kasaiさんの江戸甲府物語

江戸時代の甲府の様子を庶民の生活を中心につづる。

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第146回 甲府のガイドブック4

2017-08-29 10:50:26 | 説明
甲府のガイドブック4


 江戸時代もガイドブックが出版されています。
ガイドブックには嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものと明治5年(1872)に出版されたものがあります。嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものは「甲府独買物案内」とタイトルがつけられ、明治5年(1872)に出版されたものは「甲斐市中買物独案内」とタイトルが付けられています。明治5年の「甲斐市中買物独案内」は嘉永7年の「甲府独買物案内」の様式を踏襲しており、両方とも扱っている商品ごとにイロハ順で店が掲載されています。

 これらのガイドブックには扱っている商品は記載されていますが、商品の値段は表示されていません。明治5年の「甲斐市中買物独案内」に掲載された案内の1例を示します。「甲斐市中買物独案内」は嘉永7年の「甲府独買物案内」の表示形式をそのまま踏襲していますので同じと考えてよいと思われます。


 この例では、傘類、下駄類、草履類、扇子を販売しています。現金正札付とありますので、店に行けば値段が付けられているものと思われますが、ガイドブックを見比べて値段の安い店を探すことはできません。嘉永7年には株仲間が再興されていますので、市内のどこで購入しても値段は同じであったものと思われます。

 売薬のみは値段が表示されている場合があります。西青沼町の伏見屋治七で販売している「天寿補元丹」という薬は1剤8匁、「如神湯」のふり出し薬は小包1匁、大包1廻り6匁5分とあります。「神農感応丸」という薬は1粒800文です。
 連雀3丁目の五文字屋彦八郎の店では、「神農宝真丸」という薬を1包250文、1粒25文、「口中の妙薬」という薬を1包100文、「霊方一粒丸」という薬を1包100文、1粒五文で販売しています。
西一条町の鉄屋柳兵衛の店では血の薬を1廻り232文で販売しています。
匁は銀の単位、文は銭の単位です。
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第145回 甲府市のガイドブック3

2017-08-02 09:04:25 | 説明
商店のガイドブック3


 江戸時代もガイドブックが出版されています。
ガイドブックには嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものと明治5年(1872)に出版されたものがあります。嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものは「甲府独買物案内」とタイトルがつけられ、明治5年(1872)に出版されたものは「甲斐市中買物独案内」とタイトルが付けられています。明治5年の「甲斐市中買物独案内」は嘉永7年の「甲府独買物案内」の様式を踏襲しており、両方とも扱っている商品ごとにイロハ順で店が掲載されています。

 今回は明治5年のものです。明治5年版は国会図書館のアーカイブに収録されており,インターネットを通じて閲覧できます。また,山梨県立博物館にも収蔵されていますが,山梨県立博物館の者は現存するページが少ないようです。国会図書館所蔵の「甲斐市中買物独案内」には453件の記事が掲載されていますが,複数の商品を扱っている店の場合は商品ごとに掲載されているので,同じ店が複数回あらわれています。
「甲府独買物案内」と「甲斐市中独買物案内」では166軒の店が共通しています。代替わりにより名前がかわっている者や名前を変更している者もあると思いますので、実際はさらに多くの店が共通している可能性があります

 明治5年の「甲斐市中独買物案内」には次のような特徴があります。
(1) 輸入品を扱う店が増えています。
扱っている商品には、”西洋蝋燭”、 “本朝舶来唐物類”、 “和漢西洋書物” 、”西洋和漢筆墨類”、”本朝舶来砂糖”、”舶来小間物”などの輸入品を扱っていることを示す表記が見られます。
(2) 幕末に急速に台頭した商人の名前があらわれています。
若尾逸平、京屋伊七がその代表です。若尾逸平と京屋伊七は糸繭綿商として掲載されていますが、輸出品である生糸を扱って急速に台頭した商人です。
(3) 料理屋や鰻、蕎麦の店が掲載されています。
料理屋として割烹松亭、松鶴楼などが掲載されていますが、これらは会席料理です。蕎麦屋としては柳町横丁の奥村が掲載されていますが、奥村は現在でも続いています。この外鰻のかば焼きや茶漬け、すしの店が掲載されています。
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第144回 江戸時代の甲府商店のガイドブック2

