わが身世にふるながめせしまに

古き良きもの放蕩三昧・・・したい。

お着物をいただきました♪

2008-07-27 18:33:47 | 和風三昧
踊りのお稽古のときにお着物をいただきました~!

お稽古場では、師匠のお知り合いの方が着なくなったお着物をお持ちくださることがよくあります。

そこで思うこと

「チビでよかった・・・・


着物文化を支えていらっしゃった年代の日本人は、総じて小柄なので、イマドキの手足の長い若者にはツンツルテンになってしまうのです。お直しで着られる場合もありますが、そうは言っても出すのに限界はあります。世の中にはカリスマ和裁士さん/悉皆屋さんなんてのもいらして、着た時に外から見えないところから布を寄せ集め、見事に着られる着物にしてくださるなんてこともありますが、よっぽどの価値の着物でないとここまでやるのはなかなか難しいものです。それに古いお着物だと、出したところの布の色目が出ていたところとずいぶん違いすぎるかもしれないというリスクもあります。だからお直しなしで着られるというのは相当幸せなことなのです♪

今回いただいた5枚のお着物の裄は1尺6寸3分、袖丈は1尺2寸。私は踊りを意識したもののときには1尺7寸5分で作っていますが、母の着物が1尺6寸5分~1尺7寸でできているので、普段はそれで問題なく着ています。1尺6寸3分は若干短いかなとも思いますが、お召しの薄物や単、ウールの普段着などでしたから、気にせず着てしまえ~♪

今日は手持ちの帯を引っ張り出し、それぞれの着物にどれが合わせられるかあれこれ悩みましたが(写真のようにね)、いただいた着物はどれも渋い色目で、私のこれまでの着物とはずいぶんと違う趣。なかなか合うものが見つかりません。無難な白帯なら着ていけないことはないですが、イマイチぱっとせず・・・買うとしたらどんなものがよいか妄想を膨らませました。・・・相当楽しい時間です♪

それから襦袢(うそつき)の袖を縫って、今回の着物たちに合わせました。これでいつでも着て出かけられます。

盛夏はなかなか着物を着るのに躊躇しますが(浴衣は気楽なんだけどね)、せっかくいただいた着物たち、箪笥の肥やしにしないよう、たくさん着て出かけたいと思いま~す。

お習字のお稽古 その後・・・

2008-07-26 16:52:40 | 書道三昧
お習字のほうも細々と続けていまして、現在なんとか毛筆で準初段まであがってきました♪なんと、毛筆の今年の目標クリアです!

今は半紙の楷・行・草、半切の楷書、硬筆を浚っています。隷書も勧められているのですが、なかなか手がつきません・・・。だんだんと先生のご指導されることも簡単にはできないようなポイントになってきているので、それぞれをもっともっと浚わないと、と思っているのに、さらに字体も増えるとお稽古時間が足りない!!!少なくとも硬筆くらいは少ない時間にちょこちょこと浚えるくらいのフットワークの軽さが必要ですな。

秋になるとまた仕事のウェーブが押し寄せてきそうなので、ちょっと時間に余裕のある今、精進しなきゃ♪

清元「玉屋」 その後のお稽古

2008-07-21 21:45:05 | 踊り三昧
気づいたらドイツ旅行記が1ヶ月もかかっていました・・・その間、日舞のお稽古ではようやく「玉屋」の振りが最後まで辿り着きました~♪ でもまだ自分のものになっていないので、あと2回くらいで通るかな?というところです。ただし「蝶々売り」のところは結局すっ飛ばして、なんとか9月の浴衣会に間に合わせるという状況

「玉屋」は清元ですが、これがなかなか難しい・・・拍子なんて気にしてはいけません。4拍子かなと思って拍子をとり始めると、あちこち余ります!清元のリズムは頭で考えてはいけないのです。自由な調子に身を任せて楽しむべし

