絵画教室のいちnoBlog

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 第4話 「ていねい」

2024年04月06日 | アート・文化・教育
“ていねい” な人を見ると「安心」するが、そうでない人を見ると「不安」になる。
「今朝、挨拶をしましたか?」と尋ねると。
「しました。」と、ほとんどの生徒がうなずいてくれる。
「じゃあ、歯磨きをしましたか?」と尋ねると。
「しました。」(当たり前じゃん!といった雰囲気で)大半が返事をしてくれる。
「では、ていねいにしましたか?」と尋ねると、
「・・・」となる子供が大勢になる。
(単なる質問でないことに気が付いたといった空気の中で、)
「やろうとしてやらなければできないのが “ていねい” です。」
と教える。
「そして、これを聞いたこれからは授業はもとより、学校のことも、家でのことも、生活においても、すべて “ていねい” であってほしい。」
とお願いをして、
「はい。」と返事をしてもらい、
「はいは、はい、分かりましたということなので、どれだけ理解できたか作文してください。」
とプリントをわたして書いてもらう(15分)。
で、それを読むと、なかなかフムフム・・・これまでいかに無意識・無頓着であったかが振り返られており、これからは意識して丁寧にする・・・という風なことが書かれているわけで・・・これで安心して美術の授業がスタートできる。
(もちろん全員がそういった理解ができているわけでなく、2割程度は不安が残る。)
中学一年生の初回の授業の時に必ずする話がこれ。
でも、しかし、やはり、思春期という成長過程だからか、単に忙しく忘れっぽいだけなのか、他にも原因も要因も多々あるし、あるのだろうが、トラブルや問題や事故は日々発生し、成長する体の大きさに比例してやらかすことも大きくなっていく・・・もっと 「ていねい」 であれば回避できた問題がほとんどなのに・・・。
主にコミュニケーションのシーンにおいて、イラっとしたり、ムカッとしたりするたびにその理由を考えた結果、それは “美” と逆の “醜” に類するからだと気が付いた。
“美” の反対語を教えますとして、最近はそのことを授業中に伝えるようにしている。
例えば、人間同士の争い、イジメとかケンカとか暴力、もっと言えば戦争が最も “醜” ではないか?ならば、平和こそが一番 “美しい” ことで・・・授業が平和であるためには一人一人の協力と努力が必要だから 「それ(ていねい)をお願いします。」 と協力を頼む。
通勤時(クルマの運転をしている時に)このことが明白に感じられる(醜が多い)ということは、大人にも「不安」を与える側が多数だと気づく・・・他人のふり見て我がふり直す・・・ゆえに最近は、隙が生じがちな家庭でも、家族と話をする時にも 「ていねい」 を心掛けている。が、やはりなかなかに難しい・・・これが “甘え” なのだろうか。

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