goo blog サービス終了のお知らせ 

老い烏

様々な事どもを、しつこく探求したい

Ⅶ スメルジャコフ論 (補論)

2014-12-06 11:13:20 | 「カラマーゾフの兄弟」

        補論  1

   諸氏の「スメルジャコフ論」

   江川卓氏「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」

 自殺者スメルジャコフ詳細に述べたのは江川卓氏「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」(新潮社、1991年)であった。氏はスメルジャコフの「スメル」はロシア語で《嫌な臭い》を連想させる言葉であるが、同時に《土百姓》を意味する差別語であった、としている。江川氏によれば、「臆病な」スメルジャコフ(土百姓=民衆)の謀反とは、農奴解放後の混乱した社会から出現する資本家たちと労働者。彼らを扇動する社会主義者の主張から、ドストエフスキーが憂慮した「下種たち(ボルシェビキ)」の将来の革命を予告したものとなる。その後のロシア史が辿った道をみると、一見その可能性を否定できない気がしないでもない。しかし、これは現在からの勝手な思い入れのように思える。

  江川氏の「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」(新潮社、1991年)は「カラマーゾフの兄弟」を、より面白く理解するには必読の文献であろう。ロシア語の原義と、聖書とロシアの異端派(鞭身派と去勢派)の説明から、19世紀後半のロシア社会を解き明かして興味深い。ロシアの民話や伝承、聖書からの引用など実に精緻に論究されており、いわゆる「謎解きもの」の嚆矢となったが、その後に専門とする諸家(亀山氏ら)によって十分に展開されていないのは遺憾だ。筆者は本稿を一応書き終えて再(三、四)読した。氏の厳密さに及ばないとの思いを新たにしたが、あまりに些少な「事実」から「謎」として、かえって小説家の意図する文学とは乖離しているようにも思える。例えばカラマーゾフが「黒塗り」を意味し、アリョーシャは「黒いキリスト」で、スメルジャコフは「白いキリスト」、あるいはスメルジャコフは「イスカリオテのユダ」を想定している等々、「3や666」と言った数字への拘りからの「深読み」が、小説の本質的な意味を「解きあかしている」とは思えない。

 氏の「白いキリスト(スメルジャコフ)」と「黒いキリスト(アリョーシャ)」の対立など、小説の内容としてほとんど意味をなさない。まして白いキリスト(スメルジャコフ)が、己の「(キリストの)僭称者」であるとの自覚から、黒いキリスト=アリョーシャへの敗北を認めて自殺した、などとはスメルジャコフの言動の、あるいは語り手(ドストエフスキー)の「叙述」の何処からも結論されえない。一種の「駄洒落」、「言葉遊び」の集積からの「結論」であると考える。ただし、この結論への論理展開は読み物として興味深く、氏の指摘する点の意味は評価する。しかし、こうした「詮索」は読み物の「味付け」以上を出ないと思われる。例を氏の「白いキリスト」=スメルジャコフにとって考えてみよう。

 氏はロシア異端派の鞭身派と去勢派の歴史を紹介し、鞭身派から派生した去勢派の特徴を述べる。これら去勢派の特徴と,小説の所々からの似た表現を引用・照合して、スメルジャコフが「白いキリスト」であったとする。例えばスメルジャコフは「去勢者」のようであったする文章が、小説中に3回用いられ、スメルジャコフが同派の信者であった可能性を指摘する。同派が反淫蕩=清浄のシンボルとして「白」を重視していた(として)、イヴァンのスメルジャコフ三度目の面談時、スメルジャコフが「白い長靴下」から3000ルーブルの札束を引き出す時の「恐怖」のイヴァンの反応から、この「白い長靴下」の着用が去勢派の証拠であったとする。 フョードル殺害後、カラマーゾフ邸を去ったスメルジャコフが同居した隣家の「長い裳裾」のマリア・コンドラチェーヴの父性が、去勢派の創始者、流刑されたコンドラーチィ・セリワーノフに由来し、彼が刑を免じられた時、彼には「ピョートル三世」だとの噂があり、「ピョートル三世」を「僭称」し反乱する者(ブガチョフなど)もいたとして、「僭称者」としてスメルジャコフも自殺したのだとする。スメルジャコフの洗礼名パーヴェルもセリワーノフと会見した皇帝パーヴェル帝から名を採っているのではないか?等々。