そうは言っても、私たちは録音された音を使ってお稽古するので、音を聞き込めばいつか体に入ってきます。でも、実際の演奏では、決まった拍子無しにいつも同じ曲を再現することって可能なのかしらん?その自由な調子なりに、きちんとルールがあって、楽譜もあって、決まった形で演奏されているのでしょうか。それとも演奏はいつも自由?となるとそれを地方に舞踊をやる場合も、時々拍が変わったりするのかしらん。。。。今度師匠にうかがってみようっと。

私はこれまで浚ってきた曲はほとんどが拍子も歌詞も明瞭な「長唄」。今回清元初挑戦なので、いろいろと苦労していますが・・・よい勉強させていただいておりますです♪

バレンボイム様

2008-07-14 00:04:05 | クラシック三昧

そろそろドイツ旅行記も完結編。。。最後に1冊の本をご紹介させてください。

今回、飛行機の中で読もうと準備していた本は、この旅への私の関心をよくあらわしていました。


ダニエル・バレンボイムは、ジョゼッペ・シノーポリ亡き後の私のカリスマです。当初、純粋に音楽の面でこのピアニストであり指揮者である音楽家に興味をもち、ベルリン国立歌劇場のリングチクルスが東京で開催されたときは馳せ参じました。

一方で、ベルリンを拠点に世界中で活躍し、主にワーグナーやシュトラウスというある意味「ユダヤ人にあるまじき」曲を得意としているユダヤ人指揮者であり、時に非常にするどい政治的発言で強い排他的民族主義を戒める(故郷イスラエルに対しても容赦なく)社会派な面も持ち合わせています。そんなところからも彼の言動に注目するようになりました。

この本の対談相手はカイロ生まれのパレスチナ人サイード。アメリカで教育を受け、文学・文化評論の分野で著名大学で教鞭をとる傍ら、評論活動はもとより、自ら音楽の表現活動までやってしまう多才な人。惜しまれつつ2003年没。

この二人の対談は、「音楽と社会」だけに限らず、政治、思想や教育にまで及び、時にはついていけないほど難解な章もありました。ただ、彼らの楽しそうな議論のキャッチボール - 純粋に音楽や思想を極める姿勢 - を公開することによって、政治や歴史上のさまざまな障壁・こだわりがいかに無意味なことかが明るみになっているのではないでしょうか。それが本の狙いのひとつだと思います。

バレンボイムの音楽観として印象的だったのが、ブゾーニの言葉を引用し「音楽とは鳴り響く大気だ」というもの。テンポだの解釈だの、議論のための議論のようなものよりも、要は楽譜に記されていることを、どのように大気を通じて観客に伝えるかが大切だと言っているのだと思います。全部の楽器でクレッシェンドする指示があるとき、低音楽器は他のものに比べたら遅めにクレッシェンドさせる。そうしないと他の楽器の音がかきけされてしまうから。こういうことを考えるのが指揮者なのだと。この職人的アプローチにとても感動しました。コンピュータも動いてなんぼ。使う人が使いやすいと思ってなんぼ。踊りだって見る人が「いいな」と思ってなんぼ。解釈なんて、伝える技術がなければ無意味なのです。

そして、約60年間もの間、全体主義社会にあった東ドイツでの音楽の位置の特殊性、さらにベルリンでの高度な音楽教育についての記述も興味深い。この歴史があったからこそ今のベルリンのサウンドがあるのですね。よいことは是非これからも続いてほしいな。

バレンボイムは、純粋な音楽的な興味からワーグナーを演奏しているのだと言います。彼が2001年、第二次世界大戦後はじめて、イスラエルでワーグナーを演奏したことはたいへんセンセーショナルな事件として報道されました。それもベルリンシュターツカペレを率いて。その場の空気はいったいどうだったのでしょう。オケの人たちはどんな気持ちだったでしょう。その後2度と演奏はされていないのでしょうか?この件についてバレンボイムとサイードによる記述はありますが、興味は尽きません。それは北京オリンピックで君が代が流れるときに起こることと、もしかして共通部分があるのかもしれません。

