こうさんの歌暦

歌は世につれ、世は歌につれ

誰がやっても

2004年06月28日 | 日記(日々思いついた雑感)
問題無し、ってのは寂しいし、プロとしては情けないよなぁ。

例えば、ミスチルの桜井氏以外のメンバー総入れ替えしても、パッと見気が付かないだろうなぁ。
スピッツも、同じだよなぁ。
てか、ヒットチャートを賑わすようなバンドの殆どがそうだよなぁ。

けれど、このバンドは誰一人欠けても「だめぇ~」と叫びたくなるバンドのひとつでした。

ストリート・スライダーズ

「HARRY、蘭丸、JAMES、ZUZU」
この4人の誰が欠けても、余計な人を足しても、あかんよ。
HARRY、欄丸は、個人でもカッコイイし雰囲気ムンムンで存在感抜群。
けど、4人でステージに立ち、演奏しているスライダーズはすんげぇカッコよかった。
それ程熱心なファンではなかったけど、デビュー当時に何回かライブ・ハウスに足を運び「あ~、プロになる人達ってのは、ステージに立つだけでかっこいいんだなぁ。」と漠然と思わされました。
反復練習や分析だけでは到底真似の出来ない「プロ」としての存在感。

「ロック」という言葉を使っても、ぜ~んぜん恥ずかしくない「バンド」のひとつ。
もう解散して3年以上経ちますが、時々無性に浸りたくなります。

4人揃ってこそのスライダーズ。
本当の「ロック・バンド」って、いまだに憧れる。

New York State Of Mind

2004年06月25日 | 日記(日々思いついた雑感)
ビリーが自分の故郷であるニューヨークへの想いを込めて歌った曲。
以前にも少しふれたけど、今では9.11の鎮魂歌となってしまった曲。

「Georgia On My Mind」や「Sweet Home Cicago」のよう曲が歌いたくて作ったと御本人が言っている。
何処にいても、自分の心の中には「ニューヨークへの想い」が溢れている事を歌いたかったんだそうです。

僕の出生は東北だけど、これは母親が出産で帰省した為。
育ったのはず~っと東京の郊外の街。
子供の頃、今でも仕事や遊びで足を運ぶ吉祥寺が「都会」に感じた。
自転車で遊びに行ったりもしたけど、親と出かけるときはヨソユキの服を着せられたもんだ。
新宿・渋谷等の都内に足を運ぶようになったのは高校に入ってから。
大学、職場共に都内なので、日の明るい間の殆どの時間を「都会」と呼ばれる場所で過ごす。
だけど新宿や渋谷のような、人で溢れかえっているような場所は苦手。
なのに・・・
出張等で地方にでかけて帰京した時。
新幹線が新横浜を過ぎ、多摩川を渡って高いビルが窓の外に並ぶのを目にしたとき。
「あ~帰ってきた~」と心底ホッとするんだよなぁ。
これは、自分の最寄り駅に近くなった時よりも、全然「帰ってきた~」という気になる。

僕のふるさとはどこだ?

アメイジング・グレイス

2004年06月23日 | 日記(日々思いついた雑感)
この歌を始めて聴いたのっていつだろう?
たぶん、最初はアレサ・フランクリンが歌ってるやつ。
もうずいぶん昔だよな~

この曲を聴いたときに描いたイメージは

「神と大地」

英語のヒアリングには全然自信がなく、メロディーと歌声の印象から浮かんだイメージです。
もちっと具体的にいうと、アフリカの乾いた大地に沈む夕焼に祈りを捧げる人々、みたいな感じ?
ところが、ちと調べてみたところ、もともとは「イギリス民謡」なんだそうですね。
作詞した人は、なんと奴隷貿易に携わっていたイギリス人。
ちなみに作詞者自身も、若い頃は奴隷運搬船にて奴隷同様の過酷な労働を強いられていたそうです。その作詞者が、航海中に大きな嵐に遭遇した際、生まれて初めて神に祈りを捧げたところ、嵐がやみ奇跡的に助かったと。
とても罪深い仕事をしている自分にも、神は平等に救いを与えてくれる、という奇跡に対する感動を込めて書かれた詩。
英国で生まれたこの歌は、やがて海を渡りアメリカの教会で歌われるようになったんですね。

