うちな~んちゅになりたくて沖縄

沖縄好きが高じて、とうとう沖縄の住人に。「うちな~んちゅ」に憧れる千葉県生まれAYAKOの体当たりな日々、堂々、公開!

千葉同窓会in久米島

2009-06-26 13:00:00 | Weblog


 6月になった。梅雨とはいえ雨の少なかった上旬、いつもお世話になっている本部町のご夫婦と、石垣と沖縄市に住む千葉時代の三線同好会仲間の方々と、総勢5名で久米島へ旅行した。もともと、千葉で三線同好会メンバーが行きつけだった沖縄料理屋を営むママが、一昨年ほど前に実家のある久米島に戻ってしまったので、いつか遊びに行きたいと思っていた。その願いがやっと叶ったのだ。

 那覇から久米島までは飛行機で約25分とあっという間。小さな空港の到着口からロビーへ出ると、2,3年前に那覇で会ったときと全く変わらないママの笑顔があった。早速、今年に入ってから本格的に始めたというママの営む喫茶店へ。空港から10分ほどで久米島の中心街に出る。中心街といっても庶民的なスーパーや商店が並び、地元の人が集まる場所のようで、その飾り気のない雰囲気が心地よい。お店はその一角にあった。



 喫茶店の中は、ママがかつて営んでいた千葉の沖縄料理屋さながら。広さもインテリアも全然違うのだけれど、ママという人の持つ独特の親しみやすさが漂っている感じがした。久しぶりの再会に話は尽きない。軽くお茶でも飲んで、お昼はわたしたちが宿泊するホテルの近くへそばでも食べに行こうと話していたのに、いつの間に注文したのか、6人前のそばが配達された。わざわざ出かけて行かないで、ここで“ゆんたく”(おしゃべり)していようというママの配慮だ。

 会っていなかった時間を埋めるようにゆんたくは続いたけれど、せっかく久米島まで来たのだからと昼ごはんのそばを食べ終えてからやっと腰を上げて、観光に出かけた。畳石、宇根の大ソテツ、比屋定バンタ、宇江城城跡、五枝の松・・・。どこに行っても久米島は緑が多く、ありのままの自然の姿が残っているという印象だ。「石垣島は観光客を呼び込むために力を入れる方向を間違って、自然に手を入れすぎて壊すいっぽうよ。」と石垣に住む友人が嘆いていたっけ。石垣を始め、沖縄の離島が次々と観光客向けに開発されすぎる――もともとの自然が破壊される――傾向にあるから、久米島が次の対象として目をつけられるのもそう遠くではない気がする。この風景が壊されることなく残るといいけどな。



 ひととおり観光を終えたら、夜はママの店で夕ご飯を食べながら昼のゆんたくの続き。地元の野菜を使った島豆腐の白和えやゴーヤーチャンプルー、ゴーヤーサラダ、沖縄ソバのタコスミートがけなど、食べきれないくらいたくさんの料理がふるまわれた。かろうじて、お喋りにエネルギーを使ってカロリーが消費できたかな。翌日はみんなで海に行って採ったもずくを使った天ぷらをメインに、初日同様たくさんのご飯が並んだ。そのおかげ?で、わたしは確実に肥えましたわ。

 初めて久米島に上陸したことそのものも嬉しかったけれど、それ以上に、ママと再会して過ごした時間、千葉で一緒だった懐かしい仲間との時間が、わたしにとってかけがえのない思い出という宝物になった。きっとここで作った思い出が、今後のわたしの元気の源になるだろうな。


梅雨入り前の快晴日お出かけ

2009-05-25 12:30:00 | Weblog


 5月はゴールデンウイーク、その翌々週と、高校時代の友人やかつての職場の友人が沖縄に遊びに来た。今年は梅雨入りが遅かったおかげで、幸運なことにゴールデンウイークはもちろん、その翌々週に来た友人の滞在中まで、イイお天気に恵まれた。