またこの二人は、パレスチナ、イスラエル、ドイツの若い音楽家も集めてオーケストラを形成する活動を行っています。以前、テレビでこの活動を知ったとき、私が漠然とやりたいと思っていたことはこういうことだったんだなと、おこがましくも感じたのです。次に生まれ変わったら、なりたい職業は間違いなく指揮者(そのときには神様、是非すばらしい音感だけは授けてください!)。そして、この生の中でも機会が許せば(もしかしたら退職後かもしれないけど)指揮法の勉強をしてみたいと思っています。

でも、いろいろな国籍の人たちを、何かひとつの目標に向けてとりまとめていく。。。。こう考えると、私のやっている仕事はあながち遠くはありません。むしろ、そのものズバリとも言えるでしょう。いつかくる次の人生の職業のために、今はこの仕事で経験を積んで備えることにいたしましょう。

この本の全体像を紹介するにはまだまだ理解が足りないように思います。でも何度も読み込んで少しでも何かを掴みたい、全て賛成できなくても、それに対して自分の意見を整理したいと思わせる本です。


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旅行記の締めのつもりがずいぶんはなれたところに話が飛んでしまいました。ただ、この機会にこんなに豊かな体験をして、いろいろと考えることができた、ということなのですね。普段の気ぜわしいOL生活ではなかなか難しいことです。

こんな素敵な旅ができた、全てのめぐり合わせに感謝して、まとめとしたいと思います。


ベルリンの壁に思う

2008-07-06 22:15:07 | 旅三昧

さて、滞在中は散々に音楽三昧にふけっていたわけですが、東西冷戦の象徴、壁の跡をたどることも、もうひとつの旅の目的でした。

一部残された壁はこんな風にアートギャラリーのようになっていました。コンテンポラリーなものが多いので、街にある落書きと区別がつかないものもあり・・・汗


壁の高さは3メートルくらいでしょうか。ちょっとした道具を用意すれば超えられそうな微妙な高さです。これは東ベルリン側で、壁の向こうは川になっています。

街路にもこんな風に壁の跡を示すものが残っています。普通の道を、こんなブロックがよこぎっているんですよ。


観光名所のブランデンブルグ門。この門のすぐ向こう側を壁が横切っていました。門の向こう側のすばらしい眺めを見渡せなかったんですね。この手前はUnter den lindenのメインストリートに続きます。これも旧東ベルリン側から見たショットです。


今は自転車や車が縦横無尽に走り、平和を謳歌していますが、こうして見ると街中に壁があったんですね。子供のころ、テレビのニュースで見た風景が思い出されます。張り巡らされた壁の、精神的重圧は実際の警護・統制の厳しさとあいまって、想像を絶するようなものだったんでしょうね。

ところどころ、西への逃亡に失敗して亡くなった人を弔う碑などにも出くわします。壁は1989年11月に崩れましたが、その年の2月に西への逃亡に失敗した若者もいたのですね。後もう少し我慢していれば・・・と思うと胸がつまります。壁のあった20数年の間に、西に逃げようとして亡くなった人は200人を超えるそうです。

アメリカ軍統治エリアの検問所となっていた地点は、今では壁博物館となっています。そこには当時の人の生活、新聞記事や逃亡の成功例・失敗例の紹介がされていました。。こういった博物館には、観光客だけでなく、ドイツの小学生や中学生と思われるグループもひっきりなしにきていました。

