~窓をあけよう☆~

三国志 Three Kingdoms 第5部 英雄帰天(前半) 第58~67話

第5部は多くのエピソードが入り、1度ではとても書ききれないので、前半と後半に分けて書きたいと思いますm(__)m。




第5部前半に入ります。
周瑜は遺言で魯粛を大都督に指名したと伝えた孫権。魯粛は戸惑います。以前孫権は周瑜の前で魯粛に対して「孔明と通じているに違いない」と怒って役職を罷免したので。
孫権は言う
「公瑾(周瑜)に芝居を打ったのだ。メンツを取り戻させると共にそなたに対し引け目を感じさせるためだ。
恩人であるそなたに対し呵責の念が増せば、大都督の職をそなたに譲ると読んだのだ。
公瑾は諸将に信望があった。その本人が指名した者こそが諸将を抑えられる。」
そういえば孫権が魯粛を罵倒しながら罷免した時(第4部)、何度も周瑜の顔をうかがってました。

周瑜の葬儀には将軍たちが並び、むせび泣きます。将軍の一人呂蒙は何も言わず祭壇のそばで木簡や竹簡の紐を取り外しながら護摩を焚くように火にくべてました。眼に涙を浮かべながら。

その様子にむしろ悲しみの深さを感じました。
呂蒙はもう身内なんだね。後ろに嗚咽する周瑜の夫人が見えましたが、小喬だったかわかりませんでした。ほかに奥様がいたかもしれませんね、この時代だから。お子さんもいたそうです。

その中で大都督を継ぎ、かつ親交の深かった魯粛が涙ながらにしみじみと悼む言葉をかけてました。

心のこもった言葉でした。

周瑜は孫策とも魯粛とも深い友情を結び、呂蒙をはじめ部下たちにも慕われていた。孫権が時に将軍たちが自分よりも周瑜の命令を聞くことに腹を立てていましたが、それだけ周瑜は人間的魅力と統率力の優れた人物だったのがわかります。
私も、もうこれからの物語で華やかな周瑜に会えなくなると思うとすごく寂しく感じました。

そんなとき孔明がお付きの者を連れて堂々と現れます。

将軍たちは殺気立ち剣を抜きますが、魯粛が止めます。

孔明はまっすぐ祭壇の前に進み周瑜の死を大いに嘆き悲しみます。

その大げさな仕草と言葉と号泣に将軍たちはさらに泣いて刀を手放します。
ただ魯粛と呂蒙は冷ややかに傍観してました。魯粛は呂蒙に言う。
「これぞ権謀家だ。一国を治めるにはこのような厚顔が要る。」
孔明も必死だったのでしょうね、命の危険を顧みず丸腰で葬儀に向かって。得意のスピーチ力を使って将軍たちの戦意を失わせて、自分たちへの怨恨を少しでもかわすために。
そして、ライバルへの思いもあったようです。後でこう言ってます
「人は主君に尽くす。周公瑾はもっとも敬服する男だ。私は強敵と知音をいっぺんに失った」

そんな時、一人の酔っぱらいが現れ、周瑜をけなし始め、追い出されます。

魯粛と孔明は気づきます。この人物こそ世にいう鳳雛(ほうすう)で孔明と並び称される龐統だと。
葬式もそこそこに龐統確保に動き出す2人。だけど、龐統は熱心に誘われてもそっけない。龐統は言う
「正当な値が付くまで、この首は30年でも売らぬぞ。」

孔明は孫権軍に奪われないように一計をたてて、魯粛は龐統を見失います。
魯粛はため息をつき言う
「龐統は人中の鳳凰。鳳凰が翼を広げれば足跡さえ見つけ難い、探すだけ無駄だ。我が呉は広大なれど龐統が止まり得る枝は一本とてないのだ。」
・・・その前に、周瑜の葬式で将軍たちの前で故人の悪口言ってしまったら、もうその段階で呉の軍師の道はなくなったのじゃないかな、なんて思いますが・・・


龐統士元
龐統は小柄でお顔は不器量でいて、話し方も偉そうで皮肉っぽいのですが、雰囲気がチャーミングなんです。にっと笑うと可愛いし。
他の人がこういう尊大で皮肉っぽい話し方をすると嫌味で鼻持ちならなくなってしまうのだろうけど、龐統はそんな話し方も魅力になっていました。でもきっと気に入らない人には痛烈な言葉を浴びせ近寄らせないのだろうと思います。

