3回に分けて紹介したクリリン・・・じゃないやw久里浜臨港線もこの回で完結予定です。今回は廃線跡の後編、ビクターの工場から先に行ってきました。
前回の調査はこちら
それでは1977年当時の航空写真です。
廃線跡の画像4
現在の(地図)ではこのあたり。これを踏まえて行ってみましょう。
出発点はビクターの技術センターを過ぎた交差点から。(地図)貨物線は現在のビクターの敷地内を通っていました。大戦中はこのあたりは海軍の軍需部倉庫が建てられ、終戦後は米軍に摂取されその後返還。そしてビクターの工場になりました。
画像は大通りを曲がってわき道に入ったところ。右の建物がビクターの技術センターです。ビクターの敷地内に木が一直線に植えられていますが廃線跡ではなさそうです。
少し道を進んだところで通ってきた道を撮ります。この道は1980年代に造られたもので臨港線が通っていた頃はありませんでした。このあたりから貨物線は当時の海軍軍需部倉庫の敷地(現ビクター)から道路を超えて線路が延びていたそうです。
上の位置から反対側。道路に沿って木が植えられていますがやや余裕があるところが廃線跡か?
こんなふうに外側が膨らんで木が植えられています。
裏側の民家とは余裕があります。
このふくらみはアヤシイ???(地図)
廃線跡は今の道路と離れ、昔からあった細いわき道を交差します。
写っている駐車場はここ。77年当時の航空写真では空き地になっています。貨物線はこの駐車場をかすめて奥の民家へと続き、先ほどの道路に合流していたようです。
廃線跡はわき道とは斜めに平面交差していました。先ほどの駐車場の反対側に旅館が建っていますが(茶色い建物)、隣の左側の建物が不自然に斜めに建っており、旅館との間に三角形のスペースがあります。左側に貨物線が通り、廃線後に左側に白い建物が建ったと思われます。(地図)
建物の裏側は公園になっています。正面に白い建物があり、線路はそこから手前の物置に向かって延びていました。このあたりは複線で、機関車の入れ替えが出来たようです。
野比海岸に向かう県道に合流します。(地図)ここも平面交差していました。
上の画像の反対側。コンビニが建っており痕跡はありません。
正面には東京湾フェリーのターミナル。の跡がw
別にフェリーが廃止されたのではなくこの奥にターミナルが移設されたのです。画像左側にフェリーが泊まっていますがこの日は風が強く、フェリーは欠航だったみたいです。
近くに鎮座する住吉神社。ずっとここの光景を見ておられる。
住吉神社の裏にあった昔の墓か。
廃線跡に戻りましょう
先ほどのコンビニの隣にパチンコ店がありますが、この駐車場を貨物線が通っていてカーブしながら港へ向かっていました。そしてパチンコ店の駐車場は廃線跡をそのままなぞったかのようにカーブしています。上から見るとこんな感じです。
左奥がコンビニ、手前に向かってカーブしながら駐車場が連なっています。
この地点から見ると見事に車がカーブしているのがわかります。
さらに進むと建っていた市営の魚市場が解体され、壁が塞がっています。反対側のあったニチロの工場は今はマンションが建っています。
その先には公園となり、向こう側には資材が転がっています。
久里浜港の一番先は終戦後米軍に接収されていました。線路もここで途切れていたようです。
目の前には東電の火力発電所が。臨港線の廃線跡調査もここで終点です。
昭和19年に横須賀線の延伸と同時に造られた久里浜臨港線は戦後しばらく活用されたそうですが、廃止時期がはっきりしないため、未だに謎の部分が多いです。実地調査を行いましたが線路の跡が残っていた1977年から30年以上経った今ではこれが線路跡かなぁ?ってくらいの痕跡しか見つけられませんでした。少なくとも貨物線の存在を知らない人が気付く要素はないでしょうね。今後何かしらの情報を得た場合補足として紹介できたらいいなと思っています。
横須賀市のむかし写真館にはまれに臨港線が見切れている画像を見ることができます。
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それでは1977年当時の航空写真です。
廃線跡の画像4
現在の(地図)ではこのあたり。これを踏まえて行ってみましょう。
出発点はビクターの技術センターを過ぎた交差点から。(地図)貨物線は現在のビクターの敷地内を通っていました。大戦中はこのあたりは海軍の軍需部倉庫が建てられ、終戦後は米軍に摂取されその後返還。そしてビクターの工場になりました。
画像は大通りを曲がってわき道に入ったところ。右の建物がビクターの技術センターです。ビクターの敷地内に木が一直線に植えられていますが廃線跡ではなさそうです。
少し道を進んだところで通ってきた道を撮ります。この道は1980年代に造られたもので臨港線が通っていた頃はありませんでした。このあたりから貨物線は当時の海軍軍需部倉庫の敷地(現ビクター)から道路を超えて線路が延びていたそうです。
上の位置から反対側。道路に沿って木が植えられていますがやや余裕があるところが廃線跡か?
