190924_いわき市小川町十文字と楢葉町乙次郎を再訪
一、十文字と乙次郎
十文字とは、いわき市小川町の北にある峠の名前だ。
乙次郎(おっとじろう)とは、双葉郡楢葉町の山奥にある集落(いま人が住んでいるのかどうかは分からない)の名前である。
いきなりこの二つの名前を出して、どうしたと聞かれそうだが、特に大したことはない。
今から50年(昭和40年代)ほど前、高校生の頃、一人で、山の中をバイクで走っていたとき、この二つの土地が印象に残っていた。その土地を、9月23日、再訪した。
十文字(峠)は、小川の北の山の山頂にある。
当時、幅の狭い穴だらけのジャリ道を、バイクで苦労して頂上までのぼった。
その頂上が十文字という場所だっだ。
そこはススキの生えている見晴らの良いところで、民家が一軒あった。こんな場所に、一軒だけ民家があるということに、非常に驚いた。
乙次郎は、やはりバイクで山中を放浪している時、突然、暗い森の中に一軒の民家があらわれた。
これも、薄暗い森林の中に民家が一軒、突然現れたので驚いた。
だれが住んでいるのだろうか。山奥で一軒だけで生活できるのだろうか、と妙に感動したことを覚えている。
<地図:2012年版マックスマップル>

二、2019年9月23日朝、四倉町を自転車で出発
朝7時、四倉を出発。
移動手段は自転車だ。6段の変速機が付いている。
天候は、その日、台風が日本海を通過している影響で、霧雨。
<写真>

写真は、西の方角を見ている。ちょうど中央に見える山塊の裏側あたりに小川町の十文字がある。
<写真>

四倉町戸田
小川町に向かう道。山の壁面が崩れている。
<写真>

四倉町戸田「戸田青年會館」
私が小学生のときは、ここが通学時の集団登校の集合場所だった。
私が小学生の時でも古い建物だったが、今でも傾きながら生きながらえている。
<写真>

四倉町戸田「鎮守根渡神社」
私が小学生のとき、この神社のお神輿を担いで、四倉の町(海岸の方)に行った。
<写真>

四倉町戸田
この道は遊歩道だ。
昔、ここにはレールが敷設されており、石灰石(セメントの原料)を運ぶ鉄道が走っていた。
今では、そのセメント工場も無くなり、この鉄道の跡地は、桜並木の遊歩道となっている。
<写真>

原発事故の後、太陽発電のソーラパネルが増えた。
このソーラパネルの下には、果物の木が植えられている。
<写真>

虹が架かっている。
日本で見る虹は、円弧の虹が多い。
かってペルーで、地上から真っすぐ、空に延びる太い虹を見たことがある。
<写真>

2013年12月、ペルー プーノ県 Calapuja村
<写真>

8時10分 四倉町上岡
消防ポンプの倉庫がある。
「第七支団 第3分団 第2班」と書かれてある。
<写真>

イチジクを生産している。
昔は、イチジクは、家の近くに野生で生えている木に成るもので、誰でも勝手に取って食べたが、これは商業生産のイチジクだ。
<写真>

四倉町上岡。「上岡川」に架かる橋。
<写真>

山の中にレストランがある。「金、土、日」が営業日だそうだ。
三、小川町に入る
<写真>

8時41分
小川町を走る「国道399号線」に出た。
50年前はただの集落を繋ぐ道でしかなかったが、今は、なんと「国道」に格上げされている。
<写真>

雨が強くなってきたので、写真に写っているごみ集積の小屋に入り雨宿りをする。
<写真>

二ツ箭山の登山口。
二ツ箭山は、小川町にある標高709メートルの山。
頂上が岩場で、鎖場がある。
<写真>

バブル期に作られたレジャー施設。
レジャーランドは閉鎖されたが、この城だけは残っている。
<写真>

「茱萸平」(ぐみだいら)。難しい漢字。
<写真>


内倉という集落。「内倉湿原」がある。(50年前は無かった)
<写真>

内倉から十文字に登る。
距離の半分は、自転車から降りて押す。
<写真>

今、十文字という峠の下にトンネルを掘っている。
<写真>

ここが山頂であるから、(地名を書いたものはないが)ここが十文字。
高度は742メートル。
ただ、風景は変わってしまった。
昔来た時は、草原だったような気がするが、今では鬱蒼とした森になってしまった。
写真の向かって右が小川に向かう道、左が久之浜・広野に向かう道。
とても50年前に見た、一軒屋などはないようだ。
<写真>



ここは、十文字を北に20分下ったところにある小川町戸渡という集落。
小学校の校舎が見える。
これは小川小学校戸渡分校で、1931年開校、1969年閉校。
すり減ってしまったが、道路に描かれた子供横断注意のマークがある。
四、川内村から楢葉町へ
<写真>

