スティーヴン・キングが大学生の頃に書き上げた作品。
この作品を手に取ったのは高校生の頃。当時、この作品を下敷きにした高見 広春の『バトル・ロワイアル』にハマっていた私は、それにまつわる作品を片っ端から読みふけっていた(山田 風太郎/甲賀忍法帖、貴志 祐介/クリムゾンの迷宮など)。この『死のロングウォーク』も一連の中に入っていた。実に15年ぶりの再読になる。細かい内容は忘れていたのだが、ステビンズの名前を目にした途端、何故か嫌な雰囲気を覚えたのは、面白い感覚であったと思う。
100人の参加者のうち、生き残れるのは1人。
厳しい条件に、母やガールフレンドから出場を止めるよう説得を受けながらも、結局「ロングウォーク」の参加を決める主人公のレイ・ギャラティ。
10代の男子が試験を受け、合格すると参加できる国民的競技「ロングウォーク」。何故そんなことをするのか? 何故少年たちは参加をするのか? 詳細な理由付けは明確になることはなく、“少佐”と呼ばれる全体主義の象徴のような人物一人でもって匂わされるのみで、後はロングウォークを通じての人物の会話、ないし主人公の心理描写で物語が綴られる。シンプルかつ地味な設定やゲーム展開であるが、登場人物たちの描写が上手く、なかなか読ませてくれる。
ギャラティが「ロングウォーク」で初めて言葉を交わし、彼の捨て鉢な行動を度々たしなめてくれる相棒的存在、マクブリーズ。スタート前は強気でありながら、かなり早い段階でヘタレるオルソン。“お前らの墓の上で踊ってやる”参加者随一の毒舌にして嫌われ者、皆の憎悪を糧に推進力へ変換するバーコヴィッチ。寡黙で慎重な性格ながら実力を感じさせるベイカー。優勝後、「ロングウォーク」の体験を本にするため参加者の名前をノートに記録するハークネス。参加者唯一の既婚者にして、妻が新しい命を宿している、タフガイ・スクラム。そして、常に最低速度を保ち、最後尾に位置しながら、脱落者の屍を越えていくステビンズ。
注目したいのは、バーコヴィッチとステビンズの対比である。
優勝したらお前の墓で踊ってやる! と誰彼構わず喧嘩をふっかけるバーコヴィッチ。そして、誰に関わることもなく、最後尾で死線をキープする死神のようなステビンズ。
どちらも他の参加者から見れば忌々しい悪役のようなキャラクターをしている。両者の違いが明確に見えるのが、見物人が選手に差し出したスイカを巡る挿話。参加者の周囲は常に軍人が取り囲んでおり、選手への差し入れ等はできないようにされている。しかし選手の一人が隙を付き、スイカを奪取。他の参加者にも分け与え、順繰りにスイカを食らい、凱歌を上げる。嫌われ者のバーコヴィッチでさえ、軍人に対しては嫌悪感を抱いており、いいぞ! と声を張り上げ狂乱の騒ぎに身を投じる。バーコヴィッチの言動に主人公と同じく苛立ちを覚えていた読者も、さすがにバーコヴィッチも人間であったかとまずは胸をなでおろす、作中でも溜飲が下がり、温まるシーンである。
が、しかしやはりこの騒ぎにさえ一切関わることのないステビンズ。戦慄すると共に、普通の参加者とは違う思惑が、他の参加者とは別の場所からやってきたかのような印象を抱かせる。こういった、読者に様々な感情を登場人物に引き起こさせる描写が、キングは凄く上手い。
基本、歩いているだけなので、展開は地味な絵が続く。ダレてきたかな? と中盤で思わせるところで、一山盛り上げる場面を作る。ヘラジカのような体躯で無尽蔵の体力を誇るタフガイ・スクラム。不運なことに、風邪を引き、高熱を発してしまう。心配して声をかけられるも、一向、平気そうなスクラム。タフだな、という仲間の賞賛に「ぞればおれにいっでるのか? じゃああいづはなんなんだ」と返す。スクラムが示した先には、開始早々に気力が萎え、とうに脱落するかと思われたオルソンの、ズタボロで半死人のような状態でありながら、なお歩くのをやめない凄絶な姿が……。
そして、オルソンがとった行動と結果! あぁ~、オルソン、なんてこった。
なんかもう、読んでいられなくなる(でも結末が知りたいから、皆の死に様が見たいから読む)なるぐらい感情移入してしまった。
今でこそ多様なデス・ゲーム作品は小説のみならず、漫画でも数多く出ている。奇抜な設定や駆け引きで目を引く作品も多く見られるが、シンプルであっても登場人物がよく書けていれば読ませるチカラは十分あるのだと。読ませるチカラがあるからこそシンプルが務まるのだということを気付かせてくれた。
このテの作品が好きな人は、古典あるいは基本として、是非おさえてもらいたい一冊。
