当社の年賀状の定番といえば、社長が撮ってくる岩手山の写真。
今年は開運橋のたもとから、岩手山と北上川を収めました。
この風景が大好きな盛岡人は結構多いはず!
私も大学で故郷を離れ上京するとき、開運橋を渡りながら見た
岩手山と北上川の風景を今でも鮮明に覚えています。
3月の澄み切った青空に、くっきりと雄大な姿でそびえ立つ岩手山。
街中清らかな流れの北上川。
まさに頑張ってこい!そしていつでも帰って来い!お前の故郷はここだから!
と温かいエールで見送りをされ、思わず涙が溢れてきました。
<石川啄木 一握の砂より>
ふるさとの 山に向かひて
言うことなし
ふるさとの山は ありがたきかな
やはらかに 柳あをめる
北上の 岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
いってらっしゃい!お帰り!いらっしゃい!・・・。
盛岡に住んでいるひとのみならず、盛岡を訪れたひとも
優しく迎えてくれる・・・そんな温もりのある風景です。
(当館より徒歩6分位) (管理人:兄)
今年は開運橋のたもとから、岩手山と北上川を収めました。
この風景が大好きな盛岡人は結構多いはず!
私も大学で故郷を離れ上京するとき、開運橋を渡りながら見た
岩手山と北上川の風景を今でも鮮明に覚えています。
3月の澄み切った青空に、くっきりと雄大な姿でそびえ立つ岩手山。
街中清らかな流れの北上川。
まさに頑張ってこい!そしていつでも帰って来い!お前の故郷はここだから!
と温かいエールで見送りをされ、思わず涙が溢れてきました。
<石川啄木 一握の砂より>
ふるさとの 山に向かひて
言うことなし
ふるさとの山は ありがたきかな
やはらかに 柳あをめる
北上の 岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
いってらっしゃい!お帰り!いらっしゃい!・・・。
盛岡に住んでいるひとのみならず、盛岡を訪れたひとも
優しく迎えてくれる・・・そんな温もりのある風景です。
(当館より徒歩6分位) (管理人:兄)
2009年(平成21年)丑年!
その昔、高村光太郎は、岩手の人を次のような詩で表現しました。
**************************
岩手の人
岩手の人眼静かに、鼻梁秀で、
おとがひ堅固に張りて、口方形なり。
余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
たまたま岩手の地に来り住して、
天の余に与ふるもの
斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
岩手の人沈深牛の如し。
両角の間に天球をいただいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり。
地を往きて走らず、企てて草卒ならず、
つひにその成すべきを成す。
斧をふるつて巨木を削り、この山間にありて作らんかな、
ニツポンの背骨岩手の地に
未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。
***************************
やすらぎと豊かさをはぐくむ快適な生活空間を創造するという
当社の理念を一歩一歩誠実に、成すべきを成し、より一層進め
て参ります。今年も皆様の変わらぬご厚情を賜りますよう
よろしくお願い申し上げます。尚、HP更新は牛歩にならない
よう努めます(苦笑)
*高村光太郎(1883~1956)
彫刻家・画家・詩人・評論家。詩集「智恵子抄」他
昭和20年宮澤賢治の実家を頼り疎開。自炊独居した小屋
「高村山荘」が現在も花巻(高村記念館)に保存されています。
(管理人:兄)
その昔、高村光太郎は、岩手の人を次のような詩で表現しました。
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岩手の人
岩手の人眼静かに、鼻梁秀で、
おとがひ堅固に張りて、口方形なり。
余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
たまたま岩手の地に来り住して、
天の余に与ふるもの
斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
岩手の人沈深牛の如し。
両角の間に天球をいただいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり。
地を往きて走らず、企てて草卒ならず、
つひにその成すべきを成す。
斧をふるつて巨木を削り、この山間にありて作らんかな、
ニツポンの背骨岩手の地に
未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。
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やすらぎと豊かさをはぐくむ快適な生活空間を創造するという
当社の理念を一歩一歩誠実に、成すべきを成し、より一層進め
て参ります。今年も皆様の変わらぬご厚情を賜りますよう
よろしくお願い申し上げます。尚、HP更新は牛歩にならない
よう努めます(苦笑)
*高村光太郎(1883~1956)
彫刻家・画家・詩人・評論家。詩集「智恵子抄」他
昭和20年宮澤賢治の実家を頼り疎開。自炊独居した小屋
「高村山荘」が現在も花巻(高村記念館)に保存されています。
(管理人:兄)