寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

嫌だ!!嫌だ!!嫌だ!!

 

 

今のコロナの状態を予言して居た、日米英チリなどの俳優が出演した角川春樹制作。名匠・深作欣二監督作品。「復活の日」 小松左京の脚本はまるで今のコロナの事を予言して居るか如きだ!!この作品は1980年初頭にアメリカでも公開された。。。

 

 

前野曜子 ユー・アー・ラヴ(”復活の日”のテーマ)

 

 

久々。けんじの話で始めましょう。彼は2000年になって突然言いました「私はね、この間「老人と海」を見たんだよ。え〜〜〇〇ちゃん!!」だから私は言いました、「今頃見たのですかぁ。ずいぶんと遅いですねぇ」すると怒って言う。「フ〜ン、ケッ!!バカヤロ〜!!」私はダメ押しをした、「処で、けんちゃん、その映画。誰の原作か解って観たの?」「フ〜〜ン、ケッ!!。バカヤロ〜!!」私は畳み込む様に聞いた。「誰の映画化かも解らずに何偉ぶってるの?」「・・・・・」「アーネスト・ヘミングウェイでしょ」「ああ、そうなんだ、誰の小説の映画化かも解って観て居ないのか、、」「アーネスト・ヘミングウェイ?」だから言った「彼の小説の映画化でしょう?知らなかったんだ」「フ、フ、フ〜〜〜ン、ケッ!!。バカヤロ〜」そう言うと居なくなった。はっきり言ってこの人は、昔は、山一証券で働いて居たんですよ。その時に部長とゴルフに行って。部長の打ったゴルフボールがけんじの頭を直撃してから此の様にバカになってしまった。彼は昔は明治大学を卒業して居て。頭も切れて、私の弟さえ小学校時代は「けんちゃん見たいになりたいな」と言って居た頃もあったのですが。私が知って居るけんじは「痴呆のけんじ」しか知りませんよ。

けんじが働いて居た当時、野村證券、大和証券、日興證券(現・SMBC日興証券)と共に、「四大証券」のひとつであった山一證券。その中でも企業の法人関連業務に強みを持って居た為、「法人の山一」の異名を持つ大手證券会社でした。しかし、そんな大手證券会社が突然、1997年に廃業。1990年代のバブル崩壊後、平成の不況のシンボルとして、多くの人に記憶されている出来事です。

発端は、1980年代末から行われた政府による、バブル経済の抑制を目的とした「金融引き締め策」。

公定歩合の引き上げ、総量規制など、異常に膨れ上がったバブル経済を抑止するため、大蔵省(現在の財務省)や日本銀行によって、さまざまな金融政策が実施されました。放漫な営業や経営などを行って居た金融企業は、此処で“大転換”を余儀なくされます。山一證券は、是等の金融政策により「営業特金」と呼ばれる法人向けの資産運用方法が、多大な損失を生み出しました。

バブル崩壊、そして祭りのあと

茅場町

東京都中央区の茅場町タワー、かつての山一證券本社
photo by Harani0403 CC BY 3.0

営業特金は通称「ニギリ」とも呼ばれ、法人から資産運用を丸投げしてもらい、一定の利益を保証すると言うスタイルです。莫大な金額が動くため、証券会社に取っては高い手数料が期待出来ます。今では営業特金は法律で禁止されて居ますが、当時、山一證券は、相当な額の営業特金を抱えて居たと言われており、1987~1990年の山一證券は毎年1000億円を超える経常利益を上げて居ました。それが、1989年から始まった数回にわたる公定歩合の引き上げにより、株価は暴落。 法人に確約して居た利益が運用によって補填出来なくなって行きます。ついには、法人に対する利益を支払う為、逆に証券会社が損失を被って行く様な事が増えて行きました。さらに、この優遇された法人に向けての損失補填が社会的にも問題になり、1990年には営業特金自体が大蔵省により禁止されてしまいました

