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KKo ike 1〈One〉(西御門喜仁)

夢遙か! ロマン 温故創遊・戯言をつぶやく夜話(ヤーン)

民際外交{5} 2013全米「 サクラの女王」 歓迎 午餐会 衆議院議長公邸 2013/05/29

2013年06月18日 | Weblog

全米「 サクラの女王」 歓迎 午餐会 衆議院議長公邸   2013/05/29

 

アメリカ「サクラの会」から東日本題震災への義援金を持って、

アメリカ合衆国48州の「桜プリンセス」から選出された「サクラの女王」が来日、歓迎会が衆議院議員公邸で開催された。          (2013/05/29)

日本国「さくらの女王」も 交えて華やかな午餐会となりましたが,同大震災の被害地に

桜の並木を 作り上げること、ワシント ポトマックス河畔の 櫻の苗木が日本に贈呈され、

今後 全国へこのサクラを 広げて行く事業が報告され 会場は 拍手に包まれた

 

 * なお アメリカ合衆国48州の「桜プリンセス」から選出された「サクラの女王」は

2013年4月12日 全米サクラ祭りグランドポール(女王選出大会)にオクラホマ州代表として参加し、「第65代全米サクラの女王」に選出され

た、 本年は猪瀬東京都知事が参加2020年東京オリンピック開催誘致P R(プレゼンテイション)した、


「キャビア」1989.4.26~5.1旧ソ連モスクワにて入手(1986.4.26チェルノブイリ原発事故後カスピ海採取)

2013年06月17日 | Weblog

A)

*旧ソ連邦モスクワクレムリン宮殿前「赤の広場」は5月1日(晴れ){メ デー}側

商店街では路地裏路上パーホマンス「ピエロ」の演技

*旧ソ連邦モスクワクレムリン宮殿前「赤の広場」は5月1日(晴れ){メ デー}市民数万人の集会

{ゴルバチョフ第一書記長が宮殿前のバルコニー<特設お立ち台>で「ペレストロイカ民主化運動」を

高らかにうたいあげていた また「アフガニスタンからソ連軍撤退」の速報・号外は毎日新聞モスクワ支局内

デスクの電話が叫ぶのを目の当たりにした その時「チェルノブイリ原発事故調査状況取材中の小生」}

*  「キャビア」1989.4.26~5.1旧ソ連モスクワにて入手(1986.4.26チェルノブイリ原発事故後カスピ海採取!)


東日本大震災2011.3.11 後1年 地域<東京六本木麻布・横浜>の環境の近況(放射性質物質塵汚染)

2013年06月16日 | Weblog
東 日 本 大 震 災(2011.3.11)後1年の地域環境状況  参考資料  2013/06/14 更新

A)

放射性物質含有・放射化食材衛生検査 「キャビア」は 1983年4月チェルノヴイリ人的暴発事故3年後1986年4月 旧ソ連邦カスピ海採集と思われ1989年モスクワにて入手25年間(Cs137半減期30年)冷凍保管 * 福島第一原子力発電所大地震・津波による暴走水素暴発)放射性物質飛散地域(東京・横浜他)汚染   あえて、事故と呼べない天災故障暴発であろう.  件 名: 2012/03/05 放射性物質(空中飛散)測定 (実施事例)分析評価 放射線量測定[敷地内環境食品衛生[放射線量測定実験実施] *(環境放射線モニターRADI(PA-1000)CsI(TI) シンチレーション検出器) 2012/03/05 (雨天) 測定日時 測定時分 測定場所(地上50cm)・食品 測定値 BG.(μSv/h) 測定平均値 (μSv/h) 10:10 キャビア大 (鶴見区中央おいて) キャビア小 0.065 (μSv/h) ~0.067 (μSv/h) 0.056     ~0.059 0.066(μSv/h) 0.057.5 10:20 13:00 13:00 鶴見駅ホーム(高架・小雨吹付ける) 麻布十番駅[地下鉄大江戸線7番出口] 鳥居坂下[割烹料理]前 (雨) 0.070 0.045 0.110 0.070 0.045 0.110 13:40 大門[地下鉄ホーム] 0.047 0.069 0.059 14:10 14:18 14:32 京浜急行電車内[高架橋走行中](品川→鈴ガ森) 川崎駅[高架]ホーム 鶴見駅ホーム [キャビア](BG含)写真あり 0.053 0.045 0.043 0.067 0.066 0.068    0.057 0.053 0.047 0.066 0.055 15:00 15:32 15:35 鶴見駅前[雨] 鶴見16号線国道[地下道] つるみ区役所 ロビー 0.073 0.071 0.070 0.080 0.061 0.067 0.072 0.065 0.064 関八州放射性物質飛散状況(東京・神奈川「横浜」) 東京 六本木・麻布十番街・走行中電車内(品川→鈴ガ森・大門) 測定条件:地下道・電車内での測定       ≒0.049μSv 鳥居坂下 測定条件:雨天微風              ≒0.110μSv 神奈川東部'(近東京)川崎・鶴見 測定条件:屋根付電車ホーム国道横断地下道・ロビー ≒0・062μSv ニ)鶴見駅前 2012.03.05   屋内線量       :≒0・049~0.062μSv 屋外線量(雨天微風) :≒0.072~0.110μSv 食品衛生検査「キャビア」         :≒0.055~0.057μSv 測定条件:雨天微風              ≒0.072μSv 参考資料 ア) 2・1 鶴見川土手右岸 地上1m測定(よこはま健康友の会) ・下流側から  A地点   0.11    ・下流から5Km標識 D地点 0.08 ・ ”     B地点   0.15    ・ ”     側溝 E地点 0.15  ・ ”桜木根元 C地点   0.15 ・2・1下末吉公園    地上1m測定 ・鉄棒下   A地点   0.89   ? ・滑り台下  B地点   0.083 ・砂 場   C地点   0.083 ・ブランコ下 D地点   0.081 測定器 :国産・PA-1000(単位μSv/h) 参考資料 イ)(2012・01.20現在)横浜市鶴見区役所 鶴見区内の空間放射線量測定結果 ・ *小学校(地上 50cm)・中学校(地上 1m)   0.06~0.17 ・ 幼稚園、保育園(地上 50cm)           0.09~0.16 ・ 公園・市民の森他                   0.05~0.16 参考資料 ウ) 2012. 3.10日 午前9時 福島県の放射線量(3.11 読売新聞) 測定地点    合津若松市   浪江町(加倉) 今回の数値      0.10    3.0 前日の数値      0.13    3.46 福島県の正常値は   0.02 ~ 0.06  (単位:μSv) 「放射能塵除染作業」 福島県川内村 目標値 0.23μs (2013.06.13 NHK TV 朝7.24分放送)! (他の地域では目標値は設定されて無い) 東 日 本 大 震 災(2011.3.11)後1年の地域環境状況  参考資料   2013/06/14 更新 放射性物質含有・放射化食材衛生検査 「キャビア」は 1986年4月26日旧ソ連邦チェルノブイリ原子力発電所人的暴発事故3年後1989年4月 ... 旧ソ連邦カスピ海採集と思われ1989・2002年モスクワにて入手 25年間(Cs137半減期≒30年)冷凍保管 * 福島第一原子力発電所大地震・津波による暴走水素暴発) 放射性物質飛散地域(東京・横浜他)汚染   あえて、事故と呼べない天災故障暴発であろう.  件 名: 2012/03/05 放射性物質(空中飛散)測定 (実施事例) *本日は丁度 六本木麻布十番鳥居坂上国際文化会館で( マレーシア大使館による「イスラム教食<ハラル>学習と夕食パーテイ」外は激しい雨寒い一日であった 環境放射能塵測定は気候・天候条件も顧慮)       分析評価      放射線量測定[敷地内環境食品衛生[放射線量測定実験実施] *(環境放射線モニターRADI(PA-1000)CsI(TI) シンチレーション検出器)   2012/03/05 (雨天) 測定日時 測定時分 測定場所(地上50cm)・食品 測定値 BG.(μSv/h) 測定平均値 (μSv/h) 10:10  キャビア大 (鶴見区中央おいて)          キャビア小        0.065 ~0.067 (μSv/h)         0.056  ~0.059 0.066(μSv/h)                                 0.057.5 10:20                       13:00            13:00 鶴見駅ホーム(高架・小雨吹付ける)     麻布十番駅[地下鉄大江戸線7番出口]                              鳥居坂 下[割烹料理]前 (雨) 0.070 0.045     0.110 0.070                      0.045 0.110 13:40 大門[地下鉄ホーム]      0.047 0.069 0.059 14:10                           14:18 14:32 京浜急行電車内[高架橋走行中](品川→鈴ガ森)     川崎駅[高架]ホーム 鶴見駅ホーム [キャビア](BG含)写真あり   (単位 μSv) 0.053 0.045 0.043 0.067 0.066 0.068    0.057 0.053 0.047 0.06 0.055 15:00 15:32 15:35 鶴見駅前[雨]    鶴見16号線国道[地下道]      つるみ区役所 ロビ ー             0.073 0.071 0.070 0.080    0.061 0.067 0.072       0.065   0.064 関八州放射性物質飛散状況(東京・神奈川「横浜」) 東京 六本木・麻布十番街・走行中電車内(品川→鈴ガ森・大門) 測定条件:地下道・電車内での測定       ≒0.049μSv 鳥居坂下 測定条件:雨天微風              ≒0.110μSv 神奈川東部'(近東京)川崎・鶴見 測定条件:屋根付電車ホーム国道横断地下道・ロビー ≒0・062μSv )鶴見駅前 2012.03.05   屋内線量       :≒0・049~0.062μSv            屋外線量(雨天微風) :≒0.072~0.110μSv 食品衛生検査「キャビア」         :≒0.055~0.057μSv 測定条件:雨天微風              ≒0.072μSv 参考資料 ア) 2・1 鶴見川土手右岸 地上1m測定(よこはま健康友の会) ・下流側から   A地点    0.11    ・下流から5Km標識 D地点    0.08 ・ ”         B地点   0.15    ・ ”     側溝     E地点    0.15  ・ ”桜木根元 C地点     0.15 ・2・1下末吉公園    地上1m測定 ・鉄棒下       A地点      0.89   ? ・滑り台下      B地点     0.083 ・砂 場       C地点     0.083 ・ブランコ下     D地点     0.081 測定器 :国産・PA−1000(単位μSv/h) 参考資料 イ)(2012・01.20現在)横浜市鶴見区役所 鶴見区内の空間放射線量測定結果 ・ *小学校(地上 50cm)・中学校(地上 1m)   0.06~0.17 ・ 幼稚園、保育園(地上 50cm)             0.09~0.16 ・ 公園・市民の森他                     0.05~0.16

参考資料 ウ)

 
2012. 3.10日 午前9時 福島県の放射線量(3.11 読売新聞)
測定地点    合津若松市   浪江町(加倉)
今回の数値      0.10    3.0
前日の数値      0.13    3.46 

* 福島県の正常値は     0.02 ~     0.06  (単位:μSv)

*「放射能塵除染作業中」 福島県川内村 目標値 0.23(μSv ){被爆安全値!?}

 (2013.06.13 NHK TV 朝7.24分放送)! <小生 1957~2013年~学習・研究・体現中>

 *{他の地域2~3市町村以外 目標値は設定されて無いで除染 作業中) !?       つずく

 

            エネルギー環境教育技術リーダー  {経済産業・エネルギー資源  認 }

                                          小 池 喜 一   

 

                                                         


民際外交 {6} (C)タ イ 王  國(マレーシア連邦・インドネシア共和国)

2012年10月03日 | Weblog

 

タ イ 王  國(マレーシア連邦・インドネシア共和国)  

第三種郵便物認可郵便友の会ニュース平成13年(2001年)3月15日

12月5日から26日日までの二一日間「ユネスコー2000青年国際交流信託基金事業派遣団」
に参加しました。団はユネスコ活動分野での専門家としての、青少年団体専門指導者
十一名で構成されました。

タイ王国
12月5日この日は国王の誕生日。公共の建物や街角に国王の肖像画が掲げられて慶
祝ムード一色。夕食はタイ.典舞踊が見られるレストランで取りました。

12月6日タイの青少年団体の連合体一NCYD一を表敬訪問。事務局長から同国の
青少年団体活動の現況を聞き、その後、ユネスコアジア・
太平洋地域申央事務所を訪問、ユネスコと同事務所の活動の目的、
現状などの説明を受けました。更に貧しい人々が集まる地域の子供たちへの
教育支援活動を展開する財団を訪ねました。

12月7日バンコクの美化一活動として、一般家庭でのリ一サイクルやゴミの減少、
子供たちへのゴミ選別方法の教育を展開中のクラブや組織の代表と意見交換、
タイ王国最古のアット・ヤイ・スワンナラiム一大金寺一を見学。
文化遺産でもある寺で出家修行中の背少年の僧侶の姿に、歴史や伝統文化などを
大切に受け継ぐ活動を見いだしました。

12月8日少数氏族の文化・事一ア央たジヨロアジア地域間)コ地訪イス洋を
タネ平所(ユ大務行ザ)

PFC全国懇話会会員   上
小池喜一

伝承に取り組む中学校を訪問。徒で午後7時、ラマダン月の
生徒の伝統音楽演奏と民族開始。コーランを唱えてメッ舞踊を観賞しましたが、
とカに向かっての礼拝が日没まても感激でした。で続きました。
盛大な歓迎晩さん会が行わマレーシア連邦れ、私共の受け入れ準備に


12月9日タイからマレー隼団体が総力を挙げて取り組シアヘ移動。
「ようこそ!んでいることを、伺い知るこ今はラマダン月(断食の月一とが出来ました。で…」のあいさつでイスラ川12月10日国立の児童養護仏教国へ。
到着の印象を強く施設を訪問。事業内容を視察実感しました。しましたが、最近は予算の減夕方、ハッサン・アジア脊少で運営のひっばくやスタッ少年団体協議会(AYC)会
7L不足が悩みの種とのこと。
長の私邸前庭に到着。ハッサこ万後、国際青少年センターン会長は敬けんな
イスラム信(IYC一を訪れ、各青少年団体の代表と「環境問題への背」供
子少隼団体の取り組み」についのて、意見交換をしました。.設..