これはその博物館の前。


道の真ん中に立つ看板の兵士は、おそらくアメリカ兵か西ドイツ兵の制服と思われます。裏側にはソ連軍か東ドイツ兵の制服と思われる兵士の写真になっていました


現在、人も自由に行き交い、いたるところ建設・開発ラッシュで、どちら側を歩いているのか、観光客にはすぐにはわかりません。少し前までは東西の差がくっきりとわかったとききます。東側はひどかったらしく、建物がメンテナンスされずに放置されていたものも多かったとのこと。ベルリンもドレスデンも第二次大戦の終盤の空爆で大打撃を受けましたが、その復興作業さえも放置されていたところが多かったそうです。ただ、壁に閉ざされていた西ベルリンも、そうそう産業が発達していたとも思えません。建物には「西側らしさ」があったとしても、全ての物資が空輸されており、その支援でなりたっていたわけですから、街の力があったとは言い難いでしょう。

東西ドイツ統一後、東側のものはほとんど「悪」の扱いだったそうですが、素敵な「東の遺産」を見つけました。この信号機、かわいいですよね!手前の歩行者用青信号は三頭身で元気に歩き、遠くに見える歩行者用赤信号、腕を左右に広げて、バランスをとっているかのようです。

この信号機のデザインは東ドイツ統治化で制定されたものです。統一後は全て「西化」が迫られ、かつ昨今では「ユーロ標準」などの波もあるなか、一時は消えそうになりましたが、わかりやすく、独自性の高いものとして、旧東の人々の強い運動によって旧東地区に残る地位を獲得しました。今でも旧東ベルリンはじめ旧東ドイツ地域には残されています。ドレスデンにもありました。

今ではグッズも販売されるほど、注目を集めるキャラクターになりました。街角のささいなことにも歴史があるのですね。そして今この瞬間も新しい歴史は作られているのですね。。。。


実際歩いてみると、ベルリンはかなりの巨大都市です。1日目ですでに歩く観光はあきらめ、バスや鉄道をめいっぱい活用することにしました。先日、とあるラジオで言っていたことにはヨーロッパの2大都市がロンドンとベルリンで、その規模、パリの5倍とか。それなのに、人口密度は比較的低く、街には緑が多くて、人の生活もギスギスしていないように感じます。徹底して合理化が進んでいて、例えば、鉄道の切符を買うシステムなどは、長距離であっても自販機が丁寧に誘導してくれるので買うのに困りません。ホームページでの切符購入のシステムも旅行者にもたいへん使いやすくわかりやすくできています。実際、駅員は本当に少なく感じました。以前、ドイツ郵便の合理化についてニュースでやっていたのも記憶にあります。エコロジー大国としても有名ですしね。ドイツバーン(鉄道会社)のゴミ箱も分別が細かくて、とってもおしゃれでした。

2つの大戦を仕掛けたこの街を、戦勝列国が分割統治したのは仕方がなかったのかもしれません。それほど、この街の市民は勤勉で合理的で、すぐにパワーが充填されてしまうのでしょう。

20世紀、ベルリンの街は十分苦しみました。東西統一以降も経済的混乱が続いたことがよく報道されています。大戦は仕掛けたけど、もうその代償もたっぷり払ったのではないでしょうか。同じく敗戦国の一市民として、過去の過ちを忘れてはいけませんが・・・・でも未来の発展に目を向けることも必要です。

ドイツと首都ベルリンの21世紀が、平和と幸福に満ちたものになることを心よりお祈りします。


「タンホイザー」(Zemperoper Dresden)

2008-07-05 18:14:01 | オペラ三昧

旅の締めくくりに、ずっとあこがれていた街、ドレスデンを訪れました。

2000年1月、サントリーホールでのジュゼッペ・シノーポリ&ドレスデンシュターツカペレの演奏による、ワーグナーのリング抜粋(コンサート形式)。私がシノーポリ様とドレスデンシュターツカペレを追っかけようと決意し、ワーグナー好きに拍車がかかった記念すべき公演でした。すぐさまシノーポリ様 & ドレスデンシュターツカペレのワーグナー序曲集を買い求め、聴きまくりました。