この作品を手に取ったのは高校生の頃。当時、この作品を下敷きにした高見 広春の『バトル・ロワイアル』にハマっていた私は、それにまつわる作品を片っ端から読みふけっていた(山田 風太郎/甲賀忍法帖、貴志 祐介/クリムゾンの迷宮など)。この『死のロングウォーク』も一連の中に入っていた。実に15年ぶりの再読になる。細かい内容は忘れていたのだが、ステビンズの名前を目にした途端、何故か嫌な雰囲気を覚えたのは、面白い感覚であったと思う。
100人の参加者のうち、生き残れるのは1人。
厳しい条件に、母やガールフレンドから出場を止めるよう説得を受けながらも、結局「ロングウォーク」の参加を決める主人公のレイ・ギャラティ。
10代の男子が試験を受け、合格すると参加できる国民的競技「ロングウォーク」。何故そんなことをするのか? 何故少年たちは参加をするのか? 詳細な理由付けは明確になることはなく、“少佐”と呼ばれる全体主義の象徴のような人物一人でもって匂わされるのみで、後はロングウォークを通じての人物の会話、ないし主人公の心理描写で物語が綴られる。シンプルかつ地味な設定やゲーム展開であるが、登場人物たちの描写が上手く、なかなか読ませてくれる。
ギャラティが「ロングウォーク」で初めて言葉を交わし、彼の捨て鉢な行動を度々たしなめてくれる相棒的存在、マクブリーズ。スタート前は強気でありながら、かなり早い段階でヘタレるオルソン。“お前らの墓の上で踊ってやる”参加者随一の毒舌にして嫌われ者、皆の憎悪を糧に推進力へ変換するバーコヴィッチ。寡黙で慎重な性格ながら実力を感じさせるベイカー。優勝後、「ロングウォーク」の体験を本にするため参加者の名前をノートに記録するハークネス。参加者唯一の既婚者にして、妻が新しい命を宿している、タフガイ・スクラム。そして、常に最低速度を保ち、最後尾に位置しながら、脱落者の屍を越えていくステビンズ。
注目したいのは、バーコヴィッチとステビンズの対比である。
優勝したらお前の墓で踊ってやる! と誰彼構わず喧嘩をふっかけるバーコヴィッチ。そして、誰に関わることもなく、最後尾で死線をキープする死神のようなステビンズ。
どちらも他の参加者から見れば忌々しい悪役のようなキャラクターをしている。両者の違いが明確に見えるのが、見物人が選手に差し出したスイカを巡る挿話。参加者の周囲は常に軍人が取り囲んでおり、選手への差し入れ等はできないようにされている。しかし選手の一人が隙を付き、スイカを奪取。他の参加者にも分け与え、順繰りにスイカを食らい、凱歌を上げる。嫌われ者のバーコヴィッチでさえ、軍人に対しては嫌悪感を抱いており、いいぞ! と声を張り上げ狂乱の騒ぎに身を投じる。バーコヴィッチの言動に主人公と同じく苛立ちを覚えていた読者も、さすがにバーコヴィッチも人間であったかとまずは胸をなでおろす、作中でも溜飲が下がり、温まるシーンである。
が、しかしやはりこの騒ぎにさえ一切関わることのないステビンズ。戦慄すると共に、普通の参加者とは違う思惑が、他の参加者とは別の場所からやってきたかのような印象を抱かせる。こういった、読者に様々な感情を登場人物に引き起こさせる描写が、キングは凄く上手い。
基本、歩いているだけなので、展開は地味な絵が続く。ダレてきたかな? と中盤で思わせるところで、一山盛り上げる場面を作る。ヘラジカのような体躯で無尽蔵の体力を誇るタフガイ・スクラム。不運なことに、風邪を引き、高熱を発してしまう。心配して声をかけられるも、一向、平気そうなスクラム。タフだな、という仲間の賞賛に「ぞればおれにいっでるのか? じゃああいづはなんなんだ」と返す。スクラムが示した先には、開始早々に気力が萎え、とうに脱落するかと思われたオルソンの、ズタボロで半死人のような状態でありながら、なお歩くのをやめない凄絶な姿が……。
そして、オルソンがとった行動と結果! あぁ~、オルソン、なんてこった。
なんかもう、読んでいられなくなる(でも結末が知りたいから、皆の死に様が見たいから読む)なるぐらい感情移入してしまった。
今でこそ多様なデス・ゲーム作品は小説のみならず、漫画でも数多く出ている。奇抜な設定や駆け引きで目を引く作品も多く見られるが、シンプルであっても登場人物がよく書けていれば読ませるチカラは十分あるのだと。読ませるチカラがあるからこそシンプルが務まるのだということを気付かせてくれた。
このテの作品が好きな人は、古典あるいは基本として、是非おさえてもらいたい一冊。
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