年老いて年金生活者となった現在過去を振り返ることが度々あります。
幼児の何も考えず幸せだった時代。
勉強に勤しんだ学生時代。
そして社会人として仕事中心の時代。
幼児の時を除き常に最短距離を無駄なく進むことを求められてたように感じます。
更に思い返せば「青春の大事な時に勉強ばかりしてて良いのか」考えたり、「会社の方針て果たして正しいのか」
と疑問を抱いていたように思えます。
「染まらなぞ」葛藤していた人ほど実は染ってしまったとも感じます。
定年退職し上から押し付けられた目標や人生の目的がなくなっり自由になったことを歓迎する一方戸惑っている
人も多いと思います。
目標がないと生きられない人、自分の人生に意味を考え絶望する人たちです。「俺の人生に意味があるのか?」
シニアの「やりたいこと」に意味など必要ないと考えるの一つの重要な選択肢と思います。
ふと「あれやりたいな」「興味あるな」と思っても「こんなことやってても、意味がない」と拒否するのは勿体ないと
思います。
「あれやりたいな」「面白そうだな」と思いつくのは潜在意識という名の自分であったり、大袈裟に言えば「神からの
啓示」だと思います。それを拒否するのは実に勿体無い。
これからの人生を楽しく過ごせるチャンスは結構身近にあるのに気が付いてないだけかもしれません。