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別れの曲 Abschiedswalzer

2020-01-05 14:44:56 | 銀幕

ゲツァ・フォン・ボルヴァリー監督作品

この記事は映画のネタバレをしています。

 

この作品は1934年(日本では昭和9年)に制作されたドイツ映画です。そしてこの映画は監督はじめ撮影スタッフは同じでフランス人俳優が演じるフランス語版の映画もあります。DVD内の解説に書かれていましたが、当時のヨーロッパ映画はドイツ人俳優によるドイツ語版とフランス人俳優によるフランス語版を同時に制作していたそうです。そうやって広くヨーロッパ中に上映されていたのでしょうね。

日本では戦前にフランス語版が上映されたそうで、それでこの映画は本来はフランス映画と思われている人が多いそうです。

ドイツ語版のタイトルは ” Abschiedswalzer(別れのワルツ)” 、フランス語版は”La chanson de l'adieu(別れの歌)” 、邦題は「別れの曲」となり、この映画がきっかけで日本ではショパンの練習曲作品10番の第3曲が「別れの曲」という名前で知れ渡るようになりました。

現在日本で販売されているDVDはドイツ語版で、私もドイツ語版を鑑賞しました。

ドイツ語版では主人公ショパンをポーランド人俳優ヴォルフガング・リーベンアイナーが演じてます。1934年当時ドイツはナチスドイツが台頭しましたが、ポーランドとは不可侵条約が締結されていました。だからこの映画の配役が実現したのでしょう。その5年後ナチスドイツは条約を破棄しポーランドを侵攻します。

 

そんな時代背景とショパンの時代が重なる物語でした。

19世紀、帝政ロシアが支配するポーランドから始まります。街の通りはロシアの騎馬兵が闊歩し、ポーランド男性の有志は秘密裏に反ロシア運動活動をしていました。

フレデリック(ドイツ語版ではフリードリヒ)・ショパンも反ロシア活動に賛同している一人。ショパンの音楽教師エルスナーが不安定な国情を心配しウィーンでの演奏会を勧めても国が大事な時だから今はできないと答える。

そして同時に初恋にときめいていました。庭で豆むきをしているコンスタンティアの18歳の誕生日に彼女に美しい曲をプレゼントするのです。早速彼女の家のピアノで演奏しショパンは演奏しながら詩を暗唱する。コンスタンティアもショパンに恋していてうっとりと聞き入る。部屋にはショパンがこぼした豆をついばみに鶏が入ってきてるけど二人は気にせず幸に浸る。のどかでかわいらしい情景でした。

反ロシア活動組織はいよいよ蜂起を決意。3日以内に決行する。ショパンがこの蜂起を知ったら一緒に戦ってしまう。かれの才能がここで死んでしまってはいけない。青年団は音楽教師エルスナーに相談します。彼らはみんなショパンの音楽の才能を愛していて、希望を託している。エルスナーはコンスタンティアに事情を話しショパンを二度とポーランドに戻らないように仕向けるように懇願する。彼女はその要請を絶対嫌だと断ったけれど・・・

公園で行われた演奏会でコンスタンティアはショパンが誕生日に贈ってくれた曲にあわせて歌を歌います。精一杯の愛情をこめて。それを聞いたショパンは喜びに溢れ、歌い終わったコンスタンティアに僕は君のそばを離れないと言うと、コンスタンティアはあなた勘違いしてるわ、私は歌手になりたいのだからお金のない人は私にはふさわしくないの、と冷たく突き放すのです。そして失意の表情で去ってゆくショパンを見て泣いてしまう。酷な要請をしたエルスナー先生はコンスタンティアにショパンが成功したら必ず手紙を送って真実を話してあげると約束するのです。

このシーンは胸が痛みました。ショパンを国から出すためとはいえ、必死だったとはいえ、お金の話をしたら本当に愛想をつかされたと思って気持ちを整理してしまうじゃないですか。もっと違う言い方があったのじゃないかと思うんです。例えば今はまだ平穏だから今のうちに音楽活動してポーランドの誇りを伝えて欲しい、そしてひととおり演奏してから帰国すればいいわ、とか・・・。それじゃあエルスナー先生の演奏会のお誘いと同じになってしまうか・・・

