この命、つむぎつづけて

「この命、つむぎつづけて」という本を出版しました。スモン薬害被害者で、障害者です。スモン、絵、旅の事などつづります。

こんな時ですが「トライアングル展」を開催します。

2011年04月03日 | Weblog

  

(絵は上から 小早川千衣、金子和子、田中百合子) 

                            

 

こんな時ですが、
新しく「トライアングル」というグループ展を3人で始めることになりました。
一年以上前から予約もして、お金も払い込んであるので
今更ひくことは出来ず、被災していない人が普通に消費行動をとることが
結局はみんなのためになると言うことを信じて
開催しようと思っています。

三人のうち一人は石巻の出身でご家族が被災していて、

いろいろと荷物などを調達しておくっていますが、

また一方 、頑張って、展覧会を開こうと絵を描いています。

4月25日月曜日13時開始~5月1日16時終了
両日以外は11時~18時までです。

場所は銀座、新橋からも近い月光荘画材店の画室2と言うところです。
中央区銀座8-7-18
電話03-3573-5605(会期中のみ・直通)

おいでになれるかたはぜひ期間中においで下さい。
わたしは
4/25 4/27 4/29 5/1 一日おきに四日間会場におります。

 

 

地図がうまくJPGにならないので写真で代用しました。ぼけていてすみません。



 

庭と乾燥と花

2011年02月02日 | つれづれ

今年の室内のシクラメンは大成功!

 

 

いつもなら外に出しておいて大丈夫な冬の花、
ガーデンシクラメンや、ジュリアンなどが
今年の寒さに、ついに弱って次の花が全く咲かないという事態になり、
秋に株分けしたラン?(シンビジューム?)も葉っぱが黄色くなってきて
しまいました。

ガーデンシクラメンの白と赤 あんまり元気がありません。

 


部屋に入れたらやっとつぼみが開き始めたジュリアン。

 


家の中には、家の中用のシクラメンがあって
これはもう見事に咲いているのですが
そのおとなりに入れてやりました。

そうしたら、やっと元気をとりもどして
咲き始めました。良かった。今年は寒すぎるのですね。

シンビジュームも家の中に入れて、一度水をたっぷりやりましたが、
これはどうなるかわかりません。

玄関の外に置いてある葉ボタン、パンジーは鉢が昔の火鉢なので
おもすぎて動かせません。
もともと東側のうえに塀やおとなりの影があって冬はとくに
ほとんど直射日光はあたりませんが
いつもなら、そこそこ持ってくれるのですが
おとといついに、土が凍ってしまっていました。
それでパンジーも元気が無くて首を垂れてしまい、
しかたがないのでビニール袋を夜はかぶせてやっていますが
どうなるでしょうか。

これから二月は天気予報ではすこし暖かいとのことですが
世田谷あたりでも天気予報の最低気温より二度ぐらい低い
ときが多いので、はたして外でパンジーが咲き続けてくれるでしょうか。
心配です。

雨が降らないので庭の植木もなんだか、かさかさしてきて
葉っぱも赤茶けています。大丈夫かなあ。
たまに庭の植木にも水をやったりしていますが。
真夏も植木に水をやりましたが、
また冬も水をやらないといけないようです。

シャクナゲのつぼみの付いた小さな鉢
(ビニールの小さな鉢に入っている)を、三つ、
懸賞か何かであたっていただいたのですが、
この寒さにどうしてやったらいいのかわからず困っています。
説明書には東向きの外に置いて午前中の日をあてて
水は数日おき、春になったら植え替えると書いてあったと
思うのですが、心配です。
部屋に入れて、急につぼみが咲いてしまうのも良くない気がして。

シャクナゲは大好きなので庭に植えて
長く楽しみたいと思うのですが。

沖縄ハイビスリゾートに行ってきました!

2010年11月24日 | 


沖縄北部にある今帰仁村というところに、私の弟がハイビスリゾートという
カフェとペンションを今年の二月に開いたのです。


http://www.hibis-resort.com/top.html


左側の二階がカフェとテラスで、奥の右側が四部屋のペンション(ベッド&ブレックファスト)です。


弟とその奥さんが数人のかたの助けを受けながら基本的に二人で経営しています。


遠い沖縄に住むのは一大決心だったと思いますが、その決心を貫き通した弟夫妻に拍手!!