12月11日ペラ州都イポ市轟一範青少年団体指導者と養)の意兇交換、
伝統文化伝承の童アビデオ観賞、伝統工芸陶器セ児シ立一ンターの視察を行いました。
国レ午後10時、タジョロスリー・ペラ州首相一AYC会長州知事 主催の歓迎晩さん会が、州首相公邸で開かれました。

12月12日クアランプールで国立劇場を視察。最新の設備や運営についての説明を受け、
その後、隣接の圃立美術館で民族に根ざした近代絵画展を観賞し、最後にユネスコ支局を訪れ、ユネスコ活動の情報提供を受けました。

インドネシア
ー2月13日マレーシアからインドネシアヘ移動。歓迎夕食会で青少年の
伝統舞踊伝承活動の一部を鰯賞しました。

12月14日西スマトラ州知事表敬訪問。講堂ではボランティアの集会が開かれ、
水害地帯への支援物資が山積みで、私共も義援金を寄付しました。
この後、海洋環境保護活動グループと無人島へ向かい、与」』~
ご珊瑚の保護保全やチ供への環境教育の活動を視察しました。

12月15日国立のセメントエ場を視察。
環境問題に閑心を持つ市民と工場関係者の会議に参加し、その後、
国立アンダラス大学を見学して「西スマトラ州の白然環境」の講義を受けました。

                            つづく

郵便友の会ニュース平成13年(2001年)4月15日(第三種郵便物認可

12月16日リマプルコタ県知事を表敬訪問。団員からの水害見舞金を贈って
パダン・ジャパン村へ移動。集会所での母子健康相談と予防接種の様子を見学。
その後、農家の庭先で民族衣装を身にまとった子供たちの伝統音楽での歓迎を受け、
昼食は近所の婦人の手作り料理、そして女子団員はクツキング実習をしました。昼食後、馬車で村内を見学、そして女子養護施設を訪問。政府援助が皆無で財団の基金と寄付などで運営中。

12月17日パダン・ジャパン村を出発し、シアヌツク滑断層渓谷の日本軍が掘った
トンネル、ソンケツト村伝統文化織物・木工芸工房などを見学。
目的地のナンサマニンジヨウのホテルでは、全員が西スマトラ伝統の正装を着付けて、
スマトラ式食事と伝統儀式を体験。

12月18日国営の社会施設・養護老人ホームを視察。男女別棟の奥まっだ所に
体育館兼集会場があり、そこで施設説明と質疑応答。
続いて、ヤシ殻などの農業廃棄物の二次利用に取り組む農業共同組合を訪問。
廃棄物利用に関する意見交換の後、ヤシ殼繊維選出作業と自動車オイルフィルタなどの試験製品の見学。

12月19日朝から豪雨。パダン空港でジャカルタ行きの飛行機を待つが、
滑走路水の浸水で離着陸便なし。結局一泊して出発順延。

12月20日飛行機の座席確保は困難で最終的に3班に分かれて移動し、
午後4時ごろ全員がホテルに到着。夕方、王家一族や国際交一流関係者による
歓迎夕食会が王族の家で行われました。

12月21日大学進学率九〇%の有名高校を訪問。教科やクラブ活動などるを語り合い、
国旗のすを扱い方や集団行進な樹どの儀礼が大事にさ植れていて驚き。
念正午、ジョジャカ記)で汀ルタ特別州知事表敬学ネ訪問。
青少年の国際大ド交流、自然環境保護、τ環境鷹止一の環ダ
(境教育なとにっいてン者話をしました。ア筆昼食後、ボロナド)
下      PFC全国懇話会会員                               小 池 喜 一


のプランパラン寺るよ院群を見学。同寺
に院は多くの遺跡が楽点在する村の中の音統一つの寺院で、ヒンドウーのシバ神をまつる監覇寺院身として築かれまし-ルヘ移動。
仏教徒からも忘れ去られたボロブドールは、世界文化遺産の一つとしてよみがえり
荘巌さを誇っています。更にユネスコによって修復工事が進行中で、
「ユネスコACCU」の記念レリーフが刻まれていました。
夕方は、野外劇場での舞踊を鑑賞し、「気の道場」を訪間。
国技武道を大学生、体育の教師に専門家が指導していました。

12月22日世界文化遺産供ネた。各回廊の壁に子ド施された浮き彫りのン装イには
古代インドの衣(叙事詩「ラーマナ族迎-ヤ」の物語が描民歓かれていました。
この後、ジャカルタヘ移動。
早稲田へ留学した人々が設立した大学を訪問。
プログラム準備へのお礼を団長が述べて交歓しました。夕方、
著名な演劇女優の家でインドネシア料理による夕食会。
日本で日本人と共演した折のポスターが、部屋に飾ってありました。

12月23日インドネシア最大規模の植物公園を見学。広大な敷地に一万五千種の
植物が集めれ、熱帯林の在り方などの研究がされていましたが、生命力を感じました。
続いて農業大学を訪問。大規模校ですが資金不足から学生宿舎などが不十分で、
農業従事者の就学支援のため推薦入学が八○%。集約的な近代農業でないため、
農氏が農業を専門に学習する傾向になく、短大コースの卒業生が従事するケースが多いとか。
スハルト元大統領夫人が設立した公園を見学。各地の建築様式や外観が異なる
民家や寺院が復元されており、多民族・文化の複合国家を表していました。

12月24日出発まで白歯時間の市内見学。デパート前の街路は人混みで足の踏み場も
ない程。夕食は日本料理店で久しぶりの刺身、天ぷらに舌鼓を打ちました。

12月25日早朝、成田空港到着。
関係者に感謝しつつ今後の作業の確認をして解散。
全団員は今回の成果を職場や地域、青少年運動の中で生かしてゆくことでしょう。


 民際外交 {6}(B) イ ン ド ネ シ ア 共 和 国  王 様 と 私

2012年10月03日 | Weblog

  イ ン ド ネ シ ア 共 和 国  王 様 と 私 

3)インドネシア共和国

 

12月13日

クアランプール空港からMH711便にてジャカルタ経由GA162便にて西スマトラ州パダン市へランキン ブダヤ財団(ソフィアニ伝統歌舞団)が対応

同財団歌舞練場にて歓迎西スマトラで最も古く伝統歌舞と夕食会が開催された

舞踊衣装は豪華できらびやか京都西陣織に似た織物を身に着けリズミカルな音楽に合わせて舞う姿は我々日本人にもすぐ馴染めるものであった インドネシア共和国では 伝統古典芸能歌舞を伝承する青少年団体(今回ユネスコ2000訪日代表団でJOS常務理事)は、高度な専門性を備えていて青少年活動の一翼を大きく支え 推進もしていたラマダーン月であるため この夕食歓迎会でも旅人である我々派遣団だけが飲食をし、歌舞団信徒 老若男女は自らの断食をしていた。

 

12月14日

雨上がりのパダン空港着 空軍機があわただしい 副大統領が視察 三日続いた豪雨で洪水被害発生 緊急物資の輸送も行われ 被害対策もたてられた。我々派遣団も 早速義援金を徴収 被害者に届けた 市庁舎の講堂にも 市民団体ボランテアが 集会を持ち傍らには届いた支援物資が山積みになっていた。被害が大きいのであろうが 渦中にいる私たちには伺いしることが出来なかった

 

12月14日 9:20ー18:00

西スマトラ州知事表敬訪問

州知事は 芸術・文化活動をするランキンブダヤ財団えの激励、日本のユネスコ代表団が西スマトラ州の訪問を 歓迎すると共に今後の文化交流及び 人的交流のより 活発化を望む、現在は農業・工業・水産・観光に力を入れている、西スマトラ州は特殊の文化をもっているので 充分学習してもらいたい、豪雨水害へのユネスコ派遣団の協力に感謝する

 

 13:00 ー18:00

海洋環境保護活動 インド洋上シロンジョン(無人島)へ

珊瑚の保護保全等に取り組んでいる 海洋研究グループにクルーザで無人島へ

オーストラリア人研究主任を 中心に数人の若いクルーが インド洋上に浮かぶ無人島に1時間かかりでクルージングする 島と島の入り江で停泊船内で昼食 対岸無人島の野生猿群を船上から観察 目的の無人島へゴムボートに分乗して上陸 シュノーケルを着けて浅瀬の海中生物の生息実態を観察 再び乗船甲板にパネルを指しつつレクチヤー モデル・リゾート開発による海洋汚染の状況等についてであった。

 

12月15日 8:00ー11:10 国立セッメント工場の視察

環境問題に関心のある市民団体とセメント工場の会議に我々も参加した

あいさつ 工場の概要説明 VTRによる解説アンダラス大学との共同で環境調査改善策をさぐる取り組み

情報公開 工場廃棄物処理問題 工場設備の改良新設

第一工場から第五工場、構内、公園記念棟、職員宿泊施設、厚生施設をバスにて巡回見学

 

14:00  国立アンダラス大学(西スマトラ州)見学とレクチアー

大学教授 講義「西スマトラ州の自然環境」

西スマトラ州の観光名所、自然森林の保護(自然森林61%)、森林伐採を間違えると今回のように大きな水害にもつながるし、保安に充分注意しないと 大規模の山林火災に見舞われる その他熱帯雨林、鳥、花、蝶、スマトラ サイ、水牛の放牧、日本でも視られる棚田水田、茶畑、油椰子畑、ゴム畑

大学構内にユネスコ代表団各位11本の記念植樹をした。

 

12月16日

パダン ジャパン村

リマプル コタ県知事表敬訪問

日本人とは戦時中から友好的である この地には近衛連帯が駐屯していたとのこと

年輩者は戦時中の日本の歌や学習の記憶を鮮明によみがえってきて それをhずみに現代の感覚にも対応しようとしていた。これも第二次大戦の善い遺産ととらえても良いのだろうか。その背景にはインドネシアが共和国として オランダの植民地政策から 独立出来たのも日本国の役割があったと感じている様子があった。

知事の説明いよると公務員が比較的多いいが 農業が主で近代化を目指しているので 何か良い知恵がないものかと

小さな鉱山と古代の遺跡もあるので観光開発にも力を入れたい。慣習は母性系社会で財産は女性が守り子孫に引き継ぐ男性は通い夫的なところが 古からのなごりがある。

 

パダン ジャパン村

母子健康相談、予防接種は村の集会所で行われていた。母子手帳はJAICAの支援によるものであった。

農家ニザム氏宅の庭で歓迎会が行われた村人、子供たちはこの地方の民族衣装を身に漬け竹の楽器の音に会わせての踊りであった。昼食は近隣の村人婦人が料理を手伝った 手作りでもてなしてくれた。

 

12月16日

モハメデア財団女子養護施設訪問

女子(小4人 中7人 高2人) 

 

12月19日 (豪雨)7:00ー18:00終日 パダン空港 待機

ジャカルタへの飛行機 離着陸便なし 滑走路水びったし待機室にて瞑想

商用TVではマハデイル大統領が要人と共にモスクで礼拝、若者ポップス音楽と画像、

コーラン詠唱が繰り返し放映されていた。待合室では何をするでなく機内食で配られる軽食・昼食・夕食にも食欲が出ない。やもう得ず売店で購入したスナック菓子に缶コーヒーや缶ビールで時を過ごす。本日の離陸便無し空港近隣のホテルにバス移動し1泊

