最近「本当に正しいかどうか確認する」といった「本当に××」という言葉をよく目にしていた。
あまり気にしていなかったけれども、文脈から「正しいかどうか確認する」ですむ物も「本当に正しいか確認する」とあったりするから「むうう」と眉間にしわが寄るのかもしれない。
書籍名で『本当に正しい××はこれだ』はインパクト持たせるということで、「ふーん、だからー」って流す(あれ? 流してる! 興味ないとね)。
状況によって「本当に正しい××をすべきだ」とあると、なんかうさん臭さが湧くのは私の偏見か?
私の中では「正しい××」は「本当に正しいかどうか」がわかっていないから、そもそも「正しい××」で問題ないと思われる。
もちろん、その「本当」に「正しい」と言われていること自体が「本当に正しいか」だってわからない。きちんとした証拠があっていっているのかわからないし、何に対して「正しい」のかきちんと読まないとならないから。
あ、ま、美容系はまず個人差があるから、ここで挙げる例としてはよくないね。医療系も知識がないからあれだね。
例えば、ネットや情報リテラシーで「情報の正しさを確認する必要性がある」といった内容だと分かりやすいかね? あ、一層濁しただけかしら。
情報の正しさ……根拠や書き手の立場、他の情報などなど突き合せなどで判断するかな? それに対してどういう力がいるかというと、一つの情報をうのみにしにしない、示されている内容をきちんと把握する、落ち着いて考える力だろうか? 冷静さ?
で、「本当に正しいか判断できる力」というと、一気にうさん臭さが湧く。
結局、どういう力なのか? そもそも「正しいこと」が曖昧だから、それに「本当に」がつくと、より一層漠然としたものとなる。
そうなると「本当に正しい××」は意外と連発すると怪しさ爆発するかもしれない。
普通に美味しいを使うことがあるため、人のことは言えないかもしれないが。見た目が普通だったり、美味しそうだったら「美味しい」と言っているはずだと言い張ってみよう。「普通に美味しい」というのは状況に寄るのだ、って……あんまり使わない方がいいっていうのもわかる……うん、すまない。