その龐統の才能に気づいたのは張飛なんです
ふらりと荊州にわたった龐統は劉備が役人を募集していると知り「龍広」と名前を偽って書類を提出。
文章の見識の見事さに面会をした劉備と孫乾、その姿を見て孫乾は劉備に耳打ちします

「見た目が良くないから重用すると漢の威厳を失います」。
それで劉備も地方の役人に任命してしまう。2人ともひどいよね~。孫乾くんだってそんなに・・

地方の役人にされた龍広はふてくされて仕事を放棄。もう100日も仕事をしていないと聞いて張飛が孫乾を連れて任地に出向き叱咤しに行きます。

道中の2人の会話はさながらボケとノリ突っ込みで面白かったです。
到着して早々に張飛が文句を言うと、
「曹操も孫権といった輩もわしから見れば掌中の玩具だ。わずか百里の小県など屁でもない」
といい、目の前で100日分の書類をみるみるこなし、パッと見るだけで役人の計算ミスを指摘し正しい数値を述べる。張飛の命令で計算させると果たして龍広の数値が正解だった。
これは凄い人材だと驚いた張飛は、もう役人は飽きたから出ていくという龍広を軟禁して急ぎ劉備に報告。劉備も慌てて龍広の元に駆け付ける。妻(孫小妹)の月見の約束もすっぽかして、阿斗ちゃんが病気で危篤の知らせもほっといて←おいおい(^^;)

そして孔明の時と同じように寝ている龍広を起こさず、恭しく酒を渡す。それでも出ていく龍広を見送り自分の馬「的盧」を名馬だから乗ってくださいと差し出し見送る。
見送りながら張飛は他人の手に落ちる前に始末した方がいいというと、劉備は諫めて言う。

「私には無理だったが有能な人間に出会えれば、賊を除き漢室を助けられる。そうなれば今日の過ちを忘れないだろう。」
その会話に聞き耳を立てる龍広・・・聞こえるようにわざと言ったように見えますが、張飛って大声の持ち主だし(^^;)。

劉備のその言葉に感じ入り引き返して、自分には合わないと的盧を返し、そして劉備を主君と呼び忠誠を誓います。一行は襄陽に戻って外回りから戻ってきた孔明に紹介すると、龍広は実は龐統だと判明するのです。臥竜だけでなく鳳雛もわが軍に入ったと喜ぶ劉備。
張飛は早速ニコニコしながら飲みに誘います。徐庶や孔明が来たときはあんなに不信感をあらわにしたのに、龐統には自分が発見した人材だという得意げな気持ちがあるのだろうね。関羽も龐統にはくつろいで接しているようでした。龐統の持つ愛嬌に親近感を感じたのかな。
龐統はもう劉備軍の蜀への進出を練り始めてました



許都、曹操軍の本拠地では曹操が露台(野外の巨大な玉座のような施設)である「銅雀台」を建設。

完成記念の宴会に武将と文官の腕の競い合いの催しが開かれることになる。
曹操の息子達も
曹彰は武術部門で弓比べに、
曹丕と曹植は文学部門で「賦」の詩作にエントリー。
  
曹丕は弟の曹彰のような武勇もなく、やはり弟の酒癖は悪いが天性の詩才を持つ曹植にも及ばない事を引け目に感じていた。
できの悪い自分は文学部門で作る「賦」をどう対処すべきか、曹丕は臣下の陳羣(ちんぐん)と相談する。
曹操は帝王しか造ってははならないとする露台を建設した事に対し、群臣に試験を課して探りを入れると同時に息子たちも探りを入れようとしている。
そして、曹丕、曹植の作る賦は公に披露するのだから群臣たちの反応も考慮しなくてはならない。曹丕は2通りの賦を用意することにした。
そこまで考えが及び、曹丕は助言してくれた陳羣に感謝し明日の銅雀台の催しに賓客として迎えたいと申し出ると、陳羣は微笑み、自分より遥かに知力の優れた司馬懿を呼ぶようにと言い辞退する。
曹丕には良い味方がいるんだね。
競技会の当日
宴には荀彧をはじめ何人かの重臣が欠席してぽつぽつと空席があった。
弓比べでは曹彰が流鏑馬で見事な腕を見せて優勝。
そして賦の詩作では、

酒を飲みながら賦を作する曹植と、手前で賦を作る曹丕
曹植は即座に流麗な言葉で父の栄光が極めることを称え願う華やかな内容の賦を作り、出席した群臣はほめたたえ曹操を喜ばせ侯爵の位を与えた。
曹丕は用意した賦のうち選んだのは地味な文章で天子の時世が永遠に続くことを願う内容で、出席した群臣たちの評価も良くなかった。