 洗礼名や父性に重要な意味を持たせるロシア人の発想からすれば、スメルジャコフと去勢派との関連は無視しえない、と考えるが、小説の持つ意味はそれでどうなるものでもない。さらに言えば、去勢派の存在したドストエフスキーの時代にも、「洗礼名や父性に重要な意味を持たせるロシア人」の評論には、去勢派への言及がない。そのような評論は「カラマーゾフの兄弟」公刊時から、今まで江川氏以外には誰も行ってこなかった。氏はスメルジャコフの自死も、彼の意識「白いキリスト」は単なる僭称に過ぎず、「キリスト僭称者」たる自らを処罰する為の結論だとするが、それで「カラマーゾフの兄弟」の持つ文学的意味が「深まる」訳ではない。

 次のように氏は記す。「(ドストエフスキーは)一旦、自分から「白いキリスト」 にまで祭り上げtスメルジャコを《悪魔》に事寄せて《僭称者》と断じ 、その本質に相応しい末路を用意しなければならない事になった。彼の唐突な死と、その奇妙な遺書とは、スメルジャコフに仮託されたドストエフスキーの思索のいわば総決算ともされるもので、綿密な検討に値すると思われる」と記す。しかし「白いキリスト」の主張を立証するスメルジャコフの言動は、小説中には一切ない。彼が去勢派であったする言葉もない。彼の履く「白い長靴下」から3000ルーブルの札束を受け取ったイヴァンの、「神を信ずるようになったのか?」の問いに、「神を信じてはいませんよ」とはっきり述べている。「異端」であれ去勢派はキリスト教徒であり、その意味では有神論者だ。去勢派信徒で自らを「白いキリスト」であると思っているなら、彼は神を信じていなければならない。イヴァンから彼の「無神論」に影響を受けるようになり、「一時的」に無神論者となったとしても、江川氏の述べる如く「僭称者」であった、との自覚があれば、少なくともキリスト教徒としての行動がなければならない。彼の行動には一切宗教的な「臭い」は感じられない。彼はイヴァン以上の無神論者であり、カラマーゾフ一族から自らを「解放」させるためにフョードルを殺害、3000ルーブルを強奪したが、彼の希望は癲癇発作などの健康上の理由から不可能となった。変わって彼の目的は、「兄」であるドミートリィを殺人犯としてシベリア流刑にさせ、「弟」イヴァンを狂気に追い込むために「自殺」をしたと考えるべきだろう。

 氏は「スメルジャコフ=ユダ」説なるものも併記している。「(白い)キリストとユダ」が一緒になる事はない。ここでの氏の論法は、やはり言葉による「駄洒落」「こじつけ」以外ではない。「スメルジャコフ=ユダ」などと「謎解き」と考えるより、小説に即してゾシマの言葉「地上で《我と我が身を滅ぼした者》は嘆かわしい。自殺者は嘆かわしい!これ以上に不幸な者はもはや在りえないと思う。彼らのことを神に祈るのは、罪悪であると人は言う・・・・・私は心密かに、彼らの為に祈ることも差し支えあるまいと思っている。愛に対してキリストもまさか怒りはせぬだろう。このような人々のことを、私は《一生を通じて心密かに祈ってきた》」を、そのまま受け取るのが正しいであろう。なおここで使われている「身を滅ぼす(自己滅身)」のロシア語は、スメルジャコフの奇妙な遺書にある《イストレプリャーチ「滅す」》と同じで、通常では自殺を意味する《イビーチ・セビャー》と異なって通常は使われない、と江川氏は指摘している。であれば余計、ここでゾシマ(ドストエフスキー)は「身を滅した」者はスメルジャコフを意味していると考えられる。なお、このゾシマの説法は、小説ではアリョーシャが事件後に編集した物としているが、考えはゾシマ(ドストエフスキー)の考えであるのは言うまでもないだろう。ゾシマは、その人生で一度も会った事のない《嫌な臭いのスメルジャーシチャ》の息子、殺人犯であり自殺した世俗法的にも神学的にも罪悪を重ねたスメルジャコフ(達)の為に祈っている、とその説教の最後に説いている!

