この命、つむぎつづけて

「この命、つむぎつづけて」という本を出版しました。スモン薬害被害者で、障害者です。スモン、絵、旅の事などつづります。

いよいよ2006第十七回綾の会展が間近になってきた

2006年05月29日 | 美術、絵画

2006年の綾の会の葉書がやっとできました。
もっと描かなくてはと焦ってもいますが、毎年の事でこの期間はとても楽しみです。
私の絵は右下の海とあじさいの絵です。夕暮れ近い浜辺に波が打ち寄せて・・・・・おっと
絵の先生から、説明はいらないのだよと言われていたのです。


わたしの心象風景でしょうか。それも味わってみて下さい。


わたしはこのほかに4~5点出しています。


小さな画廊ですので、ゆっくりしていってくださる方が多い時は、ちょっとざわざわしたりする事もありますが、おいでになれる方はぜひおいでください。


自分や友達の絵に囲まれてお客様と話しをしている時は、一年で一番贅沢な楽しい時です。
「しあわせ」を文字通り味わえる時です。まあ、つかれることはほんとに疲れるのですが、ほかでは味わえないこころのいちばんの喜びです。

なお、私の体力では毎日行くのはちょっときついので16日金曜日は私はおやすみしますのでおりません。画廊には他の友人がお待ちしております。


 


本の感想

2006年05月23日 | 私の本
いままで、私の本を読んで下さった方が、たくさんの感想を寄せて下さっています。このURLには、ゴトウさんと言う方がブログでも取り上げて下さっています。
http://blog.goo.ne.jp/lowe-goto


ありがたいと思います。うれしいです。こうして少しずつでも薬害について世の中の人々が知って下さる事がいちばん望んでいる事です。

昨日は、とても重症のスモンの被害者のところに行ってきました。スモンだけでなく、HIVやそのほかの薬害などに人生で出会ってしまい、どうしようもない憤りを感じながらも生きていくひとびとの話しを聞いて、それを伝える事ができたらと思って少しずつインタビューをしています。

昨日会った人は、目も全く見えず、足もマヒしていて歩く事はもちろんできません。車椅子です。でも一人でできる事はできるだけやりながら生活しています。
これから、彼女が語って下さった事について書いていきたいと思っています。

本を買って読んでくださる方は、インターネット上の通販の本屋さんで買ってくださるのがいちばん早くて確実です。(amazonでも、yahooでも、楽天その他でもとれます)本屋さんで頼むと時間がかかったり、地方の本屋さんは取り寄せてくれないところもありますので。

まだの方はぜひ読んで下さいね。

また読んで下さった方は、お友達に回して頂いたり、図書館でリクエストして頂くと図書館にもそなえていただけます。
そんな風にして少しずつでもひろがっていけば良いと思っています。




スモンの被害者に会いに行きます。

2006年05月22日 | 医療、薬害、
今日はこれから薬害スモンの被害者である友人に会いに行きます。
彼女は若い時にスモンになって、全盲で車椅子の生活をしているひとです。

わたしの本「この命、つむぎつづけて」を読みたいけど、彼女には読む事ができないので先日ボランティアの方々にたのんで、テープに入れて頂きました。
それを今日やっと持っていく事ができます。
彼女が喜んでくれると良いと思います。

読んで下さったボランティアの方々は東京YWCAの翻訳ボランティアのかたがたです。すばらしい事をやって頂いて心から感謝しています。このブログを読んだ方の中にテープを欲しい方や、テープを聴きたい盲人をご存じでしたらおっしゃって頂ければテープを送る事ができますのでご連絡ください。

彼女の大変だった人生の話を聞かせてもらいたいと話してあるので、今日から少しずつ話を聞いていこうと思っています。それでは行ってきます。

人間関係とおちこみ

2006年05月18日 | つれづれ

わたしは人間関係で悩むのが一番弱いです。
前は自分の心の持ちようで、落ち込まないでいられると思っていたんですけど、(本にもそう書いてしまった)一月ほど前にいろいろあって落ち込みました。

