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丸見え画像よこすか

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久里浜臨港線③

2008-11-29 18:12:39 | 久里浜臨港線(廃線)
3回に分けて紹介したクリリン・・・じゃないやw久里浜臨港線もこの回で完結予定です。今回は廃線跡の後編、ビクターの工場から先に行ってきました。
前回の調査はこちら


それでは1977年当時の航空写真です。
廃線跡の画像4
現在の(地図)ではこのあたり。これを踏まえて行ってみましょう。

出発点はビクターの技術センターを過ぎた交差点から。(地図)貨物線は現在のビクターの敷地内を通っていました。大戦中はこのあたりは海軍の軍需部倉庫が建てられ、終戦後は米軍に摂取されその後返還。そしてビクターの工場になりました。

画像は大通りを曲がってわき道に入ったところ。右の建物がビクターの技術センターです。ビクターの敷地内に木が一直線に植えられていますが廃線跡ではなさそうです。



少し道を進んだところで通ってきた道を撮ります。この道は1980年代に造られたもので臨港線が通っていた頃はありませんでした。このあたりから貨物線は当時の海軍軍需部倉庫の敷地(現ビクター)から道路を超えて線路が延びていたそうです。



上の位置から反対側。道路に沿って木が植えられていますがやや余裕があるところが廃線跡か?



こんなふうに外側が膨らんで木が植えられています。



裏側の民家とは余裕があります。



このふくらみはアヤシイ???(地図
廃線跡は今の道路と離れ、昔からあった細いわき道を交差します。



写っている駐車場はここ。77年当時の航空写真では空き地になっています。貨物線はこの駐車場をかすめて奥の民家へと続き、先ほどの道路に合流していたようです。



廃線跡はわき道とは斜めに平面交差していました。先ほどの駐車場の反対側に旅館が建っていますが(茶色い建物)、隣の左側の建物が不自然に斜めに建っており、旅館との間に三角形のスペースがあります。左側に貨物線が通り、廃線後に左側に白い建物が建ったと思われます。(地図



建物の裏側は公園になっています。正面に白い建物があり、線路はそこから手前の物置に向かって延びていました。このあたりは複線で、機関車の入れ替えが出来たようです。



野比海岸に向かう県道に合流します。(地図)ここも平面交差していました。



上の画像の反対側。コンビニが建っており痕跡はありません。



正面には東京湾フェリーのターミナル。の跡がw
別にフェリーが廃止されたのではなくこの奥にターミナルが移設されたのです。画像左側にフェリーが泊まっていますがこの日は風が強く、フェリーは欠航だったみたいです。



近くに鎮座する住吉神社。ずっとここの光景を見ておられる。



住吉神社の裏にあった昔の墓か。


廃線跡に戻りましょう
先ほどのコンビニの隣にパチンコ店がありますが、この駐車場を貨物線が通っていてカーブしながら港へ向かっていました。そしてパチンコ店の駐車場は廃線跡をそのままなぞったかのようにカーブしています。上から見るとこんな感じです。

左奥がコンビニ、手前に向かってカーブしながら駐車場が連なっています。



この地点から見ると見事に車がカーブしているのがわかります。



さらに進むと建っていた市営の魚市場が解体され、壁が塞がっています。反対側のあったニチロの工場は今はマンションが建っています。



その先には公園となり、向こう側には資材が転がっています。



久里浜港の一番先は終戦後米軍に接収されていました。線路もここで途切れていたようです。



目の前には東電の火力発電所が。臨港線の廃線跡調査もここで終点です。


昭和19年に横須賀線の延伸と同時に造られた久里浜臨港線は戦後しばらく活用されたそうですが、廃止時期がはっきりしないため、未だに謎の部分が多いです。実地調査を行いましたが線路の跡が残っていた1977年から30年以上経った今ではこれが線路跡かなぁ?ってくらいの痕跡しか見つけられませんでした。少なくとも貨物線の存在を知らない人が気付く要素はないでしょうね。今後何かしらの情報を得た場合補足として紹介できたらいいなと思っています。


横須賀市のむかし写真館にはまれに臨港線が見切れている画像を見ることができます。



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久里浜臨港線②

2008-11-27 14:44:10 | 久里浜臨港線(廃線)
前回の続きです。かなり遅れてしまいましたが・・・現地に行って線路跡を追ってみました。


出発点は舟倉の梅田橋につながる横須賀線の踏切から。(地図)久里浜方面を写したものですが、架線柱を見る限り複線分の用地が確保されているようです。



E217系がやってきました。単線なので行きも帰りも同じ線路です。



しばらく線路沿いの道路を進みます。



すると線路に併走していた道路が右側へ分かれていきます。昔はこのあたりに横須賀線の信号所があったそうです。臨港線はここから分かれていたようです。


横須賀線と道路がここで分かれます。(地図


下は1977年の航空写真を加工したものです。
線路跡の画像1
赤い線が臨港線の線路跡。一番上が横須賀線との接続部でちょうど上の画像がその部分になります。線路跡に併走する道路をこの先進みます。


横須賀線と分かれて少し行くと雑然とした空間があります。



そこに倉庫として使われていると思われるコンテナが!