 わたしは重度の沖縄病?!で移住までしたのだけれど、1度は沖縄に来たことのある人なら軽度の沖縄病にはなるのかな。改めて驚くのは今回訪れた友人のうち、一人を除いては皆リピーターだったことだ。

 その沖縄リピーター及び初心者のリクエストを頼りに、今回も北へ南へと車を走らせた。恩納村での青の洞窟シュノーケルツアー、奥武島でお腹いっぱい食べた天ぷら、本部町のエメラルドビーチでの海水浴、南城市にある知人のお店でのアグー豚しゃぶしゃぶ三昧・・・。

 行動範囲も活動量も日常より多く、食べた量も半端なかった。やっぱり旅の思い出は、食にも左右されるのだろうね。普段は、外食や飲み会で沖縄らしい料理を食べることはほとんどないから、わたしもこういう時は、もともと好きな沖縄料理を楽しんで食べる。

 一方で、沖縄に4年もいるから、友人が遊びに来たときに行く場所・オススメする場所はだいたい限られてくるので、場所や食べ物に対しての感動が多少は薄れてきてしまったりもする。けれど、何層もの青色が映し出される海の景色だけは、何度見ても飽きないんだよね。

 車で北上して恩納村に入ったときのカーブ左手に飛び込んでくる海は、お天気にも恵まれて手前のエメラルドグリーンと奥の群青色の境がくっきりしてキラキラ輝いていたし、南城市の「ニライ橋カナイ橋」越しに見る海は、水平線がどこまでも続いて視界を邪魔するものが何もなかった。

 何度見ても飽きのこない沖縄のあちらこちらの海の景色は、自分の存在をちっぽけなものだと感じさせてくれ、海を眺めているとたいていの悩みはそのときどこかへ追いやれる。この懐の深い海をいつまでも忘れないように目の奥に焼き付けておきたい。(続く)

オキナワン・おにぎり

2009-04-28 12:00:00 | Weblog


 他の地域にもあるのかもしれないけれど、沖縄のコンビニエンスストアでは、よく“沖縄限定”なるメニューが並ぶ。定番の沖縄限定コンビニメニューというと、「塩おむすび」や「ポーク玉子おにぎり」「ハンバーグ玉子おにぎり」など、おにぎりが多い。後者2つはとてもボリュームがあって、1個でお腹いっぱい。一方塩おむすびに関しては、最初は具なしなんて味気なーいと見向きもしなかった。

 けれど最近カップラーメンなどを買う場合、ちょっとお腹が満たされないかもというときには、具入りのおにぎりよりも具のない塩おむすびがピッタリ。ラーメンの濃い味が口に広がっているから、具のないおむすびのほうがバランスいい気がするのだ。あくまで個人的な感覚かもしれないけれどね。わたしにとっても、塩おむすびはすっかり定番になりました。

 近頃また、県内のコンビニエンスストアに新たな沖縄限定おにぎりが登場した。その名も「県産 まぐろかつ」と「イカ墨ジューシー」。

 沖縄は、けっこうマグロが水揚げされる。けれど、地元の人が好んでマグロを食べているかというと、そうでもない感じ。県産のマグロを地元にPRすべく開発されたのだろう。肉厚の豪快なマグロカツにソースとタルタルソースがたっぷりかけられていて、食べ応え十分。それもそのはず、たった1個でカロリーが400Kcalを超えている。あぁ、沖縄からメタボがなくなる日は遠い・・・。それはさておき、味はとても満足のいくものだ。まぐろを生で食べるのが苦手という人もこれなら食べられるだろうな。

 イカ墨ジューシーおにぎりは、スーパーなどで入手できる「伊江島おっかぁ自慢のイカ墨じゅーしぃ」の素で炊いたご飯を、そのままおにぎりにしたものらしい。沖縄には郷土料理として「イカスミ汁」や居酒屋メニューとして「イカスミ焼きそば」があるほど、イカスミの認知度が高い。これを沖縄風炊き込みご飯“じゅーしー”に取り入れたものだね。見た目の色はあまり食欲をそそられないし、少々臭いにやられるけれど、イカの歯ごたえが感じられておいしくいただける逸品。

