絵画教室のいちnoBlog

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 第1話 「うちの絵画教室」

2024年02月06日 | アート・文化・教育
パターンとして多いのが、やはり絵画教室なので、「この子は絵を描くのが好きなので」とお母さんと一緒に体験に来て、即入会となる子供。
逆のパターンとして「この子は絵が苦手なので教えてほしい」と保護者に連れてこられる子供もいるが、こちらはやはりというか入会せず、おそらく他の習い事などに行ってしまう。
どちらも受け入れられる(インクルージブな)教室でありたいと思うが、後者の方々が望む画塾的な雰囲気が「うちの絵画教室」にないであろうことは自覚しているし、私が講師である以上、私という先生の守備範疇を超えることができていないことは反省点でもある。
ただ、みんなに同じことをさせるというスタイルや、「こうしなさい」という押しつけ教育が苦手で、自由にやってもらいながら、わからないことがあったら聞いてもらい、「こういう場合はこんな考えたや方法があるよ」とアドバイスをすることで、各自で自分なりの表現を見つけてもらうというスタンス。
大人の方も、「基礎からしっかり学びたい」という人はあまり続かない。そうじゃなかった人が全国展に出品する絵画作家になっていたりもする。
おそらく答えがあると思い込んでいる人は教えてもらうことでしかその欲求が満たされず、他の仲間の作品も目に映らなくて、先生はちっとも教えてくれないと不満がっているように感じる。
対して答えを模索できる人は、他の仲間のやっていることや、自分のやってきたことから分析と判断ができるので、結果として絵を描くことを通して人生を楽しむことができるかのような成長をとげる。
絵を描くこと、または美術の表現というジャンルにおいて向き不向きや適性があるとすれば、こういう 「性格」 を持っているかどうかということになるだろう。
スポーツや勉強に対しても実は同じようなことが言える気がする。
開講から18年の現在もこの 「性格」 という適正は変わらない。
(性格はキャラクターと訳せるが、冒険・探求できる性分・性質と言い換えたほうがしっくりくるかもしれない。)
つまり、受け身ではなく、自ら試行錯誤してみることで、感じる力や、観る力を育むことができ、結果として自らの表現する力が磨かれていくという人間成長のロジックが機能している状態がそれである。
(この性格はそうでないような人の中にも実は眠っている。)
だがここ数年(2015年頃~)、絵を描くことよりも、ブロックやパズルといったもの方がうちの子供たちの間で人気になって来ている。
気になるこの理由については現在調査中である。

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