goo blog サービス終了のお知らせ 

老い烏

様々な事どもを、しつこく探求したい

25 尼寺の場

2011-08-28 23:05:48 | ハムレット

尼寺の場(1

 

 「尼寺の場(第3幕第1場)」は有名な独白“to be or not to be”で始まる。この前の場で王と王妃、ポローニアス、二人の「学友」、そしてオフィーリアが登場し、ハムレットの真意を聞き出す試みが失敗に終わったことが話される。オフィーリアは会話に入ってこない。彼女は要求されている役割が、ハムレットに「放された」罠であると理解していただろう。彼女は父親と恋人の間の板ばさみで苦しんでいたと解釈する。

 ハムレットが近づいてくるのを聞いて、王と王妃、ポローニアスはアラス織の壁掛けに隠れる。オフィーリアは聖書を持たされ、祈祷台でお祈りの「振り」をするように父親から指示される。彼女は王子の為に真に祈っただろう。

 ハムレットが登場し独白をする。この独白の長さについては、別章でとりあげた。独白の最後に次の科白がある。

   Soft you now. The fair Ophelia! Nymph, in thy orisons  Be all my sins remembered.

 現代英語訳は次の如くとなる

   Wait! The fair Ophelia! Nymph, in your eyes, May all my sins be remembered.

 この科白を福田は

しっ、気をつけろよ。美しきオフィーリア・・・おお森の女神どの、その祈り(thy orisons)のなかに、この身の罪のゆるしも」

野島訳では

しっ、あれにいるのは麗しのオフィーリア、ニンフよ、御身の祈祷のなかに、罪に汚れたこの身のこともお忘れなく」。

小田島訳

待て、美しいオフィーリアだ。おお森の妖精、その祈りのなかに、この身の罪のゆるしも。 

D.ウイルソンはニンフと祈祷という、もったいぶった言葉に伺えるのは気取りと嫌味な当てこすりと解釈する。ハムレットの口調は皮肉なものであって、ジョンソン博士が主張するような「大真面目、真剣な」気持ちではない、と註で記している。

 どんな根拠で「大真面目、真剣な」気持ちと解釈したのかは不明だが、G.バーカーもジョンソンと同様の解釈だ。彼は記す。

 「あの奇妙な悔恨の念に満ちた彼の感嘆の叫びは、そのオフィーリアを見た時のハムレットの複雑な気持ちを、意味においても響きにおいても、短い科白で表現しうる限り、実に見事に表現していると思う」

おなじ文章を読んでも、大家二人にこれだけの差異があると知っておこう。この科白が独白の続きであると考えれば、心の中の消されない愛と憎悪の葛藤の中で、なおかつ彼女を愛しているハムレットとなる。独白は前のsoft you nowで終わり、The fair Ophelia! Nymphを、オフィーリアに語りかける科白と考えれば、D.ウルソンの解釈となりに彼女への皮肉な呼びかけとなる。

      



コメントを投稿