先週は国際クラリネットフェストで連日の深夜帰宅。
日本で開催される管楽器の国際フェストは、豪華顔見世興行の総花的なお祭り騒ぎになりがちだけど、それはそれで観客には面白い。が、出演者にはちょっと酷な面もある。
と言うのは「世界的」な演奏家にもレベルの差が存在し、それが決して僅差でなかったりすることが如実に露呈してしまう場でもあるからだ。スタンダードなレパートリーでは特にそうである。
今回聴いた中では、アレッサンドロ・カルボナーレ、リカルド・モラレス、チャールズ・ナイディックの3人が飛び抜けていた。
ただ、クラリネットは小回りの効く旋律楽器なので、レパートリーや奏法などで個性を前面に出せば、喝采を浴びることは出来る。バスクラリネットのスクラヴィスやミシェル・ポルタル、ヨゼフ・バローグなどは芸人としての凄さを感じさせた。
「参加することに意義がある」的な人も多かった。アメリカ人の「助教授」の肩書きを持つ人が少なくなかったのは、実績づくりのためだろうか? 掃いて捨てるほどミストーンを連発した御仁もいた。
日本の演奏家には、こうして並べて聴くと共通したある傾向を感じる。特に若い人に顕著なのが、「瞑想」的な演奏をすることだ(演奏前に目を閉じて瞑想する人もいる)。
で始まった音楽が、本来は皮肉とユーモアに富んだ軽い作品だったりする。それを実に丁寧に、なぞるように、きっちり吹き分けていく。おそらく楽譜に書かれた表情記号は完璧に押さえながら……。
コンクールで1位を取ったHさんの演奏はその典型で、音もテクニックもレベルに達しているのだから、あとは一度自分を壊してみることだとつくづく思った。もちろん、言うは易しだけれど。

日本で開催される管楽器の国際フェストは、豪華顔見世興行の総花的なお祭り騒ぎになりがちだけど、それはそれで観客には面白い。が、出演者にはちょっと酷な面もある。
と言うのは「世界的」な演奏家にもレベルの差が存在し、それが決して僅差でなかったりすることが如実に露呈してしまう場でもあるからだ。スタンダードなレパートリーでは特にそうである。
今回聴いた中では、アレッサンドロ・カルボナーレ、リカルド・モラレス、チャールズ・ナイディックの3人が飛び抜けていた。

ただ、クラリネットは小回りの効く旋律楽器なので、レパートリーや奏法などで個性を前面に出せば、喝采を浴びることは出来る。バスクラリネットのスクラヴィスやミシェル・ポルタル、ヨゼフ・バローグなどは芸人としての凄さを感じさせた。

「参加することに意義がある」的な人も多かった。アメリカ人の「助教授」の肩書きを持つ人が少なくなかったのは、実績づくりのためだろうか? 掃いて捨てるほどミストーンを連発した御仁もいた。

日本の演奏家には、こうして並べて聴くと共通したある傾向を感じる。特に若い人に顕著なのが、「瞑想」的な演奏をすることだ(演奏前に目を閉じて瞑想する人もいる)。

で始まった音楽が、本来は皮肉とユーモアに富んだ軽い作品だったりする。それを実に丁寧に、なぞるように、きっちり吹き分けていく。おそらく楽譜に書かれた表情記号は完璧に押さえながら……。

コンクールで1位を取ったHさんの演奏はその典型で、音もテクニックもレベルに達しているのだから、あとは一度自分を壊してみることだとつくづく思った。もちろん、言うは易しだけれど。
