江戸時代の甲府商店のガイドブック2
江戸時代もガイドブックが出版されています。甲府の商店については文政11年(1828)の甲州道中商人鑑と幕末の嘉永7年((改元されて安政1年、1854)の甲府独買物案内,明治5年(1872)の甲斐市中買物独案内がのこっています。文政11年(1828)の甲州道中商人鑑については前回書きました。今回は幕末の嘉永7年((改元されて安政1年、1854)の甲府独買物案内についてです。
甲府独買物案内は横19㎝,竪10㎝の大きさのガイドブックで,「こうふひとりかいものあんない」と呼ばれています。最初に扱っている商品ごとのイロハ順の索引が付いています。412件の案内が掲載されていますが,複数の商品を扱っている店がありますので,店の数としては307軒です。甲府独買物案内は甲州文庫などに残されていますので,山梨県立博物館で閲覧可能です。また,山梨県立博物館のホームページで「収蔵資料案内」をクリックすると,「甲州文庫」のバナーがあります。このバナーをクリックすると,Web上でも閲覧可能です。但し,活字化はされていません。
甲府独買物案に掲載されている商人は店を構えている者だけです。各商店には、商店主の名前,屋号、扱っている商品、町名が記載されています。店先の絵が掲載されている場合もあり、現在のガイドブックとほぼ同じです。店の位置は、「柳町1丁目」、「山田町2丁目北側中程」のように町名が記載されています。当時は徒歩なので、該当する町の両側の看板を見ながら歩いていくとすぐわかりました。
文政11年(1828)の甲州道中商人鑑と甲府独買物案の両方に記載されている商店は16軒です。これは商店主の名前が同じ者だけですので,代替わりで商店主の名前がかわっている者は含んでいません。また,甲州道中商人鑑に掲載されていた旅籠は甲府独買物案には掲載されていません。
当時は問屋、仲買、小売りと別れていました。仲買は問屋から品物を仕入れて小売りに売り渡しています。現在スーパーマットの発達によりこの区分はあいまいになりました。小売り屋には1つの商品を扱う者と多くの商品を扱う者がありました。例えば、柳町1丁目の大黒屋茂兵衛は唐物・太物商と茶を扱っていました。
株仲間は天保12年(1841年)に解散させられ,嘉永4年(1851年)に再興しましたので、甲府独買物案はこの再興後のデータとなります。
当時どのような職種の商店があったかがわかります。
現在と同じ職種としては糸、太物(木綿類)、呉服(絹物)、古着、書物(書店)、茶、菓子、そうめん、塗物、瀬戸物、魚類(魚問屋と仲買)、薬、時計師、帳面、金物屋(万打物類と鍋釜類が区分),水晶細工,メガネ,酢,味噌,醤油,酒,麴,傘,燈油,塩,鍋釜,たばこ,乾物,荒物などがあります。穀問屋,穀仲買,旅籠,料理屋は掲載していません。
菓子の種類としては干菓子と蒸菓子があり,また,京菓子と江戸(東都)菓子に分かれていました。カステラ,金平糖,桜餅,柏餅,ようかん,饅頭や月の雫のように現在も販売しているものもあります。月の雫は大粒の葡萄に砂糖をまぶしたものです。この頃になると水菓子は菓子屋で扱っていたようです。京都菓子処の柳町1丁目の武蔵屋吉太郎では,枝柿,干葡萄,梨,打ち栗も扱っていました。
茶を販売する店では屋号のほかに○○堂,○○軒等の称号を付けています。八日町1丁目の若松屋平七は如松軒若松屋平八,山田町2丁目の二文字屋忠蔵は緑葉軒二文字屋忠蔵,連雀1丁目の河内屋長右衛門は茗撰堂河内屋長右衛門と記載しています。茶以外に扱っている商品の案内ではこの称号は使用していません。
現在少なくなった業種としては、下駄、草履、傘、ろうそく、ろくろ、紅問屋、提灯、そろばん、伽羅油,漆所、真綿、繭綿、白土問屋,馬道具,足袋などです。白土問屋は建物の壁に塗る漆喰などを扱っていました。
伽羅油は鬢付けの油で,紅おしろい,歯磨きなども一緒に販売していました。現在の化粧品販売に相当するようです。蝋燭屋は地掛蝋燭,紀州蝋燭,会津蝋燭を扱っていました。会津蝋燭は絵蝋燭です。足袋は腹掛け,脚絆,股引などと一緒に販売している店もありました。足袋のみを掲載している店もありますが,このような店は「誂え向き足袋」とありますので,足袋の特別注文を行っていたものと考えられます。
現在亡くなった職業として入歯(八日町の竹沢円司)、乗物師(八日町1丁目の乗物屋藤助)、飛脚問屋(山田1丁目の京屋弥兵衛) 、矢師、鉄砲師、弓師などがあります。入れ歯は現在歯医者の担当ですが、八日町の竹沢円司当時は歯医者の前身です。
また、当時から続いている商店もわかります。湊屋与八、桔梗屋藤右衛門、吉字屋孫左衛門,印伝屋勇七などが掲載されています。
岡島百貨店の創業者の柳町1丁目の大黒屋茂兵衛は唐物・太物商でした。湊屋与八は魚町の魚仲買です。桔梗屋藤右衛門は菓子屋で、現在でも同じです。当時の商品として”月の雫”が記載されていますが、現在でも”月の雫”は販売されています。吉字屋孫左衛門は当時は塩問屋でした。