さて、滞在中は散々に音楽三昧にふけっていたわけですが、東西冷戦の象徴、壁の跡をたどることも、もうひとつの旅の目的でした。
一部残された壁はこんな風にアートギャラリーのようになっていました。コンテンポラリーなものが多いので、街にある落書きと区別がつかないものもあり・・・汗
壁の高さは3メートルくらいでしょうか。ちょっとした道具を用意すれば超えられそうな微妙な高さです。これは東ベルリン側で、壁の向こうは川になっています。
街路にもこんな風に壁の跡を示すものが残っています。普通の道を、こんなブロックがよこぎっているんですよ。
観光名所のブランデンブルグ門。この門のすぐ向こう側を壁が横切っていました。門の向こう側のすばらしい眺めを見渡せなかったんですね。この手前はUnter den lindenのメインストリートに続きます。これも旧東ベルリン側から見たショットです。
今は自転車や車が縦横無尽に走り、平和を謳歌していますが、こうして見ると街中に壁があったんですね。子供のころ、テレビのニュースで見た風景が思い出されます。張り巡らされた壁の、精神的重圧は実際の警護・統制の厳しさとあいまって、想像を絶するようなものだったんでしょうね。
ところどころ、西への逃亡に失敗して亡くなった人を弔う碑などにも出くわします。壁は1989年11月に崩れましたが、その年の2月に西への逃亡に失敗した若者もいたのですね。後もう少し我慢していれば・・・と思うと胸がつまります。壁のあった20数年の間に、西に逃げようとして亡くなった人は200人を超えるそうです。
アメリカ軍統治エリアの検問所となっていた地点は、今では壁博物館となっています。そこには当時の人の生活、新聞記事や逃亡の成功例・失敗例の紹介がされていました。。こういった博物館には、観光客だけでなく、ドイツの小学生や中学生と思われるグループもひっきりなしにきていました。
これはその博物館の前。
道の真ん中に立つ看板の兵士は、おそらくアメリカ兵か西ドイツ兵の制服と思われます。裏側にはソ連軍か東ドイツ兵の制服と思われる兵士の写真になっていました
現在、人も自由に行き交い、いたるところ建設・開発ラッシュで、どちら側を歩いているのか、観光客にはすぐにはわかりません。少し前までは東西の差がくっきりとわかったとききます。東側はひどかったらしく、建物がメンテナンスされずに放置されていたものも多かったとのこと。ベルリンもドレスデンも第二次大戦の終盤の空爆で大打撃を受けましたが、その復興作業さえも放置されていたところが多かったそうです。ただ、壁に閉ざされていた西ベルリンも、そうそう産業が発達していたとも思えません。建物には「西側らしさ」があったとしても、全ての物資が空輸されており、その支援でなりたっていたわけですから、街の力があったとは言い難いでしょう。
東西ドイツ統一後、東側のものはほとんど「悪」の扱いだったそうですが、素敵な「東の遺産」を見つけました。この信号機、かわいいですよね!手前の歩行者用青信号は三頭身で元気に歩き、遠くに見える歩行者用赤信号、腕を左右に広げて、バランスをとっているかのようです。
この信号機のデザインは東ドイツ統治化で制定されたものです。統一後は全て「西化」が迫られ、かつ昨今では「ユーロ標準」などの波もあるなか、一時は消えそうになりましたが、わかりやすく、独自性の高いものとして、旧東の人々の強い運動によって旧東地区に残る地位を獲得しました。今でも旧東ベルリンはじめ旧東ドイツ地域には残されています。ドレスデンにもありました。
今ではグッズも販売されるほど、注目を集めるキャラクターになりました。街角のささいなことにも歴史があるのですね。そして今この瞬間も新しい歴史は作られているのですね。。。。
実際歩いてみると、ベルリンはかなりの巨大都市です。1日目ですでに歩く観光はあきらめ、バスや鉄道をめいっぱい活用することにしました。先日、とあるラジオで言っていたことにはヨーロッパの2大都市がロンドンとベルリンで、その規模、パリの5倍とか。それなのに、人口密度は比較的低く、街には緑が多くて、人の生活もギスギスしていないように感じます。徹底して合理化が進んでいて、例えば、鉄道の切符を買うシステムなどは、長距離であっても自販機が丁寧に誘導してくれるので買うのに困りません。ホームページでの切符購入のシステムも旅行者にもたいへん使いやすくわかりやすくできています。実際、駅員は本当に少なく感じました。以前、ドイツ郵便の合理化についてニュースでやっていたのも記憶にあります。エコロジー大国としても有名ですしね。ドイツバーン(鉄道会社)のゴミ箱も分別が細かくて、とってもおしゃれでした。
2つの大戦を仕掛けたこの街を、戦勝列国が分割統治したのは仕方がなかったのかもしれません。それほど、この街の市民は勤勉で合理的で、すぐにパワーが充填されてしまうのでしょう。
20世紀、ベルリンの街は十分苦しみました。東西統一以降も経済的混乱が続いたことがよく報道されています。大戦は仕掛けたけど、もうその代償もたっぷり払ったのではないでしょうか。同じく敗戦国の一市民として、過去の過ちを忘れてはいけませんが・・・・でも未来の発展に目を向けることも必要です。
ドイツと首都ベルリンの21世紀が、平和と幸福に満ちたものになることを心よりお祈りします。