残念な事に作曲者は不詳との事。(もし、間違ってたらおせぇ~て~)
宗教を持たない僕に、メロディーで「神」をイメージさせてくれた名も無き作曲者。
この人の他の楽曲を聴いてみたい。

夕暮れの

2004年06月22日 | 日記(日々思いついた雑感)
まちか~ど、覗いたき~っいさてぇ~ん

石井ひとみの「まちぶせ」

忘れえぬ名曲のひとつですね。
この曲も多数の歌い手さんがカバーしてます。
ただ、上手い下手ではなく、どなたの歌声もしっくりこない。
この歌は、やっぱり石川ひとみさんの「声」で奏でられるのが一番。
「雨上がりの夜空に」は、忌野清志郎
「Just The way You Are」は、Billy Joel
「あんたのバラード」は、世良ちゃん
と同じようなもんです。
すりこみみたいなもんですね、きっと。

しかし、この人も綺麗なままだよなぁ~
大病(B型肝炎)を克服し、現役で活躍なさっているのは有名なお話。
この9月で45歳になるそうですが、とっても魅力的な女性のままですね。
当時「倉田まりこ」と間違える人が多かったけど、似てないよなぁ。

この歌が世に出た頃は、ストーカーなんて言葉はなかったけれど、現代では真っ先にこの言葉と結びつける人が多いのよね。
たしかに歌詞の内容をよ~く吟味すると、ちと重々しい女性の情念と「何故にそんなに自信満々?」と思ったりもしてしまう。
まぁ、なんせユーミンだもんなぁ。
でも石川ひとみが歌えば、切ない女心をしっとりと歌い上げた名曲になります。
少なくとも僕の耳にはそう届く。
同じ詩でも送り手が異なれば、受け取る側の印象が大きく変わる良い例じゃないかしらん。


実家にて

2004年06月21日 | 日記(日々思いついた雑感)
ず~っと犬を飼っておりました。
僕は家を出てしまい、ず~っと一緒だった訳じゃないんですけどね。
雑種の中型犬。
雷が大嫌いで、気が小さいのは飼い主ゆずり。
体を洗われるのが大嫌いで、お風呂場で洗っている最中に隙をみて逃げ出し、茶の間の真ん中で「ブルブル~」とやらかしたり。
人懐っこくて、知らない人にも警戒心が薄く、番犬にはならなかった。
けれど妹が散々苦労させられた、ろくでもない男と付き合っていた頃。
その男が始めて家に来た時に、牙を剥き出しギャンギャンと吠え立てていたのは、未だに家族の話題に上る。
後にも先にも、あれ程人に向かって激しく敵意をむき出しにした事は無い、と。

老衰で動けなくなり、いきつけの獣医さんに連れて行ったところ「天寿をまっとうせんとしようとしており、薬による延命は苦しませるだけ。」とのお言葉を頂いた。
病院の待合室で、たまたま居合わせたオバアサンに「この子、"幸せだった"って言ってますよぉ。」と声をかけられ、弟と二人して人目も憚らずに声を上げて泣いた。
僕は仕事が忙しく、最後はそばに居てやれなかったんだよな。
けれど仕事中に鳴き声が聞こえた気がして実家に電話をかけてみたら、弟に抱かれて天に召されたばかりだった。
コロは、今から7年前の6月21日に18年の生涯を終えました。

忙しくても忘れないもんだ。

後楽園球場

2004年06月20日 | 日記(日々思いついた雑感)
で最後にみた外国人ミュージシャン

スティービー・ワンダー

1塁側の内野席から左45度方向のステージに臨む格好。
これがいけなかったなぁ~
音が反射して、左右から少しずれて音が聞こえるような感じ。
大ヒットしたパート・タイム・ラバーなんて聞けたモンじゃなかったです。
「ダッダッダー・ダッダッ・タ・タラタ~」のリズムが左右からズレて聞こえてくるのよ。
歌もそうだし。
ず~っと、こだまに翻弄されて気色悪かったな~
一緒に行った友人や、周囲の人達も同様の印象を持っていたみたいで、そこら一帯は盛り上がりに欠けてたものなぁ。
後にも先にも、あれほど音響の酷いコンサートは経験したこと無かったです。
すんごく楽しみにしていただけに、ショックだった。
座席の位置によって、偉い目にあう事をしった一夜でしたね。
スティービー御本人には、な~んの責任も無いお話ですが、彼の曲を聞くとどうしても思い出すエピソードです。