宴の後、曹植の元に祝いに行く人が多い中、司馬懿は曹丕のそばにいた。
司馬懿は曹丕の臨機応変に対応する思慮の深さを称えた。
公式に発表された賦なので世間に広まる。出席した群臣の多くは2流の人材で皆曹操のご機嫌を取っていた人達ばかり。実は多くの群臣は漢室への忠誠心を持っているので曹丕は群臣ひいては民の賛同を得たこと。
司馬懿は曹丕にささやく
「あなたは才能を隠されている。この言葉が似合います。潜竜です。」
司馬懿は曹丕が帝位につくことを予測したのだと思いました。

司馬懿は曹操に曹丕の教育係につくことを願い出たが、曹植につくようにと命令され辞退して都を離れる。

曹丕は司馬懿の住む水辺の田舎家に度々訪れては教えを受けるようになる。


曹操は敵対している西涼軍の馬騰を貶めるために、天子を通して位を与え孫権討伐を命じる。

馬騰寿成

息子の馬超孟起
西涼軍は老いも若きもロン毛です。
馬騰は漢室を意のままに操る曹操に義憤を感じていて、曹操の罠だとわかっていたが逆に利用して曹操を討伐するために許都の曹操の元に行く。そして曹植の食客で同じく義憤を感じる黄茎と連絡をとって密かに西涼軍を許都に向かわせ実行に移す直前で発覚、馬騰は処刑され黄茎は拷問を受けて共犯者を白状するが最後に曹丕の名を付け足す。
疑いを受けた曹丕は司馬懿の忠告を受けて、否認し続けることと曹植こそ共犯者だと言って判断を鈍らせる。父の厳しい尋問に震えながらあくまでも否認し続ける曹丕に、最後は曹操も認める。


馬騰を処刑された西涼軍では馬騰の息子の馬超が曹操軍と対戦。曹操軍は大敗し、馬超軍は勢い追いかける。

馬超に追いかけられた曹操は

目立つマントを脱ぎ、髭を刀で剃って顔を布で覆って逃げ、あわやの時に許褚に助けられ命からがら逃げ延びる。

西涼軍はさらに馬騰の義兄弟の韓遂の軍が合流し、資材の調達がままならなくなった曹操軍は冬の寒さを利用して砂に水をかけて固めた氷の城を一夜で築きこもる。

211年渭水(いすい)の戦い
馬超は曹操軍の武将に次々と勝ち、最後に許褚と戦うが
 
拮抗し決着がつかない。
曹操はわざと韓遂に思わせぶりな伝言をして馬超に韓遂が曹操と通じていると思わせる「離間の計」を計り、馬超はまんまと騙されて決裂し、西涼軍は崩壊。馬超と残軍は逃げ延び漢中に勢力を持つ張魯の配下となる。

西涼地域と西涼軍を支配下におさめた曹操軍だったが、財政も食料の在庫も厳しくなってしまい、さらに戦争で農地が荒れてしまった。曹操は国を育てることに専念すると決意。数年間休戦し、特に荒廃した西涼8群には住民から食料を奪い取ることを厳重に禁止し、于禁将軍に陣頭させて屯田兵で開墾させ、農民には食料と農機具を与えて3年は無税にして農作業を安心して従事させることにする。
これまでの領袖は考えなかった民の生活の保証をして国を育てる方針を、曹操は実行する。



その時、益州(現代の四川省に当たる地域)にある蜀の地では、蜀の牧の劉璋は戦乱の世の中なのに危機感を持たず政治もせず、美女を舞わせて絵を描いて過ごしていた。

劉璋季玉
漢中の張魯は馬超を得て、いよいよ蜀を自分のものにしようとしている。このままだと蜀が危ないと危機感を感じた臣下の張松と法正はより強い将軍に守ってもらうため、曹操に援護を頼むことを進言。劉璋は許可したが、張松たちの本当の狙いは蜀の平和のために劉璋にとってかわってより強力な支配者に統治してもらおうと願っていて、劉備と曹操を検討してより確固たる地盤を持つ曹操に頼むことに決めて、張松は密かに蜀の精細な地図を渡そうと携えて許都に赴く。
が、 
曹操は冷淡でわざと失礼な対応をして張松を怒らせ追い返す。
かなり好条件で蜀を手に入れるチャンスなのにどうしてと臣下の程昱が聞くと曹操は答えます。
「我らはもう基本策を決めた。数年休戦してから戦うと。」
戦いには多くの犠牲が出る、今の曹操軍の実力なら蜀は落とせるが、その機に乗じて孫権軍と劉備軍が許都を攻めてきたら危うい。
「よいか?いったん決めた戦略は安易に変えてはならぬ。」だけど曹操軍の事情を知らせてしまってはいけない。
承諾も断りもできない事なのでわざと怒らせて帰らせたのだと。
曹操はやはり非凡な人ですね。視野が広く即座にあらゆる方向から検討して一番いい方法を決める。

