9月9日に母の付き合いで見に行きました
「少年Hくんの目がとても澄んだ目をしていて、どうしても見たくなった」と
原作者の妹尾河童氏とほぼ同年代の母は戦争体験を共有して話す人が周囲にいなくなったと言います。
この映画を見ることは母自身の子供時代を回顧することでもあったのだろうなぁ
思いっきりネタバレしてますので、これから映画を見る方はご注意ください
物語は昭和16年の初めごろから
西洋人が多く住むハイカラな神戸ですが、町はのどかでごく日本的な軒を連ねた商店がならび、その中の一軒に主人公の家族が住むスーツの仕立て屋さんがあります。家の様子も慎ましくごく普通の日本の家庭。
町の様子はまだ和やかですが、少しずつ西洋人が神戸を去っていく
お向かいのうどん屋の兄ちゃんは自転車で出前を配達するとき鼻歌で歌うのがヴェルディのオペラ「リゴレット」のなかの「女心の歌」
風の中の羽根のように いつも変わる女心
この歌がなんだか象徴的に物語を暗示していました。西洋的なものにほんのり憧れをもつ肇(はじめ…少年H)はその歌を気に入り、覚えてしまう。
やがてその兄ちゃんは警察に政治犯として捕まり、その店の主人も連行される。
それを見た退役軍人と退職したインテリの元銀行員(二人は一般的な街の声を象徴している)はさもしたり顔で言う。
「こいつらちょっとおかしいなと思ってたがやっぱりアカやったんやな、捕まったら拷問を受けるがいい気味や」
ある日神戸へ身一つで着いたユダヤ人たちにHの父親盛夫は仕立て屋として尽力する。
そして戦争へ
キリスト教徒の妹尾家は白い眼で見られ、戦前、アメリカへ帰国した宣教師から送られた絵葉書からスパイと疑われて父は厳しい尋問を受けてしまう。
これは子供のたわいない話から大人が勝手に大げさに言い立てたもので、
世の中の視野が極端に狭くなっている。
それにしても肇の父盛夫の冷静さには驚きます。
世の中の不穏な空気を察知して、家族に周りへの対処を諭す。日本は絶対勝つなんてことは言わない。
絵葉書の件も冷静に推察している。ふつうとんでもないデマを言いやがってといきり立って家族はさらに窮地に落ち込むところだったけど、むしろ息子の味方を増やしてくれた。
盛夫が西洋人をお客にスーツを仕立てる仕事をしてたから、またキリスト教徒でもあるし日本人の中だけで生活が完結してなかったからこそ広い視野を得ていたのでしょうか。
妻の敏子に隣組の班長をすすめ、地域の信頼を保ち、娘の好子には疎開させる。
のちの大空襲を考えると幼い娘の疎開は正解だったんだと思いました。
肇少年は反骨精神が強く、おかしいと思ったことをはっきり言ってしまう子で、中学に上がり、ヒステリックな軍国主義の田森教官に目をつけられ厳しい対応をうけるが、冷静な久門教官が自分の配下に入れて救ってくれる。
この時代にこんなにはっきり恐れを知らず言ってのける子がいたのかとこちらも驚きました。
そして空襲
それは凄まじい火の嵐でした。
町は焼け落ち、炭化した死体があちこちに倒れているなか命だけは助かった妹尾家は焼けたミシンをひろう。
戦後、人の価値観は一変する。アメリカ兵が闊歩し、あの退役軍人と元銀行員の二人はジープに乗ったアメリカ兵に「ハロー」といって手を振り、「今アメリカさんがこっちに手を振った」と喜ぶ。
田森元教官はすっかり人が変わり、敵視していた反政治活動のシュプレヒコールに賛同している。
世間を覆って、正義は自分たち以外にないと断定し反論するものを力づくでねじ伏せていたあの「正論」はどこに行ったのか。
風の中の羽根のように すぐに変わる世間の正論
不思議だなと思うのは、戦時中あんなにアメリカを敵視していたのに、じっさい徹底的にひどい仕打ちを受けた後はむしろアメリカを慕っている。
圧倒的な戦力を見せつけられて、勝ち目のない相手と思ったからの追従(ついしょう)なのか、GHQの影響なのかな。
私は世間の代表のように正論の代表のように自分たちと違う考えの人間というだけで徹底的に断罪して優越感にひたり、そのくせ時代が変わるとなんのためらいもなくこれまで守ってきた正論と真逆の価値観を持つ強いものになびいてしまう退役軍人と元銀行員の罪の意識の欠如に作者の強い怒りを感じる。
その罪作りな二人(実は世間代表)をとぼけた味わいで演じた役者さんの演技が重さを救ってたのでは。
あんなに冷静だった盛夫は茫然として何も手につかない。
肇は大人たちの豹変に強い不信感を感じ、死まで考える。
そんな時久門元教官に会う。戦後は闇市で時計の修理屋をやっているが、西洋人にも日本人にも同じく穏やかに対応していた。彼は戦時中も戦後も変わらぬ姿勢を保っていた。
やがて再生へ
やっぱり最後は「女心の歌」が現れます。
これからも世間は風の中の羽根のように変わっていくのでしょうね。
でも人には再生する強いエネルギーを内包していると最後の場面は語っているようでした。
水谷豊がすっかり盛夫になっていて、俳優が演技している感じをうけませんでした。伊藤蘭もキリスト教の信念を守り通し他者への奉仕を忘れない芯の強い母さんが似合ってました。
うどん屋の兄ちゃんとオトコ姉ちゃんはあの時代にしては体格が良すぎな気もしました。オトコ姉ちゃんは以前ドラマで見た窪塚洋介の印象がいまだ強く残ってしまっています。
肇少年役の子の利発な目はたしかに澄んでて良かったです。
母は映画を見た後、戦時中のことをポツリといってました。
「夜にね、南の空が真っ赤に燃えていたのを父親と見たよ。大阪が空襲を受けたと思った」
母の住んでいた地域は空襲はなかったけど、戦争の傷を負った人を数えきれないほど見てきたんだろうと思いました。
「今日はいい映画を見れていい日だったわ」
そういって帰りました。