毎年、7月23日は肥後国・熊本を治めていた加藤清正公の祥月命日に当たる。菩提寺である山寺、日蓮宗發星山(ほっしょうざん)本妙寺では、毎年この日に「頓写会(とんしゃえ)」が催される。この「頓写」には、一晩で日蓮宗ならば法華経を全巻書き写すという意味があるが、現在では主要な経文を読経するくらいで終わっているようだ。
その昔はちゃんと一晩かけて頓写したり読経したりしていたのであろう、本廟から山門、その下の商店街に至るまで長々と続く夜店は、明くる朝まで厭きることなくたくましく商売していた。現在では、きっちり11時までと決まっている。
それでも、ここ最近はすっかり寂れてしまった商店街も、このときばかりは多くの人出でにぎわう。
元来、本妙寺は清正公を神と同格として祀り、肥後の守護神として信仰を集めてきた。頓写会の日、人々は清正公の亡骸の眠る本廟に参って上半期およそ半年の厄を落とし、これから先の秋も冬も平安に過ごせるようにと願う。また、お坊さんから「笹の御守り」を受けてこれを家の居間に飾る。この「笹の御守り」は、いわば初詣のときに神社で受ける破魔矢のようなもので、小笹に護符と小さな張子の虎がつるしてある。これは、豊臣秀吉が朝鮮出兵を号令した折りに進軍した加藤清正が、山奥の竹やぶに踏み迷って猛虎と遭遇したが、得意の長槍をもって突き殺したという伝説によるもので、厄災退散・家内安全の意味がある。(一本、1000円なり。むかしはもっと安かった)一年間家の中に飾って、すっかり枯れてしまった笹の御守りは、また寺に戻すことになっている。
だが、これらの頓写会にまつわる縁起や祭りの意義などを理解する人間は、ほとんどいなくなったといっても差し支えない。ほとんどの人間は、長々と参道に続く夜店目当てである。参道を埋め尽くす若者たちは、「とんしゃ」と聞けば「夜店」と答えるだろう。……ま、かくいうわたくしも小さいころは夜店のことを「とんしゃ」というのかと誤解していたが。(笑)
頓写会の日、毎年7月23日は梅雨が明けるか明けないかという微妙な天候で、大概は曇りか小雨と相場が決まっている。だが、2006年の今年はとんでもない年となった。
梅雨前線が九州地方に猛威を振るったのだ。
四五日前から熊本は想像を絶する豪雨続き。わたくしの家の近くを流れる井芹川はこの間に三回も洪水警戒水位を超えた。
後で知ったことだが、南の鹿児島県のさつま町や湧水町では家屋が流される大洪水だったそうだ。大丈夫だと思うが、万が一でも、もしかしたらしたら思うと身の毛のよだつ気持ちになる。
わたくしの実家である料理屋は、この時期には頓写会にくる人々の休憩所的な役割をするが、今年ばかりは人でも少なくなるだろうと従業員一同が暗い表情となった。
予想は的中。当日は朝から大雨。夜店の営業が始まり、商店街が歩行者天国になる午後5時あたりも断続的な大雨だった。
そんななか、店の中が若干ヒマだったのもあるのだろう、「ねぇ、だれか『笹の御守り』買ってきてよ」という話がおこる。従業員のほとんどは、毎年頓写会に身近に接していながら、頓写会に来る人々の接待であまりにも店の中が忙しくなるため、笹の御守りを買いにいったことがないのだ。「そういえば、オレもちっちゃいころにしか行ったことないな~」と漏らすと、「だったら、ハルちゃん。行ってきてよ!」と、よりによってそんなことになってしまった。
外は大雨。それでも商魂たくましい夜店の連中は、煌々と明かりをつけて客の呼び込みをしているが、肝心の客は大雨のためにまばらになっている。いつもならばちょっとの雨だったとしても、参道には多くの人が押し寄せ、人ごみで両肩が押しつぶされるような思いをするのだが、道の真ん中を人をよけることなく歩いている。たしかに、今年は異常だ。でも、小さい傘の中で窮屈な思いをしていたので、感覚的には変わらないが……。
「とんしゃ名物、冷し飴ぇー! 甘こーてうまいの、甘こーておいしーのー!」
子供のころは頓写会は友達連中と、長々と続く夜店の中でどの店の何がうまいのかを講評しあったものだ。その友達連中からは不評だったが、わたくしだけがなんとなくファンだったのに、この冷し飴がある。(写真参照)わたくしが子供のころからあるのだから、もう30年以上は店を出し続けているのだろう。真っ赤な樽の中に水飴を氷水で溶かしたものがあり、店のオバちゃんはしがれた声でこの売り声を叫びながら、樽に突っ込んだ棒を掻き回している。樽の中の氷が棒に当たってガラガラと涼しげな音を立てる風情がたまらない。雨宿りと懐かしさに惹かれて一杯買い求めることにする。300円なり。
「今年は災難ですねー」
と、屈託のない笑顔を見せながら、売り声と変わらないしがれ声でオバちゃんが話しかけてきた。たしかに、雨の中を御守りを買いにいくわれわれも大変だが、もっと大変なのは夜店をやっている人たちだろう。茶色みがかった飴色の液体を、大きなコップになみなみと注がれたのを受け取ると、思わず苦笑いが出た。
「雨雲が消える兆しないですもんねぇ~」
と、冷し飴をすすりながら空の様子を伺うと、漆黒の夜空を、どす黒い雨雲の塊が次から次へと疾駆しているのが見て取れた。
雲行きて行きても雨や冷し飴
