籠  太  鼓 

     ろ  う  だ  い  こ

告知

2005年10月31日 11時12分32秒 | 余談
今日のラジオ放送を一週間先に延期。11月7日の午後11時30分から。
どうも、喉の具合がよろしくない。昨日から較べても良くなる気配がない。
身体的には問題ないのだが、喉だけ煩わしい。実に不愉快。


<歌舞伎> 嬉しい若手の台頭。

2005年10月31日 02時03分55秒 | 古典
日記の更新が一日空いたように思われるかもしれないが、なんてことはない。今までNHK「劇場の招待」で、歌舞伎『封印切』と『四の切(しのきり)』を観ていたので、書き始めるのが遅くなってしまったというだけのこと。まだ、日が明けて一時間もたっていないわいな。(笑)

『封印切』は「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)」の一場面で、『四の切』は「義経千本桜」のクライマックス「河連法眼館(かわつらほうげんやかた)の場」の一場面。
『封印切』は、遊女・梅川と、亀屋忠兵衛の純愛を描いた近松門左衛門脚本の名作歌舞伎。
~~あくまでも遊郭の品物である遊女の梅川は、自由に恋愛のできない身分でありながら、足しげく自分のもとへ通ってくる飛脚屋の若旦那・忠兵衛の優しさに心から惚れていた。忠兵衛も遊女ながらに自分を純粋に恋い慕う梅川が好きでならない。だが彼には遊郭まで通ってくる金銭を作る算段はできても、梅川を身請けするだけの金銭の工面ができずにいた。そこへ、忠兵衛とは腐れ縁である丹波屋八右衛門が250両という大金を梅川の前に突きつけてくる。梅川を抱える槌屋の大旦那は忠兵衛と梅川の仲睦まじいことを知っているだけになかなか金銭を受け取ろうとしない。すると、それは遊郭の習いに反すると八右衛門は抗議し、梅川のいる前で忠兵衛の甲斐性の無さをあげつらって、散々に言い立てる。それを2階の部屋で聴いていた忠兵衛。あまりに八右衛門が自分のことをいろいろ言うのが我慢できない。とうとう八右衛門の前までやってくるが、「梅川を身請けする金は持っていないのは事実だろう」と今度は目の前でなじられる始末。自分の男としてのプライドを傷つけられるのと、愛する梅川がとんでもない男の亭主になることを嘆く忠兵衛は、懐にあった店の金、つまり公金の350両の封印を切って、梅川を身請けするのだった。~~
愛する人のために、自分の甲斐性の無さから公金に手をつけてしまうことになる忠兵衛の悲哀。市川染五郎は本当によく演じきった。後半、ややらしからぬクサさを感じる場面もあったが、それでも所作の細かい部分まで徹底して忠兵衛という人物像を自分なりによく解釈しているなと感じた。
相手役の片岡孝太郎(たかたろう)の梅川は、セリフの練りはよかったものの、いまいち梅川の純真さを徹底して演じきってなかったのではないかと思う。それよりも、八右衛門役の片岡仁左衛門は経験豊富なだけにバッチリ。こういうときは、悪役がよくなければ面白味も半減する。この人は忠兵衛を演じているイメージが強いのだが、こっちのほうが似合っているのではと思ったくらいだ。
ちなみに、肝心の封印切りの型は、最初の50両は弾みで切れた格好、あとの300両は懐の中で切ってこぼす型。わたくしとしては、最初から懐の中で捻じ切ってボタボタこぼす型のほうが好み。声を入れるタイミングが難しいけど、こっちのほうがかっこいいし。

『四の切』は、源義経に下賜された「初音の鼓」という鼓、その皮にされた白狐の子供が、せめて鼓の側にいることができればと、義経の家臣・佐藤忠信に化け、鼓の名手である義経の愛妾・静御前に付き従うというくだりの結末部分。河連法眼の館に隠れ住む義経主従、そこに静御前と佐藤忠信(実は白狐)もたどり着いた。と、そこへ真実の忠信が現れる。義経は静に鼓を打たせて、静に付き従っていたのが狐だということを突き詰める。白狐は鼓が両親の皮でできていることを告げると、哀れに思った義経は鼓を狐に与える。あまりの嬉しさに、狐は鼓を抱きしめて飛び去るのだった。~~
市川猿之助が一番に得意とするこの演目を、一番弟子の市川右近が演じたということになる。猿之助が舞台に立てない今、右近がやるしかないのだろう。猿之助の狐忠信も飽きるほど観たが、右近のそれはまったくお師匠さまの完全コピーのように見えた。台詞回しや、振り・型などは若干変えてきてはいるものの、クセというものは師匠に似るもので、しかもまだ若いものだから、生き生きと見えてしまう。わたくしが記憶している円熟期の猿之助も、まさしくこれが如しであった。
若いのでよく身体も動き、衣装の早替りなどもスムーズで観やすいのだが、決めるべきところで決めるとか、そういうメリハリがいまひとつだったように感じる。こういうところは、彼の場合は、かなり早い段階で改善されると思うのだが、どうか……。
ラストの宙乗りは、型が少なく、ただ桜吹雪を吹かせている中に突っ込んでいくという印象だったのが残念。演出は悪くないけど、ここも、鼓と戯れる狐の有様を延々と見せる猿之助歌舞伎の真骨頂が観たかった。これぞ、ケレン。これぞ、猿之助。これぞ、その弟子・右近。という部分が観たかった。博多座で観た『南総里見八犬伝』の犬山道節の葛籠抜けの型のあとの宙乗りは、これでもかというほどたっぷりやっていたのに。

