緊急告知の文です。これから、薬が増えた事から薬の副作用で眠くなる為に今度こそ更新が1週間は出来なくなると思います。このブログを見てくれて居る人たちにはすみませんが。此処数日に私がアップした記事とこの最新記事を読んで居て下さいね。ご近所の皆さんには大変ご迷惑をお掛け致しました。此処に謹んでお詫び申し上げます。
「身も心も、アルバム・バージョン」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド from album "身も心も" 1977年
また。私のblogをよく見に来てくれる方には有難うと言いたいです。またコメント下さいね。
でわ。1週間後会いましょう。コメントの返事は書きますので。よろしくね。。。。。。
めぐりあい (feat. GLIM SPANKY)
前に私のケア・マネージャーが来た時に言って居たが。私のBoomBoxを観て、笑いながら言って居た。「デカいラジカセですねぇ、今時こんなアンティークなものがあるのですか?」そして私がこの「Boon BoxにはBluetooth機能が改造でついて居るから。スマホのストリーミングも聴けますよ」と言っても。与太話にしか思って居ない。要するに「こんな古いものを購入して何が楽しいんだ?」と言いたそうだった。若い人だけでは無いヘルパーのおばさんも。「こんなものよく購入したわよねぇ、最新鋭の家電製品が沢山あるのにさぁ、」まあ、普通はそうでしょう。今はスマホのストリーミングでなんでも聴ける時代だから。でもカセットテープ専門店「Waltz」の角田太郎さんが言って居たけど。ストリーミングは水道水。レコード。カセットテープは沢の湧き水だと言う。まあ、今のステレオと言うかステレオももう無くなって仕舞って居る。本当に今はスマホ一つにヘッドフォンがあればイイのですね。音の調節はスマホで出来るのでして。ヘッドフォンでも6千円も出せば可成りな重低音が出るし。またイヤー型ヘッドフォン (イヤフォン)でも一万円もかければ重低音が鳴るものも売って居る。私は去年ぐらいにデンオンがステレオ製作から撤退したと書いたが。過去のステレオという形態が最早古いのだ。私は聴いて居る音楽はブルースとロックとジャズだ。そして持って居るパソコンはiMacだ。だから音楽を聴くのもラジカセとカセット・デッキに。レコードプレーヤーそしてそれを繋げたCDレシーバーにスピーカーを繋げて居るのです。私はそれでイイと思って居るし。スマホからのストリーミングはBluetooth搭載機のBoomBox(ラジカセ)で聴くのです。今の流行も追っても居る。
ただ電車の中や歩きながら。また病院の待ち時間に音楽は余り聴か無い様にして居る。通勤中やら通学中しか時間の無い人はそれでイイだろうとは思うが。私は時間はあるからです。自宅でゆっくり聴けますから。私は体調がずーっと悪く入退院を繰り返して居たのでステレオを購入したのは5年前だ。そしてはじめのラジカセを購入したのは3年前。しかし中古で古く壊れて居たので。カセットデッキを購入した。それが2年前、そして今年念願のBoombox(大型ラジカセ)を購入した。音楽に付いてはこれで充分です。自分への投資なのですよ。そして最近は服に凝っても居る。夏だが今年は冬服。例えば秋口に丁度良いデザインコートやら。冬に着るロング・コートなどが今、売って居るのですよ。私は一昨年からコート類を買い求めてきた。デザイン・コート。アート・コート。チェスター・コート。ロング・ジャケット。スプリング・コート。20年前から持って居るロング・マキシ・コート。レザー・コート。デニム・コート。トレンチ・コート。そしてジャケット6着とまあ、これだけ持って居ればもう何も必要とはしないだろう。ヘルパーのおばさんは言う。「あんた。服に埋もれるよ」確かに6畳一間ですからね。それに此処の処、本を7冊も購入した。今は要約、その内。4冊は読んで居る。勿論金は僅かしかもう無い。可成り無理をして居ると思う。カードで購入して居るのが殆んどだから。7万円の請求が続けて来て居る。こないだのコロナ給付金はこれに当てたのですよ。