此れにより山一證券は1300億円を超える多大な含み損を負う事になりました。この損失を補填するため、山一證券は「飛ばし(※含み損が生じた資産を市場価格よりも高値で第三者に転売する事によって損失を隠す事)」と呼ばれる損失隠しなどでしのいで行きました。しかし、ついには不正な会計処理を行い、虚偽の財務諸表を作成する「粉飾決算」という違法行為に手を染めてしまい、1997年11月24日には自主廃業を踏まえた営業停止を選択しました。同日に行われた記者会見では、当時就任3か月目の社長・野澤正平氏が立ち上がって、「私ら(経営陣)が悪いんです。社員は悪くありません!」と号泣。大々的に報道され、大きな話題を呼びました。こののち、日本銀行からは顧客保護という名目で、無担保の「日銀特融」という特別融資が行われ、以降自主廃業への道を進んで行きましたが、それも途中で断念し、結局は自己破産。事後処理は2005年までの長い期間に及びました。1997年には山一證券の顧客相談室長が何者かによって殺害され、さらにその2か月後、山一證券に取引で大損をさせられた男性が恨みを抱き、山一證券の代理人弁護士の妻を殺害すると言う、痛ましい事件が立て続けに起こった事も、この事件の影響の大きさを物語って居るのかも知れません。

バブルと言う空前のお祭り騒ぎ――。「金融」と言う捉え所の無い妖怪がはじける時には、この山一證券の様な形ある悲劇が連鎖されました。これは平成の浮き沈みを象徴するような事件のひとつである事は間違いないでしょう。しかしけんじは、会社が倒産すると自分の親父。要するに私の父の兄を頼って、親父の会社に入社しました。その前は障害手当。労災補償などを頼って職安にも居たそうです。私の姉さんがハローワークに行った処。辺りをキョロキョロ観ながら挙動不審な男が居るなと思ったら、けんじだったそうです。姉はすぐに職が見つかりましたが。けんじはダメだったそうです。しかし私とて、人の事をこうやって笑って居られる場合では無いのです。大体がハローワークに行っても62歳の私が出来る仕事など何もありません。よくネットで高額を稼げるとか言いますが。あんな話は皆んな、眉唾物で当てには成りませんよね。

私は生活保護を申請するに当たって。姉夫婦の事を役所に言わなければ成りません。はっきり言って姉夫婦は凄いお金持ちです。バカラのシャンデリアが5つもぶら下がって居る様な豪邸に住んで居ます。そして乗って居る車はランボルギーニーとシボレーです。姉の旦那は医師です。だからお金が稼げます。姉の子供は大学は立教大学に行きましたが在学中にシンガー・ソング・ライター兼作曲家として芸能界デビューしました。CDも出しましたし。配信で曲も発表しました。その後。東大出身のIT企業の社長と結婚、今はその旦那はIT企業の会社をヤフーの傘下に入れて億万長者。そして虎視淡々とヤフーの社長の座を狙って居ます。しかし私には何も連絡は来ません。だから私も連絡を取らないし大体が連絡を取りようが無い。姉さん夫婦は姪の住所も電話番号も此の10年間私には教えなかったからです。私は姪が音楽を目指した時に、ほぼ100万ぐらいの音楽的援助をしましたが。礼も無しでした。冷たいものですね。精神障害者になった親族などはそうやって嫌われて捨てられて行くのですよ。

 

Led Zeppelin - Rock and Roll Live Video (Madison Square Garden 1973) Original Records

 

ただ生活保護を受けるに当たって姉弟の仕事と資産を聞かれます。私が解らないと言っても。役所の方で勝手に姉さんの家に電話を掛けて聞きますね。そして私の面倒が見れるはずだと言うと思います。勿論、姉弟の縁を切られて居ますから、姉さんたちはそう突っぱねるでしょう。しかし、役所は恐らく私に姉さんたちが裕福に暮らして居るのだから生活保護は申請出来ませんと言うでしょう。去年の暮れに私のケア・マネージャーに連絡を入れたら、「1月にモニタリングがあるけども・・・・。」と言われたので「では1月にお待ちして居ます」と言ったら。姉さんに何か書類の件で連絡を入れた見たいだけども怒って居まして。「コロナが長引けば行けませんよ」と言われましたが。今年に入ってから電話が矢張り掛かって来ました。コロナのせいで、そっちには行けないと言って居ました。だから電話で話をしました。以前母が私に言ったけど。「お前は女の子に生まれて来れば。こんなにいい子は居ないと、さぞかし好かれただろうにねぇ」と言われた事があるのです。何でも母に言わせると「男の割に心が繊細で優しすぎるから」と言うのですよね。確かに男に優しさは要らないでしょう。優しい男は皆苦労して居ますよ。今、心配なのは此のアパートを借りる時に、保証人会社が通らなくて、だって働いて居ませんからね。だから此の物件のアパートの契約時に此のアパートを管理して居る不動産屋に通帳を渡して、そのコピーを取らせてそれを保証人会社に送ったんですよね、