彼の最高傑作を「Key Of Life」だと言う人が多いですね。
1976年と、約30年近く昔のアルバム。
このアルバムが発表された時には、3年振りのアルバムですんごい傑作が世に出されたと大騒ぎだった事を覚えてます。
正直、その当時は2枚組み全部を通して聞いて「かっこいいなぁ」と思う曲は数曲あったものの、それ程すげぇとは思わなかったんだですね。
それが今では、後世となった現代におけるまで、数多くの音楽を生業としている方々に影響を与えた事が、この僕でもよく分かります。

年に何回か突然その歌声が聞きたくて仕方がなくなる。
健康に良い音楽なんだろうなぁ、こういうの。
ちがうかな~

薄幸!

2004年06月19日 | 日記(日々思いついた雑感)
深夜妻

なんのこっちゃとお思いの方。
むふふ、とにやけた方。
この歌は、韓国クラブのホステスさんにどっぷりはまった男の、身もフタも無いドロドロの実体験を元に作られた歌なんだそうですね。

自分の聴きたい曲は、自分で作るバンド。

CRAZY KEN BAND

この人達もかっこいいんだよなぁ。
徹頭徹尾2枚目とは異質のカッコよさ。
ロック、ボサノバ、昭和の歌謡曲、ジャズ、ファンク&ソウルをクール且つスタイリッシュな歌にしてんですよ、このバンド。
だけど、多様な音楽性なんて言葉は「誉め言葉になんない」そうです。
「極端な事いっちゃえば、ベンチャーズの方が良いと思ったら、演ってもらうのもあり!」という程の楽曲至上主義。
それも、数学的な構築じゃないところがすんげぇ良くて好き。
ボーカルの横山氏の抽象的なイメージ伝達を、他のメンバーが形にして仕上げてゆくそうです。
横山氏が長島監督宜しく「そこはもっと、こう"ドバッ"と」と感性の閃きを口にする。
それを相方の小野瀬氏が「じゃ、こっちの"ドバッ"とこっちの"ドバッ"は、どっちがいい?」と受けて曲をアレンジしてゆく。
長年の付き合いのなせる業とおっしゃってますが、メンバー全員のセンスの良さたるやハンパないですな。

横山氏の印象に残ってるお言葉
「若い頃は、絶対にカッコいいところしか見せたくなかった。」
「年齢と共に、ダサかっこよさも受け入れられるようになった。」
「要はフルチンになれるか、ってことじゃないかな?」
でキメの言葉が
「金玉の裏の臭い部分をさらけ出しつつも、見せ方はあくまでクールにおしゃれ感満載で。」
あぁ、舘ひろしに聞かせてあげたいわ~
こういうおしゃれは、大好きだ。

うん、おしゃれって大事なんだな。

ギター弾きの恋

2004年06月18日 | 日記(日々思いついた雑感)
なんともベタなタイトルですが、本当にこういう名前の映画があるのです。
ハデ好き、女好き、チャランポランで小心者の典型的なダメ男だけど、ギターを弾かせりゃ超一級の主人公。
自分に尽くし、一途に愛してくれる女性をポイと捨て、上流階級の女性と結婚。
やがて自分の過ちに気づいた頃には時既に・・・
てな感じのウディ・アレン監督の作品です。
主人公を演じるのはショーン・ペン。
演技の上手い、下手は良くわからないけど「はまって」ました。
劇中、口パクならぬ指パクで演奏シーンを切り抜けているのも面白かった。