 地産地消の地域限定メニューを増やすことは、地元にとっても沖縄を訪れる観光客にとってもイイ試みだ。何かと物の値段が高いというイメージのコンビニエンスストアだけれど、こういうメニューなら、たまには買ってみてもいいという気持ちになるね。(続く)

桜咲く・・・の季節に

2009-03-24 12:30:00 | Weblog


 わたしの住まいの近くに、「ぎぼまんじゅう」というお店がある。単なるまんじゅう屋かと思いきや、沖縄では有名なおまんじゅうの製造元という。作っているのは「のまんじゅう」と聞いて思い当たった。2年ほど前、職場にいただき物で届いたのが「のまんじゅう」。おっきくて、つぶあんがたっぷり入った白いまんじゅうに、赤でめいっぱい「の」の字が書かれていて驚いたっけ。

 この「の」の字は、お祝いの縁起をかついで熨斗(のし)の「の」からきているそうだ。聞くところによると希望すれば「寿」や「祝」の文字も書いてくれるらしい。とにかくいただき物で一度しか食べたことのないのまんじゅうの“あちこーこー(できたて、あつあつ)”が食べたくて、お店に足を運んでみた。

 広い通りから細い“すーじー(筋道)”を入ってすぐのところに建つお店は、おせじにも大きいとは言えない店構え。中に入るとすぐ手前にカウンターがあって、その奥ではたくさんのまんじゅうが蒸し上がっているのか、蒸気があがっている。そしてまんじゅうを包む月桃(ゲットウ)の葉の香りが漂ってくる。

 わたしの前にお客さんがいた。カウンター上には包み紙の上に大きな月桃の葉が敷かれ、できたてのまだ湯気が上がっている大きなまんじゅうが5つ乗せられた。そして、店員さんは脇にあった朱色の液体につけられた筆をとると、躊躇なく驚きの早さで5つのまんじゅうにのの字をサッサと書いていく。そしてこれまた驚きの早さで月桃の葉と包み紙でまんじゅうを包み、袋に入れてあっという間にお客さんの手に渡していた。

 すごい、職人技だ!と感動しつつ、「2つください」と言うと、すかさず「のの字は入れますか?」と聞かれる。もちろんハイと答え、わくわくしながら、まんじゅうが置かれてのの字が書かれ、月桃の葉に包まれて手渡されるまでの神業とも言える早い動きに再び感動した。

 せっかくのできたてだから、すぐに食べる。2年前に食べたときは、冷めてしまっていて月桃の葉の香りだけが印象に残っていたのだけれど、やっぱりあちこーこーはウマイ!! つぶあんがぎっしり詰まっていて、かなりボリュームのある1個なのだけれど、ふっくらやわらかい皮の食感や月桃のイイ香りに食欲が増してペロリと食べてしまった。

 のの字を入れないまんじゅうは法事用に使われるそうだけれど、時は受験シーズン。合格の知らせをもらった受験生に向けて、県内ではたくさんの「のまんじゅう」が月桃の香りと一緒に届けられるのかなぁ。(続く)

エコサイクルの農業

2009-02-20 12:30:00 | Weblog


 わたしが親しくさせてもらっている本部のお父さんの同級生に、アグーを育てて循環型農業というのに取り組んでいる方がいる。その農業をアピールすべく、今年の一月中旬、アグーのしゃぶしゃぶ&炭火焼を提供するお店をオープンさせたとかで、友人を誘って早速出かけた。

 いただいたのはしゃぶしゃぶ。自前のアグー肉と野菜を出汁でしゃぶしゃぶして、ショウガとポン酢でいただく。薄くスライスされた様々な部位の肉はとてもやわらかく、さっぱりした味で、いくらでも食べられそうだった。シンプルな食べ方だからこそ、肉の旨味をしっかりと感じることができる。一緒に出された野菜もほとんどが自家製で、そのおいしさに感動した友人は、生のままムシャムシャと食べていたっけ。

