昨年の8月いや9月でしたでしょうか、ある稽古会で、『攻め』
についての一緒にやらさせていただきました。
それまでは、御相手の剣先がちょっとでも開けば、また、御相手が少し
でも間を詰めてくれば迷わず面に飛んでいました。
でもそれは臨戦体制の整った御相手の誘いに自ら乗っていることに
なるんですよ、まぁ、そうと分かっていてもあえて行くってことならそれは
それでいいのですが(笑)、っと、ある先生よりアドバイスいただきました。
それから、意識の上では180度変わってきたのだと思います。
その後も何度かネット上ある先生の、打突前の『攻め』のプロセスに
ついて幾度となく拝見させて頂きました。
とっても大きなヒントでした(笑)
九州学院の監督が付録のDVDの中で言う、
『ものごとの全てには理由があるんだよ!訳がある!』
みたいな,,,
何の理もなく、構えて、オリャ~!と面でも小手でも胴にでも、
夢中ですっ飛んで、それでも入るかもしれない。
試合では、それでも入りさえすれば一本かもしれない。
『無心だった』と言ってしまえばそれでもいいのかもしれませんね。
でも、これって偶然???必然???
何故打てたの???逆に、何故打てなかったの???
っと考えた時に、その打突の前段階が闇雲にむやみやたらだと、
打った・打たれた、当った・はずれた、の結果以外に何にも残らな
いんですよね。
結果がどうであれ、虚しく思えた瞬間でした。。。
あぁぁ、これが俗に言う『アテッコ剣道』ってやつなんだ,,,って。
そう気が付いたところから、徐々に変わりだしたように思います。
そして、決定打が、先月の道場連の研修会での見取り稽古,,,
スピードと力任せとはいえ、いいように入っているように見えた
立会いの後の講評,,,
『思い切りのいいのと、むやみやたらに出るのでは全然違う。
仮に当ったとしても有効打とは思えない。』
これは、衝撃でした。。。
しかし、どんなにいい攻めをしても、自分のプロセスをつくりあげても、
打突の精度がよくなかったら、これもまた片手落ち。。。
機はとらえられても、しっかりした打突ができなければ、なおさら
虚しいことになりますよね。
打突の精度を上げるために一番の稽古は『基本稽古!』。
その基本稽古に、『理合』があったらもっと面白い(笑)
(トシ)