休養中ですが、一つ新しい記事を挙げておきます。短いです。コメント頂けたら嬉しいです。
Eric Clapton - Double Trouble
ゆきかずに付いて、今思う事。確かにあいつは私に嫌がらせを散々したが、私はもういいと思う様になった。あいつももう72歳ぐらいだ。姉さんに付いてもそうだ。私と縁を切ると言われたがもう、それでいい。ただアパートの緊急連絡先だけになってくれて貰えればそれでいいのですよ。私はもう振り向ない。過去とは縁切りだ。私は生きても後10数年かだ。楽しく暮らせればそれでいい。恨みは捨てる。私は好きなハーモニカ吹いて、映画観て、哲学書と芸術書などの書籍が読めて、漫画が読めればそれでいい。みんなはコロナで生活サイクルが変わって仕舞っただろうけど。私の生活サイクルは。ほぼ此処20年ぐらい前から同じだ。働いては居ない。だから好きな時に寝て好きな時に起きるそんな生活だ。しかし、それも変わって来て居る。今回の事で薬の量が可也増えた。皆さんにどれだけの薬を毎日飲むのかお見せしましょう。
全部で24錠ですよ。これが1日に飲む薬の量です。向精神薬の他に肝臓の薬。糖尿病の薬。血圧の薬。まあ、、普通はこんなに飲まないし。私が幻聴と幻覚が見られたと言ったら主治医が処方してくれた薬です。見ての通りこれだけの薬を飲むのだから。副作用は出ます。まず、眠くなります。今も朝の薬を飲んだのでもう眠たいですよね。だから昼飲むと大抵は午後3時半か4時半まで寝て仕舞いますよ。そして気持ちは楽にはなるが、歩くと蛇行して歩きます。大体がフラフラで何時も、部屋の中で、まあ、私の部屋には布団が敷きっぱなしなのでそれを横折りにして置いてあるのですが。そこに倒れ込む様にして乗り寝てしまいます。昨日なんか「あれ?」と思い気が付いたら夜の8時だった。だから、したい事は何も出来ません。
そして、起きるとテレビは観ずに、まず音楽です。。。。今日はスマホからのストリーミングでサイモン&ガーファンクルを聴いて居ますよ。。。
そしてパソコンでblogの訪問であちこちの人の処に見に行きます。コメントがしたかったらします。ただ、今は休養中だから、余り見に行けませんけど。自分のblog記事に書き込みがある場合はすぐにでは無いけど。返事は必ず書きますよ。結局、変な話で恐縮ですがペニスから血がボトボトと落ちたのは医者では原因が解らないと泌尿器科も内科も言いますが。2年前に極度の貧血で意識が無くなった時も。今回も原因は飲んで居る向精神薬の副作用でしょうね。多分ね。良く「少しばかりの障害で遊んで無いで働け」と言う人も中には居ますが。働けないんですよ。こう言った薬を飲んで居たら。それに私はもう60を廻った。どこが使いますか?働く場所何て無いですよ。清掃員の仕事のパートとかポストニングだったらあるとは思うけど。体がだるくてとても出来ない。まあblogに書いたけど。私はネットでAmazonの仕事を見つけたんですよ。その仕事を本当にしようかと思ったけど。ケア・マネージャーからきつく止められた。大体が6時間から8時間労働で、飲み物は完備されて居るので幾らでもコーヒーとかコーラとジュース類が飲み放題だと書いてあったが。まあ、私も覚悟して働こうとしたが。彼が言うにあそこは日払いですよ。もし具合が悪く成ったらどうします。寝て居たらお金は入っては来ないですよ、暮らせますか?生活保護ならあなたなら約十三万は貰えるそれプラス。あなたは障害者加算一万八千円はつくでしょうから。ギリギリだがなんとか暮らせはしますよ。それに医療費は国が持ってくれるから。心配は要らない。しかし昨日の夕方。何気無しにテレビのBSチャンネルを見たら。ある「ドキュメンタリー」が放映して居てコロナで職も家も無くなった人が生活保護に申請に行くと、けんもほろろに追い返されて居た。アパートの物件を不動産屋に探しに行くと。不動産屋がこう言う。「不動産の物件はねぇ、、例えばお医者さんと生活保護者と。どちらかに貸すとしたらお医者さんでしょう?」かわいそうにその人はうなだれて帰って行った。私はこのアパートが終の住処です。此処で残りの人生を全うしたい。此処の物件を決める前に、ある不動産屋に行ったが。働いて居ないので、職場が無い。だから、、