ショパンとエルスナー先生は馬車に荷物を詰め、沢山の人の見送りを受け旅立ちます。ただ一人、コンスタンティアはそこにいなくて窓から外を見てました。涙をこぼしながら。

 

舞台はウィーンの演奏会を経てパリに。映画の中でパリの人々がドイツ語を話しているのがちょっと不思議でした。

まだ無名ながらショパンは演奏会を開催すると、客は思った以上に集まってパリの知識人も多数聞きに来ていた。控室で出番をまつショパンはその理由を知る。ポーランドで反ロシア蜂起がされ制圧されたニュースがパリにも届いていた。深い衝撃を受けたショパンはステージのピアノに向かう。始めは予定通りモーツァルトのメヌエットを弾き始めたが、途中でやめてしまい、苦しい胸の内を吐き出すような曲を弾く。その曲はショパンの練習曲作品25第11番「木枯らし」。演奏しながら画面は同志たちが戦い次々と殺されてゆく様子が映し出されてゆく。街は荒れ、銃声の轟きのなかでコンスタンティアはショパンを国から出した事の正しさを痛感する。

この演奏を聞いてハッとしました。去年鑑賞した映画「グリーンブック」にそっくりなシーンがあったのです。当時最高峰のソ連のレニングラード音楽院に留学してクラッシックを学び教養も高い天才ピアニストであるドクター・シャーリーは黒人であるためにクラッシックの演奏をすることが許されない。運転手トニーに本当はショパンを弾きたいんだと本心をこぼすのです。アメリカ南部の演奏旅行ではひどい差別を受け、あまりの理不尽さに打ちのめされながら運転手トニーと黒人の集う酒場で食事をとっていたら、酒場の人が音楽家ならピアノを弾いてみてよと言われピアノに向かって、思いつめたように「木枯らし」を一気に弾くのです。この場面は映画「別れの曲」と通じる理不尽な暴力や差別への抗議でもあり、オマージュでもあったのですね。

 

新聞に書かれた演奏会評の多くは不評だったが、ただ一人才能を高く評価する人がいた。それはジョルジュ・サンド。彼女はショパンが天才だと見抜き、同時にときめいていた。ショパンも演奏会場のバルコニーで鑑賞していた美しいジョルジュ・サンドにときめいていた。

ジョルジュ・サンドは小説家であり社交界の華。世間の注目の存在だったようです。演奏会には恋人と一緒に来てました。

翌日ジョルジュ・サンドが男装してレストランに入ると、偶然ショパンに出会う。その時のジョルジュ・サンドはまるで宝塚の男役の様な仕草が洒落てます。

 

一方、エルスナー先生はジョルジュ・サンドが絶賛した評の切り抜きを封筒に入れてコンスタンティアの元へ郵送します。エルスナー先生は約束を忘れてなかったのです。

 

ショパンがエルスナー先生と楽譜屋に作曲した曲を売り込むも、良い返事がされないでいると、さっき披露した自曲の楽譜を誰かが初見で見事に弾く人がいる。驚いてショパンが楽譜を置いたピアノに戻ると、金髪の青年が弾いていた。ショパンは気づいた、その人こそは・・・

演奏されている曲は「英雄ポロネーズ」。華麗でダイナミックな曲です。

そっと近づいたショパンも途中から背中合わせで置いてあるもう一台のピアノで一緒に弾く。金髪の青年はハッとしてから笑顔になる。

「後ろで引いているのはショパンだな」

「僕の後ろはフランツ・リスト」

二人は曲を途切れさせることなくそれぞれ片手で弾きながらもう一方の手で固く握手するのです!