失意の張松はそのまま益州に帰れず、遠回りして荊州のそばまで行くが、劉備に頼まなかったことは劉備軍に知れ渡っているだろうから命が危ないと想い名前を偽ろうと考えていたところ荊州の入り口で龐統が関羽と張飛と兵士を従えて張松を待ち受けていた。

劉皇叔はすべて事情を分かっていてそのうえで歓迎しますといい、VIP待遇で輿車に乗せられ襄陽の城門ま到着すると、門には軍隊が整列し、笛(南アフリカのブブゼラみたいな笛)を鳴らし、兵隊は漢の復興のエールをそろって上げ、劉備と孔明が直々に迎えに来ていた。許都では屈辱的な扱いを受けてきたばかりなので国賓級の出迎えを受けた張昭は感激する。劉備軍は倒して奪った曹操軍の旗を地面に敷いて張松に武勇をアピールし、一緒に踏んで入城する。
歓迎の宴が開かれると劉備の妻孫夫人から用事があると呼び出しが来るが、劉備は大事なお客さんがあるから後にするようにと言いつける。張松が気を使って奥方の方に行かれてはというと劉備は
「妻子は逃げないが、永年殿は千里の道を来られた賓客ですぞ、気にせず飲みましょう。」という。それに対し孔明はため息をついてこういうのです。
「ご主君、やはり戻られるべきです。奥方様のご機嫌を損ねては・・・。張殿もご理解いただけるはずです。(またため息)虐げられて暮らすのはつらいもの、結局荊州は呉からの借り物で、それを奥方様は笠に着ているのです。」
なんて悲しそうな表情で言って、更に劉備は
「妻の怒りが怖いものか。孫権の機嫌など知らん。たとえ江東を敵に回してもこの永年殿は失えん。さあ飲もう」というのです。
・・・はい奥方の呼び出しは確実に演出ですね。そうやって張松にアピールしてますます劉備軍の味方にさせようという作戦なのはわかるが・・・、
18歳で見たことのない30も年上の男と政略結婚させられて、それでも運命を受け入れ夫を愛し付き従って孫権軍を振り切って荊州について行った孫小妹なのに、宴会で嫁と実家の悪口を言って話を盛り上げるってどうなのよ。ええ、むかついてます(怒)。嘘も方便のつもりかもしれないけど、結局、孫小妹は劉備軍の人間にとってはよそ者扱いなのよね

張松はすっかり劉備軍に心酔し、蜀の詳細な地図を劉備たちに見せ献上しようとすると、同じ漢室の血のつながりを持つ劉璋どのを裏切ることはできないと言って劉備は見ようとせず断る。やきもきする孔明と龐統・・・。龐統は張松に策を授ける。

張松は蜀の成都に戻り劉璋に劉備軍に張魯軍の討伐を頼むことを進言。

手前で語る張松と同じ意見の法正

それに対し重臣の黄権と李厳は劉備に逆に乗っ取られると危惧し反対する

黄権(向かって左)と李厳(右)、2人とも実直そうな味わいのある面立ち

劉璋はあっさり承諾。
臣下の法正を劉備軍へとつかわし、兵糧の援助を約束する伝言を伝える。そして法正も劉璋にとってかわって支配することとを勧める。
それに対し劉備は、曹操が偽りを用いれば私は仁を用いる。仁義はわが基本、と答えるのです。・・・曹操とは違って「仁義」こそが劉備です、ということらしい。

でももちろん劉備軍のみんなは蜀を乗っ取るつもりでいる。

劉備軍は劉備と龐統と黄忠と魏延と3万の兵を連れて益州に向かう。関羽と張飛と趙雲、そして軍師の孔明は同行していない。益州には10万の兵がいるから、もし劉備軍が翻意しても阻止できると張松は言う・・・て、ちゃんとしっかりした軍隊があるのね。だったら何で張魯軍の侵攻を自軍を使って阻止しないで他軍任せにするのだろう。我が領土を奪ってくださいと言ってるようなものじゃない。そんな危機的状況でまた踊り子を侍らせて絵ばかリ描いていて、う~ん、確かに劉璋は暗愚のようです。
劉璋は張松に促されて荊州と益州の境にある涪城(ふうじょう)で出迎えに行くことにする。が、黄権は命が危ないと察知し猛反対して劉璋の袖を口にくわえて阻止する。

