御報告が大変遅くなりましたが、今年度の先進地研修を、去る1月20日~22日の2泊3日の日程で、鳥取県米子市(皆生温泉)及び島根県松江市(玉造温泉)において行いました。
暖冬と言われた今年の冬でしたが、出発前に台風並みの低気圧が日本列島に吹き荒れ、大寒波が押し寄せました。今回の研修は、積雪や道路凍結など交通障害が心配される中での出発となりました。1月20日、熊本駅から新幹線で岡山駅に到着するまで、前日までのニュースが嘘のように快晴で、車窓からの景色も穏やかでした。岡山駅でJRに乗り替え米子駅に向かう電車の中で、その景色が一変しました。まさに峠越えのあたりでしょうか。辺り一面雪景色で吹雪いているところもあります。民家の屋根の積雪は20cmを超えています。時々時間調整で止まる電車に不安を募らせていると、ありがたいことにお天道様が見えてきました。米子駅に着いた時には、もうほとんど雪は見られませんでした。
米子駅から日本海に面した皆生温泉までは、車で約15分。「米子の奥座敷」「山陰の熱海」などと呼ばれ、設備の整った旅館やホテルが建ち並ぶ開放的な歓楽地となっています。のどかな温泉情緒の落ち着きに対して、白砂青松という日本独特の美しい海岸風景を残す海辺には、開放的で明るいマリンリゾートの空気があふれ、環境省の「日本の海水浴場88選」や「日本の朝日100選」、「日本の渚100選」、「日本の白砂青松100選」「都市景観100選」にも選ばれています。
皆生温泉の開湯は今から約115年前、皆生海岸の浅瀬に湧き出す熱湯を発見したのが始まりとされています。名前の由来は、「その昔、出雲の稲佐の濱から泡となって流れた魂達が海岸に流れ着き、新しい体と心が蘇生(よみがえる=黄泉の国から帰る)とされて皆、生まれ変わった」ということから、「皆生」と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。
皆生海岸で日本海の荒波を目にし、今も皆生温泉を守る湯薬師様と出会えたような気がしました。大正時代、不毛の海浜の地に皆生温泉を、ユートピアを創ろうと計画された方の壮大なロマンが形となり、温泉の開発、市街地開発、道路網が整備され、一大温泉郷ができあがりました。今もその精神が脈々と受け継がれ、温泉地の方々が協力し、自然の恵みである温泉を大事に守っていらっしゃる姿に感銘を受けました。
暖冬と言われた今年の冬でしたが、出発前に台風並みの低気圧が日本列島に吹き荒れ、大寒波が押し寄せました。今回の研修は、積雪や道路凍結など交通障害が心配される中での出発となりました。1月20日、熊本駅から新幹線で岡山駅に到着するまで、前日までのニュースが嘘のように快晴で、車窓からの景色も穏やかでした。岡山駅でJRに乗り替え米子駅に向かう電車の中で、その景色が一変しました。まさに峠越えのあたりでしょうか。辺り一面雪景色で吹雪いているところもあります。民家の屋根の積雪は20cmを超えています。時々時間調整で止まる電車に不安を募らせていると、ありがたいことにお天道様が見えてきました。米子駅に着いた時には、もうほとんど雪は見られませんでした。
米子駅から日本海に面した皆生温泉までは、車で約15分。「米子の奥座敷」「山陰の熱海」などと呼ばれ、設備の整った旅館やホテルが建ち並ぶ開放的な歓楽地となっています。のどかな温泉情緒の落ち着きに対して、白砂青松という日本独特の美しい海岸風景を残す海辺には、開放的で明るいマリンリゾートの空気があふれ、環境省の「日本の海水浴場88選」や「日本の朝日100選」、「日本の渚100選」、「日本の白砂青松100選」「都市景観100選」にも選ばれています。
皆生温泉の開湯は今から約115年前、皆生海岸の浅瀬に湧き出す熱湯を発見したのが始まりとされています。名前の由来は、「その昔、出雲の稲佐の濱から泡となって流れた魂達が海岸に流れ着き、新しい体と心が蘇生(よみがえる=黄泉の国から帰る)とされて皆、生まれ変わった」ということから、「皆生」と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。
皆生海岸で日本海の荒波を目にし、今も皆生温泉を守る湯薬師様と出会えたような気がしました。大正時代、不毛の海浜の地に皆生温泉を、ユートピアを創ろうと計画された方の壮大なロマンが形となり、温泉の開発、市街地開発、道路網が整備され、一大温泉郷ができあがりました。今もその精神が脈々と受け継がれ、温泉地の方々が協力し、自然の恵みである温泉を大事に守っていらっしゃる姿に感銘を受けました。