私は前はお金は慎重に使って居ました。欲しいものも買わずに居た。そして毎日自分の運命を呪って居た。しかし、昔の自分を思い出した。昔は自分に労働の対価をもたらして居たじゃ無いか?訪問看護師が、「〇〇さんは贅沢だ。生活保護になるのだから自粛しなければ」と言うから。その気になって居た。しかし、生活保護費は持ち金がゼロで無ければ貰えないのですよ。確かに節約生活を送れば、それだけ生活保護を受ける時期は遠ざかる。しかし..。私は使って居る様で居て、ちゃんと計算して使っては居ますよ。ものと言うものは後で買うにしても今買うにしても同じなのですよ。要するに買って仕舞えばそれで終わるのです。それを先延ばしするから、何時迄経っても終わらないのですよ。勿論金が無い場合は買えませんよ。私は過去。月三万円の小遣いでも自分の好きなレーザーディスクとビデオソフトを購入して居ました。私はまず旅行に行きません。そして最近はよく入りますがジョナサンやらデニーズなどのファミリーレストランには滅多に行きません。それはうちではそう言う習慣が無かったからですよ。私の学生時代は殆んどが音楽喫茶で過ごしました。午後1時に行って。3時頃に腹が減っては380円の焼きそばです。それと後はコーヒー1杯です。食事は家に帰れば夕食がありましたからね。だから太らなかった。大学時代は学食です。きつねうどんが30円でした。カレーライスが100円ぐらいでしたよ。1976年当時でしたからね。学食は安いのですよ。これは大学に行った人なら解ると思います。
考えてみれば当時から、ジャズ喫茶やらブルース喫茶などでレコードをレンタルして居て良く。新宿の「サムライ」ではジャズのレコードを借りて居ましたっけ。それをカセットテープに録音するのです。私はこの頃に伊勢丹の裏方で働いたり。東京出版で働いたりして居ました。後。紀伊国屋書店でしょうか。どれもバイトでしたが。ああ、隣町の古本屋で少しバイトした事もあったかな。記憶が定かでは無いけど。だから会社で働いてた時には給料もボーナスも親に其の儘挙げて居たしね。前にヘルパーと訪問看護師にそのことを話したら、「見かけによらず、信じられない」と言って居ましたよ。私の部屋を見て、こんなものだろうと思う人と、贅沢だと思う人とが居るんですよ。贅沢だと思う人は若者ですか?こないだ。デリバリーを取ったら、品物を受け取ってドアを閉めた途端に、「くそっ!!俺なんかより良い暮らしをしやがって!!」と怒って居るんですよね。歳考えてくれと言いたかった。そいつはまだ20代。私は60代だ。私はこの6畳間と5,5畳の台所に入るものしか持ち物がないのですよ。普通はどうでしょうか?家を持って居て。借り家でも。車は最低1台はありますよね。そして子供が居ますよ。私の歳ならもう大学生ぐらいですね。いや、もう成人して孫が居ると思います。私は確かに一見若く見える。だから最近では自分の歳を人に教えて居ますよ。
確かに私の知能レベルは330代止まりでしょうね。それは自覚して居ますよ。私は43年間を棒に振った人間です。nothingですよ。何も無い。若い頃は恋愛もしたし。ミュージシャンか絵の方面で生きて行こうとしました。散々言ってますからお分かりかと思いますが。でも障害者になった。すべてが無くなりました。私の前からチャンスは消えて行った。いつも泣き言しか言わないと思うでしょうけど。私にはもう何も無いんですよ。最近若い夫婦を見ると話がしたくなる。子供が可愛くなる。歳なんでしょうね。それに、此間はまた障害の発作が起きた。幻聴と幻覚の両方が現れたんです。幻聴は私を罵倒する言葉の数々。丁度。近所でも私の事を言って居る人達が居て。2重に聞こえて来る。苦しかった。そして、ぼうーと二つ折にした布団に寄り掛かって宙を見て居たら、そこに男の人の上半身が2箇所に8秒間ぐらい見えた。しかしどんな状況下に陥っても自分は無くさない自負は持って居ます。それがなければ本当の狂人だ。統合失調症と狂人とは違いますよ。よく人は結びつけて言うけど。それはあまりに医学の知識がなさ過ぎる。最近では統合失調症の書籍は大きな書店に行けば可成りの冊数が置いてありますよ。もはや現代病ですからね。