甲府城下の温泉
山梨県は温泉地帯です。湯村温泉や石和温泉以外にも多数の温泉があります。甲府中心部にも温泉がありました。
宝暦2年(1752)に成立した裏見寒話という書物があります。甲府勤番の野田成方という人が書いた本です。裏見寒話は活字化されています。
この本に甲府城下の温泉の記述があります。次の3箇所です。
(1)甲府城内
楽屋曲輪御門前にあり、眼病に効果があるとされています。
(2)教安寺境内
金手町(城東1丁目)にある寺の境内です。諸病に効果があるとされています。
(3)瑞泉寺境内
中央三丁目にある寺の境内です。教安寺と瑞泉寺はすぐ近くです。
甲府城下の東に隣接する板垣村の東光寺境内にも温泉がありました。板垣村は現在の甲府市東光寺3丁目です。
嘉永3年(1850)に成立した甲斐廼手振という本には湯村温泉しか記述がありません。嘉永3年にはこれらの温泉が枯渇したか、著者が関心が無かったかどちらかわかりません。
宝永4年(1707)の宝永地震時に「魚町5丁目南側裏湯湧き出る。柳町八日町角東側に湯湧き出る」(歳云録抄)という記事があります。また、嘉永7年(1854)の安政東海地震では甲府城追手橋付近と教安寺境内に湯が湧き出ています」(歳云録抄)。
明治44年(1911)の第4回甲府市統計書には9箇所の温泉が記述されています。旧甲府城郭内に2箇所、教安寺の南の深町(城東2丁目)に3箇所の温泉が記述されています。他は富士川町1箇所、連雀町1箇所、桶町1箇所です。これらの9箇所の温泉は不詳とされている2箇所を除いてすべて明治11年以降に発見された温泉です。
これらの記事をみると、甲府城下の東部(中央4丁目と5丁目周辺)に温泉が湧いていたようです。
甲府の温泉はほとんどが銭湯として使用されていました。このため、銭湯の衰退とともに温泉もなくなりました。
太田町の一蓮寺は現在甲府城がある一条小山にありました。この一条小山に温泉が湧いていたことを考えると、一蓮寺はこの温泉に関係していたかもしれません。