5月には家族一同6人で出かけ、今月は友人たちと四人で行きました。


近くには有名な「美ら海水族館」があり、感激感激



60年代のプレスリーから始まってビートルズなど、当時夢中になって聞いた音楽をいつも流して


屋外のテラス席もたくさんある素敵なカフェです。

テラスに出るとすばらしい渓谷が眺望されて沖縄には珍しい景色です。


近くには今帰仁城跡があって、古い石垣が何とも言えない素敵な景観です。



ここではピッツアとパスタがとてもおいしくて、沖縄の北部には
こんなおいしいピッツアを食べさせるところは少ないと思われます。


一緒に行った三人の友達もマスターである弟が教えてくれるいろいろな場所に行ってみて
あらためて沖縄の北部の魅力を感じたようです。


夕食は出ませんが、近くのおいしいレストランをいろいろ紹介してくれて


それがまた、おいしいところばかりです。


1. その近くでとれるおいしい「アグー豚」のお店。


2.沖縄固有のいかにも沖縄らしい定食をだしてくれるお店
そこには沖縄そば、ゴーヤチャンプルー、豚足を似たテビチ定食、沖縄風味噌汁 
おいしかった!その上安い!

3.お寿司など魚系のものをだしてくれる名護のこぎれいなお店。
ここで一番おいしかったのが「焼きウニ丼」
なんともかんとも、数年前に山口県で食べたウニ丼と双璧のおいしさでした。


この小さなペンションは、普通のツインのお部屋が二部屋と
後の二部屋はロフト付きのお部屋なのです。

ロフトは、広くて、もちろん立って歩けますし、二つのベッドの他に
もう一つベッドを増やせるようになっています。
そして、ロフトの下の部屋にはソファーベッドがあり
そこもベッドメイクして貰って泊まれるのです。

ですから大人が四人でも一部屋に泊まれるし、子供連れの
家族も充分とまれるようになっているのです。


小さなホテルやペンションではトイレとお風呂が一緒になっているところも
多いのですが、ここはトイレとお風呂がちゃんと別々になっています。
それはとっても良い感じでした。

なによりも、マスター夫妻が親切であたたかく、みなに接して
食べるお店、行く観光地などを教えてくれるのが素晴らしいところで


兄弟と言っても大人になってからの男と女の兄弟は
あまりつきあいが深くないところがあるのですが、
こんなに楽しい弟とのおしゃべりも久しぶりな感じで、感動的でした。


沖縄の野菜が毎朝の食事に出るので
友人たちとこれは何?これは?ときいていましたところ、


帰りに名護のJA(農協)で買っていくと良いよと
教えてくれて、たくさん買い込んで買ってきました。


海ぶどう、シークワーサー、ドラゴンフルーツ、スターフルーツ、そのほかにも
みんな買い込んできてそのJAから自宅に宅急便で送ってもらえるのです。


友人たちも喜んで買い込んでいました。


嗚呼、楽しかった。


皆さんも良かったらぜひどうぞ!!


 


 


明治大学 「水俣展」

2010年09月19日 | 医療、薬害、
きのう、明治大学に行って(駿河台)
水俣展を見て来ました。

前に水俣展を見に行ったのは10年か20年前のことでした。

たしかそのときは、私が水俣の皆さんの前で
薬害スモンについて、お話させていただきました。

今年は、私の友人が明治大学の教授で
水俣展の実行委員会にも入っていて、誘って下さったので
喜んで行きました。

水俣の被害者の皆さんが、大手町のチッソのまえで座り込んでいるとき
私たちスモンの被害者も自分たちの裁判をたたかっており
そのテントをおとずれて、交流したことを思い出していました。

展示してあるうちでも、写真があまりにも心を揺さぶるもので、
たくさんの死亡者の写真の前では、涙が出て、
手をあわせて祈ることしか出来ませんでした。

同じ時代に、社会の中で被害を受け
闘ってきた人々とは、目に見えないところでつながっていたことを
発見しました。

水俣展は、水俣病の被害者がやっているものというわけでなく
支援者たちなどが集まって
あの、未曾有の被害を忘れてはいけないとして
続けられているもののようです。

薬害の被害者としては、うらやましく感じました。

私たち薬害スモン被害者としては、今、計画していることが
あります。
前に出版した「グラフィック・ドキュメント・スモン」の
普及版を出版したいとずっと思っていて、
私の最後のご奉公で、この事業をやりたいと思っています。