その時はじめて自分の意志では、そこから脱出出来ない経験をしました。今気がついたのですが、ブログの更新も一ヶ月しませんでしたね。これも、忙しいからと思っていましたが、今思えばそれだったんだ。

鍼の先生にいつも通っているのでその先生と話したり、治療してもらったりして、気がついて、良くなったようです。

その先生が言うにはやはり母が亡くなった事、そのあと二ヶ月おきに叔父と叔母をなくして、そういう事が積み重なって出た症状だろうと言う事でした。きっかけは他の人間関係のことだったのであまりそんなふうには思わなかったのですが、やはりもっとも身近な実母を亡くす事は大きな事だったのですね。

心理学関係の本を読むと、母をなくすというのはつれあいをなくす事のつぎにストレスが大きい事のようですね。
連れあいを亡くすと3年間は立ち上がれなくてあたりまえ。
母をなくしても一年は精神的に強いストレスがかかると確か書いてあったと思います。


人間てけっこう弱いものだったのですね。自覚しないと
いけませんね。

鍼治療は精神面も治してくれるんですよ。ありがたいです。

わたしは外面は強そうに見えるのですが、人との摩擦には全く弱くて、だれかとうまくいかない事について考えるだけで胸がどきどきしたりしました。 いまも思い出すと、そういう感じです。

私の本「この命、つむぎつづけて」を読んでどうしてこんなに明るいのと言ってくださる方もいますが、こんな一面もあります。


まあ自分でも、新発見だったのですからこれからはもっと謙虚になろうと思います。


それにしても旅行に行くというのは私にとってはとても精神衛生上良い事です。今回も紀州の空で元気になりました。これからも遊んで治そうと思います。

こんな風に書いたからと言って、ぜんぜんひどいものではないんですよ。普通に人ともつきあっていたし、すこし外に出なかった位で。
だからご心配なく。たいていの友達はわたしが変だとは思わなかったと思います。ただ私にとってはじめての経験だったと言う事なのです。

なんでも新しい経験は後になれば、良かったと思うようになるでしょう。


母の半年目の命日

2006年05月17日 | 私の本

今日17日は、母が亡くなってちょうど6ヵ月目にあたります。
そういうのを何というのかわかりませんが、これからお墓参りに行ってこようと思います

そう思った所で、雨が降ってきました。
涙雨でしょうか。
母が良く歌っていたうたは、まだ涙が出て歌えませんが、こころのなかで
「一緒に歌おうね、おかあさん」と言っています。

高野山の塔の水煙です。周りに茂っているのはたぶん「槙」という木です。
高野山ではこの槙という木をお供えするのだそうです。道のあちこちに槙の苗木や、切ったものを売っていました。

 

さて、はなしは変わりますが、amazonの本の通販「この命、つむぎつづけて」のところを見ると、私の本を買って下さっている方が
まだいらっしゃるのだという事がわかります。
amazonのランキングという数字が日々変化しているのです、一時は20万番に近かったものが
昨日は6万番台でした。
こういうのって本当にうれしい事です。

さてそろそろ出かけましょう。


高野山と熊野三大社へ行ってきた。

2006年05月15日 | 

連休後、洗面所やお風呂場を改修したりして忙しく、報告も遅れてしまいましたが、
五月の連休の後半4日から7日まで和歌山県へ行って来ました。


一日目は大阪まで新幹線で行って南海電車で高野山へ行こうと思ったのですが、南海電車はその一つ前の駅までしか行かないのです。なんと高野山はケーブルカーにのって高い所(1000メートル)まで行かないとならなかったのです。
さすがに連休の真っ最中で混んでいる事混んでいる事。南海電車にははじめて乗ったのですが、箱根の登山電車のような感じのちいさな電車でした。