 

おおリスト。前回と前々回に「リストマニア」の事を書きましたっけ。歳はショパンより1歳年下ですが、映画では年上のような風貌でした。彼はすでに天才音楽家としてパリ音楽界の寵児になってます。彼は友人であるジョルジュ・サンドからショパンを新たな天才だと言い、世に知らしめる協力を頼まれていた。だから彼を確かめに出向いたようです。そしてリストも確信した。リストはショパンに告げます。

「君にオルレアン公から招待状が届く」

 

その言葉通り通りオルレアン公ルイ・フィリップの宮殿でのサロンパーティーが始まる。オルレアン公ルイ・フィリップといえば、フランス王となった人物じゃないですか。このサロンの格式の高さが伺えます。ジョルジュ・サンドはオルレアン公爵夫人のお気に入りで、公爵夫人の許しを得てリストと協力して趣向を凝らして会場を驚かす方法でショパンの実力を披露します。

私としては正攻法で紹介した方が良いのではないかと思うのですが・・・こんな感じに趣向を凝らす事は当時はあったのかな?

ジョルジュ・サンドはショパンに嫉妬する恋人の小説家に別れを告げると。小説家は「美貌と才能ばかりか、気まぐれも桁外れだ。」そう言って手にキスして退場する。皮肉だけど、洒落ていて相手を傷つけない。その小説家の言葉のセンスの良さに感心しました。

 

ショパンとジョルジュ・サンドは相思相愛になり、ジョルジュ・サンドに誘われてパリを出てマジョルカ島に行く事を決める。旅支度するべく帰宅し嬉し気にエルスナー先生に話すと、その陰に隠れていたコンスタンティアが聞いてしまう。彼女はエルスナー先生から送られた演奏会評を読んで喜び、いてもたってもいられずショパンに会いに一人パリに来たばかりでした。

コンスタンティアは精一杯気丈に振舞う。そして以前は愛してないと嘘をついたことをうちあけ、改めて愛していると告白する。

「でも私たちは一緒になれない。あなたのような天才は皆のものよ」

 コンスタンティアは最後に一つお願いする。あの18歳の誕生日にプレゼントしてくれた曲を弾いてほしいと。

「想像して、これは私のピアノで、ここはワルシャワの家よ。外のニワトリが部屋に入ってきたわ。覚えてるでしょ?」

ショパンはあの美しい曲を弾き始める。涙をこらえ、コンスタンティアはそっと部屋を出る。

その曲こそショパンの練習曲作品10の第3番。この映画がきっかけで「別れの曲」と名前がついた曲です。

 

ショパンを演じたリーベンアイナーは繊細な顔立ちで引き締まった細身の姿が颯爽として美しく魅力的でした。ポーランド人であるためさらにショパンと重なり鑑賞しました。

ショパンとリストの出会いは音楽と共に心が躍りドキドキした素晴らしい場面でした。

ジョルジュ・サンドはちょっと私のイメージとは違っていたけれど、男装姿がとても魅力的でした。

そして何よりコンスタンティアの優しさやいじらしさが心に残り、物語の余韻になりました。

ポーランドの同志はショパンには蜂起の決行を隠し、コンスタンティアも自分自身も傷つく嘘を言って失望させてポーランドから去らせる。そうやって自分たちは見返りを求めずショパンの命を守り抜いた。ショパンの才能を愛し希望を託して。一人の天才が花開くためには多くの人の献身があった。その才能への献身を今度はジョルジュ・サンドが引き継いでゆく。

 

この映画は2010年にショパン生誕200年を記念して日本でドイツ語版がリバイバル上映され、DVDも発売されたそうです。わたしはネットでレンタル落ちのDVDを購入して鑑賞しました。いつか機会があればぜひフランス語版も鑑賞してみたいです。

再生した機器は2001年に購入したモバイルDVDプレイヤーで、当時子育てで忙しかった私にとって空いた時間にこのプレイヤーで映画を見るのが日々の楽しみでした。今は実家で愛用していて今も元気に再生してくれます。日本製は優秀ですね!

 

2010年のリバイバル時に作られた予告編がありましたので貼り付けます。ショパンの凛々しい美しさ、リストとの邂逅、ジョルジュサンドの男装姿、コンスタンティアのかわいらしさを見ることが出来て、さらに「木枯らし」「英雄ポロネーズ」「別れの曲」が聞けます。

映画「別れの曲」予告編

 


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