連休後、洗面所やお風呂場を改修したりして忙しく、報告も遅れてしまいましたが、
五月の連休の後半4日から7日まで和歌山県へ行って来ました。
一日目は大阪まで新幹線で行って南海電車で高野山へ行こうと思ったのですが、南海電車はその一つ前の駅までしか行かないのです。なんと高野山はケーブルカーにのって高い所(1000メートル)まで行かないとならなかったのです。
さすがに連休の真っ最中で混んでいる事混んでいる事。南海電車にははじめて乗ったのですが、箱根の登山電車のような感じのちいさな電車でした。
やっとケーブルカーにのって上までついた所で予約してあったレンタカーを借りて走り始めました。
高野山では1000年以上も前からあるという宿坊にとまり、昨年亡くなった母の回向をしてもらい安心しました。母の葬儀の時に坊さん関係でいろいろいやな事があったので、ここはどうかと思ったのですが、空海の作った高野山の真言宗は、大変寛大な宗派で、仏教の宗派も問わず、キリスト教であろうと、神道であろうと、その人の成仏を祈って下さると言う事でした。
高野山は不思議なようなところで、1000メートルもケーブルカーであがった所なのに、そこにひろい平地があり、たくさんのお寺と宿坊と、その門前町があるのです。さすが連休だけあって、その一キロほどの門前が大渋滞でしたが。
金剛峰寺ではちょうど「結縁潅頂」(けちえんかんじょう)という密教の儀式をやっていて、わたしも参加させて頂きました。暗い金堂のなかで目隠しをされて仏様に会いにいくという儀式なのですが、そのなかであったことはけっして口外してはなりませんと、釘を刺されたので、秘密にしておきましょう。とにかくすてきな体験でした。
次は熊野の山の中を車でドライブして熊野三大権現をめざして、まずは熊野本宮大社ちかくの湯の峰温泉というこれも1000年前からあるという小さな温泉宿へ。夫がテレビでみてぜひここへとまりたいというので行ってみたのですがとにかく100メートルしかない温泉場で、川の中に温泉があるというひなびた所。
温泉のにおいが充ち満ちていて、宿の食事もすべて温泉水で料理されているというものでした。温泉もはいるとすぐにつるつるになるし、お食事も美味しかったのですが、あまりに温泉のにおいがきつくて、わたしは1日二食たべればもう胃腸が精一杯という所でした。
そしてここでは熊野本宮大社にお参りし、つぎは新宮と呼ばれる熊野速玉大社へ、先年、世田谷美術館でやっていた吉野高野熊野の展覧会ですばらしいお像があったのでそれが見たくて行ったのですが、それは奥深くしまわれていて特別な展示でもなければみせてはいただけないそうでした。残念。
そこで宝物館に入ると、なんともったいなや。数々の西暦1300年頃のお道具がほとんど「国宝」と書いてあるのですがこんな風に置いておいていいのかしらというようにむぞうさに、そのへん中にごろごろと置いてあるではありませんか。
ガラスの箱には入っているのですが、首をかしげるようなただの白い布の上に、ぽんと置いてあるだけと言う感じでこれまた別の意味で感動してしまいました。たぶん大社にしてみればそれほどすごいものとも思っていなくて、よほどたくさんあるのでしょうね。
これが速玉大社の入り口。日本の神社はほんとうに簡素なものだなと思いました。社殿もうつくしいのですが、目をおどろかすような大きなものでもなく。しんとしずまりかえった良い所でした。
最後に行ったのが那智の滝と、那智大社です。この滝は日本一大きいという事で、さすがだなと思いました。高い高い所からみずが落ちてきます。水量があまり多くない為か、風が吹くと滝があおられて左右に曲がるのが面白かったです。残念だった事はすばらしい滝のところで神社や、記念写真を撮る写真屋さんがマイクを使って大きな音で宣伝を呼びかけていた事。これでいっぺんにがっかりしてしまいます。観光地は気をつけて欲しいです。
那智大社は那智の滝よりずっとたかいところにあってこの石段を登って行きます。この衣装をきた女性たちは、平安時代の衣装をかりて熊野古道を歩くという事をやっている人たち、貸衣装をかりて歩きます。みんなに写真を一緒にとってといわれて楽しそうに歩いていました。
わたしは足が痛くて、熊野古道を歩くのは遠慮しましたが、高野山から那智の滝まで楽しい旅でした。
やっと連休の旅の話しをアップ出来てホットしました。友達からは元気なの?としんぱいしたメールもいただいていました。まだこれからも家の修理があるから大変そうです。
そのうえ綾の会の準備もしなくては。きょうはやっと招待状を印刷に出しました。今週中にはできるようです。