金原亭駒与志の世界

一天狗連の楽屋

口演録(6): 「間男七両二分」にみる法の地域性

2014年09月16日 00時00分00秒 | 落語市民と法
 噺にもよく出てくる話題に「間男」がありますが、徳川期には、不義密通はご法度で、密通の者は男女ともに死罪、要するに死刑とされていました。

 とはいうものの、この法には裏があり、実際には金でカタをつけることが多かったようです。
 間男のほうから命乞いがあったときには、相手の男に大判1枚の首代を支払えば、どうやら命は助かったらしいン。
 太田南畝が文化年間に出した『金曽木(かなそぎ)』という書物にも、「江戸には姦夫の償を金七両二分といふ。大阪にて五両と云もおかし」とあります。これが「間男七両二分」という言葉の由縁ですね。

 七両二分とは何とも中途半端な金額ですが…。これは、享保年間の当時、大判よりも小判のほうが品位もよかったんで、十両大判一枚を小判に換算すると、小判十枚にはならず、七両二分くらいの価値になってたらしいんですよ。

 江戸で七両二分。上方ではこれよりも安くて五両。この東西の違いが、物価水準によるものなのか、それとも貞操観念の差によるものなのか…は、よく知りません。
 いずれにしても、このように法律のみならず、江戸と大阪では、損害賠償水準みたいなものさえ、地域性がはっきりしていたんですね。

(次回に続く)

口演録(5): 江戸と上方

2014年08月16日 00時00分00秒 | 落語市民と法
 法律は原則的に全国均一ですよね。地域によって適用される法律が異なるのは、たとえばアメリカ合衆国の州法ように、連邦制をとっている国だけです。
 これに対して、日本の法律は、全国一律です。各都道府県にも「条例」というものがあります。たとえば、痴漢を処罰するのは、都道府県で定めた迷惑条例ですが、その構成などは東京都と埼玉県で大きな違いがあるわけではありません。

 ところが、江戸時代では法に地域性があって、必ずしも全国均一というわけじゃァありませんでした。
 たとえば、歴史の教科書でおなじみの「慶安御触書」は、全国的に適用された幕府法ではありますが、その適用の対象は幕府直轄の天領だけに限定されたものでした。
 また、市民の法律も、落語に江戸落語・上方落語があるように、江戸の法律と上方の法律とでは少し違っていたようです。

(次回に続く)

口演録(4): 噺のウソ ~江戸期の裁判実務との違い

2014年07月16日 00時00分00秒 | 落語市民と法
 江戸時代のお裁きをする私たちのヒーローとして、大岡越前守や遠山左衛門尉の名裁きがありますね。書き物も残っていますし、ドラマにもなっています。しかし、これは現実の姿じゃァありません。後世の脚色です。

 江戸時代、お奉行が裁判の実質的審理をやっていたわけじゃないんだそうです。実際には、江戸幕府の高級官僚である与力のうち、訴訟を担当する「吟味方与力」がその審理を行ってました。

 町奉行は、最後の判決の時だけ立ち会うくらいで、形式的にしか関与していないんですね。幕末の佐久間ナニガシという与力は、その日記に「奉行と与力・同心は人形と人形遣いの関係にあり、名奉行と言われるのは人形遣いの与力・同心が奉行のために精勤した結果にすぎない」と書き残しています。

 現代では、裁判官が人形でもあり人形遣いでもあるので、このへんのところがかなり違っています。

(次回に続く)

口演録(3): 訴訟社会の中の吟味筋と出入筋

2014年06月16日 00時00分00秒 | 落語市民と法

 では、江戸時代はどうだったんでしょうか。

 江戸時代の刑事裁判は「吟味筋」といいました。それに対して、借りた金を貸さない、売掛金を払ってもらえない、隣同士で境界線を争っている、父の残した遺産をめぐって兄弟喧嘩しているなどという、もろもろの民事事件のことを「出入筋」といいます。

 意外かもしれませんがね、落語の世界に描かれる法廷モノは、むしろ出入筋のほうが多いんですよ。
 この時代でも圧倒的に「出入筋」という民事上のトラブルが多かったわけです。歌舞伎・映画・テレビなどの時代劇と比較しますてェと、落語に描かれる政談噺のほうがうんと現実的・リアリティがあるんです。その意味で、落語は極めて写実的な芸能といえますかねぇ。

 文化年間の資料によれば、年間の訴訟数は約70万件。意外な訴訟社会でした。特に債権回収では、積極的に裁判制度が利用されていまして、当時の人々にとってお奉行様の敷居は決して高くなかったみたいですね。

(次回に続く)

