先のブログ『トヨタ学園卒業式/各社報道を受けて/TPM活動が品質管理を悪化させる』で、トヨタの卒業式の話から急展開してTPM活動と品質管理問題まで話を進めてしまったが、このブログを見た友人から再度のメールを受けた。
メールの内容は、『宇部興産関連会社で品質検査不正問題発生』『1990年代から不正が続いていた』『内部統制の脆弱性があり、倫理観が非常に不十分だったと謝罪』との同業として悲しい報道があり、小生が先般メモった『TPMが品質管理を悪化させる』という事は否めない事実であるとの事。
『製造業としてTPM活動が品質保証をダメにする』と言っても過言ではなく、この点不祥事の発生原因を何であるかをもっと掘り下げる事が喫緊の課題であるのでは・・との事であった。
友人曰く、今大手企業を中心にTPM活動を取り入れており、外部へトップダウン管理をアピールする場合、ISO認証と同様にTPMやBCPなど、時代をとらえた言葉として好適な看板であり、管理手法そのものは使いこなせれば十分機能は果たしているとは思うが、一方で、TPMは昔のTQC活動と異なり、トップ配下の事務局がこの活動を推進し、『ロスゼロ』を掲げたスケジュールを厳格に管理する事が活動方法であるため、TQCの時代の様な、従業員自らのボトムアップで意識を上げた活動とはなっておらず、色々な表面上の対策だけで数値を追った結果となり、個々人の知恵が生かされ、意識として醸成されるかが疑問との事である。
これが今回の様な『品質保証の低下を引き起こしている』事の一つの要因と言えるとの事。
小生のTPM活動についての知識は、研究部門から営業へ転出したあとに導入された手法であったため、活動の起こりなどの詳細は知りえていなかったので、アドバイスを基にHPなどをもう一度調べてみた。
結果、この活動を日本でスタートさせたのはデンソーであり、さらに発展させたのがアイシンとの事で、TPM活動の背景には、活動を通じての人材育成と、トヨタ方式の生産方式(TQM)を成長させる目的があるようである。このためか、トヨタはTPMと言う言葉を使っていないのかもしれないが、トヨタの品質管理の原点である『人が物を作る』という事でのマネジメントの質的向上。このキーである『暗黙知しない取り組み』が根底であることは間違いなく、TPMでよく言われる『見える化』という言葉もここからかと思われる。
さらにTPMでの品質の捉え方は『品質保全』が中心であり、この前提には『品質保証は出来てあたりまえ』『このための品質管理』があり、TPM活動へ『品質』を落とし込む場合、この品質保証する体制とは両輪、もしくは上位概念で考えていないと、今回の様な安易な品質に対する『隠そうとする』する考え方、『ゼロ化』意識が働いたのではないかとも思われる。
このあたりが組織スリム化や、部門統合、ここからくる余力の欠落が課題なのかもしれない。
宇部興産の問題も90年代からとの事であるが、ボトムアップ型TQC活動が一段落し、その後のバブル。この崩壊があり、この当時スタートのTPMや、1990頃から導入されたISOでの、どちらか言うとトップダウンでの管理となって来たこともあり、どこでこの自らが考えるという管理体制が破綻したのかも、時系列で検証していく必要があるのではとも考えさせられた。
トヨタ流の品質管理手法(TQM))でよく出てくる、異常品を次の行程へ流さないための『品質は工程で作り込む』と言う意識を表す言葉があるが、これらを推し進めるための物を的確に見る目を養う事や、科学的アプローチも必要であるが、品質試験で得られたデーターが捏造されるようであれば、TPMでいくら品質保全を行っても無意味となってしまう。
友人からのメールの言葉『製造業/TPM活動が品質保証をダメにする』をそのままタイトルとして記したが、TPMでの目標管理で、トップへコミットしたことに対し『ロスゼロ達成』だけで忖度してしまうことが一番問題であり、もう一度『品質とは』という事を厳格に考え直す必要があるかと思われる。
品質とは、顧客と単に決められたの管理幅の約束を守るだけでなく、別の面でISO 2015改訂版などでは、品質設計の取り組み方や顧客との約束事項遵守方法、さらにはサービス基準まで言及されて来ており、『品質とは』を今一度考え直すいい時期なのかもしれない。
測定装置の精度や測定機器の変遷で、昔からのデーターが得られなくなったり、経営面での合理化で『ムダ・ムリ』があれば、顧客との話し合いで『品質』も変えていく必要があり、この準備を行う事が真のTPM活動の作業であり、顧客承認を取り付けて初めて成果として現れ、完了になるかと思う。
TPMを急ぐあまり合理化や省略を計る事や、原理原則を逸脱しての改善は、『隠ぺい』を引き起こす可能性が多大にあり、TPM管理を司るトップは、きれいごとだけのTPM管理とならないよう、この管理の意図するところをもう一度理解する必要があるのでは思われる。
2015年年末に日経テクノロジー onlineに
『今、多くの日本企業の品質が落ちています』との記事連載が出ていたが、今一度読みかえしてみたい。
メールの内容は、『宇部興産関連会社で品質検査不正問題発生』『1990年代から不正が続いていた』『内部統制の脆弱性があり、倫理観が非常に不十分だったと謝罪』との同業として悲しい報道があり、小生が先般メモった『TPMが品質管理を悪化させる』という事は否めない事実であるとの事。