久しぶりに水俣展をみて、言い方がおかしいかもしれないけど
心がフレッシュになりました。
本を出すぞという気持ちがはっきりと確認されて私にとって
とても良かったです。

(水俣展は本日四時までです。)

ふぐの毒の話を聞いて考えたこと

2010年08月31日 | 医療、薬害、
ある方の文章を読んで考えたことがあります。 
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その方が見たNHKの番組でふぐの毒の話をしていた。
ふぐの毒はふぐがもともと持っているものでなく海の底の毒を持ったヒトデや貝を食べることによって、それを自分の体内にため込むために毒を持つようになる。

そのような毒を体内に取り込むことによって、自分の免疫力が強くなり、明らかに、長生きする。
人間も、山菜やからし、アクやえぐみのあるものを食べてそれを体内に取り込んで免疫力が強くなるのではないだろうか。

・・・・・・という事だった。
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これを読んでいて、はたと気が付いたのですが。

わたしは、化学物質過敏症ですし、化学物質だけでなく自然の物質でも
色々食べられないものがあるのですが、その意味が解ったような
気がしました。

わさびは食べられるのですが、山菜などのアクのあるもの、
からし、カレーなどの香辛料など、ほとんど食べられません。
コーヒー紅茶、日本茶もほとんど飲めません。

食べると口の中が、はれてぼこぼこになったり、赤くなったり、
胃が痛くなったり、下痢をしたりします。

そう言うむしろ体に良いとも言われている強いちからをもった食べものを取り入れて自分の体のために
転換するというような機能が不足しているのではないかと
思いました。

もちろんそれを取り込むことによって、免疫力を強くすることなど全くなく、下痢、腹痛などで弱ってしまうのです。

強い食べ物を自分の力に転換する機能が不足しているのではないかと思います。

化学物質過敏症としては、臭いのあるもの、歯科材料など口の中に入れるもの、 薬品など、近づくことの出来ないものがたくさんあります。

普通の体力と機能をもった人間だと、自分の中に取り込んで
むしろ役立てられるものを、全く拒否せざるをえないという、現代に生きるのが たいへんな程度の、体力しかないのです。

ふぐの毒をテーマにしたその人のお考えから
自分にとっての毒が、すこし解けたような気がしました。

一番感じるのが酒です。
お酒大好きな夫にとって、適度な酒は、次の日も生きていこうというモチベーションを与える良いもののように見えます。
しかし、私にとっては、酒はごく少量でもあきらかに毒で、体中を緊急事態にしていまうのです。

酒や、牛乳を自分に取り込む酵素が無い人がいるということで、自分はそれだなと思っていたのですが。
それどころでなく、もっともっとたくさんの食品を取り込むだけの能力が自分には備わっていないのでしょう。


23 サンマルコ広場へ

2010年07月31日 | 

サンマルコ広場にでると、警察か軍隊かが行進している、みんな自動小銃をかかげて、日本では見られない行進だ。
今日は何かのナショナルデーだということで大きなサンマルコ広場が人でいっぱいだった。


なんだか分からなくても、異国情緒で見てしまうのが、旅というものだろうか。


ひとしきり見物すると、インフォメーションまで海岸沿いをあるいて、ヴァポレットという水上バスに乗り放題の切符を買いに行った。


三日券で imob venezia というチケットだ。いくらだったか忘れてしまった。それと教会カードというカード加盟教会は行き放題というチケットで9ユーロのを買った。


10年も前にイタリアに来たときはイタリア語しか話さない人が多かったと思うのだけれど、このインフォメーションにいるイタリア人の若い人は、英語もドイツ語もフランス語も話すし、それらの言葉を縦横に使いこなしている。そのうえ、ひとりひとりに親切で、感心してしまった。


まずは買ったばかりのヴァポレットの券を使ってみようと1番の船に乗る。ここでも杖をついている私を見るとみんな親切に揺れる船で席をゆずってくれる。ありがたく座らせていただく。