   江川氏の「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」の面白さは、ロシア語という言語とロシア民間信仰、あるいは鞭身派や去勢派などの19世紀ロシアの異端宗派から、カラマーゾフの兄弟の「謎」を考えさせる点にあるが、「カラ」が「黒」であり、カラマーゾフが「黒塗り」を意味し、アリョーシャが「黒いキリスト」であるとの「解釈」は面白くはあっても、「駄洒落」を「真面目」と考えるかにかかり、「カラマーゾフの兄弟」を芸術的に評価するに必須な「謎」とは考えない。例えて言えばオウム真理教の教理から、現代日本は「十分」に理解できるのか?といえば、そんな事はない。鞭身派や去勢派などの19世紀シアの「異端」の知識は、当時のロシアの宗派に興味を持つ者以外にはあまり意味は無いように、オウムを理解することが現代の我々にとって意味がないのと同じだ。

 ドストエフスキー論といえば、過去において「死霊」の作家、埴生雄高氏が有名であった。しかしスメルジャコフについての論を氏は殆どしていないようだ。彼の「ドストエフスキーその生涯と作品―」(NHKブックス1960年)では、僅かに「フョードルの秘密の子で、皮肉な懐疑家である下男スメルジャコフという人物達が大きな建築物のように配置されています」と書く。氏はどのような意味でスメルジャコフが「大きな建物」の一部であるかを記すことはない。1000ページを超える氏の「ドストエフスキー論集」においても、スメルジャコフは対談「カラマーゾフの兄弟」(昭和51年)で殆ど言及されることはない。江川卓氏の「謎解き」シリーズに影響を受けたと思われる氏の著書「謎解き『大審問官』」なる著書では、何一つ大審問官の「謎解き」をしていない、「謎解き」と題名を付けたのは、羊頭苦肉の「詐欺」的な出版社の商法に悪乗りしているだけだ。氏にとってドストエフスキーや「カラマーゾフの兄弟」は、「大審問官」論が最も重要であって「スメルジャコフ論」は無意味なようだが、それは現在では無価値な「カラマーゾフの兄弟」の読み方と考える。「最前線の肉弾」(イヴァンの言)と貶められる召使(家庭内労働者)に何の考察もしない「(左翼)思想家」埴生雄高氏の「ドストエフスキー論者」として貧相さに驚かざるを得ない。

 下って2006年、小説家であり精神科医、さらにカソリック教徒でもある加賀乙彦氏は「小説家が読むドストエフスキー」(集英社新書、2006年)で「(スメルジャコフが)『去勢僧のように』と言うのは、性的に発散するタイプではないということでしょうか。・・・・(彼は)非常に卑屈です。特にカラマーゾフの三兄弟に対して卑屈です。彼の誕生の秘密というのが・・・風呂場で生まれた。母親はどこの誰とも知れない。奇妙な、狂った女性だった。それをフョードルが犯して妊娠させて、その出産がカラマーゾフ家の風呂場で起こった。・・・本当はフョードルの子供です」とする。他にも「ドストエフスキー」(中公文書1996年12版)なる本の著書である作家の「(恐ろしい程の)無知」だ。「(彼は)非常に卑屈です。特にカラマーゾフの三兄弟に対して卑屈です」など、小説の何処の文章から判断出来るだろう。「母親はどこの誰かも知れない。奇妙な狂った女性だった。それをフョードルが犯して妊娠させた」などとは、ドストエフスキーはどこにも書いていない。作家は丁寧に「死後この町の信心深い老婆たちの多くが目を潤ませて回想」した女(リザヴェータ・スメルジャ-シチャヤ)は、「母親はどこの誰かも知れない」などではないし、「町人イリヤの娘で、母親はずっと前に他界して」おり、「狂った」ではなく「一言も喋れない」「完全に白痴」の顔であった、と多くの翻訳は書いている。彼女は「神がかり行者(聖痴愚)」とされ、「誰もが彼女を愛しているかのようだったし、少年達でさえもからかったり、虐めたりしなかった」とも書いている(彼女は「白痴」のムィシキン侯爵の女性版ですらあるだろう)。

 米川正夫氏は「イワンもスメルジャコフも同じくフョードル・カラマーゾフの子」と書いているが、小説中でそう書いている文章はない。埴生雄高も「秘密の子」と書くが、それを裏付ける記述は何処にもない。フョードルが彼を庶子と見做していた、とも書いてはいない。 亀山氏の論は、江川卓氏の「謎と解き『カラマーゾフの兄弟』」とフロイトを適当に自説に都合よく混淆した代物に過ぎない。ドストエフスキー解釈に「サド・マゾ」論を導入してフロイトの「受け売り」をし、江川氏の「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」を下敷きに、鞭身派や去勢派などのロシアの異端宗派を引き合いに出し、それらしく解釈する。出来上がるスメルジャコフ理解は、表層的で無意味な「代物」に堕している。