2つの保証人会社に断られた。だから部屋が借りられなかった。そうしたら。不動産屋の社員の43歳の男から電話が掛かって来て。「あんたねぇ〜何処もあんたになんかには、部屋貸してくれないよぉ〜ああ、此間、預かった保証金。返すけど此処まで来る〜〜。銀行に入れますかぁ〜どうする。」だから、「銀行に入れて下さい」と言ったら。「何処の銀行・東日本。住友?」だから「郵便局でもいいですよ」と言ったら。「私は郵便局は良く解らないので銀行にしてよ」だから「きらぼし銀行ですよ。」と言ったら、「何それ!〜〜う〜ける〜〜笑うわ〜〜。どんなんだよ!」と笑いながら皮肉を言われた。きらぼし銀行は、結構最近では中堅の銀行ですよ。元は八千代信用金庫と東京都民銀行と新銀行東京でした。これらの銀行が合併して出来た銀行ですよ。そいつはアパート案内周りの時に私に仕切り「老人になると腰痛くなるのでしょう?足も振らつくんじゃ無いのぉ〜〜」とか言って居た。確かに私は当時60歳になったばかりだったが、、私はそいつが真面目に老人をバカにして言って居るので。いい加減に怒りたくなったが。そして物件を見に行くと人が部屋に人が住んで居たり。鍵が開かなかったり......。それでともかくダメなものはダメなので。ケアマネージャーに言ったら区役所関係で良く使う不動産屋が居るとかで区役所の女性の紹介でそこに行き。物件を見せて貰い此処に来たわけです。生活保護は家賃の上限は5万3千7百円ですから。
このアパートに引っ越して来て。荷物は殆ど上手く収まったのですよ。それに此処は広さが気に入ったんです。それで此処では自分の財産である荷物が入ると分かったから。越して来ました。でもCD70枚とビデオテープ30本は引っ越し屋にて処分して、レーザーディスク480枚は。ただで業者が引き取って行った。レーザーディスク・プレーヤーと込みでね。彼らはそれを海外で高く売るのだろう。でも私はまだビデオテープを28本は所有して居るのですよ。だから中古で見られそうなビデオデッキの安くて性能は結構いいものを1万幾らかで購入した。それでビデオテープは観て居ますよ。
今から10数年前に大塚家具に行った時だ。あそこは悪どい商売をして居た。私は母を連れて、母の家具のソファーとテーブルを買いに行ったのだが、店に入って階段を登ろうとしたら、受付嬢が「お客様.. 只今、店員が御案内致します」と言うので待って居ると、若い女の子が一人やって来て。「御案内致します!」と言う。私と母はその子の後に付いて行くと、その店員は「お客様!今日は何をお買い求めで!!」と威嚇して怒りながら聞いて来た。私はこの子少し変だなと思ったが、和かに、「ソファーとテーブルを、8畳間の母の部屋に置くので・・・」と言ったら。「なんだ〜ババアのか」と言うのだ。私は、大塚家具なら老舗だから大丈夫だろうと思って来たのになと思って居ると。最上階に連れて行って高級家具類を見ろと言う。私は「どれも高そうですね?」「これなんかお幾らするのですか?」と聞くと。「400万です」と言う。だから「こんな高いのは買えませんよ?」と言うと、下の階に降りて、また高級な家具を見せる。私は今度は幾らぐらいするのかと聞くと。「200万です」と言う。私は「また今度来ますよ」と行ったら2階下に降り、「このソファーなんかいいですよ」と言うので。見た処、母も気に入って居るので、「これは幾らですか」と聞いたら「20万です」と言うのでまあそのぐらいでも少し高いけど、まあいいかと思い「これ下さい」と言い。テーブルを探していたら母が私を呼んで「これがいい」と言うのでそれを見たら10万だった。全部で30万だ。高い買い物だ。認知症の母は喜んで居る。支払いは私だ、しかし私は母に恩返しをしたかった。この当時私は2度の入院をして居た。心配を掛けたのだ。親子の間でも礼は必要だ。私は「それを下さい」と言って購入に成った。住所と電話番号を書いて居ると、「おい、メールのアドレス書いてないよ!」とその店員が言う。私は「パソコン無いんでねぇ!!」と言った。もちろん嘘だが...そして、帰りしなに、「ああ、自分もリクライニング・チェアを買わないといけない」と言い。その店員に案内させた。するとリクライニング・チェアの売り場に行き。「此処にあります」と言う。私は何点か見てみたが、どれも60万はして居る。「高いな・・・」と思って見て居るとバーゲン品と言うのがあって21万6千円万と書いてあった。私はそれだと思い「これは安いけど何処の物?」と聞いたら不貞腐れて、「スウェーデン製です」と言うので、それに決めた。要するに来た客にはどうしても高額な物を買わせるのだ。私は高額商品を買わせて帰らせる大塚家具の根性が、経営方針が嫌いだった。なんか聞く処に寄ると、大塚家具は、今、経営不振で他の会社に身売りしたそうだ?。あんな商売をして居たらそう成るだろう。バカは自滅するものだ。