不動産会社がやって呉れまして。その結果、要約2年契約で、此処の保証人会社が契約して来れたのですが。その時は持ち金が480万ぐらいはあったんですよ。それが今や300万切って居るので。あと6ヶ月で更新の時にまた通帳見せても金が少ないからと断れる場合がありますね。そうしたら私が幾ら大家に盆暮れに物を挙げて居ても「出て行って来れ」と言われるかも知れません。その話を私のケア・マネージャーに行ったら。私の場合、生活保護は間違えなく貰えるから、大家としても役所から家賃が確実に取れるのだからいいと思われると思うと言って居ましたけど。それから最近私の精神科の主治医がおかしな事を言い出しまして。「俺って頭いいよなぁ〜〜。こんだけ病気治してるんだから。今さぁ〜入院病棟の担当医私ですから入院に1月ぐらいから来てよ〜〜」冗談では無いのですよ本気で言って居る。「自分で自分の腕を過信して居るとそのうち取り返しがつかない事になるぞ」と言ってやりたかった。だから私は「来年の今頃になったら診断書書いて下さい。それ持って役所に生活保護申請に行きますから。」と言ったら「フッ!!いいよ書くよ〜〜行って見な通るかどうかぁ〜〜」と意味深にニヤリと笑って皮肉めいた事を言われましたよ。

 

The Jimi Hendrix Experience - Voodoo Child (Slight Return) (Live In Maui, 1970)

 

大体がどこも悪く無いのに。何で「ちょっと入院して呉れない」だ!!冗談でもそんな事は言ってくれるな!!精神病院なんか2度と入院して溜まるか!!何だと思って居る。前に幻覚幻聴が聞こえた時には「入院どうする」と言われたから「自宅で療養して治します」と言って入院断ってるんですよ。でも治ったから。誰だって病院の入院は嫌なはずだ。ましては精神病院ですよ。誰が好き好んで入院する。大体が今は保険ももう解約して居るし大体が入院費が無いんですよ。生活保護になれば医療費は国が全額負担してくれるから。それでも色々とあるそうだしね。私のバカ親父はね。身体中に管を通されて居るのに。ウンチが支度なったからと、ちゃんとオムツもして居るのに体に刺してある管。全部ヒッコ抜いて、オムツ外して一人でトイレに行こうとして、ひっくり返ってクソは漏らす。しょんべん垂れ流しになるわ。大変な騒ぎになったそうです。主治医から「あんたの父親がどうなったか隣の患者に聞いて来い!!」と言われた。恐らくは痴呆でしょうね。それで主治医が強引に、安楽死を提案して来たんですよね。こんなバカジジイに付き合っては居られないとばかりにね。医者なんてそんな物だ。

私は自分がダメになったらサッサっと自殺する。いいですか今の世の中。誰が救ってくれるのですか。誰も助けては来れないんだ!!バカ親父が死んだ時に、バカ親父の「ベットを息子であるお前が使っておくれ」と母が言うのですよ。私はね、自分で買いたいベットがあったのに。だから「嫌だ!!」と言ったら「お前はお父さんのものを嫌がるのかい」と言うのですよね。散々私に悪態をついて、私を会社に無理やり入れ働かせて使い物にならなくなったら会社から叩き出したような父親だ。恨みこそあれ恩義など無いですよ。いい加減にして来れと言いたかった。それで、結局はベットは買えずに、父親のベットで実家に住んで居た数年間それで寝て、、実に不愉快だった。今日は、YouTubeに挙がって居る「バイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版のラスト10分辺りを映画館から撮影して来た違法映像があるのですが。中々解りづらくして居て。観られなかったんだけども。何とか見つけてblogに貼ってそれを見て居たのだけども。主人公のバイオレットの直向きな心にまた涙して仕舞いました。私は悲劇が好きなんですよ。喜劇はチャプリンとロイドしか。あと、つかこうへいか。それぐらいしか好きではありません。ちなみに「ぶらどらぶ」と言う押井守監督作品のアニメが全13話か?Netflixのみで配信だそうで。今は第1話だけYouTubeで見られるのだけども。バンパイアのギャグ・アニメだけども。はっきり言って物凄く過激です。あれでは民放で放映できない。女の子の裸は出て来るし。表現がギャグなんだけども、相手をメタボロになるまで殴ったりして居て。まあ、面白い事は面白いけど。「押井さんも。何、今回は考えて作ったのかなぁ、、」と思いますよ。過激な描写が多すぎる。ギャグだからそれで持たせて居るのは分かるけども、、今の若者には合って居ないんじゃないかと思いましたよ。

VLADLOVE official PV

 