いわき市小川町と双葉郡川内村の境界にあるトンネル。最近、出来たようだ。
2011年の地図には載っていない。
川内村に入る。
木戸川が流れている。
木戸川を下り、東に向かう。東は、楢葉町の方角。
<写真>

放射性廃棄物の仮置き場。
<写真>

13時39分
この道路は、県道250号線で下川内と竜田(楢葉町)を結ぶ。
この自転車旅行を終えたあと調べてみたら、14時ごろ、乙次郎という場所を通過していた。民家も、地名を書いた看板もないので通り過ぎてしまった。
昔、バイクで走った時、この辺りは背の高い木が伸び放題で、薄暗かったが、いまは切り開かれて、昔の面影はない。当然、昔見たような一軒家もなかった。

14時12分
このあたりの県道250号線は、こんなに細い道だ。
<写真>



「望洋広場」という看板がある。階段を上がってみると展望台の前方には、伸び過ぎた樹木があり、太平洋は見えない。

「木戸ダム」
向こうの、お伽の国のお城のような塔は、木戸ダムの上に立つ建物だ。ヨーロッパのチロルで見るような塔だ。
<写真>


木戸ダムは、高さ93メートル、堤頂の長さ350メートルのダム。2007年竣工。
15時30分
楢葉町の国道6号線近くに来る。
国道6号線は、太平洋岸を、東京ー仙台の間を走る。
楢葉町から四倉町に帰るには、太平洋岸を国道6線で行くか、内陸部を「いわきー浪江線」で行くかだが、国道6号線は交通量が多く危険なので、内陸部の「いわきー浪江線」で帰ることにした。
<写真>

いわきー浪江線を行く。
広野町。「ほ場」とは漢字では「圃場」と書き、農園のこと。
<写真>

17時55分
いわきー浪江線の道路には、街灯はない。もう辺りは真っ暗だ。
19時
無事、四倉に帰ることができた。
今回は、ほとんど休憩を取らず、山の中を自転車で走ったため、最後には、足がけいれんを起こした。
そのたびに、自転車から降りて、もも、ふくらはぎをマッサージ。
今回の自転車ツーリングの感想。
50年前、十文字という荒野の中にあった一軒家、乙次郎というの森の中にあった不気味な薄暗い一軒家、そんな家は、もうどこにもなかった。
十文字では、地下にトンネルを掘っている。
乙次郎は、明るい開けた土地になってしまった。
50年も経てばすべてが変わる。
今回、一番感動したのは、かわいいとんがり屋根の塔を二もつ、木戸ダム。
以上
一、十文字と乙次郎
十文字とは、いわき市小川町の北にある峠の名前だ。
乙次郎(おっとじろう)とは、双葉郡楢葉町の山奥にある集落(いま人が住んでいるのかどうかは分からない)の名前である。
いきなりこの二つの名前を出して、どうしたと聞かれそうだが、特に大したことはない。
今から50年(昭和40年代)ほど前、高校生の頃、一人で、山の中をバイクで走っていたとき、この二つの土地が印象に残っていた。その土地を、9月23日、再訪した。
十文字(峠)は、小川の北の山の山頂にある。
当時、幅の狭い穴だらけのジャリ道を、バイクで苦労して頂上までのぼった。
その頂上が十文字という場所だっだ。
そこはススキの生えている見晴らの良いところで、民家が一軒あった。こんな場所に、一軒だけ民家があるということに、非常に驚いた。
乙次郎は、やはりバイクで山中を放浪している時、突然、暗い森の中に一軒の民家があらわれた。
これも、薄暗い森林の中に民家が一軒、突然現れたので驚いた。
だれが住んでいるのだろうか。山奥で一軒だけで生活できるのだろうか、と妙に感動したことを覚えている。
<地図:2012年版マックスマップル>

二、2019年9月23日朝、四倉町を自転車で出発
朝7時、四倉を出発。
移動手段は自転車だ。6段の変速機が付いている。
天候は、その日、台風が日本海を通過している影響で、霧雨。
<写真>

写真は、西の方角を見ている。ちょうど中央に見える山塊の裏側あたりに小川町の十文字がある。
<写真>

四倉町戸田
小川町に向かう道。山の壁面が崩れている。
<写真>

四倉町戸田「戸田青年會館」
私が小学生のときは、ここが通学時の集団登校の集合場所だった。
私が小学生の時でも古い建物だったが、今でも傾きながら生きながらえている。
<写真>

四倉町戸田「鎮守根渡神社」
私が小学生のとき、この神社のお神輿を担いで、四倉の町(海岸の方)に行った。
<写真>

四倉町戸田
この道は遊歩道だ。
昔、ここにはレールが敷設されており、石灰石(セメントの原料)を運ぶ鉄道が走っていた。
今では、そのセメント工場も無くなり、この鉄道の跡地は、桜並木の遊歩道となっている。
<写真>