呆然と見る張松。
劉璋は袖を振り切り出ていく。

口を血だらけにして泣く黄権公衡
建物を出ると、臣下たちが集まりひれ伏して行かないようにと懇願するのを蹴散らし、城を出る楡橋門(ゆきょうもん)では門番の王累が阻止し蜀の幼老の幸甚の為にも劉備を拒むようにといさめる。

王累
劉璋は臣下の堕落が蜀を弱めたと的の外れた事を言い返し。絶望した王累は自刃する・・・。

涪城では劉備軍が出迎る。宴の席で龐統は魏延にひっそりと命令して剣舞を披露し劉璋の命を狙う。

魏延文長
それに気づいた蜀の武将張任は剣舞の相手をして、劉璋を守る。

宴は殺気立ち、武将たちは剣を手にする。腹を立てた劉備は剣舞をやめさせる
「これは鴻門の会ではなく、私は楚の覇王でもない。」
劉姓の者として、漢の高祖劉邦の命が狙われた作戦を自分たちがするのは我慢ならなかったのでしょう。そして言う
「私と劉璋殿は同族で栄辱をともにする。人は我に背くとも、我人に背かず。」
曹操の「我人に背くとも、人我に背かず」をとても意識した発言をする。劉備は曹操を相当ライバル視して自分は同じことをしないと言い張る。
龐統は懸念します。ここで劉璋を始末しなければ、兵を動かすことになり血が流れ死傷者が増えてむしろ怨恨が深まる。表面的に「いい人」でいるためにむしろ国を荒らしてしまい多くの人を殺してしまう。

宴の後、劉璋は自分にい言い聞かせるように言います。
「天下の群雄で劉姓たるものは私と玄徳の二人だけ。あの男を信用できねば劉氏一族は終わりだ。」
劉璋は「お人よし」なんだと思いました。周りにしっかりした臣下がサポートしているし、平和な世の中だったらこれはこれで益州は成り立ってたのかもしれないし、文化の発信地になれたかもしれない。
そして劉姓であることに、二人共ものすごいプライドをもっているのですねえ。



揚州、江東の地の柴桑では孫権と将軍たちが集まっていた。程普将軍は劉備が不在のうちに荊州の奪還を提案。

程普徳謀
「今や劉備は遠く西蜀に、曹操は馬超との戦いの後、兵を休み南下はありません。このような機会は二度と有りません。」
多くの将軍たちが賛同した中、呂蒙は一人黙っていた。程普が問うと、

「太夫人が荊州への出兵を許しません。小妹様は荊州におられます。もし諸葛亮が小妹様を人質にしたらどうされます?。」
それを聞き孫権は考え込む。

柴桑では孫権の居城に病気の魯粛が寝込んでいた。
孫権は魯粛の体調を気遣いながら、呂蒙を副都督に任命しようと思う、と相談すると魯粛も賛成する。


「呂蒙は軍中の豪傑、将中で抜きんでています。公瑾殿も買っていました。呂蒙は私の後で重責を担ってくれます。」
魯粛は自分の命が長くないことを悟っていた。
それを聞くと孫権はとても悲しそうに言う。

「子敬、そんなことを言うな。そなたは江東の要。私が離さぬ。」
孫権が後をついでからしばらく魯粛と共に過ごし主君としての威厳を身に着けたと第3部で孔明が言ってましたっけ。孫権にとって魯粛は師匠でもあり身内のような存在なんだね。
孫権は荊州奪還の強い意思をもち、そのための呂蒙の抜擢だと魯粛も理解する。
孫権は軍の動きはすべて報告すると約束し、魯粛は涙を流し命の限り孫権に尽くすと誓います。

魯粛は病身をおして将軍たちを集合させ、正式に呂蒙に副都督を任命し、水軍の指揮を任せる。

指名され驚きながらも謹んで副都督の兵符を受ける呂蒙。
魯粛は言う

「将軍方、曹操は赤壁で敗退後、兵を休め南下を企んでいる。劉璋の援護を理由に劉備は西蜀に入ったが、実は益州を取るつもりだ。仁義に見せ野心を抱いている。準備を鈍るな。」
劉備の本心は本人は否定しても周りはわかってる。