今回は短いですがこのぐらいで。また書く事があったら更新しますよ。それではまた次回会いましょう。。。

 

コメント一覧

kiyasume
>演劇活動は、若い頃10年間で諦めました。大映にするか役者の道に進むか迷い、大映は1話ごとの契約制で不安定でしたので、まだ役者の道の方がいいかなと思ったことと、浅利慶太さんの元で勉強したかったので、「四季」の方を選択しました。ただ、浅利さんには、今の「四季」のようにミュージカルの構想がおありになり「四季」でやっていれば食べられるようにしてやる、と言うお考えがおありになったようです。

浅利慶太氏は、劇団四季は、もともとは文化・芸術志向の良質な劇団だったのですよね。60年安保の際には、安保反対の劇団四季の学生も居て、寺山修司は「安保反対のデモに行きたいと言う劇団四季の学生をぶん殴って、デモへ行くな、俺の演劇こそ世界を変える」と語ったと、自身の著書で述懐して居ますよね。だが浅利氏の右派への転向もあり、劇団四季は70年代にはミュージカルを上演する国内有数の商業主義劇団へと変化したと聞きました。

大映は1話ごとの契約とは、、もしかして大部屋だったのでしょうか?
akiraさんが在籍の頃はまだミュージカルをやる初期の段階と言うと、、
1960年代末期ぐらいの頃でしょうか?

>浅利さんは大のテレビ嫌いで「電気紙芝居」と軽蔑されておられました。日下武史・田中明夫・水島弘さんなど、マスコミで活躍されていらっしゃいましたが、他の役者にはそのチャンスはありませんでした。

なるほどそうでしたか、ただ聞いた話では、日本テレビの「ジャングル・ジム」の吹き替えアテレコには劇団として参加したと聞きましたが、その辺の事情はどうだったのでしょうか・・・・・。

元々が1953年7月、慶應義塾大学、東京大学の学生を中心に劇団四季を結成したもので。主に、ジャン・アヌイやジャン・ジロドゥ等フランス文学作品を上演して居たと聞いて居ます。

まさにakiraさんはその劇団四季に居らしたのですね、、
凄いですね。でも役者の道は険しいのでしょうね。
まさに劇団四季の黎明期に入団されて居たのですね・・・・・。

私は演劇は寺山修司の「天井桟敷」と、つかこうへい、蜷川幸雄
ぐらいしか知らないものでして・・・・・・。
今回こうやってお話を聞けて大変勉強になりました。

私も高校時代の後半ぐらいから、アニメーション業界に
潜り込もうかと思ったりもしましたが、、何しろ親が私が美大に
行きたいと言っても猛反対したぐらいなのでして.........。

私は手塚治虫氏の虫プロダクションのアニメーターたちと
懇意になりまして、色々と誘いも受けたのですが、結局は、、、

芸術は難しいですよ。おしゃる通りに.....。

また来て下さいね。よろしく。
1021akira
 いつもご訪問ご投票ありがとうございます。拙作ばかりですが、よろしくお願いいたします。
 先のコメントで「今も演劇関係のお仕事をされているのでしょうか」とお聞きになられたので、お話しいたします。既に現役は引退し年金生活をしております。演劇活動は、若い頃10年間で諦めました。大映にするか役者の道に進むか迷い、大映は1話ごとの契約制で不安定でしたので、まだ役者の道の方がいいかなと思ったことと、浅利慶太さんの元で勉強したかったので、「四季」の方を選択しました。ただ、浅利さんは大のテレビ嫌いで「電気紙芝居」と軽蔑されておられました。日下武史・田中明夫・水島弘さんなど、マスコミで活躍されていらっしゃいましたが、他の役者にはそのチャンスはありませんでした。浅利さんには、今の「四季」のようにミュージカルの構想がおありになり「四季」でやっていれば食べられるようにしてやる、と言うお考えがおありになったようです。でも、私が在籍していた間は、ミュージカルをやる初期の段階で、まだ舞台で食べられると言う状態にはなっていませんでした。他にあてもなく、役者で食べて行くと言うことは、駄目になりました。頃合いを見計らって止めることにしました。ですから、人生半ばでサラリーマンになりました。
 でも、浅利さんからは、芸術と言うものを、言葉で教わったのではなく、演出をされていらっしゃるのを拝見して、その中で勉強させていただきました。今だにそれが役に立っております。
 と言った具合で、演劇で生きて行くのは、夢と消えてしまいました。

 kiyasumeさんも映画監督の願いがかなわず、悔しい思いをされたことでしょうね。芸術は魅力的だけど厳しい。
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