 

 

12月20日 17:00

ジョクジャと通称呼ばれているジョクジャカルタはジャワ文化の発祥の地として知られている 私たちが知っている物はひけば影絵人形芝居のワヤン・クリット 蝋を使った染めたあげる更紗バヂック ガムラン音楽これらの伝統文化はジョクジャを中心にはぐくまれ洗練されきたもので今日なお その本場はジョクジャだといわれている また 現在ジョクジャは名を広く世に知らしめたのはポロプドールをはじめとする宗教文化遺跡である

インドから伝わってきた仏教とヒンドウ教文化は7-8世紀に花開いた中部ジャワでその中心がジョクジャであったといわれている規模の大きさはポロブドールは世界一のピラミッド型大伽藍は安山岩の石造であり、遺跡としてはの価値は世界的な至宝でユネスコ世界文化遺産になっている。ジョクジャは ”インドネシアの京都”といわれ日本の京都と姉妹都市を結んでいる。10世紀にイスラム教がインドやアラブの商人と共に伝来して急激に浸透していっつた仏教やヒンドウ教文化は姿を消した。1756年初代ハメンク フォノ

回教君主がこの地を治め以来現在10世ハンバルジャンが州知事を務める州特別区の首都である。

 

12月21日 12:10

ジョジャカルタ特別区州庁舎・王宮クラントン訪問とハンバルジャン館邸表敬訪問

 

 

ハメンク フォノ10世 回 教 君 主<スルタン>王 様

(現ジョクジャカルタ特別区州知事 ハンバルジャン氏)と私

 

19:30ー21:30

ハメンク フォノ10世回教君主<スルタン>(現ジョクジャカルタ特別区州知事 ハンバルジャン氏)邸は街中にあるバスは門前に止まりユネスコ派遣団員は前庭からロビーへと向かった扇子を手にした故ハンバルジャン9代君主婦人をはじめとして王家一族、関係者の出迎えを受ける。紅茶の接待、晩餐会とことは進んだ。民族伝統衣で正装したスルタンの従僕達が料理を運ぶ 宴はたけなわ 別室に移りアイスクリーム・茶 等のデザート この迎賓館は「迎賓館」というイメージからはほど遠く質素で小規模のものであったが 館内には 伝統衣装を身に纏った君主肖像画や宝物・写真・調度品が飾ってあった額に入った家系図を視ると1300年代からの家系であった

 

知事

青少年交流は将来のために大いに役立つであろう

自然環境の保護は重要であり研究する必要である

自然環境の事例として河川の汚染工場の排水だけでなく家庭の排水も問題で教育が受けられなかった人々に環境の保全につとめる大切さを理解してもらうことが必要であるまた困難な問題でもある河川の浄化について説くと具体的な方法をも示す必要があった

河岸に住宅を改築・新築するときには台所や風呂場の排水孔は河川に向けず河川に向かっては客間を作る工夫をする また河川にゴミを捨てる人がいなくなった。

社会環境の改善には西洋的な方法ではなくその地域の生活を反映させた、文化や伝統習慣をふまえた考え方で取り組まなければならない。

パダンでの海洋研究チームに活動でも海洋の自然環境を保護するのはその海域に適した対応リゾート地の開発にも気配りをされていたことを例に知事の考えも同感であることを派遣団長が話す

 

知事  水辺のマングローブ植樹は日本の「生け花」の様に自然との対話の大切さを体験を通して学んでいくことが「人は自然と共生していく」ジャワの昔からのことわざを生かしていきたい。

また王宮では庭木も歴代大切に育ててきたし 植え替える時も同じ種類の樹木を 同じ場所に植えて社会の人々にも感心をもってもらうようにしてきたし還元もされて来た。この

考え方は文化的にも価値観の高いものである。

 

12月23日15:00ー15:45                         

タマン・ミニ・インドネシア・インダ

ギャカルタ市の中心から南に10kmボゴールへ向かうハイウェーイの途中にある、インドネシア全土を凝縮した見せてくれる公園だ120haの敷地にインドネシア27地方の民家や寺院が整然と復元されている

建築様式も外観も一つ一つ明確に異なり建築学などに関してまったく門外漢の目にも思わず息をのむような斬新なデザインの家屋があった家の形たい一つからもインドネシアがいかに多種多様な民族と文化の複合国家なのかを知らされた

 

農家・家屋に注目すると大きくそりかえった傾斜の強い屋根と高い床敷きの造作は伝統的なバタック建築様式である銀行役所も私たちが宿泊したホテルも荘厳な感がするラマダーン明けと年末年始で休館、市民はそれぞれ田舎へ帰郷したり旅行に出たりしているので客はいない

元スハルト大統 領夫人が設立したが現在維持運営管理に経費が逼迫しているので困窮している

 

<終>

コーラン経典 抜粋            1)*  コーラン啓典 第二章「牡牛」メデイナ啓示179節   「これ信徒の者 断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ 汝より前の時代の人々の場合と同じように きっとお前たちにも本当に神を畏れかしこむ気持が出来てこよう」                コーラン啓典 第二章 メデイナ啓示180節 「限られた日数の間守らねばならぬ または断食することが出来るのにしなかった場合は ただし汝らのうち 病気の者 又旅行中の者はいつか他の時に同じ数の日 貧者に食物を施すことで償いをすること しかし自分から進んで善事をなす者は善い報いを受けるもの この場合でも断食をする方が汝らのためになる もし汝らにはっきりわかっているならば」                コーラン啓典第二章メデイナ啓示181節 「コーランが人々のための(神からの)御導きとして また導きの明らかな徴として また救済として啓示されたラマダン月。去れば汝ら、誰でもラマダン月に家におる者は 断食せよ ただし(丁度そのとき病気か旅行中ならばいつか別の時それだけの日数 断食すれば善い)アッラーは汝らになるたけ楽なことを要求なさる。無理を求めなさらない。ただ汝らが所定の日数だけ断食のつとめを守り、そして汝らを導いていて下さったアッラーに賛美の声を捧げさえすればそれでよい。そのうちに汝らにも本当に有り難いと思う心が起きて来るであろうぞ」                コーラン啓典第二章「牡牛」メデイナ啓示216節 「酒と賭矢についてみながお前に質問してくるであろう 答えよ、これら二つは大変な罪悪であるが、また人間に利益なる点もある、だが罪の方が得になるところより大きい、と」                コーラン啓典四章「女」メデイナ啓示3節 「もし汝ら(自分だけは)孤児に公正にしてやれそうないと思ったら誰か気に入った女をめとるがよい。二人なり、三人なり、四人なり、だがもし公平できないようならば一人だけしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有しているものだけで我慢しておけ。その方が片手落ちになる心配が少なくてすむ」           2)* コーラン啓典 五章「食卓」メデイナ啓示4節   汝らが食べてはならぬものは死獣の肉、血・豚肉それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、絞め殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突き殺された動物、また他の猛獣の喰らったものー(この種のものでも)汝らが自ら手を下して最後の止めを指したものはよろしいーそして偶像神の石壇でほうられたもの それからまた賭矢を使って(肉を)分配することも許さぬ。これまことに罪深い行いであるぞ            コーラン啓典五章「食卓」92-93節 これ 汝ら 信徒の者よ 酒と賭矢と偶像神と占矢とはいずれも厭うべきこと シャイターン(サタン)の業。心して避けよ。されば汝ら運がよくなろう。シャイターンの狙いは酒や賭矢などで 汝らの間に敵意と憎悪を煽り立て、アッラーを忘れさせ 礼拝を怠るようにしむけることにある。」            コーラン啓典 第六章「家畜」メッカ啓示146節 「宣言せよ、わしに啓示されたものの中には、死肉、流れ出た血、豚の肉ーこれは全くの穢れものーそれにアッラー以外の(邪神)に捧げられた不浄物、これ等を除いては、なにを食べても禁忌ということにはなっていない。そればかりか(たといこれらの不浄物でも)、別に自分で食気を起こしたとか、ただやたらに規則に叛きたくてするのではなしに、やむ得ず(食ってしまった)場合には神様は(大目に見て下さる)。よくお赦しになる情深いお方だから」コーラン経典 抜粋            1)*  コーラン啓典 第二章「牡牛」メデイナ啓示179節   「これ信徒の者 断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ 汝より前の時代の人々の場合と同じように きっとお前たちにも本当に神を畏れかしこむ気持が出来てこよう」                コーラン啓典 第二章 メデイナ啓示180節 「限られた日数の間守らねばならぬ または断食することが出来るのにしなかった場合は ただし汝らのうち 病気の者 又旅行中の者はいつか他の時に同じ数の日 貧者に食物を施すことで償いをすること しかし自分から進んで善事をなす者は善い報いを受けるもの この場合でも断食をする方が汝らのためになる もし汝らにはっきりわかっているならば」                コーラン啓典第二章メデイナ啓示181節 「コーランが人々のための(神からの)御導きとして また導きの明らかな徴として また救済として啓示されたラマダン月。去れば汝ら、誰でもラマダン月に家におる者は 断食せよ ただし(丁度そのとき病気か旅行中ならばいつか別の時それだけの日数 断食すれば善い)アッラーは汝らになるたけ楽なことを要求なさる。無理を求めなさらない。ただ汝らが所定の日数だけ断食のつとめを守り、そして汝らを導いていて下さったアッラーに賛美の声を捧げさえすればそれでよい。そのうちに汝らにも本当に有り難いと思う心が起きて来るであろうぞ」 <終>

{民 際 外 交}(2)  [私の意見] アジアの青年と日本

2012年10月03日 | Weblog
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{民 際 外 交}(2)

.      [私の意見] アジアの青年と日本
..........
〇ここ数年、アジアの青年が私の家に泊まることが多くなった。妻はそのたびに手料理に頭を痛めている。味付けはもちろん、材料に牛肉、豚肉はダメ、野菜だけ、木曜日は魚、肉料理は無い、便所に紙というより水がめがないと落ち着いて入っていられないとしょげているフィージやブルネイの青年。風呂用の手桶に思いつき、あわてて買ってきた時もあった。かつて県知事の熱意によって「県民外交」シンポジウュームが開幕され、年頭には神奈川県政が「民際外交」の組織と予算の裏付けされたことが、私達に励みになった。「家族ぐるみの外交」は、馳走うまでは出来ないが、食卓を共にする「席」を設けることで、子供、家庭、学校地域社会、国際にまで話題が広がり さらに私しのみならず、日本人一人々々が極東アジア・アジア太平洋との関係を正しく認識し、青年の立場で今後、極東アジア・アジア太平洋に人々との協力するための基本的なあり方を探る手がかりともなる。
しかし現時点でも、発展はまちまちで、従来欧米のものが良いとされ、アジア諸国も追従して来た。経済競争のの過熱を機に、アフリカ、アジアの各地では、いままで持っていた民族の自覚が緩やかに、あるいは急激な表現で国際社会に参画して来た。
思うに、このかけがえのない地球に同居する以上、多少の不都合があっても武力に訴えず、亙いに譲り合う心を持たなけば地球表面のキズはおろか、内側まで深まってしまう。譲り合う心は教育に託するところが大きい。
トイレの使用の仕方や食事が違うように習慣・宗教から文化も多様である。インド洋、南シナ海に点在する島々と、そのベルト地帯の国々には、優劣を付けられない固有の習慣・宗教が文化が、西洋文明の陰にかくれてはいたが脈々と息ついていた。近年のロシア各地での独立も日本人の目にも大きく映るようになった。これがナショナリズムの表れだろうか。近い将采、はっきりとはきりと前面に出て来るだろう。もちろん、日本のナショナリズムも薄れることなく、もっと確固たるものになるに違いないこれらを互いに持ち合わせて、好奇心をもって理解し合おうと努力する
ならば、尊敬し合えることになる。この文化の多様性を共通の場 円卓会議で、コミニケーイションの心は教育にある。教育によってこそ違った背景の文化を持った人々がひとつ場所に集まり、シンポジュウムを、さらにはセミナーも開催できグローバル化も芽生えることだろう。そして日本の開発途上国への支援・援助は、大学教授・ボランティア活動の交換から、高等学校段階での受け入れも行われているのは賢命だ 現在、.県内でもAA諸国から数百名が研修に励んでいる。日本からは日本青少年ペンフレンドクラブ、日本青少年赤十字、YMCA、ボーイ・ガールスカウトをはじめ各種団体が旅行・視察と交流が盛んに行なわれ、国際理解と協力の一翼を担っている。私たちがブルネイがインドネシアシアに、.スリラソカがインドの近くにあるのをよぐ知ら無いと同様で、アメリカ東部・内陸などではの本を中国の一部とみなすひとが多数であった。しかし、広大なアメリカには各種民族が住んでいる。にもかかわらず国内でのコミュニケーションが方言やなまりあってもある程度なされているようであった。アジアにもすでに定養しつつある共通語(アラビア語を採用-とか話顧にはなっているそうだが)を、いままで以上に普及して開発と発展のための教育.の役割も考えつつ、青年グルー運合体をアジア・太平洋に組織して具体的な協カプランに具現し、その若い力で世界に向かって大きく貢献することを、私は夢みている。
  神奈川県 神奈川新聞社「私の意見欄」投稿依頼により寄稿 2013/01/12kakunin


