旅の出会いというものは何も人とは限らない。
旅に限ったことでもないのだが・・・
孫文の生誕100周年を記念して、建設された国父記念館というところに訪れた。
建物は独特のアーチの屋根をしており、生誕100周年を記念したというわりに、質素な色使いをした建物だった。
建物の周囲はは緑に囲まれていて、私たちは、広いところならアダンも喜ぶだろうとおもって、そこへ行ったのだった。
建物の中に入ると吹き抜けのエントランスがあり、巨大な孫文の銅像が置かれていた。
台湾に着いてからというもの、アダンにとってははじめてみる銅像がやたらと色々な場所に置かれており、それを見つけるたびに、
アダンは「オジサンバイバイ、オジサンバイバイ」といって泣き出した。
エントランスを抜け、展示室の方へ行くと、想像通り、2.28事件のことや、太平洋戦争、日清戦争など、戦争に関する資料ばかりが置かれていた。
ベトナムで見たそれらとはまた違う角度で戦争を映し出していた。
こういう場所に来ると、私は口の中が苦くなり、どうも、落ち着かなくなる。
逃げるように白熱灯の光が漏れる部屋へ入っていった。
そうすると、だだっ広い部屋に、たくさんの書が展示されていた。
たくさんの書を丁寧に見ていくと、色々な書体で、見事に書かれていた。
几帳面に陳列されたその文字が、とてもきれいに私の目の中に入ってきた。
やわらかい筆のはらいや、したたかな撥ね。
全てがリズムに乗って書かれたかのように、気持ちが良かった。
旦那様も文字を扱う仕事なので、興味深々にみていた。
象形文字もあれば、漢字もあり、そして、楷書であったり、行書だったり。
書かれている意味は分からないけれど、そのデザイン性の高さは
かなりのものだった。
この部屋を出た瞬間に、
「ここにこられて良かったねぇ」
と、しばらく私は思い出すたびに口に出してそういっていた。
写真:台北 国父記念館 展示会にて
旅に限ったことでもないのだが・・・
孫文の生誕100周年を記念して、建設された国父記念館というところに訪れた。
建物は独特のアーチの屋根をしており、生誕100周年を記念したというわりに、質素な色使いをした建物だった。
建物の周囲はは緑に囲まれていて、私たちは、広いところならアダンも喜ぶだろうとおもって、そこへ行ったのだった。
建物の中に入ると吹き抜けのエントランスがあり、巨大な孫文の銅像が置かれていた。
台湾に着いてからというもの、アダンにとってははじめてみる銅像がやたらと色々な場所に置かれており、それを見つけるたびに、
アダンは「オジサンバイバイ、オジサンバイバイ」といって泣き出した。
エントランスを抜け、展示室の方へ行くと、想像通り、2.28事件のことや、太平洋戦争、日清戦争など、戦争に関する資料ばかりが置かれていた。
ベトナムで見たそれらとはまた違う角度で戦争を映し出していた。
こういう場所に来ると、私は口の中が苦くなり、どうも、落ち着かなくなる。
逃げるように白熱灯の光が漏れる部屋へ入っていった。
そうすると、だだっ広い部屋に、たくさんの書が展示されていた。
たくさんの書を丁寧に見ていくと、色々な書体で、見事に書かれていた。
几帳面に陳列されたその文字が、とてもきれいに私の目の中に入ってきた。
やわらかい筆のはらいや、したたかな撥ね。
全てがリズムに乗って書かれたかのように、気持ちが良かった。
旦那様も文字を扱う仕事なので、興味深々にみていた。
象形文字もあれば、漢字もあり、そして、楷書であったり、行書だったり。
書かれている意味は分からないけれど、そのデザイン性の高さは
かなりのものだった。
この部屋を出た瞬間に、
「ここにこられて良かったねぇ」
と、しばらく私は思い出すたびに口に出してそういっていた。
写真:台北 国父記念館 展示会にて