 最も最近の書では、山城むつみ氏の「ドストエフスキー」(講談社、2010)は「(20世紀の哲学者)ウイットゲンシュタインは『カラマーゾフの兄弟』を50回は通読したらしいが、読み返す毎にアリョーシャはフェードアウトしていったのに、スメルジャコフは違ったという(「彼は深い。このキャラクターの事を作者は熟知していたのだ」とウイットゲンシュタインは書いている)」と山城氏は述べるが、この哲学者が何と言っているのか、山城氏自身が如何感じているのか?は、多くを書いている割にはっきりとは分からない。哲学者がそう書いているなら、その原本(出典文書)を示すべきだ。「又聞き(また読み)」を議論の根拠にするのは学者としては勿論、文学者としても「恥ずべき」であろう。

 氏にとって重要なのはアリョーシャであってスメルジャコフではない。氏によればスメルジャコフはアリョーシャの「左右対称の陰画」に過ぎない。アリョーシャは「白痴」のムイシュキンの「健全版」であり、スメルジャコフは彼の陰画として創造された、とする。であるからムイシュキンの「病的なもの(たとえば、癲癇、白痴、性的不能)」がスメルジャコフの属性だと書く。しかしスメルジャコフは白痴でも性的不能でもない。彼は性を嫌悪していたし、イヴァンを打ち負かす「知的」能力にも長けていた。「白痴」というのは、イヴァン・カラマーゾフと戯画化された検察官イッポリートだけだ。ドストエフスキー自身が癲癇患者であったことは、それだけで病的(悪い意味)とは言えない(癲癇については小説家で精神科医、さらにカソリック教徒である加賀乙彦氏の「ドストエフスキー」(岩波新書)を参考とされたい)。それを理解しなければ、スメルジャコフを理解したことにはなりはしない。

 氏の理解は「善と悪」の二極対象性(二元論)として捉えようとする点にある。一見それらしいが筆者にとっては、それでは小説(文学)で人間を描いたとはならない。筆者にとって最大の「カラマーゾフの兄弟」の欠点は、アリョーシャの描き方にある。少なくとも二次的書き手(語り手)がアリョーシャを「善」と決定して語るためだ。ここではバフチンの言うように(良く理解できないが)一次的書き手(作者=ドストエフスキー)と語り手は区別しなければならない。語り手が描くアリョーシャが「善」として前提されているから、ウイットゲンシュタインが言うように「読み返す毎にアリョーシャはフェードアウトしていった」のに対し、スメルジャコフは違ってその姿を徐々に大きくする。スメルジャコフは単にアリョーシャの蔭などではない。ゾシマの説教は実はスメルジャコフを一番に意識して書かれている。

  スメルジャコフはカラマーゾフの「兄弟」の第四の兄弟であったか?訳書・解説書ではその様に記すものも多い(亀山、米川、原など、ほとんど全ての翻訳者・評者)。江川氏はこれを疑う。グレゴリーが言ったように「螺子くぎカルプ」が父親の可能性が高いと言う。その根拠としてどんな女にも「良いところ」があると豪語するフョードルも、「厭な臭いのスメルジェーチェチェワ」との関係は話さなかったから。あるいはフョードルは「道化」であり、一時は「道化」として,遊び仲間の衆人の面前で、寝たままの彼女を犯そうとしたが、その場では行為に到らなかった。彼がその後に戻ってきて、「犯行」を行うには、彼は「お洒落」な道楽者過ぎる。彼の「女たらし」にはそれなりの道理があり、「白痴」のスメルジェーチェチェワでは道化としての彼の「美学」に反するからだという。これは解釈の行きすぎだし、「美学」をもってくる意味など作品からも出てこない。

 亀山氏は「解題」の中でフョードルでもカルプでもない、第三の人物を想定する。これはまったく無意味な「仮定」だ。

 筆者はスメルジャコフの父親は、生物学的には「螺子釘カルプ」の可能性が高いと考えるが、それは本質的な問題ではない。彼は精神的には「好色」なという点で、フョードル・カラマーゾフの「真逆」ではあるが、「父」フョードルの「息子」、あるいはカラマーゾフ「兄弟」の一員として、十分な資格を備えている。彼の殺人は十分に極めて「合理的」に計画されたものである。それはフョードルが最初の妻、ドミートリィの母アデライーダの遺産を分捕り、それを元手にして「合理的」に資産を運用して金持ちになったのを思わせる。