{民 際 外 交}(7)日韓ワールドカップ共同開催の成功と、

2012年09月17日 | Weblog

 

{民 際 外 交}(7

平岩アフリカ野生動物写真家

  車 全韓国中央青少年団体連絡協議会長

       金 光明(韓国国立中央青少年修練院コーディネーター)と共に

   2012/06/6 渋谷神宮 日本青年館にて再会(度々)

 

日韓ワールドカップ共同開催の成功と、その精神を後世に末永く語り継ぎ、継承する一環として、

「日・韓共同未来プロジェクト」

   

 「日・韓共同未来プロジェクト」韓        日・韓青少年グローバル・リーダーキャンプ

報      告

 日・韓青少年グローバル・リーダーキャンプ開会式挨拶

ねらい(経緯)   

   日韓両国首脳は、2002年7月1日、日韓ワールドカップ共同開催の成功と、その精神を後世に末永く語り継ぎ、継承する一環として、「日・韓共同未来プロジェクト」を実施することを合意した。 そこで、韓国政府は日韓青少年交流の一環として、今年度500名の日本青少年を韓国に招待することとし、今秋の10月に第1陣として、日本の大学生約100名を招待した。

   その後、韓国政府は、各分野ごとの青少年の招待が実施されてきているが、その一環として、今般、日本の高校生を21名を招待し、韓国の高校生とともに、下記の事項について交流を図り相互理解を深めることを目的として「日韓青少年グローバル。リーダーキャンプ」を実施することとした。

     

 

日韓両国の伝統文化及び今日的若者文化の理解を図る。

日韓両国同世代の青年による意見交換や協議等を通じて、

日韓及び東アジアの発展への参加意識の培養を図る。

日韓両国同世代の青年による交歓交流を通じて、

両国青年の友好促進と国際的視野を持った高校生の育成を図る。

 研修期間     [ 事前研修会 ]

時 期:平成15年12月24日(水)~ 12月25日(木)

場 所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟5階503会議室

(宿泊先・・・同上、A棟〒151-0051東京都渋谷区代々木神園町3-1、 Tel:03-3467-7201)

[ 韓国研修 ]

期 間:平成15年12月25日(木)~ 12月29日(月)

主な滞在先:釜山市とその周辺都市(金海・昌寧・侠川、等)

(宿泊先・・・ハムジコル修練館、釜谷温泉ホテル、海印寺観光ホテル)

 主 催/主 管

韓国文化観光部 / 韓国財団法人 内院(ネウォン)青少年団                

                                   小 池 喜 一 2004・3・

「日本と韓国は、地理的には近い国であるけれど、お互いをあまり知らない遠い存在の国である。 

近いのに遠い国から、近くて近い国へと変えることが出来るcampになるように頑張ろう」と。小池先生がおっしゃいました。日本での事前研修の時、

 韓国で出会った21人の学生達。彼らは、私の一生の友達です。

私は、出来たような気がします。たった4泊5日の交流会でしたが、私達は国境を越え、互いに深い絆で結ばれました。私達の絆は、いつになっても、たとえどんなことがあっても、切り離すことの出来ないものとなったでしょう。

 私は、これをきっかけに韓国語の勉強を続けようと思います。今度みんなに会うときは、韓国語でコミュニケーションがとれるように頑張ります。日本と韓国が互いに関心を持ち合っている今、本当に素晴らしい経験をさせていただくことが出来ました。私は、この5日間の美しい思い出を、決して忘れません。最後に、このcampで出会った全ての人々に、私は心から御礼を申し上げたいと思います。  本当にありがとうございました。                  

           女子美術大学付属高等学校3年菊組

                          阿部 汐莉 言

 大相撲が韓国で公演した2000年二月中旬ことであった。テレビニュース放映の画面に横垂幕「 韓・日共同未来プロジェクト」と映し出された

NHKテレビ2004.3.6(土)PM4.00~5.30「大相撲 韓国公演」 カムサハムニダの絆 大活躍裸の親善大使 韓国相撲(1200年の歴史をもつ)とのふれあい 韓国出身の力士 春日王とモンゴル出身 朝青龍(モンゴル国ボーイスカウト)・朝赤龍の演技も披露され釜山では韓国流エステを受けている様子も伝えられた。この様子もまた、将に上記に列記した目的のプロジェクトで「ユース グローバル リーダ キャンプ」あった。がNHK放映の趣旨が日本の伝統(1200年)国技 相撲を韓国をはじめ世界の国々にも知ってもらいが表面化していたようでありこのプロジェクトの目的を理解してのものでなかったことが残念に思えてならない。

 モンゴル国はむかし英雄ジンギスハーンがアジア制覇を目指して東南はインドネシアまでは至らなかったがマレー半島を 極東は東海(日本海 玄海灘)を渡り日本国肥後(執権北条時宗時代)に二度ほど迫ったのが思い起こされる。

 大韓民国(朝鮮半島)と日本国列島の長さ

「 韓国(北緯38度線まで)の長さは何kmですか?

      とCampに参加している青少年に問いかけました…・・600km」  

                         総団長の挨拶の中で 

<朝鮮半島三千里 (一里=400m)*(三千里)/2≒600km>

大韓民国「愛国歌」

     東海が枯渇しても…白頭山が崩壊しても・・三千里・・大韓民族は……

 日本列島…3000km

3000km/600km=5倍…・日本列島は韓国(朝鮮半島)の5倍の長さであるその周辺海域沖合い200海里内で収穫海産物をも考えると思っているより広い国日本について韓国の広さと比較しながらの視点も両国交流で大切ではないか。

 1980年代 李さん(当時58歳)は 「クラブ 将 軍」で「釜山港へ帰れ」韓国演歌を歌った小池さん「 私は少年の頃 釜山港からこの舞鶴港に上陸して 

琵琶湖の湖岸 を汽車窓から観た 「琵琶湖は大きいな」と思った京都・東京・靖国神社も参拝した」・李さんは植民地時代に大日本少年団員で日本に派遣され

1980年代は指導者として健常者・身障者少年団員を引率して訪日した。

「是非韓国や世界の国々の青少年が来日した時は琵琶湖を観せてください」 また、「日本の青少年をむかし私達が憧れた兄貴のように訓育してください。」と

<李氏・・アジア太平洋スカウト受入招聘事業韓国指導者コミッショナ スカウト3名引率訪日

ハムジルコ修練館 研修センター4階の国際交流部屋に掲げてあった世界地図を観た わが日本青少年派遣団員(三田村君)が「小池団長ユーラシア大陸が褐色(朝鮮半島も)アメリカ合衆国・アジア太平洋地域(日本国も)が灰色に塗られていますね」と

今日でも外国人や韓国の青少年にも文化圏を色で識別「日・韓」「韓・日」を 知らせていることが解った

 

「任 那 日 本 府」と何にか ?     (符 講義禄録音テープ)

      李 永植 伽耶文化研究所所長の講義

日韓両国の間でも昨今グローバル化が叫ばれているが古代 倭の国の女帝卑弥呼時代に加耶の王国の国々・新羅・百済(現大韓民国)・高句麗(現朝鮮民主主義共和国)…・・唐・隋(現中国)とは任那日本府(大使)交流が行われていた倭の国(日の本の国)からは石器鏃、塩、加耶の国国からは鉄の輸出入がなされ倭国の卑弥呼豪族も多量の鉄を手にすることガ出来たことによって勢力を拡大して日の本天下統一倭の王東征大将(女帝)なったとの説が有力のようだ・

 日本代表青少年派遣団員はどのような規順で構成されているのか と

日本人青年通訳(本多 理<九州大分県連RS隊員、本多・小池同族・大分四六球磨焼酎「二階堂」蔵元も同族で日本国主催外交レセプション宴会を開催するその宴席庭に「二階堂」・ニッカウイスキー「武将」 持込 韓国濁酒差し入れも有った>)に問われた。

 また、韓国の「指導者講習会・ウッドバッジ研修所等」で研修したいが 韓国連盟で受け入れてくれそうに無いのですが……・外国籍(本多理氏は日本国籍)だからでしょうか…・とも言っていた

1085年日韓青少年指導者定期研修交流で訪韓した時わが日本国青少年指導者代表団員の国立北海道の大学 学生サークル代表 熊 氏(仮名)

韓国は「日本の属国」発言、「現 代」企業造船部門を見学講演を聴く着席位置がグループから一人離れて座るそれも団長より前の席座る行動、韓国焼肉昼食レセプションで5人グループ毎に食卓を囲んだ 熊 氏グループで輪 焼肉は殆ど熊 氏の胃袋へ運ばれた 他の4人の団員は2~3切れを口にした 食べ物の恨みは良く記憶していて恐ろしいとは 

この出来事を言うのかしら、また「二期校は大学ではない」とか ひとり夜遊びに出かけ「暴利された訴えてやる」「将来は外交官になる…」その後、彼「北海道の熊さンは外交官になったのかしら」と当時受入ハンドリングを担当した シャー(車) 氏(韓国中央青少年団体連絡協議会国際部長)が心配してくれいてた。

東京 六本木和風レストラン「うちわ」(仮名)でIT情報リテラシー活用(カメラ付き携帯電話モバイル・ミッション・プログラム)はまさに青少年にとって「未来プロジェクト」に相応しく見事学ぶべきものであった

 

尚このプロジェクトについては韓国文化観光部 / 韓国財団法人 内院(ネウォン)青少年団により

CD動画・アルバムに収録 配布された、さらに「インターネット・ホームページ」にて世界の青少年に向けて発信している。

 総 団 長 小 池 喜 一

   (国 際 連 合 教育科学文化機関専門 UNESCO2000~)

   (元全国文通教育協議会総務委員長)(BSJ横浜72団RS隊長)

 事務局長 金  光明(韓国国立中央青少年修練院コーディネーター)

 

 


{民 際 外 交}(3) 2002年度日中緑化協力事業派遣 

2012年09月17日 | Weblog

{民 際 外 交}(3)

日中緑化協力基金のもとに開始された、「日中緑化協;力事業」 
2002年度日中緑化協力事業派遣     中 国 訪 問,・
                                 '記念グループ
中国民主主義共和国 全国中華青年団連合会
孫  金  龍 主 席

期 間   2002年11月18日~25日(8日間)
訪問地   北京市、安徽省桐城市、黄山市、上海市

(記念グループ)
    
      小 池 喜 一   国 連ユネスコ国際貢献企画専門
     

事 業 内 容
1. 日中緑化協力事業は、2001年度に引き続き2年目にはいり、
 本年は、日中国交回復30周年記念の年でもあり、植林事業グルー
プのほかに特に、記念式典参加グループを編成した。
 ふたつのグルーは、11月17、エクセル成田東急ホテルに
おいて事前研修会を行い、翌18日成田空港から北京に入り、受け入
団体である中華全国青年連合会国際部のプログラム(全青連表敬訪
問・孫金龍主席会見、黄丹華副主席歓迎夕食会、中華民族園視察等)
を経て、20日、空路、合肥空港へ到着した。
 安徽省合肥市において、陳偉桐城市青年連合会主席、流波秘書長
の歓迎昼食会があり、桐城市国際大酒店まで、約100キロをパ
トカー先導で案内された。

2. 日中青年桐城市植林モデル事業第二期鍬入式
 桐城市は、人口約77万人で、インフラの整備中で道路の建設工
事があちこちでおこなわれていたが、道路に面した両側の住宅は2
階から3階建ての建物で・1階は店舗といういわゆるげた履き住宅
スタィルで、街の中心部は、人々が大勢行き来しておりく;活気にあ
ふれていた。
夕方、市内の家庭訪問で、この地域のモデル的な家にまねかれた。
一般的な家庭の諸事情をきいたり、餃子作りをてつだらたりして、
夕食をともに楽しんだ。
21日、小雨の中を植林会場にいき、小高い丘の上の式典会場ま
での間、盛大な熱烈歓迎を受け、記念式典に出席、記念植林を地元
の人達や先鋒隊(7歳~14歳の少年達の.グループ)約1,500
名と共におこなった。
式典では、主催者を代表して陳主席が挨拶、日本代表団の参加メ
ンバーを紹介、湯全青連副秘書長の挨拶、日本団の団長の
挨拶、卓桐城市長の挨拶とつづき、青年代表の宣誓、三世代で緑化
に取り組んでいるという家族の宣誓がおこなわれた。
おわりに、日中双方で全体の記念撮影をし、日中双方で、手をそ
えて会場のまわりにしつらえた木の周りにおいて、記念植樹をおこ
なった。
卓暁静桐城市長、薫宏北中国共産党桐城市委員会書記、金春花安
徽省青年連合会副秘書長、程鵬安徽省林野庁副庁長ほかの出席のも
とに歓迎昼食会がおこなわれた。
昼食後、昨年の第一期事業の植林地を視察し、しっかりと定着して
木が育ちつつあるところを確認した。活着率は80%ぐらいをみて
おり、地元で丁寧な育成がなされているようで心強いものがあった。
その後。桐城市中学校を舛察、生徒約2,000名、教師167
名という申高合同の教育がおこ牟われているという。学校施設をみ
てまわり、生徒の代表者達と座談会をおこ一ない、受験のこと、将来
のやりたい仕事のことなど意見交換し、非常に有意義であった。
夕食も歓迎夕食会となり、引き続き歌や蹄りの歓迦交流会が夜お
そくまであり、心暖たまるもてな.しを受けた。

3. 黄山、黄山市・.


