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曹操が天下を取れなかった一番の理由

2021-10-30 16:11:10 | 歴史のおしゃべり

劉備は優秀な英雄なのでしょうか?英雄の中ではあまり秀でていない英雄だと伺います。

しかしながら董卓や袁紹や袁術や呂布に比べると英雄の器が違います。

だから曹操が自宅に呼びつけて酒を酌み交わしたときに、英雄とは君と余だ、と発言したのも頷けます。

何が頷けるかは聡明さでしょう。仁徳にあふれていた英雄なので人が集まってきます。

曹操は劉備を自分と肩を並べるものとしました。いかに聡明に振舞えるかで英雄の器を判断していたと分析します。

韓非子に載っている申不害の言葉です。見えないものが見えるのを明という。聞こえないものを聞こえるものを聰という。

曹操はどんな困難にもへこたれない英雄といえます。私は才能で自分を助ける才能は自分の欠点に気づく才能だと思っています。

残念ながら董卓をはじめとした袁紹、袁術、呂布には曹操と劉備ほど気づきの才能は有りませんでした。

曹操と劉備はその才能に長けていたと伺います。董卓はいい気になって呂布に殺害されました。

呂布は将軍としては優秀だったのでしょうが英雄としては小粒のようです。結局、曹操と劉備がタッグを組んだら敵いませんでした。

袁術は皇帝を名乗ったら自滅してしまう失態を犯しています。なのでこの場では論外な英雄とさせていただきます。

袁紹は曹操と競る勢力や英雄の相を持ちながら最終的には曹操に負けています。

曹操にとって幸運だったのは袁紹よりも英雄の器が大きかった事実です。曹操は独裁者のくせに人材を集めてコレクションにしていました。

劉備の関羽も一時期手厚くもてなしていたのは三国志ファンならばご存じかと伺います。

ところが袁紹はトップとして一番やっていけない失態を犯しています。

部下の才能をねたむ傾向が強いので優秀な軍師の田豊や沮授を使いこなせませんでした。

これだけ曹操と袁紹を比較してみると意外と袁紹にも人材が多くいる事実がハッキリします。

歴史マニアには田豊と沮授は諸葛孔明に匹敵する軍師とも評価されます。曹操は劉備を怖がっていたのも事実でしょう。

自分の懐に入れていたので安心して劉備には言っていけない言葉を吐いたのでしょうか。君と余だ、と。

劉備は危機感を抱きその後は曹操から袁術討伐の口実を設けて逃げ出す形で曹操のもとから脱出します。

流石の曹操もいい気になっていたのか軍師の一人の郭嘉に苦言を吐かれてやっと気が付きました。

虎に翼を貸して与えたようなもの、と。ともかく、曹操が天下を逃したのはこの失態に尽きるようです。

赤壁の戦いには諸説ありますがブレなく赤壁の戦いに進んで劉備がいなかったら全く違った展開になったでしょう。

諸葛孔明は劉備なくしてどこに仕えていたか不明です。曹操は逃げた劉備を捕まえることはできませんでした。

なので三国の時代が到来しました。

劉備が曹操のもとに駆け込んだ時に軍師の荀彧は殺すべし、郭嘉は生かして使ったほうが今はベスト、と進言しました。

曹操は郭嘉の進言を用いましたが用心に用心を重ねたと伺います。

しかし酒が入ったのでしょうか、うっかり言ってはいけない言葉を劉備に吐いたので三国の時代が到来しました。

しかも生かす進言をした郭嘉に諭されて気が付いたとはなんという皮肉でしょう。

曹操は天才中の天才と評価されますが天下を手中にできなかったのは肩を並べる劉備の扱いに誤りがあったからだと伺います。

曹操が天下をとれなかった最大の理由はここにあるのかもしれません。曹操ファンとしては残念です。

古代史の分身の牧野君の時代小説です。ぜひ読んでください。

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