2017-06-20 07:58:08 | 説明
江戸時代の甲府商店のガイドブック2


 江戸時代もガイドブックが出版されています。甲府の商店については文政11年(1828)の甲州道中商人鑑と幕末の嘉永7年((改元されて安政1年、1854)の甲府独買物案内,明治5年(1872)の甲斐市中買物独案内がのこっています。文政11年(1828)の甲州道中商人鑑については前回書きました。今回は幕末の嘉永7年((改元されて安政1年、1854)の甲府独買物案内についてです。

 甲府独買物案内は横19㎝,竪10㎝の大きさのガイドブックで,「こうふひとりかいものあんない」と呼ばれています。最初に扱っている商品ごとのイロハ順の索引が付いています。412件の案内が掲載されていますが,複数の商品を扱っている店がありますので,店の数としては307軒です。甲府独買物案内は甲州文庫などに残されていますので,山梨県立博物館で閲覧可能です。また,山梨県立博物館のホームページで「収蔵資料案内」をクリックすると,「甲州文庫」のバナーがあります。このバナーをクリックすると,Web上でも閲覧可能です。但し,活字化はされていません。

 甲府独買物案に掲載されている商人は店を構えている者だけです。各商店には、商店主の名前,屋号、扱っている商品、町名が記載されています。店先の絵が掲載されている場合もあり、現在のガイドブックとほぼ同じです。店の位置は、「柳町1丁目」、「山田町2丁目北側中程」のように町名が記載されています。当時は徒歩なので、該当する町の両側の看板を見ながら歩いていくとすぐわかりました。

 文政11年(1828)の甲州道中商人鑑と甲府独買物案の両方に記載されている商店は16軒です。これは商店主の名前が同じ者だけですので,代替わりで商店主の名前がかわっている者は含んでいません。また,甲州道中商人鑑に掲載されていた旅籠は甲府独買物案には掲載されていません。

 当時は問屋、仲買、小売りと別れていました。仲買は問屋から品物を仕入れて小売りに売り渡しています。現在スーパーマットの発達によりこの区分はあいまいになりました。小売り屋には1つの商品を扱う者と多くの商品を扱う者がありました。例えば、柳町1丁目の大黒屋茂兵衛は唐物・太物商と茶を扱っていました。
株仲間は天保12年(1841年)に解散させられ,嘉永4年(1851年)に再興しましたので、甲府独買物案はこの再興後のデータとなります。

 当時どのような職種の商店があったかがわかります。
現在と同じ職種としては糸、太物(木綿類)、呉服(絹物)、古着、書物(書店)、茶、菓子、そうめん、塗物、瀬戸物、魚類(魚問屋と仲買)、薬、時計師、帳面、金物屋(万打物類と鍋釜類が区分),水晶細工,メガネ,酢,味噌,醤油,酒,麴,傘,燈油,塩,鍋釜,たばこ,乾物,荒物などがあります。穀問屋,穀仲買,旅籠,料理屋は掲載していません。

 菓子の種類としては干菓子と蒸菓子があり,また,京菓子と江戸(東都)菓子に分かれていました。カステラ,金平糖,桜餅,柏餅,ようかん,饅頭や月の雫のように現在も販売しているものもあります。月の雫は大粒の葡萄に砂糖をまぶしたものです。この頃になると水菓子は菓子屋で扱っていたようです。京都菓子処の柳町1丁目の武蔵屋吉太郎では,枝柿,干葡萄,梨,打ち栗も扱っていました。

 茶を販売する店では屋号のほかに○○堂,○○軒等の称号を付けています。八日町1丁目の若松屋平七は如松軒若松屋平八,山田町2丁目の二文字屋忠蔵は緑葉軒二文字屋忠蔵,連雀1丁目の河内屋長右衛門は茗撰堂河内屋長右衛門と記載しています。茶以外に扱っている商品の案内ではこの称号は使用していません。

 現在少なくなった業種としては、下駄、草履、傘、ろうそく、ろくろ、紅問屋、提灯、そろばん、伽羅油,漆所、真綿、繭綿、白土問屋,馬道具,足袋などです。白土問屋は建物の壁に塗る漆喰などを扱っていました。
 伽羅油は鬢付けの油で,紅おしろい,歯磨きなども一緒に販売していました。現在の化粧品販売に相当するようです。蝋燭屋は地掛蝋燭,紀州蝋燭,会津蝋燭を扱っていました。会津蝋燭は絵蝋燭です。足袋は腹掛け,脚絆,股引などと一緒に販売している店もありました。足袋のみを掲載している店もありますが,このような店は「誂え向き足袋」とありますので,足袋の特別注文を行っていたものと考えられます。