やっとケーブルカーにのって上までついた所で予約してあったレンタカーを借りて走り始めました。


高野山では1000年以上も前からあるという宿坊にとまり、昨年亡くなった母の回向をしてもらい安心しました。母の葬儀の時に坊さん関係でいろいろいやな事があったので、ここはどうかと思ったのですが、空海の作った高野山の真言宗は、大変寛大な宗派で、仏教の宗派も問わず、キリスト教であろうと、神道であろうと、その人の成仏を祈って下さると言う事でした。


高野山は不思議なようなところで、1000メートルもケーブルカーであがった所なのに、そこにひろい平地があり、たくさんのお寺と宿坊と、その門前町があるのです。さすが連休だけあって、その一キロほどの門前が大渋滞でしたが。


金剛峰寺ではちょうど「結縁潅頂」(けちえんかんじょう)という密教の儀式をやっていて、わたしも参加させて頂きました。暗い金堂のなかで目隠しをされて仏様に会いにいくという儀式なのですが、そのなかであったことはけっして口外してはなりませんと、釘を刺されたので、秘密にしておきましょう。とにかくすてきな体験でした。


次は熊野の山の中を車でドライブして熊野三大権現をめざして、まずは熊野本宮大社ちかくの湯の峰温泉というこれも1000年前からあるという小さな温泉宿へ。夫がテレビでみてぜひここへとまりたいというので行ってみたのですがとにかく100メートルしかない温泉場で、川の中に温泉があるというひなびた所。


温泉のにおいが充ち満ちていて、宿の食事もすべて温泉水で料理されているというものでした。温泉もはいるとすぐにつるつるになるし、お食事も美味しかったのですが、あまりに温泉のにおいがきつくて、わたしは1日二食たべればもう胃腸が精一杯という所でした。


そしてここでは熊野本宮大社にお参りし、つぎは新宮と呼ばれる熊野速玉大社へ、先年、世田谷美術館でやっていた吉野高野熊野の展覧会ですばらしいお像があったのでそれが見たくて行ったのですが、それは奥深くしまわれていて特別な展示でもなければみせてはいただけないそうでした。残念。


そこで宝物館に入ると、なんともったいなや。数々の西暦1300年頃のお道具がほとんど「国宝」と書いてあるのですがこんな風に置いておいていいのかしらというようにむぞうさに、そのへん中にごろごろと置いてあるではありませんか。


ガラスの箱には入っているのですが、首をかしげるようなただの白い布の上に、ぽんと置いてあるだけと言う感じでこれまた別の意味で感動してしまいました。たぶん大社にしてみればそれほどすごいものとも思っていなくて、よほどたくさんあるのでしょうね。


これが速玉大社の入り口。日本の神社はほんとうに簡素なものだなと思いました。社殿もうつくしいのですが、目をおどろかすような大きなものでもなく。しんとしずまりかえった良い所でした。


最後に行ったのが那智の滝と、那智大社です。この滝は日本一大きいという事で、さすがだなと思いました。高い高い所からみずが落ちてきます。水量があまり多くない為か、風が吹くと滝があおられて左右に曲がるのが面白かったです。残念だった事はすばらしい滝のところで神社や、記念写真を撮る写真屋さんがマイクを使って大きな音で宣伝を呼びかけていた事。これでいっぺんにがっかりしてしまいます。観光地は気をつけて欲しいです。


那智大社は那智の滝よりずっとたかいところにあってこの石段を登って行きます。この衣装をきた女性たちは、平安時代の衣装をかりて熊野古道を歩くという事をやっている人たち、貸衣装をかりて歩きます。みんなに写真を一緒にとってといわれて楽しそうに歩いていました。


わたしは足が痛くて、熊野古道を歩くのは遠慮しましたが、高野山から那智の滝まで楽しい旅でした。


やっと連休の旅の話しをアップ出来てホットしました。友達からは元気なの?としんぱいしたメールもいただいていました。まだこれからも家の修理があるから大変そうです。


そのうえ綾の会の準備もしなくては。きょうはやっと招待状を印刷に出しました。今週中にはできるようです。