1945.8/6 広島
8/9 長崎
日本の講和の意思より、自国の欲求を尊重したアメリカ
日本には、講和の意思があったにもかかわらず......
日本軍の敗兆と容赦ない空襲で、日本はまさに満身創痍となりつつあった。
そこへとどめばかりに、原爆が投下される。
これに関しては、どうしても許せないことがある。
日本には、講和の意思があったにもかかわらず、原爆を投下したということである。
1945年7月、日本に降伏を勧めるポツダム宣言が発表された。
受諾すれば降伏、受諾しないなら戦闘続行となる。
これは、米英ソの会議での決議を、アメリカ、イギリス、シナの名前で発表したものだった。
そのころはまだソ連が対日戦に宣戦しておらず、名前を連ねるわけにはいかなかったのだ。
さて原爆は、このポツダム宣言発表の2ヶ月後に投下される。
アメリカの言い分としては、これは、「戦争終結のため」に下された判断だった。
ポツダム宣言を受諾するどうかでもたついている日本は、講和の意思がないと見なされたというのだ。
しかし、これは大義名分で飾られた虚偽である。
というのも、日本にはそれより以前から講和の意思があり、ソ連やスイスに働きかけるなどして必死にその道を探っていたからである。
そして、そのころアメリカは、日本の行動を全てお見通しだったはずなのだ。
戦争終結のためなら何故2度も原爆をおとしたのか
それに、戦争終結のためならばなぜ、2発も落としたのか。
実際、「原爆は戦争を終わらせるものだった」と声高に訴える人でも長崎のことを問うと黙り込むことが多く長崎はタブー視されているくらいである。
これこそ、アメリカの理屈が虚偽である何よりの証拠ではないか。
8月6日、広島の町を地獄絵の如き状態にした原爆は、日本中を震撼させた。
仮に日本政府に講和の意思がなかったとしても、講和を決意させるほど恐ろしいものだったということは、明白である。
それなのに、その3日後に今度は長崎に落とした。
それも、広島の原爆とは違う原料でつくられたより強力な原爆を、である。
これらの事実を踏まえると、アメリカが「戦争終結のため」という美辞麗句をつけたうえで、原爆人体実験たる原爆投下を遂行したしか考えられないのである。
原爆投下は、民間人を大量殺戮する米英的戦略の最たるものだったばかりか、「人体における原爆の威力を実際に見てみたい」というアメリカの欲求の実現だった。
これはどんな理屈をもってしても動かしがたい事実だろう。
また「戦争終結のため」なら何をやってもよいと言うなら、毒ガスでもよかったはずだ。
それを用いなかったのは、日本も毒ガスの準備を報復手段として持っていたからである。
広島の慰霊碑には「二度とあやまちは繰り返しません」とある。
この主語はアメリカであるべきだ。
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