする。で、花は空間を変えるか?

 大いに変える。
 厳粛、華やかさ、喜び、そういったものを表現するために式場、壇上、旅館やホテルのホワイエと云ったところに置かれて、確かに効果的だ。人をその気にさせる。雰囲気を高める。病床の脇に置かれた花が傷心を慰めてくれる。
 この、空間に置かれた花のように、空間に置かれた建築でないものが、それほど露骨に華やかでなくとも、建築やインテリアの空間の質を変えることがある。仏に目を入れたように変わることが……。彫像・絵画・置物といったもので、一般に「オブジェ」と呼ばれる概念に近いが、それを私は「環境工芸品」と呼び、これを産み出す作業を「環境工芸」と呼ぶことにしている。「オブジェ」のように、見られること自体が目的で単独に味わうものでなくても、空間と一体になって溶け合い、空間の質を変えるものをいう。

 それを、心にのみ作用するものとして、たとえば公園のベンチ(いわば環境整備品)などとは区別している。「芸」がつくだけ違う。何か役に立てようという、はっきりした実用上の目的というものが無い。無ければ無くてもよいものであるが、在ることによって格段に空間の質を変えるものである。どう変えたいという意志を持ったときに、空間の創造ということになる。