R5年2月9日 木曜日 8℃ 晴れのちくもり
新年度の準備にかかる時期だった。40数年になるバイオリズムはリフレッシュのときでもあった。
と、16年前をのぞくと、これはしたり、一番忙しいなどと書いている。
業務ともろもろに解放されて7年が経過して、やっと、リズムが変わろうかと勝手な思い出にしている。
トルコ地震で死者がトルコとシリアで2万人を超える模様。
トルコ南部で6日に発生したマグニチュード7.8の地震から72時間の経過は惨事をますますあらわにする。
各国から緊急派遣の救助隊に日本からも加わって・・・
https://forbesjapan.com/articles/detail/60841
過去に世界を襲った大地震とその被害 トルコ地震、ワースト10に迫るおそれ
Emily Washburn
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1950年以降、死者数の多かった地震は以下のとおり。
1. 唐山地震(1976年7月28日、中国河北省、M7.8):65万5000人
中国の公式発表では死者は24万2769人だが、実際ははるかに多かったと推定されている
2. ハイチ地震(2010年1月12日、ポルトープランス、M7.0):31万6000人
数字は公式発表。もっと少なく22万人近くだったとする推定もある
3. スマトラ島沖地震(2004年12月26日、インドネシア・スマトラ島沖、インド領アンダマン諸島、M9.1):28万3000人
マグニチュードも1950年以降で3番目に大きかった
4. 四川地震(2008年5月12日、中国、M7.9):8万7600人
5. パキスタン地震(2005年、10月8日、M7.6):8万6000人
死者数は8万7000人超とする推定もある
6. アンカシュ地震(1970年5月31日、ペルー、M7.9):7万人
うち5万人は死亡が確認され、残り2万人は行方不明後に死亡と推定された
7. マンジル・ルドバール地震(1990年6月20日、イラン、M7.4):5万人
推定死者数は4万〜5万人とやや幅がある
8. バム地震(2003年12月26日、イラン、M6.6):3万4000人
2020年になって政府が公式死者数を発表した
9. アルメニア地震(1988年12月7日、スピタク、M6.8):2万5000人
10. グアテマラ地震(1976年2月4日、ロスアマテス、M7.6):2万3000人
マグニチュードの大きさでは、1960年5月のチリ地震がM9.5で観測史上最大で、次が1964年3月のアラスカ地震(M9.2)となっている。ただ、死者はそれぞれ1800人と131人にとどまっている。
2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)はM9.1で4番目に大きく、日本の警察発表によると1万5900人が亡くなり、2523人が依然として行方不明となっている。
いちばん忙しい
2007年02月09日
気温が高いと報じる
この10日間の平均気温が3度ほど高めで推移している
これは緯度で言うと愛知や岐阜が鹿児島、高知なみのあったかさのようである
ニューヨークの20℃になる桜咲く陽気は向こうのことだけではないようだ
インフルエンザが流行してシーズンは1ヶ月遅れの模様
急激な風の蔓延には乾燥した空気も関係するからこの好天気は危ない兆候だ
予防注射の効果や如何に
花粉症がさらに輪をかけるとたまらない
さまざまな締め切りが押し寄せる
定期試験が終わって10日近くを経過する今頃が忙しい
大学にかきいれどきがあるとするなら合否判定を軸に学習成果を問う学年末のいまがある
大学人としての業務は人が知るほど単純ではない
自分を客観的に見られる、調子のよいときも悪いときも、冷静でいられることだ
過去4年間の最多勝投手は語った
自分の気持ちをコントロールできる、心を管理すれば体も技術も上向きに持っていくことができる、と
60以上の勝ち星をあげる最多勝投手に続く2人の投手は大リーグにでかけてしまった
昭和史の教訓という本を読んでいる
著者は保坂さんノンフィクション作家らしい
2・26事件から書き起こしている
陸軍内部の皇道派と統制派の争いであり現人神のイデオロギーとする
昭和の10年代を捉えるのに、昭和7,8年ごろから昭和20年までを、4つの枠で囲まれた時代とする
国定教科書による国家統制、情報発信の一元化、暴力装置の発動、弾圧立法の徹底化、という、四辺である
自虐史観といわれる風潮を自省史観と問い直しての重みのある内容である
生者の証言だけを信ずるに足るとする姿勢を戒めている