原発事故の後、太陽発電のソーラパネルが増えた。
このソーラパネルの下には、果物の木が植えられている。
<写真>

虹が架かっている。
日本で見る虹は、円弧の虹が多い。
かってペルーで、地上から真っすぐ、空に延びる太い虹を見たことがある。
<写真>

2013年12月、ペルー プーノ県 Calapuja村
<写真>

8時10分 四倉町上岡
消防ポンプの倉庫がある。
「第七支団 第3分団 第2班」と書かれてある。
<写真>

イチジクを生産している。
昔は、イチジクは、家の近くに野生で生えている木に成るもので、誰でも勝手に取って食べたが、これは商業生産のイチジクだ。
<写真>

四倉町上岡。「上岡川」に架かる橋。
<写真>

山の中にレストランがある。「金、土、日」が営業日だそうだ。
三、小川町に入る
<写真>

8時41分
小川町を走る「国道399号線」に出た。
50年前はただの集落を繋ぐ道でしかなかったが、今は、なんと「国道」に格上げされている。
<写真>

雨が強くなってきたので、写真に写っているごみ集積の小屋に入り雨宿りをする。
<写真>

二ツ箭山の登山口。
二ツ箭山は、小川町にある標高709メートルの山。
頂上が岩場で、鎖場がある。
<写真>

バブル期に作られたレジャー施設。
レジャーランドは閉鎖されたが、この城だけは残っている。
<写真>

「茱萸平」(ぐみだいら)。難しい漢字。
<写真>


内倉という集落。「内倉湿原」がある。(50年前は無かった)
<写真>

内倉から十文字に登る。
距離の半分は、自転車から降りて押す。
<写真>

今、十文字という峠の下にトンネルを掘っている。
<写真>

ここが山頂であるから、(地名を書いたものはないが)ここが十文字。
高度は742メートル。
ただ、風景は変わってしまった。
昔来た時は、草原だったような気がするが、今では鬱蒼とした森になってしまった。
写真の向かって右が小川に向かう道、左が久之浜・広野に向かう道。
とても50年前に見た、一軒屋などはないようだ。
<写真>



ここは、十文字を北に20分下ったところにある小川町戸渡という集落。
小学校の校舎が見える。
これは小川小学校戸渡分校で、1931年開校、1969年閉校。
すり減ってしまったが、道路に描かれた子供横断注意のマークがある。
四、川内村から楢葉町へ
<写真>

いわき市小川町と双葉郡川内村の境界にあるトンネル。最近、出来たようだ。
2011年の地図には載っていない。
川内村に入る。
木戸川が流れている。
木戸川を下り、東に向かう。東は、楢葉町の方角。
<写真>

放射性廃棄物の仮置き場。
<写真>

13時39分
この道路は、県道250号線で下川内と竜田(楢葉町)を結ぶ。
この自転車旅行を終えたあと調べてみたら、14時ごろ、乙次郎という場所を通過していた。民家も、地名を書いた看板もないので通り過ぎてしまった。
昔、バイクで走った時、この辺りは背の高い木が伸び放題で、薄暗かったが、いまは切り開かれて、昔の面影はない。当然、昔見たような一軒家もなかった。

14時12分
このあたりの県道250号線は、こんなに細い道だ。
<写真>



「望洋広場」という看板がある。階段を上がってみると展望台の前方には、伸び過ぎた樹木があり、太平洋は見えない。

「木戸ダム」
向こうの、お伽の国のお城のような塔は、木戸ダムの上に立つ建物だ。ヨーロッパのチロルで見るような塔だ。
<写真>


木戸ダムは、高さ93メートル、堤頂の長さ350メートルのダム。2007年竣工。
15時30分
楢葉町の国道6号線近くに来る。
国道6号線は、太平洋岸を、東京ー仙台の間を走る。
楢葉町から四倉町に帰るには、太平洋岸を国道6線で行くか、内陸部を「いわきー浪江線」で行くかだが、国道6号線は交通量が多く危険なので、内陸部の「いわきー浪江線」で帰ることにした。
<写真>

いわきー浪江線を行く。
広野町。「ほ場」とは漢字では「圃場」と書き、農園のこと。
<写真>

17時55分
いわきー浪江線の道路には、街灯はない。もう辺りは真っ暗だ。
19時
無事、四倉に帰ることができた。
今回は、ほとんど休憩を取らず、山の中を自転車で走ったため、最後には、足がけいれんを起こした。
そのたびに、自転車から降りて、もも、ふくらはぎをマッサージ。
今回の自転車ツーリングの感想。
50年前、十文字という荒野の中にあった一軒家、乙次郎というの森の中にあった不気味な薄暗い一軒家、そんな家は、もうどこにもなかった。
十文字では、地下にトンネルを掘っている。
乙次郎は、明るい開けた土地になってしまった。
50年も経てばすべてが変わる。
今回、一番感動したのは、かわいいとんがり屋根の塔を二もつ、木戸ダム。
以上
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