金原亭駒与志の世界

一天狗連の楽屋

満員御礼(馬吉・駒与志二人会)

2012年05月31日 23時28分11秒 | ご挨拶

 5月30日の五月霞が関寄席馬吉・駒与志二人会」には、皆様たくさんのご来場を賜り、誠にありがとうございました。

 当日は約90人のお客様に足をお運びいただきました。また、今回も、昨年11月の二人会と同様、岩手県・陸前高田市の長洞元気村仮設住宅と中継で結び、また、今回は、大船渡市の末崎(まっさき)地区公民館の皆さんにも実況でご視聴していただきました。


 当日の番組は、以下のとおりです。

  駒与志 「堪忍袋
  馬 吉 「そば清
  駒与志 「鹿政談
   -中入り-
  馬 吉 「化物使い

 今後とも皆様方に楽しんでいただける高座にすべく、一層精進を重ねる所存でございますので、なにとぞご贔屓のほど宜しくお願い申し上げます。


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 次回の霞が関寄席「馬吉・駒与志二人会」の予定

  秋席 平成24年11月28日(水)

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ちなみに、放送作家たむらようこさんのブログでもご紹介いただきました。

小里ん 『手紙無筆』

2012年05月24日 00時00分00秒 | 噺・ライブ

柳家小里ん(やなぎや こりん)
  安田雅行 昭和23年1月22日
 
 昭和44年1月、五代目柳家小さんに入門して、小たけ。49年5月、小里んで二ツ目。58年9月、同名で真打。

      


      手紙無筆

       ↑↑ お楽しみください。





  五月霞が関寄席「金原亭馬吉・駒与志二人会」 あと6日!


いよいよ二人会、あと2週間!

2012年05月18日 16時50分16秒 | 駒与志の寸評
東北地方太平洋沖地震 義援プログラム
五月霞が関寄席「金原亭馬吉・駒与志二人会」



 5月30日、霞が関寄席「金原亭馬吉・駒与志二人会」がいよいよ開演です。

 満員御礼、Web上の事前申込みの受付は終了いたしました。 ← 申込多数により、事前の予約受付けは終了しておりますが、若干の当日券がございます!

 と き:平成24年5月30日(水)
 開演時刻:18:45~
 出演者:金原亭馬吉、金原亭駒与志


     
        馬 吉

     
        駒与志

 木戸銭:2,000円
 ところ:霞が関ナレッジスクエア「スタジオ」
 (千代田区霞が関3-2-1霞が関コモンゲート ショップ&レストラン西館3階

   


 皆様方のご来場を心よりお待ちしています 

落語大好き(六)

2012年05月14日 00時00分00秒 | 中入り

 また、先代圓楽、柳朝の絶頂期をナマで知ることができたのも幸せでした。

 圓楽といえば、「笑点」のウンチク司会の印象が強いでしょうが、あのころの『厩火事』や『宮戸川』は確かに面白いものでした。

     

 面白かったといえば、柳朝の『寝床』も大好きな噺のひとつです。ガラガラ声の威勢がよい口調は魅力的でし。
 この人のことは、吉川潮『江戸前の男』(新潮社)にも描かれています。


(つづく)


オペラ座の怪人

2012年05月05日 21時05分00秒 | 駒与志の寸評

 端午の節句にちなんだ噺といえば、明治末期に三代目三遊亭円馬が上方から東京に移植した『人形買い』。
 
 それとは何の関係もありませんが、劇団四季のミュージカル「オペラ座の怪人」を鑑賞してきました。

       

 1905年、パリ・オペラ座の舞台上。オペラハウスの所有物がオークションにかけられている。車椅子の老人はその中の一つ、張子のオルゴールに手を止める。かすかな、懐かしい旋律を奏でるオルゴール。そしてシャンデリアを覆っていたベールが取り払われた時、パイプオルガンの荘厳な響きとともに時は半世紀を遡り、豪華絢爛なオペラ座を舞台にした愛憎渦巻く悲劇の幕が開く……

       

 最後に残ったS(しかも、センター)席チケットを滑り込みで入手。かつて見た映画は、暗くて、ワケわかんない感じでしたが、ミュージカルは違いました。
 怪人役の高井治は、少し顔がデカイ気もしましたが、美声と確かな歌唱力。また、生オーケストラが楽しめ、シャンデリアが落ちてくるところも迫力があり、特に仮面舞踏会(masquerade)の場面は素晴らしかったです。

      


     劇団四季;『オペラ座の怪人』;ウェブ限定PV(ファントムの愛編)


