今季アニメ視聴継続数が20超えを果たしたヤミヒロの最近は、観るモノすべてが楽しめて仕方ない
というのも認識について考えを改めさせられたからだ
人間は視覚物を認識してその物がなんであるかを「知る」が、この「知る」という認識も自分自身に内包しておらず外部から「認識する」情報を得ることで初めて「知る」ことができる
(つまりカレーライスかハヤシライスかは視覚できていても両者がどのようなものか外から情報得て理解しないと区別がつかない)と、どっかの哲学者がいっていたがヤミヒロ自身感銘を受けた
ここで重要なのは「認識する」ことをしなければ物の本質はみえてこないということで言い換えれば、自己批評ということになる
『この映像はつまらないから見るをやめよう』の「つまらない」は作品そのものの評価ではなく、面白さを「認識できなかった」自分への評価になりえるわけだ
そうなってくると面白い。 全ての作品、風景、感情、に深く入り込むことができる。
そしてなにより自分を豊かにさせてくれる。
結局のところ つまらないからやるのを、観るの、遊ぶのをやめるでは、「楽しさを認識する」という能力が衰えていつか全てつまらなくなることもありえるのだ
ハヤシライスが大嫌いという人がカレーライスがどのようなものか理解していなければカレーライスも嫌いになってしまう可能性もある
これはある意味、食わず嫌いより恐ろしい
なにせ原因を「予想」ではなく「結果」と誤認してしまうのだから身も蓋もない
そうやって自分をつまらなくさせていく「自傷批評家」になるよりは自分が楽しくなる可能性を模索していく「自己批評家」に目を向けてみてはいかがだろうか。
というのも認識について考えを改めさせられたからだ
人間は視覚物を認識してその物がなんであるかを「知る」が、この「知る」という認識も自分自身に内包しておらず外部から「認識する」情報を得ることで初めて「知る」ことができる
(つまりカレーライスかハヤシライスかは視覚できていても両者がどのようなものか外から情報得て理解しないと区別がつかない)と、どっかの哲学者がいっていたがヤミヒロ自身感銘を受けた
ここで重要なのは「認識する」ことをしなければ物の本質はみえてこないということで言い換えれば、自己批評ということになる
『この映像はつまらないから見るをやめよう』の「つまらない」は作品そのものの評価ではなく、面白さを「認識できなかった」自分への評価になりえるわけだ
そうなってくると面白い。 全ての作品、風景、感情、に深く入り込むことができる。
そしてなにより自分を豊かにさせてくれる。
結局のところ つまらないからやるのを、観るの、遊ぶのをやめるでは、「楽しさを認識する」という能力が衰えていつか全てつまらなくなることもありえるのだ
ハヤシライスが大嫌いという人がカレーライスがどのようなものか理解していなければカレーライスも嫌いになってしまう可能性もある
これはある意味、食わず嫌いより恐ろしい
なにせ原因を「予想」ではなく「結果」と誤認してしまうのだから身も蓋もない
そうやって自分をつまらなくさせていく「自傷批評家」になるよりは自分が楽しくなる可能性を模索していく「自己批評家」に目を向けてみてはいかがだろうか。
本当に勉強になります。
原因は自分にあると考えることによって世界との関わり方も感じ方も変わるんですね。
コペルニクスに並ぶヤミヒロ的転回とも言えますね。
いえいえドンマロ教皇総長には及びません
とくにニンジンジロウのお話は悦楽させていだたきました
読者を飽きさせないマロらしい文章ですね
それでは今後とも楽しみましょうぞ