こんなふうに外側が膨らんで木が植えられています。
裏側の民家とは余裕があります。
このふくらみはアヤシイ???(地図)
廃線跡は今の道路と離れ、昔からあった細いわき道を交差します。
写っている駐車場はここ。77年当時の航空写真では空き地になっています。貨物線はこの駐車場をかすめて奥の民家へと続き、先ほどの道路に合流していたようです。
廃線跡はわき道とは斜めに平面交差していました。先ほどの駐車場の反対側に旅館が建っていますが(茶色い建物)、隣の左側の建物が不自然に斜めに建っており、旅館との間に三角形のスペースがあります。左側に貨物線が通り、廃線後に左側に白い建物が建ったと思われます。(地図)
建物の裏側は公園になっています。正面に白い建物があり、線路はそこから手前の物置に向かって延びていました。このあたりは複線で、機関車の入れ替えが出来たようです。
野比海岸に向かう県道に合流します。(地図)ここも平面交差していました。
上の画像の反対側。コンビニが建っており痕跡はありません。
正面には東京湾フェリーのターミナル。の跡がw
別にフェリーが廃止されたのではなくこの奥にターミナルが移設されたのです。画像左側にフェリーが泊まっていますがこの日は風が強く、フェリーは欠航だったみたいです。
近くに鎮座する住吉神社。ずっとここの光景を見ておられる。
住吉神社の裏にあった昔の墓か。
廃線跡に戻りましょう
先ほどのコンビニの隣にパチンコ店がありますが、この駐車場を貨物線が通っていてカーブしながら港へ向かっていました。そしてパチンコ店の駐車場は廃線跡をそのままなぞったかのようにカーブしています。上から見るとこんな感じです。
左奥がコンビニ、手前に向かってカーブしながら駐車場が連なっています。
この地点から見ると見事に車がカーブしているのがわかります。
さらに進むと建っていた市営の魚市場が解体され、壁が塞がっています。反対側のあったニチロの工場は今はマンションが建っています。
その先には公園となり、向こう側には資材が転がっています。
久里浜港の一番先は終戦後米軍に接収されていました。線路もここで途切れていたようです。
目の前には東電の火力発電所が。臨港線の廃線跡調査もここで終点です。
昭和19年に横須賀線の延伸と同時に造られた久里浜臨港線は戦後しばらく活用されたそうですが、廃止時期がはっきりしないため、未だに謎の部分が多いです。実地調査を行いましたが線路の跡が残っていた1977年から30年以上経った今ではこれが線路跡かなぁ?ってくらいの痕跡しか見つけられませんでした。少なくとも貨物線の存在を知らない人が気付く要素はないでしょうね。今後何かしらの情報を得た場合補足として紹介できたらいいなと思っています。
横須賀市のむかし写真館にはまれに臨港線が見切れている画像を見ることができます。
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私が小学生の頃ですから、たぶん昭和50年頃だと思いますが、古い地図上では臨港線が記載されていましたので、見に行きました(横須賀線の久里浜駅手前から線路が分岐しているのは知っていましたので)。もちろん、当時はレールはありませんでしたが、野比に向かう県道と合流する手前辺りの地面に枕木があったのは覚えています。また、私が中学生の時には久里浜中学裏にレールが取り付けられていたと思しき跡がありました。今は全く残っていませんが。
なお、昭和40年代前半頃にSLの残骸が臨港線に放置されているという写真を何かの写真集で見たことがあります。