ヴァポレットを乗り継いでいった教会のあたりで絵を描こうと思ったけれどあつくて暑くて日向でかいてはいられない。


あまり強い日差しにとにかく目が開いていられない。しかたなく橋の上から写真を撮って撤退。


あたりの細道に入って、あちこちのEちゃんと歩いてみる。どこにもつながらない路地が、あちらこちらへとのびている。そっと入ってみるが、すぐに行き止まりになる道ばかりだ。


運河から橋をわたって、人のうちの前を通っていくと、また運河に突き当たる。
そこは、橋もない突き当たりで、日だまりと、猫が寝ているだけだった。


この写真に至っては、向こう側にあいている穴をとおると向こうには又運河。


手前もまた運河。


その穴は人のうちの中をうがっている。


ヴェネツィアのひとたちは小さな土地を私有することでなくお互いに使い合いながら生きてきたのかなと、詠嘆する。
洗濯物も道の上にあるひもにかけるのだろう。


ぶらぶらして海岸沿いの道へでて、そこを歩くが、午後3時ごろの遮熱はすごい、途中で友人はぼうっとして熱射病のような症状を示す。早く日陰に入りたいがまったく日陰がない。やっと次の寺院に着く。そこはさすがに石の家の中に入るので、日陰はひんやりしている。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


北山修コンサート

2010年07月31日 | つれづれ
北山修のコンサートをNHKのBSでやっていた。

偶然見たんだけど、かれが九州大学の先生をやっていて

ことし3月退官したので、その記念コンサートだった。

私も大学生の時フォークソングを歌っていた。
男性二人と私でPPMのうたのコピーが多かった。

へたくそだったけど、面白かった。

まだ薬害スモンにもなっていなくて元気だった頃。

北山はあまり歌わなくて、坂崎誠之介?(アルフィーのメンバー
フォークソングおたく)が主に歌ったり、杉田次郎がゲストが来て歌ったりしていた。

懐かしい音楽ばかりで、聞いているだけで涙がにじんでくる。

歌っている本人たちが笑っているのに
見ているわたしが涙ぐむ。

あの時代は楽しかったな。

 

 

 

戦争を知らない子供たち

イムジン河

悲しくてやりきれない

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時代の唄です。


 

22  フィレンツェからヴェネツィアへ  2009

2010年06月03日 | 


ついに10日近く滞在したフィレンツィエとお別れして、初めてのヴェネツィアに行く日が来た。フィレンツェの駅までパトリツィアが車でおくってくれて、両方のほっぺにチュッチュッとヨーロッパ風のご挨拶をしてお別れした。彼女が手作りしたパンやお菓子を持たせてくれ、別れに慣れているのか、それとも別れでしんみりするのがいやだったのか、彼女はさっときびすを返して、歩いて行った。


列車に乗るときにいつも困るのが、重い荷物を三段ほど上のフロアに載せなければならないこと。日本のプラットホームと、イタリアとの違いは、プラットホームが低いところにあって列車の乗り口が高いのがイタリア、ホームがすでに高くしてあって、電車とホームがあまり段差がないのが日本だ。わたしは、いつものように荷物を持ち上げてくださりそうな人をさがしていたが、良さそうな人がいたので「すみませんが、荷物を上に載せていただけますか」とお願いすると、快く乗せてくれた。ここはローマのように有料の赤帽がいるわけではなかった。


列車に座るとき日本だと二人は横にならんで席をとるが、ヨーロッパは、たとえば窓際に向き合った席を取ってくれる。この日もそうだった。横に座ったのは、若い男性のグループ。少し話してみるとイタリア出身のカナダ人だと言う。両親がイタリアの南の方Baliの近くにあるMateraというところの出身で、家が貧しく、母は16歳で国を出てカナダに渡り、父も22歳で国をでたそうだ。


帰ってからテレビでちょうどマテラについての番組があったが、昔はサッシという洞窟住居に大勢が住んでいたところらしい。家畜も一緒に、トイレも風呂も水もないところでものすごく貧しかったようである。疫病もはやり、その洞窟住居から人々がいなくなっていたが、世界遺産に登録されたことをきっかけに内部をお金をかけて直して芸術家やお金持ちがまた住み始めたそうだ。多分彼らの両親が移民した頃がもっとも貧しい時代で、戦争には負け経済的にもどうしようもない頃にカナダに移民として渡った両親だったのだろう。