【大塚家具】社長 大塚久美子が案内する有明本社ショールームの魅力「Good Sleep Factory編」
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そしてリクライ二ング・チェアは私の10畳間だった寝室に置いたが、母は自分の部屋に置いたソファーには座らずに、私の部屋に来て毎日リクライニング・チェアに横たわって座って居た。そんな生活が3年ほど続いたのだが、ある日、私は病気が出たらしい。ふと気が付くと気を失って居て、起き上がって部屋を見たら部屋中、めちゃくちゃに壊されて居たのだ。母が好きだったリクライニング・チェアも足が折れて居た。母と別れの時が来たのだ。私は精神病院に入院させられた。私は何も覚えては居ない。ただ、認知症の母を残して入院するのは忍びなかった。一年間、入院させられて、出て来られなかった。そして精神病院では外出、外泊と言う決まり事がある。患者が落ち着いて来ると。世間に慣れさす為に外出で街に出掛けさせたり、外泊で1泊2日で自宅に帰る事が許されるのだ。私は外泊で一時的に、自宅へ自分の部屋に帰る事になった。男の看護師が付き添った。勿論、看護師は泊まりはしない病院に帰るのだが...1年経って自分の部屋に行って見たが。壊れた部屋の家具類も電化製品も其の儘だった。私は今更ながらに液晶画面が割れて穴が空いているテレビやら、持っていた2台の据え置き型パソコンは液晶が割れていたのを見て考え込んでしまった。看護師がノートパソコンを見つけて言った。「〇〇さん、このノートパソコン無事ですよ?」私は「良かった、ノートパソコンは無事だったか!」と訪問看護師が差し出したそのパソコンを開けて見てみた、どこも壊れて居ないし傷も付いて居なかった。私はその夜、何とも成って居なかった母の部屋のベットで寝た。そして朝起きるとまた病院に帰って行った。そうこうして居るうちに退院に成り自宅に帰ったが、弟と姉さんは1日も私を休ませなかった。帰って来ると、MPO法人「同胞の家」の伊澤さんがやって来て、「言い難いのだけども、お姉さんと弟さんはあなたに、この家に居て欲しくは無いそうです。」と言う。私は「どうしろと言うのですか!!」と怒った。すると伊澤さんは「とにかくもう一人で暮らしてくれと言うことです」私は言った「どこで、どうやって暮らすのですか」伊澤さんは言った「どこか部屋を探して、暮らしてくれとの事なので、私と一緒に今から不動産屋に行きましょう」私はここで姉弟の薄情さを知って落ち込んだ。そして「母はどうなりました?」と聞いた。伊澤さんは「弟さんとお兄さんとでお金をだして今は施設で暮らしています」と言う。私は言われる儘にミニミニ城南でマンションの物件を探しそしてそこに引っ越した。家賃だけは弟が持ってくれた。しかし不思議に思っている事がある。それは退院して帰って来て、自分の部屋に行った際、壊れてなかったノートパソコンがめちゃくちゃに壊れて居た事だ。私が壊したのでは無い。いったい誰が壊したのだろうか?私はそのマンションで5年暮らした。途中、弟は亡くなった。私は家賃が払えなくなり。この今のアパートに越して来た。いまだにノートパソコンを壊したのは誰だろうと思う。恐らくは弟たちだろう。私を実家から出て行かせる為にだ。恐らくね・・・
精神障害があっても地域の中で暮らしたい 社会的入院と病棟転換
