22年前
車庫の片隅に置いていかれたキミは
手のひらも余るほど小さく
真綿のかたまりみたいだった
あれから22年
ずっとアナタは大事な家族だったよ
来たばかりの頃は
先住の姐さん方が怖くて
いつも私のロングスカートの中に隠れてたよね
「遊んで」っておもちゃを犬みたいに咥えてきたり
なぜかいつも「わん」て鳴いてたよね、猫なのに。。。
唯一度だけ「にゃぁ」と鳴いたのは病院でだったね
普通「にゃぁ」だから、びっくりしたのは私だけ
「スーが猫かぶってた」と家族に言ったものだ
・・・想い出はいっぱい
オトナになると
どんどんツンデレになっていったよね
すごく自分を持っているなと感じた私
ある時、長期不在から戻ると
「わん」は「ギャオ」に変わっていた・・・
どんだけ私を探して呼んでた事か。。。
息子たちより長い年月を一緒にいたアナタは
私の子であり
友であり
師でもあった
長きにわたり
傍ににいてくれて
ありがとう
私を幸せにしてくれて
ありがとう
どうか
どうか私のこと
忘れないでおくれ
虹の橋で待っていてね
私がそっちに行ったら
必ず見つけておくれ
それで、一緒に虹の橋 渡ろうね!
☆ご報告
ご訪問くださり、ありがとうございます。
12月27日(日)の早朝
スーは、22歳8か月の生涯を閉じました。
6月頃から、認知症っぽい夜の徘徊がはじまりました。
8月頃には、いつも居た椅子から降りるのが難しくなりました。
階段状にして上がれるようにしていた椅子ですが、階段にしていない方へ普通に降りようとしたのです。
まるですぐ床があるかのように・・・認知症ひどくなった?いや目が見えてないのかも?!
それからは、床(カーペット)の上での生活になり、私の部屋はスーの部屋となりました。
常に床の上に居るので、私の日常はどんな時も次の動作の前には足元確認が必須となり、それが習慣になりました。
12月にはいると食も細くなり、食べたり食べなかったり。
とにかく好きなものを、食べたいものをあげました。(12/23 煮魚のガツ食いが最後でした)
それから、もそもそ起きだして部屋から出ていく時は、トイレに連れていくと大概そこでオシッコしていました。
ちゃんと尿意がわかり、トイレに行こうとするのは、ほんとえらかったです。
オムツは尊厳を損なうと思い、がんばってもらいました。
しかし、徘徊は更に増え、立ち止まる度に排尿してしまうようになり、いよいよオムツのお世話に。(12/24)
スーは全く嫌がりませんでした。
12/25からは水も飲めなくなる。
12/26 起き上がるが、歩こうとすると腰砕ける→カーペットの上で休憩→猫ベッドに寝かせる
夜)か細いかわいい声を出す 抱っこ(嫌がらない)→ベッド→抱っこ→ベッドの繰り返し
12/27 AM3:00頃 息が細くなる。猫ベッドごと布団へ。
AM5:00頃 床に就くが息が心配で布団の中で撫でる。
時折呼吸が乱れる→撫でる→撫でる→ → → → → 眠ってしまう。。。。。
気がつくと夜は明けており、スーは体温がなくなりかけていた。
逝ってしまったのだ。
布団に入らず、ずっと抱っこしてたらよかったのに!
最期を看取れなかった・・・ばかな私。
スーには本当にすまないと思っている。
後悔ばかり・・・
年だからって病院で診てもらう事しなかった。
アナタは一生懸命生きているのに、
私は自分の都合優先して、アナタの延命を望まなかった。
今はそんな自分が恨めしく、許せない。。。
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