今はマテラにおじさんがいて、そこを見てからイタリアを旅していると言っていた。息子たちが観光に来られるぐらいになって良かったと思った。



イタリアに来てほとんど雨が降らなかったのだが、この日は少し肌寒く、時々雨が降っていた。上写真のような田園地帯を通っていると突然橋にかかり、まどから下のような水上の建物が忽然として見えてくる。
これから一週間弱のヴェネツィア滞在は本当に不思議の国を旅するようだった。


いよいよヴェネツィアにつき降車するときには、さっきのカナダ人の若者に頼んで荷物を降ろして貰った。そして駅から港まではまた10段ほどの階段があった。割合緩い階段だったので、これぐらいなら荷物を下ろせるかと思ってよいしょとばかり2~3段降ろそうとすると立派なカメラを沢山持った男性が飛んできてくれて、さっさと降ろしてくれた。


ありがとう!この旅でどんなに沢山の人に重い荷物を運んで貰っただろう。こちらが、お願いすればもちろんのこと、向こうから助けてくれたことも多々あった。ありがとう!!


そして、初めてのヴェネツィアで、水上タクシーをチャーターして贅沢に二人で乗った。きれいで大きな、10人ほども乗れそうなモーターボートで、ホテルの名前を言うと60ユーロ(8000円ぐらい)だという、まあとにかくはじめは、このあたりの事がなんにも分からないから乗ってみよう。


凄いスピードでぶっ飛ばすボートは開放感があった。サンマルコの駅から次々と建物を見ながらいくのは爽快だった。



ところが、このボート、ホテルの前の船着き場まで行ってくれると思いきや、あそこがホテルだからと少し前の船着き場で降ろされてしまった。やはりお上りさんと、馬鹿にされたらしい。


普通なら荷物をひっぱって、がらがら行けばいいのだが、ここはヴェネツィア、途中に一本橋を渡らなければならない。ちいさな橋だが船を通せるようにここの橋はすべて真ん中が高くなってる階段のある橋だからまたまた私にとっては壁がたちふさがっているのである。


すると、日本語の上手な男性が自分から荷物を持ってくれて、また橋を渡ることができた。何度もどこかの国の若い青年に荷物を持ってもらえて、嬉しかった。この日はやっとホテルについてゆっくり出来た。


 親切な観光客、不親切な地元の人、・・・・・まっ、いろいろだね。


21 再開  フィレンツェから小さな旅 プラトーへ・・・2   2009

2010年05月19日 | 


プラトーで食事したのはとても古く50年はやっているという噴水の横のレストラン。


友達と二人でラザーニャとリゾをたのんで、分け合ってたべた。高い天井があったが、外に開けてあるレストランだったので風が吹いて気持ちが良かった。ゆっくり休んで3時からのドーモに行ってみた。



フィリッポ・リッピの描いた宗教画がたくさんあった。彼の絵はすばらしい。



こんな小さな街のドゥオーモにもこんなに美しい絵がある。イタリアの底の深さ、文化の広がりを感じる。


暑い暑い35度以上もあると思われる街をあちらこちらと、街の人々がシエステをしているのに、休みもせずに開ききった皮膚から古い文化を吸い込みながら歩き回った。


歩いているうちにフィレンツィエの町中よりも安いものが売っているのを見つけて喜んで自分や家族のおみやげにしたり、混んだローマやフィレンツィエとちがったお店もあって楽しむことができる。


そのうちに疲れて足を引きずるようになった。仕方なくまた電車に乗って Frenze Rifredi  にもどった。駅に降り立ってみてどこかにタクシーはいないかと、あちこち見て回ったが何処にもいない。どこかからタクシーを呼べないかと少し歩いてみたがやはり解らなかった。このあたりが、イタリア語を少しかじったぐらいでは複雑なことの表現ができない悲しさである。


仕方が無いので足を引きずって歩いて歩いて、家まで戻った。こんな事ならはじめからフィレンツェまで帰ってタクシーに乗るのだった。


家に帰ってその話をするとPatoriziaは電話をすれば迎えに行ってあげるのにと言ってくれた、しかし時すでに遅し。足をさすりさすり湿布薬を貼りまくった一夜だった。