 おなかいっぱいアグー肉と野菜を食べた後、ご主人も交えての会話がはずむ。その時に、アグー飼育と野菜栽培のしくみについて、とても興味深い話を聞いた。循環型農業について。



 サラリーマン生活の傍ら、長年豚の飼育をしてきたご主人は、15年ほど前に会社を退職して農業と豚の飼育に専念したという。豚の糞尿から発生するメタンガスや液肥に注目して、これを野菜の栽培などに活用する方法を試行錯誤で実践してきたそうだ。

 豚の糞尿やトイレの汚物・残飯などが溜まって発酵すると、メタンガスが発生し、上澄みは液肥、残った個体は汚泥になる。ゴミ処理施設などではこのメタンガスを発電に使っていたりする。

 ご主人は、自らメタン発酵浄化槽を作り、発生したメタンガスを利用して畑で育てた月桃(沖縄ではサンニンという)の葉を炊き、その蒸留水を野菜畑で害虫の忌避剤に使う。月桃のこうした利用方法は、沖縄県内で注目されて様々な研究がなされている。一方液肥は、パイプを伝ってホースから出せるようにして、野菜畑の肥料として直接まく。汚泥も液体と撹拌して、肥料として利用。

 つまり、「豚の糞尿・食堂の残飯→メタンガスと液肥・汚泥→月桃を炊いて畑の害虫忌避剤、野菜畑への肥料→野菜・豚を食堂で利用→豚の糞尿・食堂の残飯」という見事なサイクルができあがっているのだ。さらに、太陽光発電システムを利用して、食堂の光熱もまかなえているというから驚いた。

 長きにわたってご主人が循環型農業に取り組んできたのには理由がある。一つ目にメタンガスが発生するための温度条件に沖縄がとても適していること、二つ目に、通常メタンガスの発生時、分解されずに溜まるカスの撹拌を、浄化槽の作りを工夫して自動で行えるようにしたことだ。




 そのシステムを目で見て確かめたくて、後日、改めてお店にお邪魔した。同じ敷地内に40頭余りのアグー豚、大きく育った葉野菜の畑、月桃畑。豚舎には産まれて3ヵ月ほどの子豚ちゃんもいた。自然の恵みが生き生きとそこにある。浄化槽は3段階を経たのち、メタンガスは月桃蒸留装置へ、液肥・汚泥は畑のあちらこちらに巡らされたホースから調整しながら出せるようになっていた。

 豚舎に近づいても家畜独特の臭いがしないので、不思議に思って尋ねると、完全に発酵した液肥を混ぜた水で豚舎の洗浄をしているからだという。液肥や汚泥を直接畑にまくことができると、肥料を作ったり買ったりするよりコストも省けるそうだ。

 沖縄の農業がもっと元気になるように、こうしたシステムをもっと多くの農業従事者に知ってもらいたいというのが、ご主人の一番の願い。おいしいアグーと野菜を通して、この思いが島中に広がるといいな。(続く)

沖縄の名勝

2009-02-09 11:30:00 | Weblog


 わたしが沖縄に移り住んだ2005年春以来、約4年ぶりに母が沖縄にやってきた。千葉で咲くのとは違う、鮮やかな沖縄の桜を見にきたら?というわたしの誘いに応じてのことだ。

 母の滞在中の天気は、予報では前半が雨で後半がくもりのち晴れということだったので、わたしのテンションは少々下がり気味。けれど嬉しい裏切りで、予報に反してずっとお天気続きだった。また、今年は例年よりも早く桜が咲いてしまったので、散るのも早いだろうと予想されていたけれど、わたしたちが桜の咲く八重岳に行った日、桜はまだ見事に咲いていた。

 鮮やかなピンク、淡いピンク、グラデーションのピンク、と目にまぶしい沖縄の桜の色に圧倒されながら、夢中で携帯電話付属のカメラで写真を撮る母。わたしもまた、何度も見ているのに、サンサンと降り注ぐ太陽の光に照らし出された桜のピンクとバックの空の青、そしてちらほらと新芽を出している葉の緑のコントラストに心を奪われた。