ただ差別をされるのが嫌なだけです。口を聞か無くなったり。軽蔑の目で見られたり。此間見たいに買い物をして居たら。「ほら、あいつよ!!おかしいの。」と言われたりね。嫌うのは構わないですが。本人に解る様に言わないで貰いたいです。もし立場が逆だったらどんな気がしますか?解ってやって下さいね。馬鹿にしたいのは分かりますよ。人は自分より劣った人間を見ると本能的に攻撃したくなったり罵声を挙げたり為るものです。それから最後に、ヘタクソな漫画やらハーモニカ。ギターソロをblog に挙げて居ますがご容赦を。気に喰わなかったりしたら聴かないで下さいね。私は皆さんと上手くやって行きたいのですから。。これからもよろしくね。。。。
昔の写真・・・・・。
体重が落ち始めた。。3キロ落ちました。。。。
調子悪いので、ヘタな演奏ですが飽きたかもしれませんが。また聴いてやって下さい。
ヘタクソ・ブルースのソロ
ヘタクソな、ハードバップブルース見たいなソロ
ヘタクソなマイナーなソロ
ヘタクソなマイナーソロ。考えながら吹いて居るので纏まっては居ませんが、お聴き下さい。
以前に何遍も挙げて居ますが、跨げておきます。よろしく。まだ聴いた事が無い人はよろしくね。
バロック風ソロとクラシック
まあ、今し方、脳梗塞を起こしそうになった女の子のblogを見て来たのだけども、私は「どうやらあなたに嫌われた身だから」と書いて。「でもお大事に」と書いたら。「嫌っては居ないけど。YouTubeの画像とか押し付けがましかったので、返事をしなかった」と書いてあった。成程と思いましたよ。私はこの間も近所の子供達に良かれと思ってDVDを挙げて居たがそれは矢張りやりすぎたんだろうと思う。考えて見れば枚数を挙げすぎて居る。私は人から貰ったもので、自分は持って居るものとか2重に持って居るものとかも挙げて居たのだが、来ないだ誰かが変な映像が混じって居たらしいぞと言って居たのが聞こえたので、慌ててその家に行って、もし変なのが入って居たら捨てて下さいと言ったが。まあ、私の知り合いの女性に「kiyasumeさんはきっと優しんでしょうけど。相手の郵便受けにDVDを入れて置くのは辞めたほうがいい。そんな事は普通はしないし。大体がきもいと取られるわよ」と言われた。私も考えて見て幾ら親切心と言えども DVDの枚数をやりすぎて居たなと反省して居る処です。聞いたら変な画像は入って居なかったとは言っては居たがもし入って居てもそうは言わないだろうからね。まあ、友人から貰ったものを中身をよく見もしないで挙げても居るから。これから人に挙げる時には確認をしてからにしようと思う。それからその身体が不調な女の子に謝りたい。お節介な動画は良くなかったです。私は自分がいいと思ったものは人にすぐに進める癖があるので良く無いですね。以後、気を付けます。特に此処23年ぐらい女性とは話した事も余り無かったもので。ああ、病院では話したけど。相手は患者だからね。自分もそうだしね。まあ、動画を喜んでくれる人も居るのだけども反対に負担になって仕舞う人も居るのだと言うことがよく解った。勉強になった。気づかせてくれてありがとう。とその子に言いたい。
今回は緊急の文なので。序奏は此処までです。読んでくれてありがとう。。。。
GACKTの勝ち方
GACKTの勝ち方 「GACKTはどんな人に喧嘩を売られたのか?!」
GACKTの勝ち方「GACKTは誕生日パーティーでまず、何杯飲む?」
ギターの秘密を知る休日
タイガー&ドラゴン/横山剣クレイジーケンバンド
悲しい色やね 上田正樹('83)
追伸.....。「過去記事からの話で参考になる話かも」
2日前から、どうしても、DVDで売っては居なくて、売るのに勿体無いと思うレーザーディスクだけをBlu-rayに焼いて置いた。明日売らなければ成らないので、時間も無かったのだが、数枚を焼いた。思えば、此処30年位、自分を楽しませてくれた。購入の際の記憶が蘇って来る。私はレーザーディスクは、ほとんどが新宿の西口にあった、「ビデオ・マーケット」で購入していた。その店は雑居ビルの一角にあって、初めはビデオ・マーケットという名の通り、ビデオテープを売っていた。アメリカからの輸入ビデオやら中古ビデオを主に取り揃えていた。その後、1990年位からレーザーディスクを置く様に成り、勿論、輸入版も置いてあった。私はほぼ20年間位、要するにレーザーディスクが無くなるまで、購入を続けた。レーザーディスクと言っても、最近では知らない人の方が多いだろう。レーザーディスクの寿命はほぼ20数年間だと思う。日本ではパイオニアが製品化し、1981年(昭和56年)10月に第1号機LD-1000を発売。