 彼のフヨードル殺人は「異母弟」イワンの無神論哲学「神が存在しないのなら、全てが許される」に感化・触発されて思いついた「父親殺人」ではない。彼は精神的な「父」フョードルを憎んでいた。そしてまた「異母」兄弟たちをも憎んでいた。彼の殺人計画の具体化は、「兄弟達」の気質を知る遥か前、モスクワから「雇用主」フョードルの下に帰ってきた時から考えていたことだろう。

   米川正夫氏は「カラマーゾフの兄弟(第一巻)」(岩波文庫1957年改版、「解説」)18P)で「イワンが高邁な哲学的な純理から苦悩とともに生み出した『全ては許される』という結論に、スメルジャコフは自己一流の安価な下司的解釈を下して、自分の呪われた誕生への復讐と小さな利己心の満足の為に、事実上の父である主人フョードルを殺害したのである。蛇のように狡知に長けた彼は、深い心理洞察と巧妙な話術をもって、暗黙の間にイワンから父殺しの裁可を得た。とは云え、イヴァンが心から父親の死を願っていたと断言するのは軽率な業である」

 「とは云え、イヴァンが心から父親の死を願っていたと断言するのは軽率な業である」は訳者の無神論者イヴァン贔屓による誤読であろう。イヴァンは「心(意識下で)父親の死を願っていた」と断言してよい。

   木下豊禮氏の下記の議論はwebで読むことが可能だ。江川氏の「謎解き」同様に興味深いものである。何よりも氏の主張の特徴はアリョーシャへの「疑問」にある。アリョーシャの視点(二次作者)だけで見る(読む)「カラマーゾフの兄弟」は、真に小説家ドストエフスキーが考えていたことではない、というのは重要な視点だ。ただし「小説『カラマーゾフの兄弟』の大きな主題というべき《偶然の家庭》、《父と子の関係》」との考えはとらない。

 

    外国人の理解。(邦訳のみ) 

 

 外国文献にはスメルジャコフはどう描かれているか?

  邦訳された「カラマーゾフの兄弟」やドストエフスキー関連文書中で、最も古いのは作者死後10年の1891年に雑誌連載されたV.ローザノフの「ドストエフスキー研究」(神崎昇訳、弥生書房、1962年)であろう。スメルジャコフは「(第四男スメルジャコフは)フョードルとリザベータ・スメルジャシチャヤ《悪臭の女》との不義の結実、人類の屑というべきもの、精神上のクワジモド(V・ユーゴ著「ノートルダム・ド・パリ」のセムシの鐘つき男―――筆者)、人間の知恵と感情の中にある一切の下賤な者の総合である」と書かれている。

  次いで100年程前、ウオレンスキーの「ドストエフスキー(カラマーゾフの王国)」(川崎通訳、みすず書房、1986)では「彼(イヴァン)は自分の思想を認める人間を思い出した。いや人間ではない、悪魔的に蠢く《前衛的肉塊》、人間のカリカチュア、おぞましいスメルジャコフである。(P173)

  「チャタレー夫人の恋人」の著者、D.H・ローレンス(D.H.Lawrence)の友人、マリ(J.M.Murry)も著書「ドストエフスキー」(山室静訳、泰流社、1977年)で、約100年前に書いている。スメルジャコフは「マルファを口説いたり、ギターに合わせてセンチメンタルな歌を甘ったるい声で歌ったり、かわいそうなグリゴーリィ老人と神を論じたりする」。スメルジャコフはマルファを「口説く」事はない!作者は一貫してグリゴーリィを融通の利かない、憐れみを感じない鈍感無比な男として叙述している。この文学者は何を以てこうした判断をするのだろう?この解釈からスメルジャコフは「このやくざな軽蔑すべき動物を前にして、イヴァンの自覚的意志は麻痺してしまう」。「彼の陋劣と堕落とは、イヴァンの魂を震駭させねばやまなかったほどの汚れた力があったに違いないからである」。「この動物は、ドミートリィの神聖冒涜に対する彼の憎しみのようには、凶暴でも力強くも人間らしくもなくて、這い回ってめそめそする爬虫類であっても人間ではないからである」と間化される。

  労働者階級出身の作家D.H.ローレンスは「カラマーゾフの兄弟」について書いたというが、若旦那イヴァンと召使スメルジャコフのやり取りを如何とらえたろう。友人マリと同様に彼を間化(爬虫類)して捉えていただろうか?