『製造業としてTPM活動が品質保証をダメにする』と言っても過言ではなく、この点不祥事の発生原因を何であるかをもっと掘り下げる事が喫緊の課題であるのでは・・との事であった。
友人曰く、今大手企業を中心にTPM活動を取り入れており、外部へトップダウン管理をアピールする場合、ISO認証と同様にTPMやBCPなど、時代をとらえた言葉として好適な看板であり、管理手法そのものは使いこなせれば十分機能は果たしているとは思うが、一方で、TPMは昔のTQC活動と異なり、トップ配下の事務局がこの活動を推進し、『ロスゼロ』を掲げたスケジュールを厳格に管理する事が活動方法であるため、TQCの時代の様な、従業員自らのボトムアップで意識を上げた活動とはなっておらず、色々な表面上の対策だけで数値を追った結果となり、個々人の知恵が生かされ、意識として醸成されるかが疑問との事である。
これが今回の様な『品質保証の低下を引き起こしている』事の一つの要因と言えるとの事。
小生のTPM活動についての知識は、研究部門から営業へ転出したあとに導入された手法であったため、活動の起こりなどの詳細は知りえていなかったので、アドバイスを基にHPなどをもう一度調べてみた。
結果、この活動を日本でスタートさせたのはデンソーであり、さらに発展させたのがアイシンとの事で、TPM活動の背景には、活動を通じての人材育成と、トヨタ方式の生産方式(TQM)を成長させる目的があるようである。このためか、トヨタはTPMと言う言葉を使っていないのかもしれないが、トヨタの品質管理の原点である『人が物を作る』という事でのマネジメントの質的向上。このキーである『暗黙知しない取り組み』が根底であることは間違いなく、TPMでよく言われる『見える化』という言葉もここからかと思われる。
さらにTPMでの品質の捉え方は『品質保全』が中心であり、この前提には『品質保証は出来てあたりまえ』『このための品質管理』があり、TPM活動へ『品質』を落とし込む場合、この品質保証する体制とは両輪、もしくは上位概念で考えていないと、今回の様な安易な品質に対する『隠そうとする』する考え方、『ゼロ化』意識が働いたのではないかとも思われる。
このあたりが組織スリム化や、部門統合、ここからくる余力の欠落が課題なのかもしれない。
宇部興産の問題も90年代からとの事であるが、ボトムアップ型TQC活動が一段落し、その後のバブル。この崩壊があり、この当時スタートのTPMや、1990頃から導入されたISOでの、どちらか言うとトップダウンでの管理となって来たこともあり、どこでこの自らが考えるという管理体制が破綻したのかも、時系列で検証していく必要があるのではとも考えさせられた。
トヨタ流の品質管理手法(TQM))でよく出てくる、異常品を次の行程へ流さないための『品質は工程で作り込む』と言う意識を表す言葉があるが、これらを推し進めるための物を的確に見る目を養う事や、科学的アプローチも必要であるが、品質試験で得られたデーターが捏造されるようであれば、TPMでいくら品質保全を行っても無意味となってしまう。
友人からのメールの言葉『製造業/TPM活動が品質保証をダメにする』をそのままタイトルとして記したが、TPMでの目標管理で、トップへコミットしたことに対し『ロスゼロ達成』だけで忖度してしまうことが一番問題であり、もう一度『品質とは』という事を厳格に考え直す必要があるかと思われる。
品質とは、顧客と単に決められたの管理幅の約束を守るだけでなく、別の面でISO 2015改訂版などでは、品質設計の取り組み方や顧客との約束事項遵守方法、さらにはサービス基準まで言及されて来ており、『品質とは』を今一度考え直すいい時期なのかもしれない。
測定装置の精度や測定機器の変遷で、昔からのデーターが得られなくなったり、経営面での合理化で『ムダ・ムリ』があれば、顧客との話し合いで『品質』も変えていく必要があり、この準備を行う事が真のTPM活動の作業であり、顧客承認を取り付けて初めて成果として現れ、完了になるかと思う。
TPMを急ぐあまり合理化や省略を計る事や、原理原則を逸脱しての改善は、『隠ぺい』を引き起こす可能性が多大にあり、TPM管理を司るトップは、きれいごとだけのTPM管理とならないよう、この管理の意図するところをもう一度理解する必要があるのでは思われる。
2015年年末に日経テクノロジー onlineに
『今、多くの日本企業の品質が落ちています』との記事連載が出ていたが、今一度読みかえしてみたい。
部品図面の加工規定値を超える部品が平気で流れてくるため下流である生産工程で疲弊しております。
中には規格値を超える加工品でも機械的接触をせずに世に流れる実績があるため、即座に対策とならず特採申請をされた部品がロット単位で全て流れてきます。
私が若き日に信じていたmade in Japanはもう無いのだろうと日々感じております。
扱っている製品の加工精度は±0.01程度の加工品なのですが、現場でみると3次元測定の結果の改ざんは当たり前に横行。
サプライヤー部品を扱う検査部門でも公差を外れたもののクリアランス確認を下流の現場に依頼してくる様な酷い状態です。
長々と書き込んでしまいましたが、製造に携わっている人間として悔しい限りですが肥大化した組織を正常化するためには絶対的権限を有した第三者が運営する検査部門を作る方法しか思い浮かびません。
ブログ筆者様は時が流れた今でも品質低下の問題について考えられる時間はありますか?
私は製造職として働く限りあと30年は向き合っていかないといけないのかと考えるとゾッとします。