映画の中で主人公が「俺は世界で2番目、一番はジャンゴ・ラインハルト」とある天才ギタリストの名前を連発してた。
このジャンゴ氏は、本当のジプシーで左手の指2本が動かない、というハンデを全く聞くものに分からせない素敵な演奏を聞かせてくれます。
"ジプシー・ジャズ"なる呼び方もあるみたいですけど、なんとも雰囲気&情感たっぷりの珠玉の曲がたっくさん。
物語の中で主人公が「ジャンゴ・ラインハルトが客席に居る!」と耳打ちされ、途端に逃げ出すシーンは、主人公のダメ男いい加減ぶりを浮き彫りにするだけじゃなく、ジャンゴへのリスペクトが込められたシーンだったようです。
映像の後ろに流れるのは、アワード・アルデンが奏でるジャズ・ギター。
誰が聞いても「ジャズでしょ?これ」ってな位のジャズ・ギター。
かっこいいんだよなぁ。

映画のラストは、もちっと何とかならんもんかねぇ、と思ったなぁ。
なにせ、ハッピー・エンドが大好きな凡庸な私でございます。

気が付けば

2004年06月17日 | 日記(日々思いついた雑感)
もう10周年ですと

hitomi

僕は、この人の歌声が大好き。
どちらかというと、もっと太くて音圧が伴った歌声に惹かれるんですけど、hitomi の声は好きなんだよなぁ。
いい女、ってのは十分なアドバンテージなんだけど、それだけじゃないのよ。
ほんとに好きなの、この人の歌ってる声が。
大ヒットした「LOVE 2000」は、その声で悶絶したものなぁ~。
どちらかと言えば「甘い」歌声で、本来僕が好む声とは異なるんですよ。
でも、きいていてすごくワクワクする歌声なんです。

素敵な声をした日本の女性ボーカリストは、たくさんいらっしゃる。
高橋真理子、須藤薫、和田アキ子、カルメン・マキ、アン・ルイス、浜田のまりちゃん、ドリカムのボーカル等々
hitomi の歌は、上記の方々と比較してしまうと、確かに線が細くて頼りなさげ。
でも、その声は好きなんだよなぁ~

今日、街で流れてる hitomi の歌声に背中を押された

好きな声で奏でてくれる歌ってのは、ほんとにいいもんだな

いぇ~い

2004年06月16日 | 日記(日々思いついた雑感)
この画像、大好き!
マッツ氏に感謝しております。
(ホントだよ)
こんな感じでゴキゲンにギターを弾けたらさぞかし楽しかろうなぁ。

さて、本日は私の回顧録となりますです。

大学の4年間は、本当にハチャメチャな4年間だった。
親元で暮らしていたものの、学費はもちろん生活費も家に入れろという親だったので、バイトは必須。
大好きなギターとバンドも辞められない。
サカリのついた4年間ゆえ、女の子のお尻も追っかけまわしてた。
必然、2,3日寝ない日が続くなんて、ざらにあったなぁ。

バイトはお金になる、昼間に拘束されない、という理由から深夜~翌朝の徹夜仕事が殆ど。
ラブホテルと、某大手電気メーカーの深夜作業員。
色々とやったけど、この2つが長かったな。お金もよかったし。

家にいる時は、ギターばっかり弾いてた。
明るいうちからギター弾き始めて、部屋が真っ暗になっても弾き続けて、バイト行く時間になって「やっべぇ時間だ!」って慌てて支度してバイトに向かったり。
ある著名なギタリストさんに師事して学んだりもした。
バンドは、常に2,3つ掛け持ちだったので、練習時間のやりくりがこれまた大変。
某完全プロ志向のバンドに誘われて数ヶ月一緒にやった時には「うちのバンド一本に絞れ」とか言われて嫌気が差して辞めたんだよね。

縁あって何人かの女性とお付き合いしたけれど、やっぱり会う時間が少なくて、ふられてしまう事が多かった。
「私とバンドとどっちが大事なの?」と聞かれた事一度ならず。
「両方とも大事」てな言葉が火に油を注ぐもんだと知るまでに、時間がかかった間抜けな僕。
でも、本当に両方とも大好きだったんだもん。
「思い入れと、費やす時間の量が比例するとは限らない」なんて屁理屈も、相手によって魔法の一言になったり、怒りの導火線への着火マンになったりしたもんだ。

当時は最低月2回ライブをやる、って決めてた。
バイトで疲れていても、ライブに注ぐエネルギーは湯水の如く溢れてたんだよな。

その当時ライブでギターを弾く僕は、きっとネコちゃんと同じ顔してました。