その先は工場が続きます。



たまに茂みに出くわします。


再び当時の航空写真を見てみましょう
線路跡の画像2
臨港線は京急線や横須賀線の久里浜駅とはずいぶん離れてますね。当時あった久里浜貨物駅はどこにあったのでしょう?


そして久里浜工業団地を横断する道路との交差点に出くわします。(地図

なんとなく廃線跡っぽい空き地があるけど・・・



片側2車線の道路を越えてまっすぐの細い道が廃線跡です。


ふたた過去の航空写真を見てみましょう
線路跡の画像3
臨港線は久里浜中学校(画像中央)に沿って通っていたようです。


左側は中学校のグラウンド。道路との間に線路が通っていたようです。現在は川が通っています。(地図



川は緩やかにカーブして道路と併走しています。



川は暗渠となりその上にはベンチなどが置かれ休めるようになっています。



その先は京急線が高架線で通ります。臨港線が通っていたころは京急線は久里浜止まりで通っていませんでした。この先は国道134号線にぶつかり、さらに先は神明小学校になります。(地図)ここから先はCPC倉庫跡ですが公園等に整備されてしまい痕跡はまったく見られません。廃線跡を見るにはビクターの工場の先へ行かなくてはなりません。この続きはまた今度ということで・・・


廃線跡を前半まで紹介しましたが、予想以上に内容が豊富で大変でした。さすがに疲れたので廃線跡が分断されているところで小休止します。いや、させてくださいw久里浜港に近い後半は次の機会に!!!


感動の?完結編はこちら!


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久里浜臨港線①

2008-11-23 19:03:39 | 久里浜臨港線(廃線)
太平洋戦争勃発後、軍需物資の輸送とと海軍の兵員の通勤のため横須賀線の延伸が進められ、昭和19年4月1日に省線久里浜駅が開業した。旅客駅は現在の位置に置かれたが、駅の西側約200メートル離れたところに貨物駅が設置された。さらにその貨物駅から尻こすり坂を横切り久里浜港へ線路が延びていた。これが久里浜臨港線であり、久里浜駅から約2.7キロメートル延びた線路は横須賀線の一番南まで続いた線路であったという。

軍需物資を運んでいた臨港線は終戦後は米軍に接収されたが、昭和28年に米軍から使用許可を受け久里浜港から魚介類を輸送していたそうだ。その後トラック輸送に切り替わり臨港線は使われなくなったがいつ正式に廃線になったかは不明だ。


その臨港線の線路跡を見てみましょう。まずは1977年当時の航空写真を見てみます。

久里浜の航空写真①

平作川沿いに走る線路が横須賀線で、外側を回りこんで駅に向かうのが京急久里浜線です。写真中央の横須賀線から分岐していたのが貨物線で、よく見ると道路と併走して線路跡が残っています。

久里浜の航空写真②

①の続きで上からの線路跡が道路になっていますが、右上にある久里浜中学校あたりから線路跡が残り、画像を見ると駐車場になっているのか、数十台の車が緩くカーブして続いています。京急久里浜線の下をくぐり(臨港線完成時は京急は開通していなかった)倉庫群に入っていきますがちょっと分かりずらいですかね。この倉庫群は海軍の軍需部倉庫として建設され、戦後はCPC倉庫として米軍が使用していた。現在はビクターの工場になっている。

久里浜の航空写真③

臨港線は倉庫群から久里浜港へ伸びており、痕跡を見つけるのはちょっと難しそうですが残ってますよ~。


久里浜駅から線路が延びていたことは事実ですが、確かな資料が見つからないのでこれ以上のことは今後も調べる必要があります。ここまでかなり書いてきたので、次回は実地調査した結果をお伝えできればいいかと思います。


そして行ってきた衝撃の内容はこちら



参考文献 久里浜港 久里浜地域文化振興懇話会発行