その年の秋、来日のウィーン国立歌劇場にシノーポリ様が振ると知って迷わず大枚はたいて神奈川公演に出向き、そこでさらに歴史的名演「ナクソス島のアリアドネ」(ツェルビネッタはエディタ・グルベローバ!)を体験してしまいました。さあこれからますます追っかけにも気合が入るところ!!次は是非またドレスデンとの共演で!!と息まいていた矢先・・・2001年春にシノーポリ様はベルリンで公演中に突然お亡くなりになりました・・・

もうあの神がかったライブ演奏を聴くことはできないけれども、供養のような気持ちで、いずれは一度訪れたいと思っていた街。そしてオペラハウス。


ええ、ついに来ましたとも。(涙)



ベルリンではベルリンフィル以外チケットが取りにくいということはないようなのですが、ここzemperoperはなかなか難しいようで、人気公演はかなり早いうちに売り切れるようです。今回は1ヶ月半ほど前に問い合わせて「最後の一枚」と言われました。

それもそのはず、今回の演目「タンホイザー」はこの劇場が初演なのです。そう、ここはワーグナー本人も活躍したドレスデン歌劇場。そう考えるだけで感動してしまいます。

劇場内の様子はこちら。この緞帳の絵は公演の中でもヴィーナスベルグの象徴のように効果的に使われていました。





そしてこちらが愛しのドレスデンシュターツカペレの皆様(涙)いつもCD聴いてますわよ~と伝えたかった・・・・


もうどうしましょう、私ドレスデンにいるんです。始まる前から興奮状態(笑)

実は「タンホイザー」という作品自体、特に好きなほうではないのです。

主人公タンホイザーは、私にとってはアホとしか思えないほどお調子者。「英雄」とパンフレットにかかれますが、あまり演出上「英雄」的に感じられた記憶がありません。絶対に行ってはならぬと言われているヴィーヌスベルグ(まぁ歓楽街みたいなものです)に行ってしまった上に、そのことをぺろりと公衆の面前で言ってしまい、教皇に許してもらえないとなるとまたしてもヴィーヌスベルグに戻るしかないと友にこぼす始末です。そんな彼なのにヴィーナスだけでなく、エリザベトも彼にぞっこん。エリザベトを愛するヴォルフラムでさえも、友人タンホイザーにはとても寛大なのです。そして最後には命を呈して許しを請うエリザベトに免じてタンホイザーは教皇までにも許されます。

でも実際、こういう人っていますよね。何をやっても許されてしまう人。私にはとうてい無理なポジショニングです。それがうらやましくて、好きになれないのでしょう。


序曲が始まるやいなや、もう鳥肌総立ちです。あぁこの音。ドレスデンの音。弦の音など、ひとつの生きモノのようです。こんなアホな男をテーマにした作品に、ワーグナーはなぜこんなにすばらしい序曲を用意したのでしょうか。劇場ロビーでにらみをきかすワーグナー氏に思わず問いかけたくなりました。でもものの本によればワーグナー氏はこの作品がお気に入りだったんですよね。



実際にはここはヴィーナスベルグのシーンへの導入部分ですから、愛欲的人間の業というものでも表しているはずと思うのですが・・・謎。むしろ、変人ワーグナーにしてみれば、愛欲こそ正義だ、ということなのでしょうか。宗教的倫理観に挑戦しているんでしょうか。タンホイザー君はもしかしてワーグナーさんその人なんでしょうか。

このオペラの序曲はあまりにも有名で、聞かせどころ満載なオーケストラ曲、かつ少々長いので、曲が終わるころには、あ、これオペラだった、と思い出すことになります。そして、なぜか今回は緑色の肌をしてオレンジ色の衣装と異様なスタイルの鬘をつけたヴィーナスの登場です・・・オペラ歌手もこんな格好までしなければならないなんて、たいへんなお仕事です(汗) ヴィーナスだけでなく他の女たちもみんな緑とオレンジ色です。不気味な世界。そこでタンホイザー人形がもてあそばれています。さすが、演出は鬼才コンビチュニーです。