口演録(2): 落語のリアリティ ~時代劇映画・ドラマとの比較

2014年05月16日 00時00分00秒 | 落語市民と法

 落語の世界に一番近いのは、映画・ドラマの時代劇でしょうか。時代劇の中の法律といえば、お奉行様が登場して裁きをするという、現代の裁判所の法廷審理の場面があります。大岡越前守や遠山金四郎のお白洲での名裁きです。これを「政談もの」などといいますが、落語にもこれと同様な法廷ものの噺があるんです。それが一番の落語と法律の接点じゃァないかと思います。

 時代劇では、正義の味方のお奉行様が、弱い者いじめの悪人を退治するという「勧善懲悪」が定番ですね。なにも最初から見せておけばいいのに、何故かドラマ開始から45分くらい経って、ようやく「この桜吹雪が目に入らぬか」なんちゃったりして。この大いなるワンパターン、大変安定したストーリ運びこそが、時代劇人気の秘訣なんでしょうね。ここでは、贈賄したり、人殺しがあったり、盗人(ぬすっと)が出てきたりします。これら悪党を懲らしめる、叱りつけるというのは、今でいえば刑事訴訟の分野となります。

 刑事事件ってェのは、犯罪者に対し国家の刑罰権を発動する、要するに悪党を懲らしめるという手続です。思い返してみますと、大岡越前や遠山の金さんなどの時代劇では、もっぱらこの刑事事件、刑事訴訟を扱っていますね。

 では現実の裁判実務はどうなっているかといえば、圧倒的に民事事件の方が刑事事件よりも多いン。新聞やテレビの報道で数多くの犯罪のニュースが流れていますが、年間を通し、実はそれほどの件数があろわけじゃァありません。民事と比べれば、やはり刑事訴訟は少ないんです。最近は振込み詐欺など、アタシたちの日常生活ン中に犯罪が忍び寄ってくる場面も増えてはきておりますが、それにしたって、ご家族やご近所で犯罪に巻き込まれることなんざ、めったにないでしょう。

(次回に続く)

口演録(1): 落語市民と法

2014年04月16日 00時00分00秒 | 落語市民と法
 駒与志でございます。

 なにか一席、しかも多少は役に立つような話をせよとの仰せでありますが、大変場違いなようで、冷や汗ものです。「落語市民と法律」という大上段に振りかぶったようなお題ですが、落語の社会との関わりの中で少し法律というものを覗いてみようという趣向であります。

 おそらく法律が大変お好きな方、お詳しい方、また、あまりお馴染みのない方など、さまざまだではありましょうが、なるべく分かりやすくお話ししていきたいと思います。

 これより月一回ペースにてお話を申し上げる予定ですので、よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。

(次回に続く)

口演録(15): 落語「天狗裁き」を題材に

2012年03月04日 00時00分00秒 | 落語市民と法

 循環構造といえば、『天狗裁き』と同様に、現行憲法の予定する統治システムも循環構造になっています。
 国民は自分たちの代表者である議員を選挙で選び、議員は議会を通じて政府を組織し、この政府が国民に福利を提供します。そこでは、徹底した多数決民主主義が貫徹されているのです。
 通常ならば、これで国民みんなの幸せは確保されるでしょう。まさに「最大多数の最大幸福」です。

 ところが、多数決民主主義による循環システムも万能ではありません。うまく機能しない場合がおおむね二つあります。ひとつは循環システム自体に欠陥がある場合、もうひとつは多数決では救われない少数派の人権保護が問題となる場合です。
 
 このような場面では、もはや民主主義による循環システムの自浄作用を期待することはできませんから、循環構造の外のいるものの力を借りざるを得ません。ここに「憲法の番人」の役割を果たす裁判所、司法権の存在意義があります。
 したがって、裁判所(司法権)とは、そもそも非民主的な機関構造であることにこそ意味があるのです。

     

 こうした観点から考えると、司法に対する一程度の民主化は必要ですが、完全な民主構造としてしまうことには若干の疑問が残ります。
 今般導入された裁判員制度についても、こうした憲法の基本構造から見つめ直してみるべきではないでしょうか。


(完)

口演録(14): 廻りオチの循環構造

2012年02月04日 00時00分00秒 | 落語市民と法

 うたた寝をしている亭主を、女房がひょいっと見ると、うなされるような声を出したり、ニターッと笑ってヨダレを垂らしたりしています。「ちょっとあんた、起きて。えらくうなされて、いったいどんな夢を見たの?」、「夢なんか見てない」、「女房の私に言えないような夢を見たの?」、「バカ言え、見ていたら言う!」と、夫婦喧嘩になります。

 隣の男が飛び込んで、「バカな喧嘩をするな」と仲裁しますが、「本当はどんな夢を見たんだ?」、「本当にオレ、夢なんか見てないんだ」、「兄弟分のオレにも夢の話ができないのか!」と、また喧嘩です。ここへ家主が飛び込んできて、「バカな喧嘩をするな。ところで、お前、かなりおもしろそうな夢らしいな」、「いや大家さん、本当に夢なんか見ていないんです」、「親子同然の大家に夢の話ができないのか。そんなやつ、ほかの店子(たなこ)に示しがつかん。今日限りで家をあけてもらおう」。

