爺の独り言+

予期せぬ応援コメントが未だに届きます。皆様には本当に感謝致します。

被災状況、クスリの大切さ、愛犬の通院

2022-02-13 00:22:20 | ココロの風邪
⚫ココロの風邪(過去)

震災翌日…

状況は悪いことだらけでした。

実家はめちゃくちゃ…
ラジオを聞いても何一つ情報が無し…
車でテレビを見ても、同じ場所しか映りません…
電線はちぎれて電気もなし…
朝一番で家に入ったら、大きな電気温水器が倒れて引きちぎれ、水道管もアウト…
(父はその温水器が当たって足を怪我したことが判明)
爺がしゃがんだ5cm脇にはすごく重いタンスが吹き飛んでいました。

そして良かったこと…
誰一人死ななかったことでした。

犬の目の怪我が心配なのですが、通っていた病院は、崩落したトンネルの先…
当時の市内の動物病院は、家畜専門みたいな所ばかり…
家からタウンページを出して、動物病院を探しました。
1軒見付かりましたが、そこまでの道路は山越えで、国道も一部崩れているため通れませんでした。
脇の山の中の道はどうだろう…
小さな望みをかけて動物病院へ。
非常事態にも関わらず、動物病院はやっていました。
中に入ると…
震えが止まらないネコ。
地震で腰が抜けて立てなくなったゴールデン。
動物も怖かったのですね。
そして、めちゃくちゃな中で営業している動物病院を尊敬しました。

家に帰ると…
母が一言。
薬を探してきて飲みなさい。
顔が赤鬼みたい。

車のミラーで確認すると、顔が真っ赤です。
昨夜から薬を飲まずに、ずっと気を張り詰めていたから、全く気付きませんでした。

靴を履いたまま家に入り…
2階の爺の部屋を開けると…
右端にあったものが左端、左にあったものが右端に吹き飛んでいました。
数々のコレクションが散らばっていて…
それを踏みしめながら薬を探しました。
そして、初めて涙を流しました。

薬と共に…
何十年も前の古い石油ストーブを見付けました。
薬と石油ストーブを外に持ち出しました。

今の爺の家は…
当時、父の友人の別宅でした。
その家は、水道管が生きていて、家の外の蛇口で水が出ました。
そして、車庫が日除け、雨よけになりました。

野菜はたくさんあります。
電気が止まりましたが、秋の終わりだったので、冷蔵庫や冷凍庫の中身が数日間持ちました。

毎日寸胴でポトフを作りました。
そして…少し遠くに住んでいた従兄弟がおにぎりを持ってきてくれていました。

避難所には行けません。
家の扉が閉まらないので、誰が入るか分かりません。
現に、
震災翌日から、普段誰も通らない農道に不審車両がしょっちゅう停るようになりました。
自転車で近づくと、決まって走っていきました。

母と二人…
明るい時間は家の片付け…
暗くなると、今の爺の家の車庫で食事…
そして、玄関、廊下、リビングが片付いたのは震災から4日経った後でした。

犬は家に入ろうとしません。
家に入れても逃げ出します。
良しと言われるまで敷地から出ないようにしつけをしてあったので助かりました。

爺は疲れ果てていました。
とにかく額の多かった家…
ガラスの破片だらけで、掃除が思うように進みません。
寝るのはカローラの後ろ…
足も伸ばせず、熟睡出来ません。
母は怖がり反対しましたが…
4日目の夜から、爺はリビングで寝るようになりました。

リビングのソファは快適でした。
手足が伸ばせます。
余震で何度も目を覚ましましたが、くつろいで眠ることが出来ました。

余震はしょっちゅう起こりました。
震源地の方角から、すごい地鳴りがするので分かります。
地鳴りの後に揺れる。
これが余震でした。

5日目…
雨が降り始める予報になりました。
家の片付けはストップし、家にあったブルーシートでガラスが落ちた窓の部分を塞いでいました。

母は、一番小さなコミュニティーに相当する区の避難所の手伝いを頼まれ、何も頼っていないし、忙しいのになんでだ!と怒りながら出ていました。

2階の窓と格闘していると…
玄関から声が。

靴を履いたまま、勝手に入って下さい。

大声で叫びました。

やって来たのは、隣の街に住む老夫婦でした。
車の無い家だったので、自転車で来たとのこと…

手伝いを申し出て下さいましたが、私達は自分のことで手一杯。

感謝と共に丁重にお断りしました。

奥様が…
これ、家で焼いたから食べて。
と、ケーキを置いて帰りました。

毎日がサバイバルの日々を過ごしていた爺は、やっと疑問に思いました。

なんでケーキが焼けるの?
なんでおにぎりが届くの?
あそこまで行けば、電気、ガス、水道は使えるの?

って。

夕暮れ間近にブルーシートを全て貼り終えました。
玄関から出ると…
市の職員が来ました。

お宅は今、何名ですか?

2名です。

支援物資をもらいました。

500mlの水2本とマスク2枚。

これが、我が家に届いた最初で最後の支援物資でした。

そして…

その理由は翌日分かりました。


母の精神的な疲れはピークに達していました。

毎日、犬と一緒に車で寝ているので…
フルフラットでエアベットを敷いても、家で寝るのとは気分が違います。

これはまずい…
ここで倒れても、爺の通う病院へは連れて行けない。
トンネル崩落から開通まで、1ヶ月ちょっとかかったのです。

爺の薬?
大丈夫でした。
通院間もない震災だったことと、冬の通院出来ないことを考えて、医師と相談して、余分に薬をもらっていたのです。
しかも、薬のチェックが甘い病院で…
4週間分薬を出してもらって、次の予約を3週間後にして行くと…
また4週間分薬をもらえたのです。
こっそり1ヶ月分薬を余計にストックしていました。
爺はODもする気がなかったので、約2ヶ月分の薬があったのです。


そうそう、限界の近い母…
気分転換させないとまずい状況です。

母に、ドライブの提案をしました。
しかし、母は首を縦に振りません。

貴重品も家にあるし、家をあけたくないと…

爺は提案しました。
貴重品を爺の車に置けば、日中は鍵をかけているし、夜は貴重品と寝ることが出来ると…

貴重品を車に積み、しぶしぶ顔の母と愛犬をのせて、震災後、初めて車で出かけました。

そして驚きました。

爺の家から1kmと離れていない所に川が流れていました。
その川を境に地盤が変わっていることは知っていましたが…

川を越えたら、世の中が変わっていました。

なんともないのです。

信号も普通に動いていました。
お店もやっていました。

なにもかもが普通の風景でした。

一つだけ違ったのは…
公民館に自衛隊が来ていました。
これは後で知ったことでしたが…
公民館の避難所に集まっていた人は、ほとんど朝になると家から公民館に行き、お喋りをしたり、自衛隊の食事を食べたりして、暗くなると家に帰る人たちでした。

爺の住む地域は、一部が大きな被害を受け、ほとんどの地域がなんともなかったのです。

小学校の同級生の実家の1/3が全壊判定を受けました。
実家は半壊。
みんな震源地のそばの家で、同じ地盤の地域でした。
でも、ほとんどの地域に被害がなかったので、救援の手が届かなかったのです。

車でテレビを見ると…
あちこちの被災地域にたくさんの人柄集まっていました。
有名人も応援のためたくさん来ていました。

しかし、爺の住む地域には、水とマスクがひとつずつ…
これが現実でした。

そして、爺は就職活動を1年やめる決意をしました。

みんなのちからになろう…と。




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