  1922年のロシア革命後に国外追放されたN.A.ベルジャーエフは、1921年に出版した「ドストエフスキー」(邦訳白水社、1978年)で、「イヴァン・カラマーゾフと彼の他の下賤な《自我》――スメルジャコフ――」、「スメルジャコフ――これは人間を待ち伏せている恐ろしい刑罰だ。スメルジャコフいうという恐るべき醜悪な戯画」と書く。ロシア革命を経験したベルジャーエフは、「スメルジャコフとイヴァンとの相互感関係は革命における《民衆》と《知識階級》との関係をある程度まで象徴している」として、「スメルジャコフ的要素――イヴァンの最も低級な側面―――は革命において勝つに違いない。下僕スメルジャコフは立ち上がり,《一切は許されてある》ことを行為によって証明するだろう」と書く。時代を回顧しての民衆=スメルジャコフ論は、無意味ではないだろうか?

  アンリ・トロワヤの「ドストエフスキー伝」(村上佳代子訳、中公文庫、1988)では、「(イヴァンは)自分が棄ててきたとばかりに思っていた嫌な面ばかりを持った、自分の分身が現れたのだ。自分の中の塵溜めのような部分、残り滓のように薄汚い部分、最も邪悪な部分を持った、自分にそっくりな人間に出っくわしたのだ。・・・・・彼は自分のサルを鎖につないで歩いているも同然だった」(p657)。となる。

  「歴史とは何か」や「危機の20年」などで著名な歴史家・外交官でもあったE.H.Car(1892年 - 1982年)の“Dostoevsky,1821-1881”(1931。松村達夫訳、筑摩叢書、昭和43年刊)ですら、「彼はイヴァンの考え方を猿真似して、彼の主義を実行に移す。・・・その主旨からすればイヴァンが殺害者である。この犯罪を唆したのは、スメルジャコフに伝えられて、この男によってその論理的帰結にまでもってゆかれたイヴァンの不信(心)である。そしてスメルジャコフが首を吊る」と書く。書いた時の氏は40歳前であったから、上記が通り一片の不十分な叙述(理解)であっても了解できる。彼の興味はスメルジャコフにはなかった。 

  筆者が入手出来た邦訳関連文献で最も新しいのは、1963年のソ連時代のゴロソフケは、さすがに時代に即して「自分を裁き、自殺を図って自らを断罪したのは…老人(フョードル)の庶出の息子と思われるスメルジャコフである」と書く。つまり脇役として無視されるべき人物以上の考えを持ってはいない。これはカーの「興味なし」の姿勢と同じだろう。

  以上の様に「スメルジャコフ理解」の多くは「単純に否定的」で、イヴァンに随伴する影の部分に過ぎないとする。為にイヴァンは道徳的・宗教的に救出されるが、それは稚拙な善悪二元論にしか過ぎない。この程度でしか作者ドストエフスキーも「カラマーゾフの兄弟」も、世界でも理解されていなかった、との思いがする。勿論、こうした翻訳書の読者は日本人だから、日本人読者に「理解」しやすいスメルジャコフ論のみが紹介されて来たに過ぎないのかもしれない。

  拙論からすれば、哲学者ウットゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年- 1951年)以外の何れのスメルジャコフは、小説からも作家の意図からからも大きく外れていると思える。「カラマーゾフの兄弟」の重要なテーマは、「人と人」の関係、「兄弟」であると共に「主人と召使」でもあった。現代的に書けば「支配する者と支配される者」、「差別する者と差別される者」であった。作者の思想を小説化したのが「カラマーゾフの兄弟」であり、その為の登場人物であると解釈すれば、下僕スメルジャコフが例外な訳はない。それはゾシマが死に先立って宗教的希望としてアリョーシャ達に説法し、アリョーシャが長老の主張として記しているところだ。 

  スメルジャコフは悪である。しかし長老ゾシマの説くように、なんと悲しい悪であることか!これを理解しない「カラマーゾフの兄弟」の解説は全て不完全だ。

 

 

 



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素晴らしい (イッポリート)
2016-05-28 12:46:35
スメルジャコフ論を読ませて頂きました。素晴らしかったです。私はアリョーシャとスメルジャコフの接触が少ないと感じて、なんでだろうと悶々としていました。理解が深まりました。
返信する

コメントを投稿