読書との関係は、中学まで遡ります。私の親は本を読まない人でした。私はある日同級生の家に行き、その父親の書棚を見てビックリしました。哲学書が並んでいて、中にはラテン語で書いてある哲学書があったのです。私はそれ以来自分も書斎を持とうと思いました。しかし立派な書斎はいまだに持ててません。いいえ、もう一生持てないでしょう。そして、私が本を読み出したのは中学からではありません。高校まで本はあまり読まなかったのです。中学の時には古本屋で古本を購入していました。
中高時代から大学3年生までは、だいたい少なくとも1ヶ月で3冊、多い時は1日1冊以上読んでいました。ほぼ全て思想書か芸術関係、映画分析の本です。で、小説は余り読んで居ませんが。現在好きな作家は司馬遼太郎、安部公房、埴谷雄高、三島由紀夫、ジョゼ・ジョバンニ、ジェイムス・エルロイなどです。
中学3年生の頃に隣町の古本屋で「燃えよ剣」「新選組血風録」「人斬り以蔵」「新選組始末記」と100円コーナーにあった司馬遼太郎やら子母沢寛などを買い込み。1970年代当時は新選組。特に土方歳三が人気で本屋には新選組コーナーがあった程です。その古本屋は「一誠堂」と言って、金がない私は中学生の頃から高校に掛けてはそこに良く行きました。いまだに覚えて居るのは最近の事ですがと言っても20年前か、、、「ダダイズム」の研究家の著作の分厚い本が定価1万8千円で売って居た事でした。余程購入しようか迷いましたが辞めて置きました。ただ「演技者・小林桂樹の仕事」と山本栄一著作「虫プロ興亡記」についてはいい本を購入したと喜んで居ますよ。。。
ミニ知識。。。。
子母沢 寛
作家 (旧厚田村栄誉村民)
時代小説家として大御所的存在であった子母沢寛は、明治25年(1892年)厚田に生まれました。本名は梅谷松太郎。小学校を厚田で学び、中学校は函館、小樽、札幌と転じています。札幌の北海中学、明治大学法学部を卒業後、記者生活を始めました。釧路新聞社、読売新聞社、東京日日新聞社などを経た後、執筆活動に入ります。昭和12年(1937年)「新撰組始末記」を処女出版し、「国定忠治」により文壇的地歩を確立しました。また戦後にかけて幕末、江戸の郷愁をこめた「勝海舟」「父子鷹」も注目されました。「勝海舟」はNHKドラマにもなっています。
子母沢 寛
司馬遼太郎(しばりょうたろう)
1923年8月7日生まれ
~1996年2月12日没 (72歳)
日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『新選組血風録』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。'96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
そして、このままの読書ペースを保ては2、3冊の本がだいたい3ヶ月以内には読み切れそうなので、1ヶ月ごとのテーマを決めて、絞ったテーマで知識をつける様な読書方法を試したいと考えて居ます。今は購入した本と闘って居る最中で今後のことはまた変化するかも知れません。しかし、一般的な内容の本を一定数読むと、主張される事の共通性に気づいてきます。確かに自伝などは皆さん良く似て居ると言うか?それに、出来る人たちは覚悟が違うのだなと思います。私が大学時代に勉強をして居て、一時期に「ああ!!そうなのか?経済学部で学ぶ事やら商学部で学んで居る事は全てつながって居るんだ。それは商学部の授業だから繋がるとは思ったけど。そう、思いましたよ。。本とも関係なしとも言えないが、、
追伸.....。「背守りについて、、」
大体が私がスカートの真下から激写とか書いたのは、女性の方たちに見て貰いたかったからですよ。男はみんな知ってるでしょう。
私はアダルト業者のは仕方がないし必要悪だと思って居る。でも素人の単なる中年のおっさんが靴に仕込んだカメラで盗撮したり。こないだなんかはネットを検索して居たら公衆トイレの女性のトイレの中にカメラが仕掛けてあって全部取られてましたよ。なんなんですか?。まあ、撮った連中はすぐに痕跡を消すのでしょうけどね。