 桐城市の記念植樹を終えて、ここで、江西省九江市星子県へいく
植林グループ5名と分かれ、記念グループ3名は、黄山へむかった。
黄山市は、人口約150万人。ここには市青年連合会のメンバー
が約36万人いる。ちなみに連合会の会員は、15歳から28歳ま
でだが、40歳まで青年とみているという。
黄山は。安徽省の南の方に位置しており。中国国内では、山風景
の「天下第一の奇山」とよばれ、山岳景勝地として高名である。
1990年!2月には、国連のユネスコの世界文化と自然遺産に指
名された。(中国では、黄山、黄河、長城、長江が指定されている。)
黄山市長の特別のはからいで、案内の周さんというガイドがつけ
られ、1997年にできたロープウエイで、山頂附近までいき、山
道を歩いて山頂の北海国際大酒店(ホテル)に宿泊した。
23日早朝6時37分、位泡山に登り御来光をみた。黄山では、
本当にめったにないというくらいの快晴だった。'
黄山は、奇松、雲海、怪石、温泉の「四つの絶景」をもつといわ
れており、気象条件で千変万化し、今回は、すばらいしい景観をみ
せてくれた。
黄山を一日中歩き、足が相当に疲れたので、山をおりてから、市
内の名物の"足浴温泉"で、マッサージをし疲れを癒した。
夕食には、余向東・共青団黄山市委員会書記の招待宴があり、話
しの申で黄山においても環境保護活動が盛んで、植林事業にもおお
いに関心があり、また大阪府藤井寺市と友好都市提携をむすんでい
るので、青年交流をしたいと希望しており、その仲介をたのまれた。
夕食後、空路、上海へ向かった。

4. 上海市
 23日、黄山から21時発X09550で、22時10分上海・
浦東新国際空港に到着。シヤオヤ上海市青年連合会副秘書長・国
際部長の出迎えをうけ二上海城市酒店(ホテル)へいき宿泊した。
24日、市内の近代化された浦東地区にある世界第三位という上
海タワー・テレビ搭にのぼる。
たまたま同じホテルに、朴(パク・チーニウング)朝鮮金日成同盟
労働中央委員会書記一行8名が訪中していたので、同じバスで見学
することになった。'途中、青年交流について話をした。
長江河畔のレストランで昼食。
昼食後、豫園の老街へいき、まだ昔の街並の風景が感じられると
ころで散策した。夕食は、植林事業グループと共に、上海の中心街
の新スポツト「新天地」にでて、"上海かに"で有名なレストラン
で、中国で今回滞在申お世話になった洪さん、超さん、シャオさん
にお礼と感謝をすると共に、最後の夜を楽しんだ。
25日、13時15分発NH920にて、浦東新国際空港から帰
国の途についた。16時50分成田空港着。入国手続き後、
17時30分解散

5. 日 程
 別紙のとおり


○所感
2000年から日中緑化協力基金のもとに開始された、「日中緑化協;力事業」は2001年から事業参加し、今年が二回目であった。おりから日中国交回復30周年記念にあたり、中国共産党第16回大会で、かつて中華全国青年連合会の主席をつとめたことのある 胡錦涛総書記をはじめとする新指導体制が発足した直後の訪問であった。滞在中に全青連の幹部から、新しい中国について様々な意見をきくことができ、また北京、上海という大都市と安徽省桐城市、黄山市の地方都市を見ることができ、比較の上でも非常に有意義な見聞であった。
中国は・改革開放路線を取り入れてから20数年になるが、その問驚異的な経済成長をはたし、GDPは、世界第6位となり、2020年には、2000年のGDPの4倍を目標としている。
中国の昨年の1人当たりのGDPは、910ドルで、日本の40分の1であるが、上海では、4,OOOドルを超えるが、内陸部では、300ドル程度という大きな格差の課題も存在している。高層ビルが立ち並ぶ近代化された大都市と、道路、上下水道、エネルギー施設といったインフラが発展途上にある地方都市、そこに生活する人たちの住宅や仕事についても家庭を訪づれて学ぶことができた。たとえば、桐城市では、雀さん一家を訪問した。雀さんは・現在54歳で、農民であるとともに長男・二男と共に運送業をしている。3人の子どもがいるので、1人子政策ときいているのでなぜという質問には、その政策以前に生まれていたというこたえであった。農業収入は、5干元、運送業では3~4万元だという。この家は・1階に台所とダイニングルームの広さで部屋があり、2階には4部屋で、10万元で建てた。テレビ、ステレオ、冷蔵庫、'洗濯機、携帯電話などもあり、将来のほしいものは、自動車とコンピューターだという話しであった。このあたりでも農業の機械化により、人
力があまってくるので、都会へいく人がおおくなる現状でもある。10年ぶりで、再訪した黄山へいく途中の道路の両側も木々が植えられて並木の整備がなされ、道路も非常によくなっていた。

また、観光地として国が相当に力を入れている黄山も、当時なかったロープウェイが三本も建設され、最盛期には毎日3万人が観光にきているという。通路にはゴミひとつなく、環境がよく整備されているのが印象にのこった。上海は、1990年に国家プロジェクトとして「上海浦東地区開発計画」のもとに近代的な都市づくりが急ピヅチですすめられた。いまでは内外環状道路、地下鉄の延長、外高橋発電所、などのインフラも整備され、高層ビルが林立していた。そして北京⇔上海高速新幹線計画もあり、2010年には、万国博も開催されるという発展ぶりであった。こうした上海や北京をみるかぎりでは、日本が1979年からおこなっている対中ODAも廃止論が噴出するのも無理もないと感じるがやはり、地方都市の実情をみることも重要なことではないかと感じた。日中緑化事業もそうした観点からも、環境保護をめざして「母なる河を守る運動」地球砂漢化防止のために、今後も取り組んでいき一定の成果をあげるまで継続したいと念願している。中国の人口約13億5千万人。全青連メンバー3億2干万人という。この団体の組織力は想像以上のものであることがわかる。中華全国青年連合会の活動におおいに期待するものである。

以上
       お世話になった方々に謝々多謝
            そして2003年の再会を期待して再見
2002年12月2日


国連教育科学文化機関
国際貢献専門(UNESCO)
小 池 喜 一
 http://plaza.rakuten.co.jp/DSP66koike      



民際外交 {6} (A) 国連教育科学文化機構(UNESCO)青少年・世界遺産

2012年09月05日 | Weblog

(3)

 

 

2001/国連教育科学文化機構(UNESCO)<タイ・マレーシア・インドネシア調査>青少年・世界遺産2/2

 

       ユネスコー2000 青年国際交流信託基金事業派遣団  報 告

 第1原稿

 ユネスコ日本委員会は 国際相互理解と協力のための国際交流計画を ユネスコ本部の基でACCUが委託した

アジア地域への派遣に 企画・実施を担当したのは 青少年運動や国際交流に精通している

中央青少年団体連絡協議会であった。

 

訪 問 国: 1)タイ王国 2)マレーシア 3)インドネシア共和国

 

期   間:  2000(平成12年)12月5日ーー12月25日

 

派 遣 団 員:ユネスコ活動分野での専門家プロジェクトに確かな確かな仕事をやって いく能力に適格な青少年団体専門指導者で構成された。

    1 1 名              報告者:小 池 喜 一

 

 

目  的:(1)「世界寺子屋運動/識字教育」の現状を直視し将来の展望を模索する。

 

       (2)青年による人的・文化的交流の実施と発展を支援し、相互の協力により活動の拡大を促進する。

(アジア地域青少年団体協議会AYCと青少年交流事業に行うアジア地区内の国内青少年団体調整 組織の自主的な活動等)

 

       (3)民族・宗教の伝統文化を規範に支えられた「危険にさらされた人類世界文化遺産保護」のための調査・研究・支援策に我が日本国少年団体が如何に取り組み平成13年度

 (4)IT革命による情報・経験・着想の交換

 

2)マレーシア

 

12月9日

 マレーシア航空MH785便は16:05クアランプール空港に着陸 私たちユネスコACCU派遣団は「ラマダーン月」を体験することになった。ラマダーン(断食)は無宗教の私(一応仏教・曹洞宗)は宗教心をもつよう学習する必要にせまられ努力する。森総理「神ノ国」発言の教えに近いモスレムを 理解するには大切なことである。さて ラマダーン月はモスレムにとっては戒律である。コーラン啓典(1)牡牛「断食」、  (2)食卓  (3)家畜「食肉」について 昨今の事例にみる 日本企業の生産した「調味料」を不買・不使用運動 問題にみられるについても研修しておかなければならない ちなみにマレーシア・インドネシア共和国のモスレムは90%、である。

東南アジア全体では   イスラム教 27.2%   ヒンドウ教32.9%   

仏 教 17.6% キリスト教7.3%   その他20.3%

地域によっては その比率は異なるが やはり西方向ユーラシア大陸 インド洋岸 アラビア海と内陸へと広がり イラン、イラクそしてメッカを中心とする イスラム系諸国東方向は東チモール、オーストラリアも視野に考えることになる。

ここでは マレーシア インドネシア共和国に何処から どの様な経路でイスラム教が布教されて来たのか 関心あるところだが別の機会に考えたい。

とにかく、現に我々派遣団はイスラム社会のラマダーン月に2週も間身を置くのである如何に 心身を対応させるかが 課題となった。

 

12月9日

クアランプール空港では 頭を白いスカーフで覆ったモスレムの女史のガイド通訳と AYC職員の出迎えを受けた 用意されていたバスで都心へ向かった 車内ではガイドが「ようこそマレーシアへおいで下さいました今はラマダン月です・・・・」と挨拶した。車窓からは見渡す限り緑一面油ヤシの畑、やがて建ち並ぶ20階以上とも思われる高層ビルデングの谷を抜け住宅地へ AYC会長ハッサン氏 私邸での歓迎晩餐会に到着したのは18:30であった。

マレーシアは複合民族国家と言われるが AYCハッサン会長は 敬虔なるイスラム信徒 信頼される青年の指導者とお見受けした。私たち派遣団の受け入れにも アルミニ青年会が総力を上げての 準備を整えていたことが 歓迎会でも伺い知ることができる 歓迎晩餐会はハッサン私邸前庭で 盛大に開催された 夕刻七時に ラマダン月 12月9日が日没で終わる コーランを唱えてメッカに向かって礼拝する信徒 、その後(その日のラマダン終了後)ふだん以上のご馳走で家族そろって共に食事を 客を呼び合ってや旅人も交えて交流の庭と場 を 増やし、談笑がなされた。養護施設の子供たちには 食物やお菓子を施している場に 居合わせることができたのは幸いであった。

イスラムの社会では、アッラー神からムハメットが預言を授かり コーラン啓典とメデイナ啓示による礼拝・断食・喜捨・巡礼が信徒が主体的に志すもので なせる宗が日常生活が習慣であったと ふと私の心に善きことと強く打った。 ラマダン(断食)は信徒が義務化された正しい行為  1)*ラマダン月は「太陽に昇っている間だ一切の飲食を断つことで本当に神の畏れかしこむ気持ちが出来てこよう」