この二つについては、明日のラジオでも触れることにする。

耳鼻科風景。(俳句甚句)

2005年10月29日 23時21分55秒 | 私語
実は昨日あたりから、喉を病っており、やや風邪っぽくて苦しい。
わたくしのこういう病は、内科に行くよりも耳鼻咽喉科で治療すれば早い。

久しぶりに掛かり付けの耳鼻咽喉科に入る。ここは皮膚科も兼ねており、治りが早いと評判の医院で、いつも老若男女でごった返す。
子供が多いので、いつも『トム&ジェリー』のビデオを繰り返して流している。子供に雑じって大人もまじまじとテレビ画面に見入る姿は、若干滑稽でもある。
診察まで雑誌を拾い読みしながら、時間を潰すこと小一時間。長い。(笑)
診察は比較的短めに終わった。原因は疲労から喉の粘膜が弱ったからだと。疲れていても、勉強したり、パソコンしたりいろいろやることは多い身分には付きまとう病かも知れない。
終わってから、鼻の吸入器で鼻の中を浄化。長いこと待たされて、揚げ句の果てには、二本の管を鼻に突っ込まされるこの境遇を、我ながら情けなく思った。

壁向いて 鼻の吸入 冬隣

気が付けば、あと一週間ほどで立冬だ。
行く秋を惜しむ情けも、鼻の穴に突っ込んだ管が送る薬剤に噎せている間は、まったく余計な感情でしかなかった。


くまもとお城まつり

2005年10月28日 19時00分05秒 | 日記
今日、10月28日午後7時から、恒例の熊本城薪能が催される。会場は熊本城竹の丸特設舞台だったが、あいにくの雨で産業文化会館に変更。この会場には初めて来た。こじんまりしたホールだ。
メインは金春流の能『熊坂』だ。シテは築地豊治氏。
熊本土着の金春松融会の公演だが、この頃は櫻間右陣師監修となり、熊本では少ない金春の舞台を楽しみにしている。

1尺は、33センチメートルで計算

2005年10月27日 23時22分21秒 | 余談
明日、くまもとお城祭の薪能がある。
我が家に、昔の師匠から着物が届いていた。

夜、その着物の鞄をホテルまで持ってきて欲しいと言われるので、持っていった。
すると、どこかへ出掛けているはずの師匠がホテルの玄関にいるではないか。
師匠にはかなり不義理して熊本に戻っているため、久しぶりの邂逅に戸惑う。
とりあえず、部屋まで鞄を運んで、またロビーで別れた。
その間に気付いたこと。
よく、三尺下がって師の影を踏まず、というが……。

まさしく、その三尺を実践していたのだ。(笑)

この絶妙な三尺が、ある意味、自分の中のひとつの時代を象徴しているようにも思えたのである。


この世の中も、捨てた物ではない

2005年10月26日 22時23分02秒 | 日記
熊本の繁華街と言えば、短い上通り(かみとおり)と、やや長い下通り(しもとおり)だが、これは下通りでのこと。

昨日、夜更けに下通り界隈をぶらぶらしていたら、三味線を抱えて携帯電話の画面を覗く青年をみた。
訊けば、幼い頃から津軽三味線をやっているとのこと。
ジャケットなどを着ているので、もしかしたらいろんな曲を弾けるのかと思っていたら、古典しか弾けないそうだ。なんともややこしい。普通の人ならリクエストしにくいだろう。
小原節(旧節)・じょんがら(旧節)・よされ節と、立て続けにリクエスト。
「よく曲目をご存知ですね」
と言われる。この古典芸能マニアを嘗めてはいけない。(笑)
腕前はなかなかのもの。アーケードに響く三味線の撥音は、実に新鮮に聞こえた。

リクエストを重ねるごとに、観衆が増えたが、古典芸能をまったくわからないであろう観衆たちも、素直に感銘していたようだ。

鶴屋百貨店の謎(その二)

2005年10月26日 13時05分38秒 | 余談
鶴屋百貨店の地下二階、食料品売り場にある『ピロシキ屋』での一枚。

文字通りピロシキの揚げたてを売る店だが、看板の「チャイコフスキーの曲を聴かせる云々」がずっと以前から気になってしかたない。
しかもこの店では、チャイコフスキーの曲は流していない。そこが1番わからない。