戦いの準備が静かに始まる。



荊州の襄陽では孫小妹の元に江東から密使が来て母の危篤を知らせる。

驚きながらも何故表向きの書簡で連絡しないのかといぶかると、密使はこれまで3通よこしたが全て孔明が止めてしまったという。
母の手紙を読み、日に日に弱ってしまっている様子を聞き涙ぐみそうになると密使は「泣いてはいけません。様子が変だと侍従が孔明に知らせます」といい、ひっそりと江東へ帰る準備を手配していると言う。

総務の仕事をしている孔明に孫夫人が書置きを残して出ていったことが知らされ驚き、急ぎ趙雲が孫夫人の一行を追いかけ、追いつく。孫小妹は阿斗もつれていた。
趙雲は孫小妹に臣下の礼を持ちながら諫める。

「奥方様、何故お発ちに?」
「母上が危篤なのです。」
「ご主君のお世継ぎを荊州から出せません。若君だけは荊州にお残しください。」
「一武将が主君の家のことに口出しすることは許されぬ。」
「若君のことは荊州の安危にも関わります。是が非でも引き留めます。」
「私はあなたの主君の妻ですよ」
「お許しを、若君だけはお残しください。」
怒った孫小妹は趙雲を捕らえよと命じ、お付きの侍女たちはいっせいに趙雲に切りかかるが、趙雲は剣を孫小妹のそばに振りかざして彼女がかわしたすきに阿斗を抱き上げ、侍女達には傷を負わせないで刃だけを切り落とす。
そして剣を遣わせないでほしいと改めて懇願。孫小妹も阿斗を手放すのを承諾する。
後から張飛も駆け込んできて、感情的に孫夫人を責めると孫小妹は母の危篤に会えないなら自刃すると剣を首に寄せる。
慌てた張飛も孫夫人が江東に戻るのを認め、趙雲も阿斗を抱き上げて別れの挨拶をする。

阿斗ちゃん可愛くなったね。
趙雲は長坂坡の戦いのときも命がけで阿斗を救って、今回も孫軍の人質になる危機を救ってあげた。多分密使がそそのかして、孫夫人は母親として連れて行ってたつもりなのだろうけど。
張飛の感情が先走り見下すような喋り方と違って、孫夫人にきちんと敬意を表し小さな子を守る趙雲はやはりとても素敵です。


孫夫人が去った知らせは益州にいる劉備に届き、悲しんだ劉備は龐統を相手に酒を飲んで話します。
「いつかは去るとわかっていた・・・。」
劉備はちゃんと孫夫人を大切にしてたのかな。ドラマを見ていると曹操軍や劉備軍と比べて孫権軍は呉国太といい小喬といい女性に発言権があるように見られます。そんなところから男尊女卑のところに嫁いで窮屈だったかもしれません。悪口は言われるしね。
酔った劉備はだんだんと益州への本音を言い始めます。
「私が西蜀を取りたくないとでも?私は欲しい。喉から手が出るほどだ。」
孔明が示唆した天下三分の計を実現するためにも蜀を手にいれなくてはならない
「だが、今は出陣の名分がない。益州を落とし蜀を得れば仁義に背くことになる。それでは人心も離れ立脚の地も無くしてしまう。」劉備は荒れて机を倒しながら嘆く
「一方では仁義を重んじたい。それでいて西蜀を取って大業を成したい。だがこの2つは絶対に両立しないのだ!。」
仁義をたててしまっているがため、自己矛盾にがんじがらめになる劉備。

その言葉を聞いた龐統は笑顔になる。

「今のお言葉に龐統感動しました。ご主君、私が両立させます。ご安心を、この龐統が名分をお作りします。しかも軍は仁義ある軍として用い、名分は公明正大なものにいたします。」

すでに劉備軍は張魯軍と戦い2年がたち張魯軍は撤退していて、劉璋の幕閣は劉備軍への兵糧を減らして徐々に帰還を促そうとしていた。
龐統はひっそりと策を企て自分たちの橋渡しをした張松を陥れる(あんなに国賓待遇してたのに・・・)。怒った劉璋たちに処刑された張松の首は劉備に送り付ける。何も知らない劉備は驚き、まずは荊州に近い雒城に軍を移動させる途中、険しく狭い谷の道に入るため、龐統は劉備に軍隊を2つに分けて進むことを提案。自分は前軍として先に進むので愛馬の的盧を貸してほしいと願い出る。劉備は的盧は自分には合わないと一度返したことがあるのでいぶかるけど、龐統の望み通り貸し与える。
的盧に乗って険しい道を歩む龐統はここはどこだと兵に尋ね「落鳳坡です」と答えると大笑する。