啓典コーラン第二章 牡牛 メデイナ啓示179・180・181・216節    

2)*「豚肉・血・死獣の肉等は」穢れもの   

3)*「酒・賭矢・偶像神・占矢は」厭ううべきこと 

 

啓典コーラン第五章「食卓」メデイナ啓示4節92・93、

啓典コーラン第六章「家畜」メッカ啓示146節の法や教えによるものである。

 

        ACCU国際交流プログラム イン マレーシア 

       アジア地域青少年団協議会(AYC)とクアランプール 

        アルミニ国際青少年センターの青年委員会・会長    (歓待)

  16:40ー 9-13 12/2000

ホスト(歓迎)はアルミニ青少年団体協議会

議長 :   アジア青少年団体協議会会長

副議長: 国際アルミニAYC社団青少年協議会会長

事務局:   アルミニ国際青少年センター事務総長

アジアン青少年団体協議会事務局長

 プログラム・歓送迎・食事・輸送・・・・・・

日本代表団名簿・セレモニー招待カード他  別紙(コピー)送付

 

 

2005年02月19日 

国連教育科学文化機構(UNESCO)<マレーシア・2>>

                                  2001/2/11

                         第 原 稿 2

12月10日 小 池 喜 一

 8:30 小高い丘にRKK TENGKU BUDRIAH CHERS(国立女児童養護施設)施設は

スルタンの王妃名を附けたのだそうである。遊びを取り入れた幼児児童教育がなされている

家庭の都合で、門善意置き去られた幼児も預かっている。今ところ不景気で國からの予算も

年々減少して 施設運営の貧泊やスタッフ不足委が悩みの種と。

 

IYC(国際青少年センター)で各青少年団たい代表と「環境問題への青少年団体の取り組み」に

意見交換がなされた 以下がその内容である。

 

18歳から25歳を対称としている 200万人国際ユースセンターはNGOである。

環境問題への青少年団体の取り組み

 

発展中のマレーシアは水・電気にも関心を持っている

水の立地・ダム建設・浄水・確保・取水・水道・飲料水

・水車発電機・発電・送電・配電・受電

 

発展するにあたって今日のマレーシアの問題点

 

水と土そして空気 

水はダムを建設して発電(水道)もしながら工場や家庭からも汚水を排水しない

努力。河川の汚染は現在45%浄化され水汚染に注意をはらっている。

 

土は農薬(EIA)を使用しない

空気汚染は工場はじめ自動車のCO2排気ガスや光化学スモグは40%改善された。

 

国際ビュロー自然保護団体と環境

オイスカー・職業訓練、げんざい多くの樹木を伐採してしまったマレーシアでは青少年に

木を愛する気持ちを培ってもらうために植樹をしたり 都市計画・10万人の植樹運動を

展開している。

12月15日は植樹会を午前9:30からおこない各家庭に1本の植樹をと、

一方1本の木を切ると罰金500円、環境推進には科学技術環境庁が当たっている。

また、マレーシアから日本への「花を送る会」を今までより一層の活発化をはかりたいと

元青少年局長ソラヤ氏が語っていた。

 

国際ユースセンターは画家黒田氏の10億円の寄付金で建設され研修された

アルミ二青年700人が育成された。

青年文化交流のアジア青年の船はある時期実施しなかっつたが 

ラオス・カンボジアの青少年活動が良くなって来た この両国おも含めた

青少年国際交流の再開を望んでいた。

 

午後には「マレーシアの森」熱帯植物・森林について

FRIM(Forest Reserarch instiutute)国立熱帯雨林植物園を訪問 樹木ラワンの木、

ニッキ香料の木、薬木、コーヒ・ココアの木等の説明を受けながら園内を見学後 研修室にてスライドによる説明質疑応答 油椰子プラントと樹林の比率があった。

 

BATU CAVE大崩落洞窟寺院は272段の石段を登った露天鍾乳石洞窟にある 

ヒンドウー寺院である水の滴る回廊を 素足で巡回祈りをする数人のインド系信徒を視る。

 

12月11日 

 ペラ州都 IPHO市 Perak Youth Council(錫青少年協議会)・州政府青少年スポーツ局長

他の出迎え 100人位の民族マーチング音楽隊の大歓迎を受けた。

ペラ青少年協議会指導者との青少年団活動への取り組みについて協議 

ビデオでの伝統芸能民族の祭典、・婚礼(原住民、マレー系、中国系)・葬儀の様子。

インド系民族の踊り サバ州の歌と踊り ペナン州の文化、質疑 急激な社会変化の中での

伝統文化を如何に伝承していくか、伝統文化と学校教育、スポーツと学校教育

 

国立伝統工芸陶器センターで作業・研修・作陶を視察

 

クアラカンサは 王家の街と呼ばれ ブッキ チャンタ丘に新旧離宮が建っている丘広い

公園・広場はラマダン月市場・周辺にはバザールと古い町並み そして東側には 

ペラ川が流れていて 1903年にイスタナ カンダリア公邸  

1826年に元王宮+寺院イスタナ クナンガン丘には 1917年ウブデイアナ モスク 

敷地内西北西に隣接27代が葬られているスルタン(君主)墓群 

モスクはネギ坊主型金色ドームとミナレットと呼ばれる 塔を2基を据えていてマレーシアで

一番美しいモスクとも言われている 境内の回廊では座してコーラン啓典を学習している信徒 

ドーム内はガラーンとした空間タイル張りの床に薄縁を敷き座して メッカの方角に祈りを

捧げている数人の信徒窓からは 西日がさしこんで静かな午後であった。

マレーシア連邦は13州で構成される立憲君主国で マレー半島の9州に

それぞれ世襲のスルタンがおり イスラム教の伝統に従って君臨してきた。

国王はこれら9スルタンの互選によって選出され その任期は5年である。

当然ながらイスラム教が国教だが信仰の自由は保証されている。

 

ラマダーン市場

ラマダーン月には重要な広場となる、午後6:00ゴロになるとプロパンガス容器や

小型の自家発電機 料理道具 食材が持ち込まれ40ー50店ほどの屋台が立ち並ぶ 

夕刻7:00街にコーランが響き渡り 本日のラマダンが終わると開店する。焼きそば屋、

ジュース、惣菜。ちまき、焼き鳥屋等は 日本でも神社の参道やイベント広場に 

屋台店が出るのと類似していてさながら 夏祭りや盆祭りの夜である 

前記したが家族や友人と外食する屋台食が庶民の楽しみになっている 

窓もない冷房もなし天井には扇風機が回っているレストランや食堂も開店する。

ビールも豚肉料理もあるが モスレムは基本的に厭うべきとのことである。

 

 

ペラ州知事 ダト・タジロ氏 (元AYC会長)主催 

歓 迎     軽 晩 餐 会        (知事公邸於いて)

22:00 10年前にお会いしたダッド タジロ知事は当時青少年・スポーツ省デレクター、

AYC会長であった 現アドバイザーの 知事主催 公邸での軽晩餐会で 

伝統民族衣装を身に着けた給仕が配膳 総理も衣装を着けていた 

こっれも伝統文化の伝承ととらえる そして 懇談旧交も温める 

ACCU派遣団がこの度訪問した目的 青少年運動の奨励 伝統と文化 と話題は広がり 

手紙文通からファキシミルそして電子メールと強調していた 

をしっかり学習しさらなるITの活用を。                              

 

12月12日 

 イホ州からクアランプールへ戻る。

11:00 イスタナ ブダヤ国立劇場の舞台装置 演出効果 客席等建設・運営についての説明が

なされた。英国の設計、オペラをはじめとしてさまざまなジャンルの芸能が上演されている

バライ セニ ルキス国立美術館は国立劇場に隣接して建てられていて民族に根ざした

近代絵画展も催されていた。

マレーシアUNESCO支局ではユネスコ活動についての情報提供とACCUの成果についての

ブリーフィングがなされた。ここでもビデオによる解説によると農業活動に対する支援活動に特徴があった。協議中の話題のひとつ

*国民は文化遺産に興味があるのか

*マレーシアには世界遺産に登録されたものがないのに今回関心をもたれたのは

 

16:30ー18:10

マハ ラビハラ仏教寺院(寺子屋)

仏教同盟は青少年活動計画や教育についてのブリーフィングが行われた。

仏教信徒の子弟が主に学習する中規模学校であった。校舎敷地内に仏像殿があり近隣格好の

小仏像が安置されていた 学生はもちろん近所の人々もお参りをしている姿を見かけた。

伝統仏教芸術と演技

インド系仏教学生が演ずる精力的な力強い舞踊は伝統仏教芸術の意味深いもの感じた。

 

送別夕食会は代表団宿泊ホテルで催された。アルミニIYC/AYC会長以下スタッフ、

家族、関係者多数が参加し、歌、民謡等演技を交えて交流は大いに盛り上がった

 

  

タ イ 王  國(マレーシア連邦・インドネシア共和国)

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第三種郵便物認可郵便友の会ニュース平成13年(2001年)3月15日

12月5日から26日日までの二一日間「ユネスコー2000青年国際交流信託基金事業派遣団」
に参加しました。団はユネスコ活動分野での専門家としての、青少年団体専門指導者
十一名で構成されました。

タイ王国
12月5日この日は国王の誕生日。公共の建物や街角に国王の肖像画が掲げられて慶
祝ムード一色。夕食はタイ.典舞踊が見られるレストランで取りました。

12月6日タイの青少年団体の連合体一NCYD一を表敬訪問。事務局長から同国の
青少年団体活動の現況を聞き、その後、ユネスコアジア・
太平洋地域申央事務所を訪問、ユネスコと同事務所の活動の目的、
現状などの説明を受けました。更に貧しい人々が集まる地域の子供たちへの
教育支援活動を展開する財団を訪ねました。

12月7日バンコクの美化一活動として、一般家庭でのリ一サイクルやゴミの減少、
子供たちへのゴミ選別方法の教育を展開中のクラブや組織の代表と意見交換、
タイ王国最古のアット・ヤイ・スワンナラiム一大金寺一を見学。
文化遺産でもある寺で出家修行中の背少年の僧侶の姿に、歴史や伝統文化などを
大切に受け継ぐ活動を見いだしました。

12月8日少数氏族の文化・事一ア央たジヨロアジア地域間)コ地訪イス洋を
タネ平所(ユ大務行ザ)

PFC全国懇話会会員   上
小池喜一

伝承に取り組む中学校を訪問。徒で午後7時、ラマダン月の
生徒の伝統音楽演奏と民族開始。コーランを唱えてメッ舞踊を観賞しましたが、
とカに向かっての礼拝が日没まても感激でした。で続きました。
盛大な歓迎晩さん会が行わマレーシア連邦れ、私共の受け入れ準備に


12月9日タイからマレー隼団体が総力を挙げて取り組シアヘ移動。
「ようこそ!んでいることを、伺い知るこ今はラマダン月(断食の月一とが出来ました。で…」のあいさつでイスラ川12月10日国立の児童養護仏教国へ。
到着の印象を強く施設を訪問。事業内容を視察実感しました。しましたが、最近は予算の減夕方、ハッサン・アジア脊少で運営のひっばくやスタッ少年団体協議会(AYC)会
7L不足が悩みの種とのこと。
長の私邸前庭に到着。ハッサこ万後、国際青少年センターン会長は敬けんな
イスラム信(IYC一を訪れ、各青少年団体の代表と「環境問題への背」供
子少隼団体の取り組み」についのて、意見交換をしました。.設..