 翌日は、近くにありながらまだ行ったことのなかった「識名園」へ。ここは世界遺産に登録され、国指定特別名勝にもなっている。琉球王朝時代の国王一家の保養や外国使臣の接待に利用されたそうだ。第二次世界大戦の沖縄戦にて破壊されたのち整備されているので、建物は真新しくきれいだった。

 その日はたまたま、午後から結婚式があるとかで、屋敷の中では結婚式の準備をしている。識名園を訪れる一般の人も見物することができるらしいので、ぜひとも見てみたかったけれど、式が始まる時間まではいられなかったので断念。

 池のまわりを歩くと景色の移り変わりを楽しめるという「回遊式庭園」は、とても手入れが行き届いている。ここにも、草木の緑に混じってちらほらと桜の木が植えられて彩りを添えていた。千葉では見られない珍しい植物や実の成っているバナナの木などに、母は興味津々。

 二人で時間をかけてゆっくりと園内を散歩した。本島南部が一望できる一角に立ち、当時の王朝の生活などに思いを巡らせてみたりも。首里城よりも見ごたえがある、というのが母と私の感想だ。また、季節が変わったときに、一人でブラブラと散歩してみたくなる、そんな場所だった。(続く)


芋づくし

2009-01-28 18:00:00 | Weblog


 千葉から4日間ほど遊びに来ていた友人は、大のおイモ好き。沖縄に到着したその日から、沖縄の代表的なイモ・紅芋を加工されたお菓子ではない状態で食べてみたいと話していた。けれど、たまたま行ったスーパーやマチグァー(市場)では、紅芋をみかけることがなかったそうだ。

 ならば、と前から噂に聞いていた「ファーマーズマーケット」なるところに行ってみた。地元の農家の方の野菜が名前入りで売られている大きな市場。新鮮な野菜を手頃な値段で買えるとあって、地元の主婦にも観光客にも人気のスポットだと聞いていたけれど、足を踏み入れたのは初めて。休日のせいもあるのか、中はたくさんの人でにぎわっていた。野菜のほかにも、沖縄の特産品やお菓子も置いてある。

 入口を入るとすぐ左手に、おイモの山があった。見るとすべて紅芋。友人は、その量と値段に大興奮して、嬉しそうに次々と袋を手にする。紅芋は、見た目がサツマイモのような色・形のものと、いびつな丸の形をしてジャガイモのような色をしたものと、大きく分けて2種類あった。切ったときに中が濃い紫一色なのと、ムラのある紫なのだろう。友人は迷わず2種類とも買った。わたしは野菜のほかに、ムーチー(もち)やかまぼこおにぎり(かまぼこの中に沖縄風炊き込みご飯・ジューシーが入っている)などを購入。

 友人の沖縄滞在の最後の夜は、この紅芋と桜まつりで買った田芋と、そのほか沖縄の食材を使ってのおうちご飯。メニューは田芋の煮っころがし、2種の紅芋のスープ・・・というより単にペースト状だったけれど、友人は美味しそうに食べた・・・、ゴーヤーとポークのキッシュ、できあいのテビチ(豚足)の煮付け、かまぼこおにぎり。どれも2人で食べる量をはるかに超えていたけれど、モリモリ食べた。

 この時、友人が作ってくれたキッシュがとても美味しかったので、生地のレシピを聞いて、後日、余ったお芋たちをキッシュにアレンジ。紅芋、田芋、さつま芋のキッシュは、見た目の彩りが鮮やかで、ホクホクした食感とキッシュ生地のフワっとした食感との相性もよく、なかなか美味しくできた。おイモはまだある。今度は、なにを作ろうかな。(続く)