化学製品の糖類にはない冷し飴の素朴な甘さは、いつもならば少しの安堵感を感じるものだったが、今日ばかりはなんとなく胃にもたれるようなストレスを感じた。それは量の多さからではなく、このあまりにも降り過ぎる雨のせいにしておこう。そう思った。
(続く)
その昔はちゃんと一晩かけて頓写したり読経したりしていたのであろう、本廟から山門、その下の商店街に至るまで長々と続く夜店は、明くる朝まで厭きることなくたくましく商売していた。現在では、きっちり11時までと決まっている。
それでも、ここ最近はすっかり寂れてしまった商店街も、このときばかりは多くの人出でにぎわう。
元来、本妙寺は清正公を神と同格として祀り、肥後の守護神として信仰を集めてきた。頓写会の日、人々は清正公の亡骸の眠る本廟に参って上半期およそ半年の厄を落とし、これから先の秋も冬も平安に過ごせるようにと願う。また、お坊さんから「笹の御守り」を受けてこれを家の居間に飾る。この「笹の御守り」は、いわば初詣のときに神社で受ける破魔矢のようなもので、小笹に護符と小さな張子の虎がつるしてある。これは、豊臣秀吉が朝鮮出兵を号令した折りに進軍した加藤清正が、山奥の竹やぶに踏み迷って猛虎と遭遇したが、得意の長槍をもって突き殺したという伝説によるもので、厄災退散・家内安全の意味がある。(一本、1000円なり。むかしはもっと安かった)一年間家の中に飾って、すっかり枯れてしまった笹の御守りは、また寺に戻すことになっている。
だが、これらの頓写会にまつわる縁起や祭りの意義などを理解する人間は、ほとんどいなくなったといっても差し支えない。ほとんどの人間は、長々と参道に続く夜店目当てである。参道を埋め尽くす若者たちは、「とんしゃ」と聞けば「夜店」と答えるだろう。……ま、かくいうわたくしも小さいころは夜店のことを「とんしゃ」というのかと誤解していたが。(笑)
頓写会の日、毎年7月23日は梅雨が明けるか明けないかという微妙な天候で、大概は曇りか小雨と相場が決まっている。だが、2006年の今年はとんでもない年となった。
梅雨前線が九州地方に猛威を振るったのだ。
四五日前から熊本は想像を絶する豪雨続き。わたくしの家の近くを流れる井芹川はこの間に三回も洪水警戒水位を超えた。
後で知ったことだが、南の鹿児島県のさつま町や湧水町では家屋が流される大洪水だったそうだ。大丈夫だと思うが、万が一でも、もしかしたらしたら思うと身の毛のよだつ気持ちになる。
わたくしの実家である料理屋は、この時期には頓写会にくる人々の休憩所的な役割をするが、今年ばかりは人でも少なくなるだろうと従業員一同が暗い表情となった。
予想は的中。当日は朝から大雨。夜店の営業が始まり、商店街が歩行者天国になる午後5時あたりも断続的な大雨だった。
そんななか、店の中が若干ヒマだったのもあるのだろう、「ねぇ、だれか『笹の御守り』買ってきてよ」という話がおこる。従業員のほとんどは、毎年頓写会に身近に接していながら、頓写会に来る人々の接待であまりにも店の中が忙しくなるため、笹の御守りを買いにいったことがないのだ。「そういえば、オレもちっちゃいころにしか行ったことないな~」と漏らすと、「だったら、ハルちゃん。行ってきてよ!」と、よりによってそんなことになってしまった。
外は大雨。それでも商魂たくましい夜店の連中は、煌々と明かりをつけて客の呼び込みをしているが、肝心の客は大雨のためにまばらになっている。いつもならばちょっとの雨だったとしても、参道には多くの人が押し寄せ、人ごみで両肩が押しつぶされるような思いをするのだが、道の真ん中を人をよけることなく歩いている。たしかに、今年は異常だ。でも、小さい傘の中で窮屈な思いをしていたので、感覚的には変わらないが……。
「とんしゃ名物、冷し飴ぇー! 甘こーてうまいの、甘こーておいしーのー!」
子供のころは頓写会は友達連中と、長々と続く夜店の中でどの店の何がうまいのかを講評しあったものだ。その友達連中からは不評だったが、わたくしだけがなんとなくファンだったのに、この冷し飴がある。(写真参照)わたくしが子供のころからあるのだから、もう30年以上は店を出し続けているのだろう。真っ赤な樽の中に水飴を氷水で溶かしたものがあり、店のオバちゃんはしがれた声でこの売り声を叫びながら、樽に突っ込んだ棒を掻き回している。樽の中の氷が棒に当たってガラガラと涼しげな音を立てる風情がたまらない。雨宿りと懐かしさに惹かれて一杯買い求めることにする。300円なり。
「今年は災難ですねー」
と、屈託のない笑顔を見せながら、売り声と変わらないしがれ声でオバちゃんが話しかけてきた。たしかに、雨の中を御守りを買いにいくわれわれも大変だが、もっと大変なのは夜店をやっている人たちだろう。茶色みがかった飴色の液体を、大きなコップになみなみと注がれたのを受け取ると、思わず苦笑いが出た。
「雨雲が消える兆しないですもんねぇ~」
と、冷し飴をすすりながら空の様子を伺うと、漆黒の夜空を、どす黒い雨雲の塊が次から次へと疾駆しているのが見て取れた。
雲行きて行きても雨や冷し飴
化学製品の糖類にはない冷し飴の素朴な甘さは、いつもならば少しの安堵感を感じるものだったが、今日ばかりはなんとなく胃にもたれるようなストレスを感じた。それは量の多さからではなく、このあまりにも降り過ぎる雨のせいにしておこう。そう思った。
(続く)