12月11日ペラ州都イポ市轟一範青少年団体指導者と養)の意兇交換、
伝統文化伝承の童アビデオ観賞、伝統工芸陶器セ児シ立一ンターの視察を行いました。
国レ午後10時、タジョロスリー・ペラ州首相一AYC会長州知事 主催の歓迎晩さん会が、州首相公邸で開かれました。

12月12日クアランプールで国立劇場を視察。最新の設備や運営についての説明を受け、
その後、隣接の圃立美術館で民族に根ざした近代絵画展を観賞し、最後にユネスコ支局を訪れ、ユネスコ活動の情報提供を受けました。

インドネシア
ー2月13日マレーシアからインドネシアヘ移動。歓迎夕食会で青少年の
伝統舞踊伝承活動の一部を鰯賞しました。

12月14日西スマトラ州知事表敬訪問。講堂ではボランティアの集会が開かれ、
水害地帯への支援物資が山積みで、私共も義援金を寄付しました。
この後、海洋環境保護活動グループと無人島へ向かい、与」』~
ご珊瑚の保護保全やチ供への環境教育の活動を視察しました。

12月15日国立のセメントエ場を視察。
環境問題に閑心を持つ市民と工場関係者の会議に参加し、その後、
国立アンダラス大学を見学して「西スマトラ州の白然環境」の講義を受けました。

                            つづく

郵便友の会ニュース平成13年(2001年)4月15日(第三種郵便物認可

12月16日リマプルコタ県知事を表敬訪問。団員からの水害見舞金を贈って
パダン・ジャパン村へ移動。集会所での母子健康相談と予防接種の様子を見学。
その後、農家の庭先で民族衣装を身にまとった子供たちの伝統音楽での歓迎を受け、
昼食は近所の婦人の手作り料理、そして女子団員はクツキング実習をしました。昼食後、馬車で村内を見学、そして女子養護施設を訪問。政府援助が皆無で財団の基金と寄付などで運営中。

12月17日パダン・ジャパン村を出発し、シアヌツク滑断層渓谷の日本軍が掘った
トンネル、ソンケツト村伝統文化織物・木工芸工房などを見学。
目的地のナンサマニンジヨウのホテルでは、全員が西スマトラ伝統の正装を着付けて、
スマトラ式食事と伝統儀式を体験。

12月18日国営の社会施設・養護老人ホームを視察。男女別棟の奥まっだ所に
体育館兼集会場があり、そこで施設説明と質疑応答。
続いて、ヤシ殻などの農業廃棄物の二次利用に取り組む農業共同組合を訪問。
廃棄物利用に関する意見交換の後、ヤシ殼繊維選出作業と自動車オイルフィルタなどの試験製品の見学。

12月19日朝から豪雨。パダン空港でジャカルタ行きの飛行機を待つが、
滑走路水の浸水で離着陸便なし。結局一泊して出発順延。

12月20日飛行機の座席確保は困難で最終的に3班に分かれて移動し、
午後4時ごろ全員がホテルに到着。夕方、王家一族や国際交一流関係者による
歓迎夕食会が王族の家で行われました。

12月21日大学進学率九〇%の有名高校を訪問。教科やクラブ活動などるを語り合い、
国旗のすを扱い方や集団行進な樹どの儀礼が大事にさ植れていて驚き。
念正午、ジョジャカ記)で汀ルタ特別州知事表敬学ネ訪問。
青少年の国際大ド交流、自然環境保護、τ環境鷹止一の環ダ
(境教育なとにっいてン者話をしました。ア筆昼食後、ボロナド)


PFC全国懇話会会員
小池喜一

のプランパラン寺るよ院群を見学。同寺
に院は多くの遺跡が楽点在する村の中の音統一つの寺院で、ヒンドウーのシバ神をまつる監覇寺院身として築かれまし-ルヘ移動。
仏教徒からも忘れ去られたボロブドールは、世界文化遺産の一つとしてよみがえり
荘巌さを誇っています。更にユネスコによって修復工事が進行中で、
「ユネスコACCU」の記念レリーフが刻まれていました。
夕方は、野外劇場での舞踊を鑑賞し、「気の道場」を訪間。
国技武道を大学生、体育の教師に専門家が指導していました。

12月22日世界文化遺産供ネた。各回廊の壁に子ド施された浮き彫りのン装イには
古代インドの衣(叙事詩「ラーマナ族迎-ヤ」の物語が描民歓かれていました。
この後、ジャカルタヘ移動。
早稲田へ留学した人々が設立した大学を訪問。
プログラム準備へのお礼を団長が述べて交歓しました。夕方、
著名な演劇女優の家でインドネシア料理による夕食会。
日本で日本人と共演した折のポスターが、部屋に飾ってありました。

12月23日インドネシア最大規模の植物公園を見学。広大な敷地に一万五千種の
植物が集めれ、熱帯林の在り方などの研究がされていましたが、生命力を感じました。
続いて農業大学を訪問。大規模校ですが資金不足から学生宿舎などが不十分で、
農業従事者の就学支援のため推薦入学が八○%。集約的な近代農業でないため、
農氏が農業を専門に学習する傾向になく、短大コースの卒業生が従事するケースが多いとか。
スハルト元大統領夫人が設立した公園を見学。各地の建築様式や外観が異なる
民家や寺院が復元されており、多民族・文化の複合国家を表していました。

12月24日出発まで白歯時間の市内見学。デパート前の街路は人混みで足の踏み場も
ない程。夕食は日本料理店で久しぶりの刺身、天ぷらに舌鼓を打ちました。

12月25日早朝、成田空港到着。
関係者に感謝しつつ今後の作業の確認をして解散。
全団員は今回の成果を職場や地域、青少年運動の中で生かしてゆくことでしょう。

                                  
                      

 

 


「B-P卿 令孫マイケル&ジョアン夫妻」 歓 迎 晩 餐 会

2012年08月15日 | Weblog

 

 

2012/08/09(木)

  中央「B-P卿令孫マイケル&ジョアン夫妻」(左夫人 右M B-P )

     左Asano mariko                                             右 koike kiichi

       (浅野万里子}                                             (小池喜一)

  (ガールスカウト日本連盟 会 長)             日本ボーイスカウト 神奈川連盟  横浜スカウト倶楽部員

                                            (1965年 英国 ロンドン  国際ギルエルウッドバッチ実修所入所

                                                              ウッドバッチ修得      UNESCO国際協力企画専門)

 

   「B-P卿 令孫マイケル&ジョアン夫妻」歓迎晩餐会    

                                    新宿京王プラサホテル43階ムーンライトの間

* 「B-P卿(ロード ベーデン・パウエル)」

1907年「スカウト運動」の創生者 訓育(教育者)                      

1911.6、       乃木陸軍元帥は英国のスカウトたちの活動を視察している

1912.4   ベーデン・パウエル卿 来日、(横浜の山手 外国スカウト後の     国 際第1隊 グリフィン隊長)を視察

1939.    B-Pはノーベル平和賞受賞者にノミネートされる

             

       *  「B-P卿 令孫夫妻(マイケル・ジョアン ベーデン・パウエル)」

           * オーストラリア在住 オーストラリアボーイスカウト指導者 

           *  英国ロンドン 国際ギルエルウッドバッチ実修所入所 ウッドバッチ修得

             (ギルエル ウッドバッチ リユニオン<同窓生> M B-PとKoike Kiichi)     

           *   マイケル&ジョアン    夫 妻で 「スカウト/ガールズガイド運動」

           *第11回日本アグナリー(11NA)

        2012年8月2日~6日滋賀県希望が丘於参加

          本年2012年B-P卿(L B-P)が来日して100年後にあたり(M B-P)の訪日となる

 

 

*海 外 アジア太平洋  ス カ ウ ト受入計画 (国際児童年障害者)            (14ケ国 1カ国 3名 計 42名)

           アト.レセプション.デレクター(実行隊長)      小 池 喜 一

 (国際障害者年 障害スカウト         感   謝 盾 授 賞 (ボーイスカウト日本連盟) 1983 54、7、31ー8.13

  (I.Y.Y  国際 香 港 障害青年招請  )    感  謝 盾   授  賞   (ボーイスカウト日本連盟) 1987 58、7、27ー8、15(18日)

 (ア グ ナ リ ー障害者招 請)                    感  謝 盾   授  賞   (ボーイスカウト日本連盟) 1989 60、7、30ー8、14

 

{皇  室  外  交} (ローヤル外交)

現在のページは ホーム 皇室のご活動 天皇皇后両陛下のご日程 平成19年(10月~12月)

ご臨席(世界スカウト運動100周年記念  第54回ワールド べーデン・パウエル フェローシップ晩餐会)

(世界スカウト財団名誉総裁 スウェーデン国王陛下ご臨席)(京王プラザホテル(新宿区))

平成19年10月5日

 

ボーイスカウト日本連盟創立90周年記念事業中央式典
平成24年5月26日(土)(国立オリンピック記念青少年総合センター)

皇太子殿下のお言葉

ボーイスカウト日本連盟が創立90周年を迎えられ,ここに,皆さんと共にお祝いすることができることを,喜ばしく思います。

ボーイスカウト日本連盟が大正11年の創立以来,90年の長きにわたり,我が国における青少年の健全な育成に真摯に取り組んでこられたことに,心から敬意を表したいと思います。

昨年は,3月11日の震災により,多くの方々が被災されました。この中にはスカウト関係者の方々もおられると思います。震災では,被災した方々のため,仲間のために,全国のスカウトの皆さんが被災地で,そして,それぞれの地域で,「そなえよつねに」の実践として,様々な支援活動に尽力されたと伺いました。皆さんの活動に対し,深く敬意を表するとともに,災害からの復旧・復興が一日も早く進むことを願っています。

日本連盟創立から90周年を迎える今日まで,青少年を取り巻く環境は大きく変わってきました。その中でも科学や技術が進歩する反面,豊かな自然環境が減少し,子どもたちが自由に駆け回ることができる野山が少なくなっていると思います。自然の中で仲間と共に知恵を出し合い,体を動かすことの大切さ,スカウト活動の楽しさを,私は昭和57年の第8回日本ジャンボリー,昭和61年の第9回日本ジャンボリーで実際に体験しましたが,これは,今でも大切な思い出として深く心に刻まれています。

創立90周年のテーマは,「SCOUTING, value for life!」と伺いました。スカウト活動での体験は,スカウトの皆さんの心に刻まれ,人生を通じた宝物になることと思います。スカウト運動が,今後も更に充実し,発展することを切に願い,式典に寄せる言葉といたします。

 

ご臨席(ボーイスカウト日本連盟創立90周年記念事業記念レセプション)(国立オリンピック記念青少年総合センター(渋谷区))平成24年5月26日(土)

 秋篠宮殿下滋賀県希望が丘第11回日本アグナリー(障害者大会)

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  • スカウト運動に理解を示す侍従長 渡辺充

    2008年08月03日 | Weblog
    スカウト運動に理解を示す宮廷侍従長 渡辺充(72歳)


     渡辺充氏の父渡辺昭氏は昭和天皇とご学友でスカウト活動に熱心であった102歳の長命で80歳代のとき

    わたしも数年間スカウト活動でお付き合いいただいた昭氏が他界された時追悼文を墓前に捧げた

    天皇陛下をはじめ皇族方は生花を手向けた

    ご子息の充氏は答辞に「父はその半生がスカウト活動であった事を幸せに思っていました」と

                                       2005・08

    さんの念(おも

    三 指

    *渡辺昭総長に今朝お会いした。05.8.4朝4:30分[スカウト]検索でホームページを開いた
    1997.4.1ユニホーム姿に ブロンズ・ウルフと思われる記章 胸に懸けられた肖像写真であった。
    私に「ご苦労様」と笑みを浮かべながら話しかけているそんな再現場面の気がした。

    * IYY世界青少年 年アジア太平洋 障害スカウト招聘計画 送迎レセプション
    新宿野村ビル上階倶楽部ルームで総長は私のところに杯をもってきて「ご苦労様」の労いの言葉と
    笑顔は今日も変わっていなかった。

    * 世界ジャンボリー(御殿場)会場に皇太子殿下をお迎えしたマーキー天幕では
    渡辺総長に皇太子様が「じい(爺)ご無沙汰しています」と話しかけられていたのを
    おもいうかべました。

    * さらには送迎レセプションが宴される東京六本木 吉田宏家茶室 内庭会場門前にて
    私は総長に「如何様にして来られましたか」 総長は「徒歩で着ました」と 気さくな人柄でした。

    * 立食型レセプションで杯を持った時の姿勢の良さ 心も また凛々しくスマートネスな総長に
    私の眼には映っている いま他界された渡辺昭総長の念い するとき
    スカウト ソング「永遠のスカウト」を謡い 洋で 我らの「チーフ スカウト」

    倭では『ヤタガラス スカウト』と詠いたい。       弥  栄

                                                                 (月 刊 SCOUTING 2005・09/号)               
                                      

  •  横浜スカウト倶楽部 NPO法人 I.C.C vp小 池 喜 一

    G.S..M Ooraka Kamigami Narukami

    (グローバル・スカウト・ムーブメント おおらか カミガミ 鳴神)

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  • 皇室   皇室のご活動   おことば・記者会見   皇室に伝わる文化   参賀・参観・申込   宮内庁

 

 

 

民 際 外 交}(1)

                       ロシアから愛を込めて スカウト運動 雑 感

                                                                                   小 池 喜 一
                             Email: k.nisimikadokiichi@goo.jp
                                                   Fax:  045 511 3079  