日本市場では当初はパイオニアのみが製品を販売し、日本ビクター(現・JVCケンウッド)の開発したVHD陣営と販売競争を繰り広げた。ビクターはビデオデッキ市場でVHS方式を広めた実績があり、採用メーカー数では13対1と圧倒的に不利だった。映像ディスクはビデオデッキと違い再生専用で録画が出来ない事から、当初はビデオデッキよりも高画質を求めるマニア向けの規格となった。そのため、水平解像度が240本程度だったVHDに対し、レーザーディスクは400本以上と画質面のアドバンテージがあったことに加え、ピックアップがレーザーによる非接触式のため、プレーヤーで再生した事が原因のディスクの劣化が無いことから、レーザーディスクの方が圧倒的に優勢だった。さらに、コンパクトディスク(CD)とのコンパチブル再生機の発売、レーザーカラオケのヒットによって、一般層にも普及した事から、結果的に規格争いに勝利した。VHD陣営のメーカーも参加して開発した音楽CDの量産技術が、同じ光ディスク方式であるLDの技術とコストの問題を解決させ、LDを勝利に導いたと言う。まあ、私は1980年代の終わり頃から購入し始めた。2000年代にDVDが登場するまで買い続けた。しかし時代には逆らわれず、レーザーディスクの時代は終わった。明日、愛蔵していた、レーザーディスクとはお別れです。。。
処分したレーザーディスクの数。約640枚ほどでしょうか、、、
ーーショート・エッセイーー(過去記事から抜粋)。
昭和30年代、私の家は長屋だった。長屋と言っても借りて居たのでは無く、2件の平屋が同じ敷地内にあり、片方は家が人に貸して居たのだが、庭は続いている庭で、庭の真ん中にロープが張ってあって、それで区切ってあった。私が4歳くらいの頃、私は3輪車に乗ってよくそのロープの下まで行った。すると隣の親父が私に「あっちに行ってろ!!クソ坊主!!」とよく怒鳴りつけた。私は事情がよく飲み込めなくて度々寄って行ったら、3輪車をひっくり返された。そしてその親父は唾を吐くと「今度また境界線に近ずくとぶん殴るぞ!!」と言って私は脅された。この親父には精神薄弱気味の子供が居た。その子はいつも庭にある池の金魚を手に取ると、石で叩いて殺していた。
或る日、家賃が払われて居ないので、母が家賃を取りに行ったら、「うるせ〜ババア!!」と言って母の胸を思いっきり足で蹴った。母はすごい勢いで弾き飛ばされるとあまりの勢いの為、柱に頭をぶつけ頭から血が流れた。この模様を見て居た。当時私の家に出入りして居た通称”おばちゃん”と呼んでいた知り合いが近くの交番まで走って行って警官を連れてきた。警官は頭から血を流している母に大丈夫かと聞いて、もう一人の警官が、その男を傷害の現行犯でその場で逮捕して手錠を掛けた。私はずっと見て居たのだが、不思議と怖いと言う気持ちには成らなかった。幸い、頭の傷は軽傷だったので母も警察署まで連れて行かれた。その時に母が怒って、警官に胸を足で蹴られたと言ったら、取り調べの警官が「奥さん,こう言っちゃあ、なんだけど、足で蹴られたぐらいはまだ軽い罪にしか成らないんですよ。これで突かれたら殺人未遂ですがねぇ。」とゲンコツを突き出した。警官によると人をゲンコツで殴ったと言うと成ると、殺人未遂になると言う事だった。しかしその男は2週間留置場に入れられた。母が帰って来て、怒りながら夕食の準備を仕手居たら。隣の知恵遅れの子供が「お腹すいたよぉ〜〜」と泣いて居る。こちらのサンマを焼いた匂いが隣の家まで届いたらしい。母は怒りつつも、その子の様子を見に行って、食事を一人分用意して置いてきた。それから数週間後、その親父は猫をかぶったように大人しくなって帰って来て折菓子を持って謝りに来た。しかし家賃が払えないと言うので、その親子には出て行って貰う事に成った。出て行くときに、知恵遅れの子供の手を引いて、僅かばかりの荷物を風呂敷に入れて背負って出て行く中年男の後ろ姿を私は今でも覚えている。4歳の時の記憶だ。そして我が家は取り壊して2階建ての家に成ったのだった。
