新世界の第3楽章と第9って…… 2005年07月07日 | クラシック音楽 新世界を聴いていた娘が突然、言った…… 「お父さん、新世界の3楽章って、第9の2楽章に似てるね」 えっ? と思って頭でメロディをなぞっていく。 開始部分のティンパニ、そのあとの弦のスピッカート、クライマックスでまたティンパニ……ほんとだ。似てる、似てるッ!
第9とフリーメーソンと日本の年末 2005年07月06日 | クラシック音楽 疑えばキリがないのが、音楽とフリーメーソンとの関係。 ベートーヴェン=フリーメーソン説は最近いろんな本で目にする。 彼が「第9」終楽章で台本にしたシラーの詞は、フリーメーソン賛歌なのだそうだ(シラーはフリーメーソン)。 では、あの音楽の中にフリーメーソンの痕跡があるだろうか? と考えると、2度音程でずらずらと繋がるあの有名な旋律。モーツアルトでの似たようなパターンは、フリーメーソンの「博愛」や「連帯」を示すシンボルとされているから、この旋律そのものがそもそも怪しい。 第9がフリーメーソン賛歌だとすると、日本の年末には国民こぞってそのプロパガンダに励んでいることになり、「これもフリーメーソンの陰謀か?」と冗談を飛ばしたくなる。 が驚いたことに、これは本当にフリーメーソンの「陰謀」だったという説がある。 年末に第9を演奏するアイデアは、N響の事務局長を務めたA氏から出たという。A氏は某音大の学長もつとめ、日本のクラシック音楽界に大きな影響力を持ったが、一説には氏はフリーメーソンだったという。 もちろん、話を面白くするガセネタかも知れない。
ストラヴィンスキー「春の祭典」のセンセーションとは? 2005年07月03日 | クラシック音楽 「春の祭典」の初演(1913年シャンゼリゼ劇場)は、聴衆の怒号が飛び交う大センセーションを巻き起こしたと伝えられる。 もちろん、ディアギレフの振り付け(ニジンスキーが踊った)と破天荒な音楽がそんな騒ぎを引き起こしたわけだが、もう一つ見逃せない「事実」があったのだそうだ。 舞台に登場したダンサーたちは全裸、しかも奇怪な音楽に合わせて「集団セ〇〇ス」まがいの行為を繰り広げたため、「良識」ある聴衆たちが大騒ぎしたのだという。 ラヴェルの「ダフニスとクロエ」の主役二人も裸で登場したそうだが、こちらは「きれいな」踊りを披露したため騒ぎにはならなかったとか。 ディアギレフはドビュッシーの「牧神の午後」の振り付けもしていて、こちらもストーリーは「酒池肉林の一夜が明けた」あとの話。やはり、かなりキワドイ振り付けが見られたらしい。
「トッカータとフーガ」はバッハ作じゃない!? 2005年07月02日 | クラシック音楽 タララ~~ 「トッカータとフーガ」はバッハの中でも最も有名な曲。 でも最近の研究によると、偽作の疑いが最も濃い曲なのだそうだ。 すでに音楽学者たちの間では公知の事実らしく、いずれ暴露される 日も近い?
「運命」のダダダ・ダーン考 2005年07月01日 | クラシック音楽 ダダダダーンで始まるベートーヴェンの運命。 「運命がかく扉を叩く」のだそうだが、さて、扉を叩く回数は何回でしょう? 音符の数を数えれば4回、冒頭小節だけをとれば3回。 先日会った物知りフルーティスト(プロ)はこう言います。 「あれは1回なんだよ。アウフタクト(ダダダ)でダーンと入るでしょ。2小節目のダーンがメインで、1小節目はそれをめがけた予備拍に過ぎないの。 実際に、外人の指揮者たちはそう振る。日本人の分かっていない指揮者は、全部の音を同じよう振るから、4回叩くことになるんだよね」 う~~~ん。でも先生、他のすべての楽章にも運命の動機は姿を変えて出て来ますよね。 とくに個人的に注目したいのは第4楽章。ここでは複数あるテーマの動機が、すべて3つの音で出来ているように思えますけど。これって「歓喜の歌」、知ったようなことを言えばフリーメーソン的な音楽じゃないですか。フリーメーソンのシンボルとも言える数字は「3」。 運命は3回扉を叩いたんだと思うんですけど、いかがでしょうか?