 現在亡くなった職業として入歯(八日町の竹沢円司)、乗物師(八日町1丁目の乗物屋藤助)、飛脚問屋(山田1丁目の京屋弥兵衛) 、矢師、鉄砲師、弓師などがあります。入れ歯は現在歯医者の担当ですが、八日町の竹沢円司当時は歯医者の前身です。

 また、当時から続いている商店もわかります。湊屋与八、桔梗屋藤右衛門、吉字屋孫左衛門,印伝屋勇七などが掲載されています。
岡島百貨店の創業者の柳町1丁目の大黒屋茂兵衛は唐物・太物商でした。湊屋与八は魚町の魚仲買です。桔梗屋藤右衛門は菓子屋で、現在でも同じです。当時の商品として”月の雫”が記載されていますが、現在でも”月の雫”は販売されています。吉字屋孫左衛門は当時は塩問屋でした。

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第143回 江戸時代の甲府商店のガイドブック1

2017-05-21 09:07:51 | 説明
商店のガイドブック1


 江戸時代もガイドブックが出版されています。甲府の商店については文政11年(1828)の甲州道中商人鑑と幕末の嘉永7年(1854)の甲府独買物案内,明治5年(1872)の甲斐市中買物独案内がのこっています。

 甲州道中商人鑑は甲州文庫に残されており,山梨県立博物館で閲覧ができます。
 甲州道中商人鑑には30軒の甲府の商店の案内が商店ごとに掲載されています。旅籠が5軒,薬屋が5軒,菓子屋が4軒,水菓子が2軒,呉服太物が2軒です。その他小間物,雛人形,足袋,袋物,たばこ,紅おしろい,伽羅油,袋物,ろうそく等も掲載されています。

 店の案内には,屋号,所在地,商店主の名前,扱っている商品が記載されています。店の位置は、「柳町1丁目」、「山田町2丁目北側中程」のように町名が記載されています。店先の絵も掲載している商店もありました。江戸時代は道の両側が同じ町でした。また,当時は徒歩なので、該当する町の両側の看板を見ながら歩いていくとすぐわかりました。
 また,店の外観の絵が記載されている店もあります。これらの絵やその他の絵から推定した当時の商店の様子を図に示します。店の形はほぼ同じ型で,土間と台からなっていました。暖簾には屋号が染められていました。瀬戸物など大きな商品以外は商品を店に並べず,店の奥の箪笥にしまってあったようです。客の注文に応じて取り出していたようです。絵では2階建に描いていますが,2階ではなく,明かりとりの可能性もあります。



 複数の品物を扱っている商店も6軒掲載されています。八日町1丁目の若松屋平七は薬,紙類,瀬戸物,傘,雪駄,足袋を扱っており,道の両側に店を構えていました。柳町3丁目の堺屋孫兵衛は薬,紅問屋,煙硝問屋を兼ねており,上連雀町の河内屋平右衛門は茶,瀬戸物,紙類,砂糖を扱っていました。
 これらの店には「正札付」や「現金掛け値なし」と記載している店もあります。八日町1丁目の若松屋平七では「正札付大安売り」,「正札付無掛値大安売」などと記載しています。

 菓子には水菓子と京菓子があります。水菓子は果物の事です。八日町の水菓子問屋松屋甚右衛門と魚町1丁目の上総屋長右衛門は柿,葡萄,梨,勝栗等を扱っていました。葡萄には干葡萄と生葡萄の2種類があり,柿には枝柿箱詰,切柿砂糖漬がありました。切柿砂糖漬は柿を砂糖に漬けたものと思われますが,現在では見かけません。

薬屋には,薬の調合と家伝の薬,薬種の販売がありました。魚町3丁目の早川元七には「諸国妙薬取次所,諸薬調合仕り候」とあり,八日町1丁目の若松屋平七では「唐和薬種処,家伝返魂丹」とあります。
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第142回 甲府へ帰る

2017-05-09 08:29:44 | 説明
甲府へ帰る

◎5月20日 京都を出発して甲府へ帰ります。この日は大降りです。5月20日は新暦の6月22日で梅雨の時期に当たり、この帰途では雨に逢うことが多くなっています。帰途は中仙道を通っています。帰りを急いでいたせいか,途中の名所の記述はほとんどありません。