1960年代(昭和30年代)の東京
家が2階屋になると隣が小さな飲み屋だったもので2階から見て看板のネオンサインがやたら目に入った。隣に住んでいた女の人は飲み屋(Bar)のマダムだった。朝方になって牛乳を取りに玄関先に行くと大抵おしっこが掛けてあって、母は何時も苦情を言いに行った。隣でウイスキーを飲んだ酔っ払いが、朝方早く家の玄関先で立ち小便をするのだ。汚くてしょうがなかったが、その店も或る日、その飲み屋のホステスに袖にされたと怒った客が包丁を持って飲み屋まで来て、ホステスを殺すと言って窓を石で叩き割る事件が起きた。慌てたマダムが近くの交番に駆け込んだら警官が6人ぐらい出て来た。そして、警棒を持ってその男を取り囲んだ、私はまたもやその事の顛末を2階から見る事に成った。長く鋭い包丁を持った男は警官に切りつけて、一人の警官が手を切られて鮮血が迸った。その警官は「お前、これ見てみろ。刑務所行きだぞ!!」と怒鳴ると。一斉に残りの5人の警官が警棒でその男の包丁を叩き落とし。警棒で殴りつけ最後は拳でぶん殴っていた。そうしたら、応援のパトカーがやって来て。男はすぐに取り押さえられて手錠を掛けられてパトカーに乗せられて警察署まで連れて行かれた。私は6歳でその捕り物を見て居た事になる。私は子供心に「何故拳銃を発砲しないのかなぁ」とか思って見て居たのだが。これはTVの刑事ドラマの見過ぎだった。日本の警官は最近になって発砲する様に成ったが、当時は、めったに発砲しなかった。。。
ところで先程母が頭から出血したと言ったが。私も小学生の頃、頭から出血した覚えがある。サッカーのゴールを片付けるので同級生3人ぐらいと先生で担いで居たのだが何かの拍子に力が抜け持ち上げて抱えていたゴールが頭に当たり。ふと力が抜けたら、同級生が「〇〇何してるんだちゃんと・・・」と言って私を見る成り、青ざめて、「〇〇すぐに保健室に行け!!」と叫んだ。それを聞いた残りの同級生と先生が私を見て驚いて「〇〇大丈夫か!!保健室に行け!!」と言う?私は何言ってんだと思い。まあ言われてゴールを持つのを止めて、なんだか汗がひどいなと顔を手で拭ったら血塗れだ。びっくりして医務室に行くと、女の保険医が「〇〇くん。鏡があるでしょう。自分の顔を見て御覧なさいと言うので、見てみると頭から出血していて顔面血塗れだった。保険医は「人間はね、頭に血が登って居るから、頭を切るとこんな風に出血するのよ。」と言ってアルコールで頭を吹くと濡れたタオルで顔を拭いて「あらあら、血の気が多いのねぇ」と言って血が付いたシャツを脱がして替え用のシャツを着せて、「今日はもういいから、学校を早退しなさい」と言って絆創膏を貼ってくれた。血は少しの間、滲んではいたが家に帰ると止まっていた。だからプロレスを見て居て出血するのを見ても納得できたし。新日本プロレスの藤波辰爾が言って居たけど、瞬間接着剤と言うものはもともと医薬品で、傷口を塞ぐ為に開発されたと後年聞いた事がある。そういえば藤波があるテレビのトークショーで若手の頃、よく怒った猪木に頭を破られて、出血した侭、リングに上がったら客が驚いて観ていたと言っていたっけな、、、プロレスは最近に成ると八百長説がまた湧いて出ているが、本当の殺し合いが見たいならヤクザかマフィアに見せて貰えと言いたい。さもなければ中東の紛争地域に行けと言いたい。プロレスはショーではあるが。あくまでスポーツなのだから。プロレス・オタクはそこのところはちゃんと解って観て居るから問題は無いが。一部の丸バカが殺し合いだと勘違いして居るのだ。だからあれは嘘だと言う事に成る。そして本気でやっていないのだから八百長だと言うのです。聞いてられない。
今回は此処で終わりです。それでは1週間後に更新いたしますね。それまでよろしく。。。。。。