桜だより

2009-01-22 12:00:00 | Weblog


 今年も、沖縄本島北部にある本部町で桜まつりが始まった。年末年始の寒さで桜が目を覚ましたらしく、例年より早い段階で多くの桜の木が開花している。

 その本部町のお祭りよりも一週間早く、いつもお世話になっているご夫婦がお店を開店した。わたしは、そのお店のお手伝いという名目で、開店して2日目に遊びに。滞在した2日間のうち、1日目はとんでもなく寒く、雨風が強く降ったり止んだりを繰り返していて、とても商売どころではなかったのだけれど、2日目は雨が上がってお客さんもちらほらと訪れた。

 お店には、夫婦が端正こめて育てた「タンカン」や「ショウガ」「シークヮーサー」などが店頭に並び、カレーや焼きそばの軽食も食べられる。思いついて、家の敷地のあちらこちらに取り切れないほどに自生したパパイヤも、採れたてを並べた。あとは、手先の器用な奥さんが作った紅型模様のコースターやパッチワークのマット、お手玉なども売っている。

 ご主人の「基本はここへ寄ってくれる人とのおしゃべりが楽しみで、収支はトントンでよい、もうけが出れば嬉しい」という考え方が好きで、わたしもお手伝い・・・というよりも、接客や時間が空いたときのご夫婦とのおしゃべりを楽しみに行くようなものだ。もちろん、たくさんのお客さんが来てくれると、賑やかでそれだけで嬉しい。

 翌週、千葉から遊びに来た友だちを伴ってお店を訪ねたら、ご主人のお母さまが作られたという細かいレースのコースターや花瓶敷きが追加で並べられていた。前の日に、黒糖づくりの実演販売をしたらしく、小さなビニル袋に小分けされた黒糖もお店に出ていた。

 ここにくると、人は食べるものも使うものも、自分たちの手でうみだせるのだな、と感じずにはいられない。それは経済=お金の流通となってしまって、目に見えない形のないものが莫大なお金で取引される現代において、不況が叫ばれる今こそ、もう一度見直さなくてはならないことだとつくづく思う。わたしは手始めに、今年もまた食べられる野菜をプランターに植えよう。(続く)


商品になった基地・下

2008-12-22 11:00:00 | Weblog


 先日のTV番組の話の続き。今回は、米軍基地である普天間飛行場の名護市移設問題について。基地の受け入れ先となった名護市は、国から多額の補助金を受け取った。名護市民の方たちは、基地の受け入れにどんなに反対しているかと思いきや、名護市にたくさんのお金が入るということで、別に反対していないという人もいるという話を名護に住む友人から聞いたことがある。しかし番組では、お金が入ったとて市民の暮らしが良くなっているわけじゃないことを伝えていた。

 国から受け取った巨額の補助金。国は名護市を金融業務特別地区(金融特区)や情報通信産業特別地区(情報特区)に定め、名護市は補助金を使って、金融特区や情報特区に進出したいという企業のための敷地や建物を整備した。特区制度とは、名護市内に進出した金融系や情報通信系の企業は、一定の要件を満たせば税制面で優遇措置がとられるというもの。

 名護市の一部の地区にこうした企業が入居できるようにと、たくさんの駐車スペースを有した小綺麗な建物が建ち、情報通信系の高等専門学校も作られた。しかし、そのようなものは名護市民にとってはまるで別世界であると、番組の中でインタビューされた地元の青年会の人は答えていた。進出してきた企業というのはほとんど内地の企業で、沖縄の企業にとっての優遇措置でも何でもない。

 また、企業が多く進出することによって、雇用拡大につながるという見方もできるのだけれど、それによって活性化されるのは特区に進出した企業であって、名護市にもともとある企業・会社が活性化されているわけではないと見えてしまう。補助金をつぎこんで金融特区・情報特区の建物が続々と整備される一方で、名護の市街地がさびれゆく様子もテレビは伝えていた。

 つまり、多額の補助金が入るからと基地受け入れに肯定的であっても、地元である名護市民がその恩恵をほとんど受けていない状態なのだ。特区制度だ何だと目に見えるものを整備していくことで、基地を受け入れることがもたらす影響の本質が見えなくなってしまっているように思う。

