絵画教室のいちnoBlog

~「絵画教室のいち」は“描きたい気持ち”応援します!~

 第3話 「絵を描くこと」

2024年03月06日 | アート・文化・教育
4年ぶりとなる “年に一度の展示発表会” をこの3月の末に開催する準備を進めている。
そのポスターのキャッチコピーを
私たちは、
「 “絵を描く文化” を広めたい!」
「 “絵を描く仲間” を増やしたい!」
とした。
が、これはこちら側の願いでいわばシーズ(一種の思い込み)である。
ではニーズ(需要・必要)はどうか?
みんな 「絵を描くこと」 に何を求めているだろう?
結論的には、答えは人それぞれ・・・だろうが、子供と大人に分けて考えてみる。
子供は教育効果がなければただの遊びになってしまう。いや、遊びの中から発見や学びがあるので、遊びが無意味と考えてはいけないが、会費を払う親の視点と価値観からして、費用対効果がなければ習い事としての価値がないであろうから、
「 ~観る力・感じる力・表現する力~ を育む」
ことを指標とする旨をポスターにもあらためて明記した。
対して大人は生涯学習的な観点から学びをしている方を除いては、保育士になるためにイラストを学んでいたり、作家として全国展への出品を目指していたりと、目標がはっきりしている場合が多いので、私としてはその中から、
「 ~次世代の担い手~ を育む」
という目標を新たに明記した。
だが、実はそれ以外にも 「絵を描くこと」 に求めている機能(役割)がある。
それは大人/子供に関係なく 「こころの健康を確認できる」 ということに尽きる。
絵画が表現といわれることからも分かるように、「絵はこころを映す鏡」であり、絵を描くことで自分の内面の(健康)状態も自覚させてくれる。
また、これは客観的にもそうであり、その人を知っていれば知っているほど描かれた絵を観て、その人の健康状態を判断することも可能になってくる。
例えば、以前に述べたように親子で個性の認識を共有しておれば、互いの成長や変化、SOSにも気付くことができる場合があり、これは会話(問診)するよりも早く正確に察知できる可能性さえある。
このことは、絵は言葉が誕生する以前から使われている情報伝達の手段であることからもうなずける機能といえる。
で、ニーズに戻るが、みんな「絵を描くこと」に(無意識も含めて)「安心」を求めているのではないだろうか?
その 「安心」 が確認できる場、それが “うちの教室” でなくてはならないと強く思う。
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