 京都三条橋まで次郎左衛門と藤七が見送りに来ています。次郎左衛門は甲州の国府村から来た者で、藤七は日野屋の手代です。次郎左衛門と一緒に京都に来ていた国府村の「与左衛門を供につれ」とあります。朝五つ時に出立です。途中の守山宿,武佐宿で「この辺大雨にて難儀」とあります。
途中の野洲川を渡るのに32文,横関川を渡るのに50文かかっています。野洲川は守山宿の東側にある川です。横関川は現在の日野川で,当時横関川渡しがありました。東路記(新日本古典文学体系、岩波書店)には船渡しとあります。横関川を越えたあたりで江州長浜の利平という人と連れになっています。
この日は愛知川で泊まり,宿はあふさ屋弥左衛門です。宿よしとあります。

◎5月21日は晴れです。利平と別れて高宮川(現在の犬上川)まで行きます。高宮川は高宮宿の西の入口にある川で、川上へ二三町(200~300m)回って超しています。ここから東山道を外れ,彦根を通って鳥居本宿へ進んでいます。彦根は「井伊掃部守様御城下なり。御城天守立派なり」とあります。鳥居本宿(彦根市鳥居本町)の東側、次の宿場の間にある摺鉢峠の山上に望湖堂という茶屋があり、ここで昼食をしています。東路記には「湖水眼下に見えて好景なり。竹生嶋は是よりいぬいのほうに見ゆる」とあります。また,木曽路名所図会には摺鉢峠の絵がありますが,この絵にも茶屋が描かれています。
この日は赤坂(岐阜県大垣市赤坂)で泊まりです。東海道にも赤坂宿がありますが,この赤坂は東山道の赤坂宿です。赤坂の宿は孫兵衛です。

◎5月22日は雨です。雨なので出立遅し。この日は伏見宿(岐阜県可児郡)まで進んでいます。途中の呂久川の渡しの船賃6文,太田川では6文とあります。呂久川は現在の杭瀬川で,「水深くして,川の流れはやし」とあります(東路記)。木曽路名所図会には呂久川の絵が掲載されていますが,渡し船が描かれています。また,杭瀬川ともいうと説明があります。
東路記には「太田の宿の東のきわに太田川あり。船渡しなり。木曽川の下なり。船にてわたる。大河なり。水急なり。早き瀬多し」とあります。
伏見の宿は気に入らなかったようで,宿の名前も聞かずとあります。

◎5月23日も雨です。途中で越前の商人勘助と連れになっています。大雨のため大井宿の橋が落ちたので途中の大久手(大湫)宿で昼過ぎに大こく屋市右衛門で宿泊。ここで江州日野の井筒屋惣兵衛と知り合って連になっています。井筒屋惣兵衛は甲府へ赴く途中とあります。

◎5月24日は晴天です。案内を頼み,岩村城下へ迂回して中津川へ向かいました。この日は中津川の十一屋で泊まり。井筒屋惣兵衛,岩村城下の茂右衛門,越前の商人勘助,供の与右衛門,著者の五郎右衛門の5人連れです。茂右衛門は「武州熊谷へ出店被致候仁也」とありますので,熊谷に行く途中のようです。

◎5月25日も晴天です。須原宿まで進んでいます。中津川を朝六ツ時に出立,須原宿の加らじ屋後家で宿泊。途中の馬籠で蕎麦を食べています。馬籠峠を越えると信州に入ります。

◎5月26日は雨です。出立遅し。上松宿付近では「この辺の景ことにすぐれたり・・・それより先寝覚め茶屋あり・・・茶屋よりわき2町程西へ行きて臨川寺という禅寺あり。その後ろに寝覚めの床有」とあります(東路記)。寝覚めの床、臨川寺、浦島太郎が釣の舩を見学、「茶屋で蕎麦切りたづる」とあります。途中の桜沢という立て場(贄川宿の東)で日が暮れましたが,松明をつけてこの日は勢場(洗馬宿)まで進んでいます。勢場(洗馬宿)の宿は日野屋新右衛門です。

◎5月27日は晴天。下諏訪から甲州街道の蔦木まで進み,蔦木宿の清七に宿泊。下諏訪で
茂右衛門と別れています。
◎5月28日も雨です。雨風のため途中の橋々が落下したという情報を得たので,甲州街道を離れて下蔦木から台地(七里が岩台地)に登り,原,小淵沢,大八田,穴山,新府を通り韮崎まで進んでいます。韮崎から馬に乗り,甲府に帰っています。氏神である山八幡へ参詣してから自宅へ戻っています。
 最後に「千秋万歳叶う」とあります。
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