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博物館のYoutubをタブレットで見て突如訪問 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3

2015-05-05 | 京田辺 神功皇后 説明板 鉾立杉 三韓征

博物館のYoutubをタブレットで見て突如訪問 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会) 2015.5.3【YouTube】https://youtu.be/Dg0FGTJTjlk
竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」

・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。
 今回は、博物館の数百のYoutubeをご自宅のタブレットでご覧になり、突如博物館を訪問された。
ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター、フェイスブック等のニューメディアにも積極的に世界発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』限定本『竹取物語から古代歴史を探る -イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-』『かぐや姫サミット -作者弘法大師空海-』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」支部も米国に出来ている。
 最近は、封印されていた物部氏(物部王朝・物部天皇)の存在や、大嘗祭には、麻の比礼が使われイエスの復活を表し空海の四国八十八カ所巡礼は白衣を着て回る…のと深く関係していると発表。
 これらを書き記した限定本『竹取物語から古代歴史を探る』-イスラエル12部族・聖書・物部氏・邪馬台国徳之島-http://taketori.koiyk.com/ootutu-samit.html を示しながら卑弥呼の邪馬台国や徐福から『竹取物語』の作者像や京田辺が舞台を説明。
 卑弥呼の邪馬台国・徳之島説については、秦の始皇帝の命令を受けて徐福が東夷の倭国である徳之島に最初に来たあと、400年後に徳之島に卑弥呼の邪馬台国が出来た事。
そして、徐福一行が南西諸島を北上して九州から大和へ入ってきて交野の磐船神社と京田辺の石舟神社に饒速日命の伝承があり封印されてきたことを述べられた。
このほか空海の特別展では、『竹取物語』の作者が、弘法大師・空海で無ければ成し得なかったことなど、奥深い内容が含まれていることを話されている。
「竹取翁博物館」「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
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京田辺ゆかりの人物『神功皇后』の「説明板」と「鉾立ての杉」無くなる。20104.9.1

2014-09-01 | 京田辺 神功皇后 説明板 鉾立杉 三韓征

京田辺ゆかりの人物『神功皇后』の「説明板」と「鉾立ての杉」無くなる。20104.9.1
     http://blog.goo.ne.jp/dontuki23/e/613bca2c143b899203b81e15f12b4fb7
 京田辺市内のJR同志社駅前「鉾立ての杉」が、現在バッサリ切られ、案内板もなくなり、ポツンと一つ道の片隅に申し訳なさそうに石碑が建っているだけという事を今日知りました。地元の方によると、京阪奈学術都市の第1クラスター地域が成すこととは思いたくないと、機会あるごとに市民の方々にお話してこられたようです。
 鉾立て松と杉、それに不違の池は、神功皇后が三韓征伐(任那救済)を行った4世紀後半のエピソード(百済記)です。
神功皇后は、不違の池で身支度を整え、髪を洗い、みづらに結い、男子の装いをして船出した。(古事記・日本書紀)  三韓征伐の行き帰りに不違の池(京田辺市興戸若宮、八幡木津線沿い)を通ったときの隊列を現している。そして、帰りも必ず通ると約束。池の側には、皇后が腰掛けたとされる「御床の石(通称とこいし)」が不違の池の北側に今もあり、遠征の酒盛りをしたときの盃の跡が、5、6ほど残っているという。その時の戦隊行列は、鉾立て杉(南鉾立、JR同志社駅前)から松(北鉾立)まで続いたと言われる杉と松である。本来は両方共に松だったと言われていますが。
いにしえの時代から言い伝えられてきた地域の先人たちの郷土愛と誇り、そしてその心をつなぐ役割と責任を行政や市民はもっと大切にする必要があると思います。この他にも普賢寺にある近衛さんの入口に建てられていた看板も無くなっていると言うことです。これは大問題です。京田辺市郷土史会は、何の活動をしておられるのでしょうか。歴史をしっかり伝えない京田辺市は、滅びることになるでしょうね。