「私は『鳳雛』だ。奇しくも落鳳坡とは、やはりここは天から賜った死に場所らしい。」
龐統の予想通りあたりには益州兵が潜み龐統達一軍を見て矢を降らす。
前軍はほぼ全滅し、逃げ延びた魏延は益州軍が的盧に乗った龐統を劉備だと思って矢を集中的に放たれ絶命したと報告。
魏延は龐統が最後に手に持っていた血に染まった手紙を劉備に渡す。張松を陥れたのは自分であること、それによって劉璋の軍が攻め、劉備軍の退路に伏兵を置いて軍師を殺せば、これで
益州の軍と戦う名分ができ、堂々と攻略できる。その内容を涙ながらに読んで劉備は益州侵攻を開始する。

関平は早馬で龐統絶命と益州軍との開戦を知らせる。孔明はすぐに張飛、趙雲と3万の荊州兵を連れて益州に向かい、関羽、関平親子に荊州を任せる。
関羽は荊州を守るため曹操軍とも孫権軍とも死も恐れず戦うと誓う。孔明はその言葉に不安を感じた。そして言葉を贈る。
「北は曹操を拒ぎ、東は孫権と和する。」その言葉を復唱するようにと孔明が命じると、関羽は憮然とした表情で復唱する。


一方益州では孔明たちの軍が益州に入ると次々に城から武将が逃げていき、苦渋の策としてこれまで敵対していた漢中の張魯軍に援軍を頼むことを決める。そのために20県を割譲することに承諾する。
張魯軍では馬超が対戦を志願する。
馬超と3万の張魯軍は劉備軍が前線基地を置く葭萌関に攻めに行く。劉備は馬超の華麗な武者姿に思わず「さすが錦馬超」と感嘆。張飛は勢い門から出て馬超に一騎打ちを挑む。
 
張飛と馬超は武力が拮抗し、どちらも全く引けを取らない(・・ということは武力は許褚=馬超=張飛なのね)。
その迫力に敵も味方も興奮し劉備も釘付けになる。
日のあるうちに決着がつかず、夜は松明で明かりをとって一騎打ちを続ける。劉備は馬超を気に入り、このまま戦いが続けばどちらかが死んでしまうと心配するのを見て、孔明は一計を案じ、「離間の計」で張魯に馬超を疑わせて張魯軍から追放させる。途方に暮れた馬超に孔明が会いに行き、馬超の父馬騰と劉備はかつて打倒曹操の密約をした仲間であることを指摘し劉備軍への帰順を促す。馬超は承諾する。

馬超は劉璋の住む成都に行き、劉璋を呼ぶ。劉璋はてっきり馬超が劉備を倒した報告をしに来たと喜んで城門に上がると馬超は劉備軍に帰順したと宣言。劉璋に降伏と開城を求め、さもなくば城を攻めると宣言。
劉璋は気絶してしまう。
居城に呆然と座る劉璋のそばにいるのは黄権ただ一人だった。劉璋は「戦争で領民を苦しめてはいけない」と投降を決心。劉備に益州の印綬を渡す。
「劉皇叔、益州の印綬と帳簿類です。これより西蜀は貴殿に帰します。どうか蜀の民を大切にしてください。」
劉璋はやはり悪い人ではなくて、でも牧の職務には向いてなかったのでしょう。劉備は言う。
「私は義を欠いたのではなく、やむなく益州を取ったのです。」劉備はやはり自分の仁義にこだわっていました。
黄権は囚われ死を覚悟したが、龐統は遺言状で益州随一の能臣で忠臣の黄権を必ず採用するようにと書いていて、劉備は右将軍に任命する。

214年劉備は蜀の牧となる
関羽は蕩寇将軍として漢寿亭侯、張飛は征虜将軍として新亭侯、趙雲は鎮遠将軍、黄忠は征西将軍、馬超は平西将軍となる。5人は五虎上将と総称される。

一人荊州にいる関羽は自慢の髭をファサーッとときながら、自分の兄弟分の張飛、趙雲、そして自分と互角に戦った黄忠が五虎に並ぶのはわかるが降伏したばかりの馬超がなるのは納得できず、馬超と腕比べしたいと信書を関平に届けさせる。それに対し孔明は手紙で「美髯公」と関羽を褒め、それに機嫌を良くした関羽は家来に手紙を書き写して文官武官に配るように言う。結構ナルシストですね☆