1幕では、タンホイザーとヴィーナスとの間でこの街を出ていく、いやここに居て、という押し問答が大半なのですが、その間にも壮大な音楽のテーマが顔を出し、話のレベルと音楽のすばらしさのレベルのギャップが激しすぎです。ただ、そのすばらしい音楽があるからこそ、延々と続く単なる押し問答の1幕が最後まで集中して聞けるということもあるのですが・・・1幕の音楽が大好きなので、終わるとちょっと寂しく感じてしまいます。

2幕の見どころは歌合戦。マイスタージンガーにも出てきますが、今も昔も音楽できる男はモテるというわけですね。他の出場者は真面目な愛を歌うのに対し、タンホイザーはただただお調子者。肉欲こそ愛だ!と言うノリで歌いまくります。あまりのひどさに人々はだんだんと聴いていられなくなります。そしてヴィーナスベルグのことを口走るとついにエリザベトもがっかり。それにしてもそんなタンホイザーのどこがいいんでしょう。ヴォルフラムはあんなに誠実に愛を歌っているのに!!ヴォルフラム役のバリトンの声、本当に誠実そうで私好みでした。

このあたりは、近代の一般市民のような衣装でした。ヴィーナスベルグだけが突飛だったんですね。

2-3幕にかけて巡礼者の合唱がでてくるのですが、それにまたぞぞぞーと鳥肌がたちました。ここらへんにくると音楽と内容のギャップがなくなってきて、完全に世界に引き込まれるのみ。非常に厚みのある、ピュアな響きの合唱です。男声合唱に弱いのですねー、私。巡礼者の曲は、私が持っているバレンボイム&Staatsoperの録音よりもっとこちらにぐいぐい迫ってくるような、演奏でした。ここでまたヴィーナスベルグに戻る!と言い張るタンホイザーを迎えに来たヴィーナス、ウィスキーのボトルのようなものをもって千鳥足でやってきます。すごい。リアルだ。。さらに、終幕では、息絶えたエリザベトとタンホイザーを静かに抱く緑色のヴィーナスというのは意表をついた演出で、一体どういうことなのかしら???とよくわかりませんでした。

タンホイザー役のロバート・ギャンビル、軽いけれどもオケに負けず立派に響くワーグナーテノールが能天気ぶりな演技とマッチしていてよかったです。エリザベトは、よく声は出ていましたが、もう少しピュアな感じがほしかったかな。ヴィーナスは、以前マイヤーの恐ろしいほど妖艶な役を見てしまっているので、それと比べると、ちょっと物足りなく・・・緑色の演出のせいもあるかもしれません。

今回のメインはなんと言ってもオケ。弦の音など、これが複数人によって作り出されている摩擦音の集合とはとても思えません。低音が特にじんわりと心地よく響きます。だんだんと全体がクレッシェンドしていくところなど絶妙で、音の入りから頂点まで、突然ぴょこんと大きくなるところなどなく、なめらかに大きくなっていくのです。

いろいろな楽器がかわるがわるメロディーラインを担当しますが、全体を通して頻繁にうねるように流れる弦楽器の音が印象的で、この街を流れるエルベ川やその川沿いで繰り広げられたこの街の激動の歴史、そしてどこかで正義を語るかのように崇高な調べにさえ私には聞こえてしまいます。

だから全体としては大満足。だって、ソリストのレベルは総じて高く、合唱もすばらしい。何よりオーケストラは完璧。そしてここはドレスデン。演出上の「?」を考えることさえもオペラの醍醐味です。これ以上何を望みましょう。

観劇後は、劇場前のカフェでお茶を。夜11時くらいなのですが、カフェにはほかにも観劇後の老夫婦などもいらして、こういう時間の過ごし方っていいなーと。

下の写真は今見たばかりのオペラの興奮と旅の思い出に酔っている私のようにボケていて、結構好きなショットです。これが今回のドイツ旅行最後の夜になりました。