 この番組の最後、自分たちの育った環境が大きく変わる中で、自分が地元ですべきことやしていきたいことを考えて、海人(うみんちゅ=漁師)の修行を始めたという地元名護市の若者の様子が映されていた。基地を受け入れた見返りである補助金を使って、企業進出のための区域を整備するのもけっこうだけれど、名護市の地元企業や名護市を担っていく若者のことを考えてくれているのだろうか。少なくとも彼が生涯、海人として仕事ができるような海を保っていくなどの環境保全にも力を入れてほしい。(続く)


商品になった基地・上

2008-12-12 18:30:00 | Weblog


 つい先日、たまたまつけたTVの番組で「基地とカネ」というタイトルで沖縄の話を放送していた。タイトルから、いやーなにおいを感じたわたし。冒頭、「今、沖縄県の軍用地が注目の投資物件になっている」というナレーターのひと言に愕然とし、45分間、番組に釘付けになった。

 沖縄県は土地の20%を軍用地(基地)が占めている状況であり、国が基地に費やす税金は年間1817億円にのぼるそうだ。そして、その約半分にあたる899億円が軍用地の借地料として、土地の所有者に支払われているという。

 基地に利用されているのは、もともと家や畑が点在して集落を構成していた住宅地。それぞれの人の生まれ育った思い入れの深い場所が、第二次世界大戦の敗戦で奪われてしまった。番組の中で、土地を奪われた人たちは、ふるさとをなくしたのと同じだと話していた。

 沖縄がアメリカ統治下に置かれてしばらくは、土地を奪われた人へはアメリカが微々たる借地料を払っているにすぎなかったが、沖縄県が本土復帰されると、防衛経費として国が借地料を支払うようになった。毎年、近隣の地価を調べて借地料を提示する。提示額に土地の所有者が応じても応じなくても、国は土地を強制的に使用できるのだという。横暴きわまりない。

 こうした土地が、いろいろな要因で手放された場合、不動産会社が仲介に入って売買をする。新聞やチラシなどで「軍用地売ります・買います」という広告をわたしも目にしたことがあるが、どういうことかピンときていなかった。要は、軍用地を買えば、国から毎年必ず借地料が支払われることになるということ。世の中が不景気にあえぐ今、安定した収入が得られるとして投資対象の物件になっているとはこのことだ。

 時代はネット社会。不動産が売りに出している軍用地を実際に見ることもなく、安定収入が得られる長期的な投資として購入するのは県外の人にも増えつつあるらしい。同じ軍用地でも、返還の見込みの少ないところは人気があり、倍率が高くなるそうだ。基地周辺に住む方が、どんな爆音の中で生活しているのか、どうして基地返還を求めるのか、せめて沖縄に足を運んで自分が買おうとしている土地がどういうものか目で見て確かめてほしい。

 「一坪地主」と言って、大勢が少しずつ軍用地となっている土地を買い、皆で地主として基地返還を求めて行こうという動きについて聞いたことがあるが、投資物件として売られるなんて全く相反する行為ではないか。ふるさとを取り戻したい、基地を沖縄県からなくしたい、と願っている人の気持ちはまるで汲み取ってはもらえていない。

 もっとひどいのは、軍用地の所有者すなわち安定した定期収入を得ている人への「軍用地主ローン」という優遇融資を県内の銀行が実施しているというもの。軍用地を所有していることがメリットだと認識され、軍用地所有に拍車をかけるだけだ。

 自らが育った場所を奪われたと憤る人のいる一方で、多額の借地料を手にして定職につかずに生活を送っている人もいると、わたし自身は地元の方から聞いたことがある。十分すぎる金額をもてあまし、賭け事にこうじてばかりいる人も少なくないという。加えて投資物件としての人気が高まれば、基地返還どころか返還をよしとしない人が増えるだろう。こうした負の循環を断ち切らなければ、基地依存はズルズルと続くしかない。その事実にいきついて、恐ろしくなった。(続く)