劉備は龐統の位牌の前でじっと座っていた。才知があるのを気づきながら見た目で地方に追いやってしまう失礼千万なことをしたのに、龐統は劉備の「仁義」を通すために自らが犠牲になったものね。
第2部で曹操が言った言葉を思い出します。
「そなたにとって仁義は単なる世間の評判だけでなく人を殺す武器なのだ。」

孔明は龐統の位牌に静かに深々と礼拝する。

周瑜の時とは違う。

劉備は天下三分の刑を実現するための3段階のうちの第2段階まで達したことの礼を述べる。
そして蜀の法案を厳しく賞罰がはっきりしたものにするよう注文する。
漢の高祖はそれまでの秦の厳し過ぎる法律に対し緩やかな法で人々を解放したが、今回はもともとが緩やかだから、きちんと法整備をして蜀の民を律し、収まってきたら刑罰を緩めていくという。
「今法律を厳正にして国を治めることは大儀をとって小仁を捨てることだ。」
孔明は、劉備が真の主君になっていることを悟る。



第5部の前半を長く書いてしまいました。この前半だけに登場する龐統が印象深いです。
龐統はずっと気ままに暮らして自分を正当に評価し仕える意義を感じる英雄の出会いを待っていたのだけど、いざ出会い仲間に入ると屈託のない性格で周りから好かれ、そして主君のためにあっけなく命を投げ出してしまった。
鳳雛と呼ばれた才人で生きていればもっと活躍できる人だったのに。



江東では孫権と魯粛が荊州奪還の相談をしていた。先ずは返還の要求をすること。その使者は誰が適任か。
魯粛が諸葛瑾の名をあげると、孫権は一計を案じ諸葛瑾の一族を捕らえる命令を下す。
孫権の冷酷さが見え始める

第5部後半に続く

第1部 群雄割拠

第2部 中原遂鹿

第3部 赤壁大戦

第4部 荊州争奪

つわものどもと夢の中

第5部 英雄帰天(後半その1)

第5部 英雄帰天(後半その2)

第6部 三国鼎立(前半)

第6部 三国鼎立(後半)

第7部 危急存亡(前半)

第7部 危急存亡(後半)

コメント一覧

himari
元にもどりました
いろいろ見て見ましたら、うっかり間違えて違うところをクリックしてたみたいでした。おかげで気づくことができ助かりました。
ありがとうございます
himari
お手間かけまして
ごみつさん
読んでくださりありがとうございます!そして・・・
せっかくコメントを入れてくださったのに、なんか間違えて余計な機能がついてしまったようですみません
本当に新しい記事に何かいつもと違うことが書かれてますね。
どうしたのだろう・・・・
確かめて元に戻したらご連絡しますね!
ごみつ
ログイン
こんばんは!

次の新しい記事も楽しく読ませていただきました!いつも本当に丁寧な記事で読みごたえがあります。

とことで、新しい記事にコメントしようとするとgooにログインしないとダメみたいで、この設定は変えられますか?
それとも今後、Gooにアカウント持っていないとコメント出来なくなったのかしら?

もし可能なら新しい記事にコメントしようと思います。
たぶん、設定変更出来るんじゃないかな~?

お時間のある時にでもチェックしてみて下さいませ~。
himari
長くなってしまいました(汗)
ごみつさん
長い文章を読んでくださりありがとうございます
三国志は回を重ねるごとにどんどん面白くなり、思い入れが募り、感想やあらすじを書くにしても、孔明や司馬懿や魯粛のように物語を大局から冷静に眺めて要点を突くようにせねばとは思うのですが、どうも私は物語の波にのまれるタイプのようです

どれくらい文章が長くなるのだろうと思っていたら友人に2回に分けてもいいのじゃないかなとアドバイスを受けて、今回は龐統を中心に書きました。
さて後半。ホントに辛い展開ですね
でも後悔しないように思い切り書いていこうと思います←おいおい
ごみつ
てんこもり
こんばんは!

第5部、終了されたんですね。
お疲れ様でした~。

ホント、ここ色んな事がありすぎて、記事にするにも収集つかないですよね。(^_^;)

himariさんの記事を読みながら、ああそうだ、あんな事、こんな事、色々あったよな~・・と思いださせていただきました。

そして後半!!
まとめるの大変ですね。でも楽しみにしています。
あ~、けっこう辛いんだよね、ホント。
またコメントおじゃましますね。
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