モスクワ・クレムリン赤の広場
裏道 大道芸能 ピエ ロ

1910.1に

 
     ・ B-Pはロシア皇帝ニコライ二世、とサンクト・ペテルブルグでスカウテイングについて話し合った。

                <ロシア・ロマノフ王朝最後の皇帝。1917/10月革命後、銃殺された。>

               <ロシア連邦北西部 バルト海(バルチック海)に臨む港湾都市 避暑地 1703年ピーヨトル大帝が建都

・1905年    東郷平八郎は海軍連合艦隊司令長官旗艦三笠の甲板で指揮を取って

                   対馬海戦(日本海海戦)対バルチック艦隊(巡洋艦オーロラ 号)   に抗していた。

  本年2003年5月には建都300年記念 G8首脳(日本国 小泉純一郎総理も参画)をプーチンロシア大統領が 再生カテリーナ宮            殿「琥珀の間」に招待した プーチンロシア大統領は
    サンクト.ペテレルスブルグがロマノフ王朝が建都した当時の輝きにリホームするよう予算的措置にも尽力した。(ロシア国内ではリフォームに反対も多      かったがプーチンロシア大統領は サンクト.ペテレルスブルグ出身でもあって) 

・1712年    からロシア帝国崩壊の1917年まで首都 以降、Petrograd(1914~1924) Leningrad(1929~1991)と改称したが

 1991年    再びSt.Petersburgに名称が戻された。>

1911.6      乃木陸軍元帥は英国のスカウトたちの活動を視察している

1912.4   ベーデン・パウエル卿 来日、(横浜の山手 外国スカウト後の国 際第1隊 グリフィン隊長)を視察


・1912年     にはロシア連邦がイタリア共和国と共にスカウト世界機構から脱退した

・また、クルミア半島からスカウトクラフトの考査に合格した最初の学校の生徒達がサンクト・ぺテルスブルグにやって来た。

 視閲と称賛の言葉を受けるために特別列車で<ウクライナ南端の半島 黒海とアゾフ海の間に位置する>

・ニコライ2世皇帝はともかくスカウチングの価値に深い感銘を受けたので自分の皇子もスカウテイングに取り組ませた。

・1922.4.13   少年団日本連盟が設立された。(東京・文部省内)総裁(東京市長)後藤 新平となる。

・1918・10月    バルト海サンクト・ペテルブルグ市ネヴァ河口停泊中の巡洋艦オーロラ号艦砲合図で革命起こる・
                    以降のロシアにおけるスカウト運動はレーニンの指導のもとでの青少年運動ピオネール運動になっていったと伝えられる

 ピオネール活動の中心は祖国愛教育だった また校外スポーツ活動・学芸活動はピオネールを通じて与えられた。「偉大なレーニン」と「ファシストから国を守ったソ連軍兵士たち」への尊敬を培うこと、集団的規律に従う習慣をつけることが中心でそれ以外は遊びといわれる。
午前中は授業午後はピオネール活動。

ロシアの教師には日本のこどもの学習時間の多いのが驚きであったようだ。数学や理科は世界的な水準で一歩進んでいるのは事実である。
・たいていの家族は郊外に別荘を建ててそこで暮すか

・カスピ海湖畔やウクライナのウッドクラフト野外活動キャンプ場でピオネール組織キャンプに参加してきた。10歳~14歳

・職員の多くは国家公務員でこのセンターは日本のOMYC(独立法人オリンピック総合そう青少年センター)に類似した活動いる

・活動を見てみると少年達の夏期休暇は6月から8月の3ヶ月で  たいていの家族は郊外に別荘を建ててそこで暮すか

・カスピ海湖畔やウクライナのウッドクラフト野外活動キャンプ場でピオネール組織キャンプに参加してきた。10歳~14歳

・ピオネールは首に赤いネッカチーフを着け活動していることも知られている

・1985年5月1日(勤労者の祭典メデー)辻占に百数十人ずつ終結した人々がモスクワ クレムリン宮殿前赤の広場へ向かう 広場には拾数万に人が集まった クレムリン宮殿のお立ち台には「ペレストロイカ」を唱えるゴロバチョフ大統領 日本からも 民社・社会・共産・自由民主 党幹部も 「祝メデー」に訪露した 

時を同じく「アフガニスタンからソ連軍撤退」の一報が「チェルノヴイリ原子力発電所事故」 私(事故調査団代表)が取材中 ここ毎日新聞モスクワ支局デスク上電話が鳴り響いた その時 チェルノヴィリ原子力発電所事故1982.4.26から3年が経過していた. 

 モスクワ クレムリン宮殿前赤の広場で記念写真をピオネール少年団と共に撮った

2003/9/2 バルト海サンクト・ペテルブルグ市郊外「ばら日本語学校」の野外教育ではチェルノヴィリ原子力発電所事故発生1982.4.26から 21                    年後今日でも雨が降ったら森での活動は控えてるそうだ。

 ロシアではスカウト運動は パイオニア運動=ピオニール運動として広まっていった。

・2003年9月5日ロシアモスクワ「ユースクリエテブセンター」を訪問した
・レーニン・スターリン・ゴルバチョフ体制時には「ピオニール宮殿10歳~14歳」=「パイオニア宮殿」と強調して、紹介していた 旧ソ連崩壊後は「青少年 クリエテブ センター」と改名ヴィクトロ Eソボレブ第一副所長 リ―フレットの写真口ひげをつけているひと)は語った。

職員の多くは国家公務員でこのセンターは日本のOMYC(独立法人オリンピック総合青少年センター)に類似した活動いる     ハンドクラフト・ウッドクラフト

・  在ロシア大使館員の公使 の名刺 青少年クリエイチブセンター副所長 ・学校長 

2003/9/1撮影 神奈川県横須賀港
旗 艦 三 笠 日本帝國海軍連合艦隊 艦長東郷平八郎 (1905年)
 日本海海戦 対 バルチック艦隊  オオロラ号

 本日天気晴朗なれど波高し 皇国興廃この一戦にあり総員 奮励 努力よ

この時のT字海戦法は後の二次太平洋戦争ミッドウエイ海域で対日本にUSAが用いた。    

ロシアサンクトペテルブルグオーロラ号
バルト海 サンクト・ペテルブルグ(ロシア連邦)ネッバ河港
 2003/9/9撮影バルチック艦隊  オオロラ号

ソシアルダンス 舞踊 絵画 歴史 英語 数学 科学 パーソナルコンピュウターIT情報リテラシー
温室栽培熱帯植物園 プラネタリュウム天体観測宇宙科学 宇宙船体験
隕石探索自然キャンプ旅行等を通じてメリットバッチの習得をモスクワ近郊の青少年に提供されていた

TATU・・はEU音楽祭で3位に入賞していた 人気は1位であったが各国の政治的な思惑もあって審査投票では3位となったと ここモスクワではいわれている

03/9/5 モスクワ ボリショイ劇場での公演 ボリショイバレーは白鳥の湖が演じられていた 
 マドンナ テレシコワサンはこの公演の後すぐに解雇されてしまった。太りすぎとか             
あの有名なバレリーナ:は今どうしているのか?::モスクワ ボリショイ劇場前
                                         
  
 モスクワの街角建都700年祭り モスクワにおける日本年祭       

サンクト・ペテルベルグ ばら日本語学校生徒・クリエイチブ ユース活動(教師は国家公務員)

2003/10/21撮影 神奈川県立博物館 
1933年 4月3日~9日健児週間
 ポ ス タ ー  少年団横浜連盟   
 当時の「スカウト章」に興味・関心を!!
 (勾玉・草薙の剣・八尺の鏡=三種の神器!源平合戦で壇ノ浦に安徳天皇と共に入水!紛失のはず現存は?)              2003/10/21撮影   神奈川県立博物館
             昭和 24年度 版 GHQ認可指導者講習会       
昭和24年4月(1945)私は横浜市鶴見区 横浜市立生麦小学校内 横浜第17隊入隊する                               

(小学校5年生時)

 

 

1945.4.1 群馬県中之条町 中之条国民第一小学校入学「同級生に小渕恵三元総理大臣」

戦争非難疎開先「太平洋戦争大東亜戦争第2次世界大戦による」

1945.8.15昭和20年8月15日 終 戦「敗戦」

1945.11  昭和20年11月横浜市立生麦小学校1年生に転入「戦争非難疎開先より」

横浜市立生麦小学校・敷地内 生麦事件・発生跡地

「生麦事件/薩英戦争/薩英同盟 発生 1862.8.21

」⇒薩英戦争・薩英同盟1863.7.3⇒薩長戦争・薩長同盟1866⇒大政奉還1867や⇒廃藩置県1871明治維新と

1861年 ロシアの軍艦が対馬(対馬藩)に寄せ永久的な要塞を建設(実効支配)<1945年~北方四島一括実効支配中> 幕府は英国に泣きつき英国は艦隊を派遣強硬談判ロシアは対馬から退去した

また、1905年日露戦争日本海海戦日本帝国連合艦隊旗艦三笠がロシア・バルチック艦隊を撃破できたのも 日(薩)英同盟がなされていたからである

神奈川県は時代の大転換期に大きな役割を果たしてきた横浜 神奈川 生麦村民

 

{民 際 外 交}(2)

.. [私の意見] アジアの青年と日本
..........
〇ここ数年、アジアの青年が私の家に泊まることが多くなった。妻はそのたびに手料理に頭を痛めている。味付けはもちろん、材料に牛肉、豚肉はダメ、野菜だけ、木曜日は魚、肉料理は無い、便所に紙というより水がめがないと落ち着いて入っていられないとしょげているフィージやブルネイの青年。風呂用の手桶に思いつき、あわてて買ってきた時もあった。かつて県知事の熱意によって「県民外交」シンポジウュームが開幕され、年頭には神奈川県政が「民際外交」の組織と予算の裏付けされたことが、私達に励みになった。「家族ぐるみの外交」は、馳走うまでは出来ないが、食卓を共にする「席」を設けることで、子供、家庭、学校地域社会、国際にまで話題が広がり さらに私しのみならず、日本人一人々々が極東アジア・アジア太平洋との関係を正しく認識し、青年の立場で今後、極東アジア・アジア太平洋に人々との協力するための基本的なあり方を探る手がかりともなる。
しかし現時点でも、発展はまちまちで、従来欧米のものが良いとされ、アジア諸国も追従して来た。経済競争のの過熱を機に、アフリカ、アジアの各地では、いままで持っていた民族の自覚が緩やかに、あるいは急激な表現で国際社会に参画して来た。
思うに、このかけがえのない地球に同居する以上、多少の不都合があっても武力に訴えず、亙いに譲り合う心を持たなけば地球表面のキズはおろか、内側まで深まってしまう。譲り合う心は教育に託するところが大きい。
トイレの使用の仕方や食事が違うように習慣・宗教から文化も多様である。インド洋、南シナ海に点在する島々と、そのベルト地帯の国々には、優劣を付けられない固有の習慣・宗教が文化が、西洋文明の陰にかくれてはいたが脈々と息ついていた。近年のロシア各地での独立も日本人の目にも大きく映るようになった。これがナショナリズムの表れだろうか。近い将采、はっきりとはきりと前面に出て来るだろう。もちろん、日本のナショナリズムも薄れることなく、もっと確固たるものになるに違いないこれらを互いに持ち合わせて、好奇心をもって理解し合おうと努力する
ならば、尊敬し合えることになる。この文化の多様性を共通の場 円卓会議で、コミニケーイションの心は教育にある。教育によってこそ違った背景の文化を持った人々がひとつ場所に集まり、シンポジュウムを、さらにはセミナーも開催できグローバル化も芽生えることだろう。そして日本の開発途上国への支援・援助は、大学教授・ボランティア活動の交換から、高等学校段階での受け入れも行われているのは賢命だ 現在、.県内でもAA諸国から数百名が研修に励んでいる。日本からは日本青少年ペンフレンドクラブ、日本青少年赤十字、YMCA、ボーイ・ガールスカウトをはじめ各種団体が旅行・視察と交流が盛んに行なわれ、国際理解と協力の一翼を担っている。私たちがブルネイがインドネシアシアに、.スリラソカがインドの近くにあるのをよぐ知ら無いと同様で、アメリカ東部・内陸などではの本を中国の一部とみなすひとが多数であった。しかし、広大なアメリカには各種民族が住んでいる。にもかかわらず国内でのコミュニケーションが方言やなまりあってもある程度なされているようであった。アジアにもすでに定養しつつある共通語(アラビア語を採用-とか話顧にはなっているそうだが)を、いままで以上に普及して開発と発展のための教育.の役割も考えつつ、青年グルー運合体をアジア・太平洋に組織して具体的な協カプランに具現し、その若い力で世界に向かって大きく貢献することを、私は夢みている。
         

神奈川県 神奈川新聞社「私の意見欄」投稿依頼により寄稿