 観たこともないくせに、劇団四季をめの敵(かたき)のように批判する噺家の師匠もいますが、でも、たしかに「劇団四季のオペラ座の怪人は凄い…」。

ネタ帖 小言幸兵衛

2012年05月04日 00時00分00秒 | 高座

 麻布古川橋に住む幸兵衛、いたって世話好きな家主だが、のべつ小言ばかりいっているので、人呼んで小言幸兵衛

 ちょっと外に出ただけで、長屋の連中がだらしないと小言をいい、家に戻れば、
「婆さん、また朝ッから居眠りをしてるな。おめえは、モノをふんだんに食べて、うすぼんやり座ってるから居眠りが出るんだ。
食やァ食いっぱなしで、とっ散らかしておきゃァがって、汚くてしょうがねえ。汚れもんを早く片付けな。ぶつくさいわねぇで、ハイといってすぐにしたらよかろう。尻の重てえ婆あだ、石臼婆あ。
釜の蓋が曲がってるよ、まっすぐにしておきな。曲がってもいいでしょう、てえことはないよ、見た目が悪いからいうんだよ。
布巾がとびそうだ。雑巾をこっちィ絞っておかなくちゃいけない。
猫のお椀を片付けておきな……この猫はまた、どうして尻尾が長えんだろうねえ……」。
 なにも猫の尻尾にまで小言をいうことはない。

 そのうちに貸家札を見た入居希望者がやってくる。はじめに来た豆腐屋は、ものの言い方が悪い。
 子宝に恵まれないことを、なんと「ありがてえことにガキを一匹もひり出せねえ」との言い草。
 そんな礼儀を知らない奴には貸せないと断る。

      

 次にやってきたのが仕立屋。物腰態度のていねいさに感心した幸兵衛が、いろいろ聞いてみると、今年20歳で親より腕のよい男前の一人息子がいるという。
 これを聞いた幸兵衛の機嫌がとたんに悪くなった。長屋の古着屋にお花という今年19歳の一人娘がいるが、商売の上でも近い関係だから、いずれ二人は相思相愛のいい仲になるだろう。
 しかし、どちらも一人っ子では、嫁には出せず、婿にもやれないから、お定まりの心中沙汰……だから、とても家は貸せないと言う。
 さすがの仕立屋も呆れて帰ってしまう。

 仕立屋の次には、おそろしく威勢のいい乱暴な口調の男が飛び込んで来た。さすがの幸兵衛も小言を言う隙がない。
「ところで、お前さんのご商売は?」
「先祖代々の鉄砲鍛冶だ!」
「あ、道理でポンポン言い通しだ」

       



【一口メモ】
 上方ネタ。正徳二(1712)年刊の上方笑話本『笑眉』の中の「こまつたあいさつ」。別名「借家借り」。当時の家主(大家)は、普通は地主に委託された管理人でしたが、町役人も兼ねていたので強力な権限をもっていました。万一の場合は責任も大きく、店子の選抜に慎重になるのも当然だったのです。戦後、特に三遊亭圓生師、桂文楽師がよく高座にかけておりました。

根津神社と六義園を散策

2012年05月03日 20時48分29秒 | 日記

 ゴールデン・ウィークの中日。あいにくの大雨でしたが、白山・千石界隈のレストラン「ヴォーロ・コズィ」で昼食をいただき、

      

その後、少し見頃を過ぎたツツジを堪能しようと、根津神社と六義園を散策しました。


 根津神社は、国宝の社殿を構えるツツジの名所。六代将軍徳川家宣(いえのぶ)がこの地で生まれ、江戸城に移った後、安永3年、その屋敷跡に根津神社を造営し、土地の神様を祀りました。

 三遊亭圓朝作『心中時雨傘(しんじゅうしぐれがさ)』で、お初さんが屋台を開いていたところです。

 根津神社前に町屋が作られました。それが発展して遊廓が形成され、明治の初めには、吉原を抜いて一番の遊所となりました。しかし、隣合せの東京大学に嬌声が聞こえるようになり。明治20年5月、江東区洲崎が埋め立てられたのを期に、遊郭も引っ越したそうです。


        

 六義園(りくぎえん)は、五代将軍徳川綱吉の側近・柳沢吉保が元禄15年に築園した「回遊式築山泉水」の大名庭園。明治に入り三菱創業者・岩崎弥太郎の別邸となり、昭和になって岩崎家から都に寄付され、特別名勝に指定されています。

 ちなみに、柳沢吉保が登場する落語としては、『雁風呂』があります。


 帰りに巣鴨地蔵通り商店街をのぞいて帰ってきました。