20 再開  フィレンツェから小さな旅 プラトーへ 2009

2010年05月19日 | 

イタリア旅行記が中断してから半年以上もたってしまいました。ごめんなさい。


実はイタリアにいたとき細かい字で一生懸命書いていた小さなノートが二冊、どこかに見えなくなってしまっていたのです。ごちゃごちゃした机の周りや本棚をさがしたのですが、どこかに見えなくなっていました。まるでノートが自分から隠れてしまったように。


それが、何回も探した机の引き出しの奥から数日前に出てきてくれたのです。わっよかったぁ。


どこかへ旅行したりしたときいつもスケッチブックと絵の具一式それと小さなノートをいつも持って歩いています、そのノートがどこかに隠れていたものが出てきたのですから本当にうれしくて、また、もう少しのあいだ、ちょうど一年前のオハナシですが最後まで続けようと思います。よかったらみてくださいね。


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Firenze Rifrediの次の駅Firenze Castello


フィレンツェから電車ですぐのところに”PRATO・プラトー”という小さな小さな古い街がある。前の晩からPatriziaに地図を貸して貰って場所を研究して、そこへ行くには今いる家から20分ほど歩いたところにある小さな駅ーFIRENZE RIFREDIーから電車にのればすぐだろうと言うことになった。いつものようにフィレンツェの駅までバスに乗ってそこから電車に乗ってももちろん良かったのですが、地図を見ていたらなんだか気持ちが良くなって歩くことにしてしまった。あとで私は後悔することになるのだが、朝はまだ足が痛くなっていなかったのだから仕方が無い。


歩き出すとしばらくして、あっこれは遠いかもしれないと、すぐ後悔したが、日本みたいに流しのタクシーがあるわけでなく仕方なく杖をついて25分ばかりもあるいて、やっと駅に着いた。


とてもきれいなイタリアの近距離電車


 


青い空 プラトーの駅 まるで真夏のようです。


11時頃、プラトーについて街を歩き始める。ここには大きな城とドゥオーモがある。まずお城に入ってみよう。


あまり大きな城ではないが存在感のあるステキなお城だった。お城と言っても多分ここは人の住む場所でなく敵が攻めてきたときここに立てこもって戦うところだったのではないか。ここの上に上がって教会の絵を描いた。暑くて暑くてたまらなかった。


プラトーの小さな教会


一時になると、係の人が城じゅうをまわって、一時でクローズになるからと言う。しかたなくそこを出て食事するところをさがしたが入ったレストランも昼休みだと断られ、次に行ったレストランでやっと食事にありつくことが出来た。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続くーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 


チョコラ! 見て来ました。

2010年04月25日 | つれづれ
昨晩

チョコラ!みてきました。

アフリカの東にあるケニヤの中都市に
日本人女性が、たったひとりで孤児や、ストリートチルドレンの
世話をしている。

(モヨ・チルドレン・センター松下照美さん)

その女性のやっていること、街にたむろするチルドレンを
映しています。

小林監督はいままで、障害者や、新潟水俣病、スモンなどを
撮る中で結論を言うことでなく、
ともに生きていく、よりそっていくという
姿勢で歩いて行きます。

自身が腎不全で透析寸前で血尿がでるような中で
子供たちを追いかけています。

アフリカへ行くというかれの話を聞いたとき
生きて帰って来てよと言ったことを思い出します。

(現在は透析、体調は安定していると言っていました。) 

良い映画ですよ。

映画チョコラ公式サイト
http://<WBR>www.cho<WBR>kora.jp


岩波ブックレット
チョコラ!アフリカの路上に生きる子どもたち
小林茂著 (700円)

これも出版されています。
アマゾンなどで販売中。

映画チョコラ 上映

2010年04月20日 | つれづれ
日にちが無いのですが、お知らせです。

2010年4月24日土曜日

東京下高井戸シネマ tel03-3328-1008 において
21:00からの一回限りですが

「グラフィックドキュメントスモン」という私たちが作った薬害スモンに関する本の
写真を担当して下さった、小林茂さんという人の
作った映画「チョコラ!」が上映されます。