何遍もこう言う話を聞かされてエロゴト師みたいに思われて居るかも知れないけど?警察は一体何して居るのですか!!私はポルノサイトものは必要悪だとは思うから。仕方が無いとは思いますが。一体日本はどうなって仕舞ったのでしょうか???女の子たちに言いたい。トイレには充分に気を付けて下さいね。何処にカメラが仕込んであるか分かりませんから。それからこう言った現象は1970年代当初にもありました。読売新聞やら朝日新聞などが、夕刊の広告欄にアメリカの本場のポルノ映画の写真付き広告やら。日活ロマンポルノの広告を掲載して、それを読んだ当時の大橋巨泉が。自身の出て居る「ゲバゲバ90分」と言う番組の冒頭で緊急告知として「いったい!!なんですか!!天下の新聞社2社が、スポーツ新聞ならわかるが、一般の新聞紙にこんな写真の広告を載せて!!いい加減にしなさい!!」とテレビで怒ったんですよ。そうしたらそれから三日ほど経って、新聞社が謝罪の広告を出して。それからポルノ関連の写真も記事も載せなく成ったんですよ。そう言う経緯があっての今の風紀なんですよね。それなのにネットの無法地帯での酷い映像やら写真をお子さんが見たらどうなるでしょうか?しっかりお子さん用にはブロックして見せましょうね。私は何もアジテーションのバルーンを挙げて居る訳ではありませんけど。ただ此の儘行くと日本の女性は危ない事に巻き込まれると思い危惧したまでです。女性の方に言いたい。ミニスカートでつい階段に腰掛けて足広げてませんか?油断すると盗撮されてますよ。私はアダルト業者がDVDなどでポルノ商品を売るのはまあ、仕方が無いと思うのですよ。需要と供給と言ったらおかしいですが、そう言う事だろうから、、、、買う人間は必要として居なければ購入はしませんよね。でもネットは違います。キーワードを当てはめればどんな映像にも、どんな文献にも行く事が出来るんですよね。私は知識が無いからそう言ったサイトにはパスワードを知らないので行けません....。あるアメリカ人の女の子は自分が見知らぬ男とセックスして居る動画を見てショックのあまり気絶仕様になったそうです。何故なら、それは精巧にCGに寄って作られた精密で嗜好な擬似映像だったと言います。彼女みたいな被害にあった女性は沢山居ますよ。特にアラビア人とかトルコ人。などから写真で綺麗な可愛い女の子の写真が送られて来て、。その子らの擬似CGポルノが製作されて居るのだそうです。勿論CGを使ってね。こんなことがアメリカやら先進国の一部の人間たちのビジネスになって居るんですよね。セックスとは元来高尚なものでした。特に日本では。昔の話に寄ると卑弥呼は宇宙人と交わって出来た子を見て。火鉢に刺してあったバチでホトを焼いて2度とセックスが出来ない身体にしたと言う伝説があるそうです。それに背守りって知ってますか?昔は出産は生と死が表裏一体として生活の中に入り込んで居た時代がありました。
江戸時代、生まれてきた赤ちゃんの3人に1人は生き延びる事が出来ませんでした。
日本で人口動態調査が始められた明治32年でも乳児死亡率は約15%。生後1年以内の赤ちゃんは10人に1~2人が亡くなって居る計算です。現代よりも医療が発達して居ない時代。か弱い赤ちゃんはちょっとした病気やケガで死んでしまって居たのです。そこで当時のお母さんたちは、わが子が病気になったり事故にあったりしないように願って「背守り」と言うお守りを作りました。
背守りとは「子供を想う母の愛」
背守り(せまもり)とは、子供の着物の背中に縫い付けたお守りの事です。
着物を作る時には左右の身頃となる布を縫い合わせるため、背骨に沿って「背縫い」と言う縫い目が出来ます。
昔の人は「目」には魔除けの力があると信じており、背縫いの「縫い目」にも背後から忍び寄る魔を防ぐ力があると考えて居ました。ところが、赤ちゃんが着る着物はとても小さく背縫いがありません。そこでお母さんたちは、子供に魔が寄り付かない様に背縫いの代わりとなる魔除けのお守りを付けました。それが「背守り」です。
始まりは定かではありませんが、鎌倉時代に作られた絵巻物「春日権現験記(かすがごんげんげんき)」にはすでに背守りを縫い付けた着物を着て居る子供が描かれており、とても古い風習である事が解ります。思うに性を遊ぶのではなく、真っ当に向かい入れて考える事なのだと思います。今の日本にはそれが希薄ですよ。皆さんもそう思いませんか.....。
今回は此処までです。読んでくれてありがとう。コメントなぞ頂けると励みに成りますから宜しくね。。。。