     

 仕方がないので、町奉行に訴えでますが、奉行もあきれて、「店子の見た夢の話を聞きたがって、店立て(たなだて)を申しつけるとは不届き千万。ところで、夢の話、奉行にならばしゃべれるであろう」、「いや、本当に夢なんか見ていないんです」、「できんと申すか、この者に縄をうて!」ということになり、奉行所の松の木にぶらさげられてしまいます。

 これを僧正ヶ谷の大天狗が助けてくれまして、「わしは聞きたくないが、その方がしゃべりたいというのなら、聞いてやってもよい」、「いや、本当に夢なんか見ていないんです」、「天狗をあなどるか。五体は八つ裂きにされて、杉の梢(こずえ)にかけられる」と、爪の伸びた指が身体にかかり、男はたまらず「助けてくれぇ」と叫んだ。すると。女房が「ちょっとあんた、起きて。えらくうなされて、いったいどんな夢を見たの?」。

 この『天狗裁き』は、めぐりめぐって話がもとに戻っています。噺全体が循環構造になっていますが、こういった噺のサゲ方を「廻り落ち」などといいます。


(次回に続く)

口演録(13): 代言人と弁護士

2012年01月04日 00時00分00秒 | 落語市民と法

 代言人(だいげんにん)とは、現在の弁護士の前身にあたるものです。

 江戸時代においては、庶民の民事訴訟に介入して礼金をとる公事(くじ)師がありましたが、弊害があったので幕府はこれを禁止しましたた。

 1872(明治5)年、フランス法の影響の下に制定された太政官布告「司法職務定制」により、民事の代言人が規定されました。しかし、最初は資格として定められたものではありませんでしたので、誰でも代言人になることができました。また、当時の代言人は、公事師の名残りが多分にあり、地位的にも高いものではありませんでした。たとえば、士族が代言人になるのは不名誉なことだと考えられていましたし、中には悪質な代言人も存在したようです。

 その後、1876(明治9)年に「代言人規則」が制定され、免許を得た者以外は代言が許されなかくなります。この代言人の社会的地位を向上させたのは、1878(明治11)年に司法省付属代言人になった星亨です。

     

 ただし、代言人が法廷で活動できる範囲は民事訴訟に限られており、刑事裁判は代言人無しで行われていました。代言人が刑事裁判で弁護活動ができるようになったのは、1882(明治15)年に刑法と治罪法(現在の「刑事訴訟法」)が施行された以降のことです。

 1893(明治26)年の「弁護士法」制定とともに、代言人制度は廃止されました。ちなみに、 現在の弁護士には、1949(昭和24)年成立の「弁護士法」が適用されています。


(次回につづく)

口演録(12): 公事宿と弁護士 ~おせっかいな家主の代わりに

2011年12月04日 00時00分00秒 | 落語市民と法

 小泉元首相の喩えにもあった「三方一両損」でも、「大工調べ」でも、町内の者がお奉行に訴え出るときは、世話焼きの家主(やぬし)が手伝っています。では、そんな世話焼きがいない、特に地方出身者はどうしたのでしょうか。

     

 実は、公事宿(くじやど)という宿屋が、訴訟手続の補助をしていました。公事宿とは、江戸時代、訴訟、裁判などで江戸へきた者を宿泊させ、訴訟事務を請け負った旅宿のことです。江戸以外では郷宿(ごうやど)という所が多いようです。

 江戸には、大別して「旅人宿」と「百姓宿」があり、ともに江戸宿ともいわれていました。旅人宿は馬喰町近辺に集中し、一般人も旅宿させました。100人前後の株仲間が組織されていましたが、公事宿を主にしていたのは、その半数以下です。百姓宿のほうは、一般人の旅宿は禁止され、公事方勘定奉行所とのかかわりが強かったので、神田や日本橋などに多くありました。

     

 公事宿は、訴訟のために出府した宿泊者の訴状の作成、訴訟手続の代理、訴訟相手に示す目安裏書(めやすうらがき)と江戸への出頭を求める差紙(さしがみ)の送達、白州(しらす)での訴訟補佐などを主な業務としていました。このほか、訴訟が長期にわたることが多かったので、公事宿が仲裁に入って和解させてしまうこともしばしばあったようです。

 このように、江戸期の公事宿の役割は、いまの弁護士みたいなものでしょうか。ただし、現代の弁護士の前身は、明治5年の「代言人」制度に遡りますが、江戸期の公事宿との関係・流れは切断されています。


(次回へつづく)