教えて、偉い人。

2005年10月25日 00時06分07秒 | 日記
宴会場で食べ残すのは、大概偉い人たちばかりだ。人を使役し、指導する立場のお偉方も、酒の前ではただの人になってしまうのだろう。
写真は店で出した伊勢海老の蒸し煮が、そのまま残された証拠写真。

日本人は年間、7800万〓の食糧を消費するという。そのうちの80%を海外からの輸入に頼っている。
それでも、そのうち2000万〓を食べ残して捨てているそうだ。ただの数字上の問題ではすみそうにないらしい。
マクドナルドでアルバイトをしていたことがあるが、その時は、作って10分たったハンバーガーは『ウエスト』と称して捨てなければならなかった。なんとも言えない罪悪感……。
これも人間としての原罪か。料理屋で育ったわたくしには、こういう思いは付きまとうもののようだ。

店で出た残り物は、できるだけゴミにならないように頂いている。
そして、自分たちの店で食う客の残り物が、1番美味いと実感するのだ。(笑)

九州国立博物館

2005年10月24日 16時12分47秒 | 日記
九州国立博物館の感想を。(出品目録も、検索先を参照のこと)

外観は博物館・美術館というよりも、東京ビッグサイトのようなイベント会場みたいだ。
だが、入ってみると、1階から4階まで吹き抜けという空間を広く取る設計に、博多祇園山笠の山鉾がどっしりとたたずむ。まず、これに圧巻。ガラス張りの壁は自然光を多く取り入れようとする効果で、新築の公共機関然とした「入らされている感」を感じないナチュラルな雰囲気。
エスカレーターで一気に3階の特別展示室まで上る。ここで『美の国日本』展が開催されている。
オープンして間もない土曜日ということで、展示室内は賑々しいこと……。
東京国立博物館での特別展も、土曜日となればこのような人だかりができるが、今回はじめて気付いた九州国立博物館に来た観客との決定的な違い。

九州の客はうるさすぎる!

基本的には、目新しいものが好きなんだ。福岡の人間も熊本の人間の大概そうらしい。
東京では、会話するにもひそひそ声。会場全体は実に粛々とした品格があります。
福岡は違いました。
「これなんて読むと?!」
「はー、なんだろかねー。いっちょん、わからんな!」
こういう会話がそこここで聞かれました。
それでも、展示品に喰らい付くように見るものだから、人垣に隠れてまったくケースの中が見られない。
「これ、国宝てばい!」(言われなくても、分かれ!)
「ははー。国宝てなら、スゴかろー!」(スゲーから、ここにあるんだろうが! 邪魔だ、どけッ!)
「これゃ、本物かね?」(国立の博物館が贋物なんか陳列するか!)
「さー、わからんば~い!」わからねーなら、来るな! 一生、来るな!
展示品もすごかったが、観客の奇妙な気炎に押されて、非常に疲れた。

展示品については、また次に書くことにする。


時代。

2005年10月23日 16時19分30秒 | 日記
今日、出前に行った先というのが、なんと母校である東海大学附属第二高校の体育館だった。

久しぶりに母校の正門をくぐって、驚いた。
今まで校舎だった場所がグランドに、グランドだった場所に新設の校舎が建っていたのだ。
在りし日を懐かしむ情緒も、どこかへ消し飛んでしまった。
今や、高校生時代を思い出す術は記憶しか無くなった淋しい限りい

今日はとにかく、足が痛い。

2005年10月23日 01時44分46秒 | 波浪
モーニング娘。コンサート2005「バリバリ教室~~小春ちゃん、いらっしゃい!」福岡サンパレス公演・夜の部を鑑賞。


とりあえず、賛を奉ず。

吉澤ひとみの品格。
藤本美貴の貫禄。
高橋愛の悠揚。
小川麻琴の欣然。
新垣里沙の躍動。
紺野あさ美の勇姿。
亀井絵里の優美。
道重さゆみの自尊。
田中れいなの軒昂。

そして……。

久住小春の闘志。 ~~このすべてに形無き花束を。~~


また別しては、福岡に集まった我らが輩(ともがら)の諸君。
君たちの義気にも感動した。

みんな、ミンナ、ありがとう!


久しぶりに踊りすぎて足が痛いので、これくらいで。(笑)
セットリストに不満はあったものの、楽しめるコンサートになっていたのは賛辞に値すると思ったので、酸だけを上げることにする。
詳細な感想は後日に。

(業務連絡)お土産ありますよ、kamikunさん。

福岡へ

2005年10月22日 12時02分10秒 | 日記
福岡へ行く途中の特急から。

このまま久留米へ行き、西鉄で太宰府・九州国立博物館へ。
第一期展示期間終了寸前で、しかも土曜日。混雑は必至だろう。ある程度の覚悟はあるが、オープンしたばかりの博物館に行くのは初めてのことなので、若干興奮している。(笑)

写真は、わたくしがYahoo!オークションで競り落としたチケット。
まだ、この一件については後ほど。