「落とし咄」の効用 政治笑える社会は健全
筆者:鷲田清一
みずからへの批判や異論を認めないどころか、力ずくで、あるいは陰で手を回して押しつぶす。「記憶にない」と、公的な任にある人が平然とシラを切る…。条理を外れたそんな光景に舌打ちする人、ため息をつく人は多い。が、それは舌打ちしている自分、ため息をついている自分には、こういう事態を憂えるだけのまともさがまだあると、自らを道端の安全地帯に立たせようとしているだけではないのか。
だが、安全地帯そのものが危うくなってきたとき、世の流れを嘆くその視線が、身を守ることを言い訳に、大勢に従わぬ人たちを詰る視線へと、オセロの石のようにごそっと裏返ってしまう例を私たちはいやというほど見てきた。
「自分が“正しい”と思った瞬間から、見えなくなるものがある。
胸を深く突いた。