映画チョコラ公式サイト
http://<WBR>www.cho<WBR>kora.jp

小林監督がアフリカのケニアまで行って撮影した、ケニアのストリートにいる子供のドキュメンタリーです。


小林監督はこれまで数々のドキュメンタリーで大きな賞を取っています。
わたしも行こうと思っていますが、
もし、チャンスがある方がおられましたら、行ってみてください。

上映前20:45から小林監督の舞台挨拶があります。


お寺のしだれ桜

2010年03月28日 | つれづれ


父の命日が近いので、


府中の東郷寺というお寺にお墓参りに行ってきました。
このお寺は、山門前の5本か6本の大きくて古いしだれ桜が名物で、とても素晴らしいのです。


ソメイヨシノよりもいつも盛りが早いので、少し早めに行きました。
ちょうど八分咲きというところでしょうか、良いところに会いました。

夫がお墓をたわしでこすってきれいにしてくれて
父母も喜んでいたでしょう。


我が家の周りにもソメイヨシノはたくさんあるのですが、まだ三分咲きぐらいです。


でも不思議なことに、毎年、一、二本だけ早く咲く桜があるのです。
今年もその二本は満開です。場所にもよるのでしょうか、毎年同じ桜だけが気が早いのです。 



パソコンの本体を移動した。

2010年03月24日 | つれづれ
エルマクリーンというアースをして電磁派を軽減するという機械をつかって

アースをしたが、まだチクチクがあって、磁場は残るということを知った。

 

残った磁場を減らすためにはパソコンを遠くへ持って行くのが一番だというわけで、

 

昨日いろいろな、アタッチメントや、延長ケーブルなどを買ってきて
今日、やっとこさ、パソコンの本体を移動しました。

モニタのケーブルは延長用のものがなく、最長3メートルだったので
他のケーブルはもっと余裕があったのですが(さがせばもっと長いのがあるのでしょうか、それとも延長ケーブルが?)
結局3メートルはなして、置きました。

電磁派は、エルマクリーンをつけてあるので電場は極小になっているはずで(検知器を近づけてもほとんど感じない)

あとは、エルマクリーンでは除去できないという磁場がはたして
どんな影響を与えるかというところです。

いま、パソコンを使い始めたばかりですが、すでに足のふくらはぎあたりが、ちくちくちりちりしているので
あまり効き目はないかもしれませんが。

まあ、少しずつでも使っている時間をのばせたらと思って
やってみてます。

うまくいくといいなあ。

 

化学物質過敏症や、電磁派過敏症というものは、本人にもわからないヘンな病気で、

世の中になかなか認められなかったというのもわかるような気もする。

 

自分でも具合がわるくなったときに、これは何が原因だろうかと考えるが、

たとえば食べ過ぎたから胃の具合がわるくなるということとはまったく違って、

自分にもわからないような、微量のなにかが、この頭痛に関係しているのかもしれないというときが

あって、よく解らない。

 


病気にも経験というものが必要で、いろいろ病んでいるうちに
あ、これはあれが原因だろうなと解ったりすることがある。

 

私にとっては、スモンや、下痢はたいていのことは
経験してわかっていたりすると思っていたが、
化学物質過敏や電磁派過敏までも、私の人生に参加してくると
いったい何が原因でこの症状が起きているのかを
見極めるのがとても難しい。


 

電磁波が減った?

2010年03月19日 | 医療、薬害、
パソコンの前に座ってしばらくすると、
腕や、足がちくちくして、血がとどこおったようになり、
耐え難い感じがしていた。

これが電磁波過敏症だと思っていたが。

今回、冷蔵庫、電子レンジ、などはよく見ると近いところに
アース付きのコンセントがあって、それをアースしてもらい、

テレビと、パソコンはエルマクリーンという電磁波除外装置を
つけてもらった。

いま一時間ほどパソコンをやっていたけれど
つい今になってすこしちりちりチクチクが出てきた。
どうして、まだちくちくするのかな?

検知器でさぐるとパソコンに
検知器をくっつけた瞬間だけチリっというけれど
あとは、全く鳴らない。木の机にさわってもちりっとは言うので
これは電磁波を検出したわけでは無いと思う。

電場はなくせるが磁場はなくせない器具だというので
磁場が悪さをしているのかしら、よく分からない。

まあ、少しは良くなっているので、改良をめざそう。