なんだかざわざわしていますね。
私、全然わかりません。
テレビで国会を囲って反対している人たちがいるのを見て、なんだろう?って思いました。
もう終戦何十年になるのだろう?
私の父は広島でもろに原爆をうけました。被爆地から1.5キロのところでした。
家族はほとんど即死やら次第に亡くなっていきました。
父は10歳で兄弟の中で一番下でした。
父ともう二人の兄弟はまだ幼かったので、働きに出ることもなく外で日向ぼっこかな?してたらしいです。
その時に、原爆が落ちたらしいです。
当時、二階建ての家が父たち兄弟の方に向かって倒れて来たらしいです。
その倒れてきた壁かなんかで下敷きになったおかげで、原子爆弾の直撃を免れたらしいです。
もし、反対方向だったら灰になっていたでしょう。
父はまだ幼かったので、親戚に身を寄せたりしていたのでしょうか。
私が幼いころは、当時のことに触れるとかなり怒っていたので、あまり詳しくはわからないのですが。
父はなぜかとても絵が上手で、絵のコンクールではいつも好成績をあげていたそうです。
今でも新聞の切り抜きはスクラップしてあります。
その賞品は色鉛筆だったりしたので、それを亡くなったお兄さんの子供達にあげてたりしていたそうです。
で、年頃になったら、友達が一人二人と夢を見て上京していったので、父も後を追った。
当時、3000円だけもって汽車に乗って東京へ向かった。
泊まることもなく公園のベンチに寝たり、漫画家の友達の三畳間のアパートで寝泊まりした。
漫画家の友達は夜、仕事をするので寝床を借りて、昼間は漫画家さんは眠るので父は外へ出て仕事を探した。
映画館の看板の絵から始めたのかな?
で、高度成長期は日本橋の高島屋やその他の仕事を請け負ってやっていた。
当時はパソコンなんかなかったので全て手描き。
父は、下書きなどはせず、どんどんと仕事をこなしていった。
父は家では自分は社長だ!って言っていたのに、幼い私は父の仕事場について行った時に、
父が頭を下げているのを見て「なんで?」って思った。笑
そりゃ、そうだよね。仕事をいただくんだから。
ま、とにかく毎日、毎日、忙しく朝4時には車で仕事場に向かって行った。
で、私が小学生の時にはどうにか一戸建てを建てることができ引っ越した。
近所の人達は皆、驚いていたそうだ。
まさか!って。
そう、私達が一番貧乏だと思っていたからだ。
母は商店街のお店で鍋を買おうとしたら「どうせ買えないんでしょ」って言われたそうだ。
まぁ、父、母も相当苦労したと思うけど、喧嘩も絶えなかったね。
私はいつも喧嘩のない家庭を望んいた。
学校に行っても、いつもうわの空でそんなことを考えていた。
なので、お勉強できましぇん。笑
私、全然わかりません。
テレビで国会を囲って反対している人たちがいるのを見て、なんだろう?って思いました。
もう終戦何十年になるのだろう?
私の父は広島でもろに原爆をうけました。被爆地から1.5キロのところでした。
家族はほとんど即死やら次第に亡くなっていきました。
父は10歳で兄弟の中で一番下でした。
父ともう二人の兄弟はまだ幼かったので、働きに出ることもなく外で日向ぼっこかな?してたらしいです。
その時に、原爆が落ちたらしいです。
当時、二階建ての家が父たち兄弟の方に向かって倒れて来たらしいです。
その倒れてきた壁かなんかで下敷きになったおかげで、原子爆弾の直撃を免れたらしいです。
もし、反対方向だったら灰になっていたでしょう。
父はまだ幼かったので、親戚に身を寄せたりしていたのでしょうか。
私が幼いころは、当時のことに触れるとかなり怒っていたので、あまり詳しくはわからないのですが。
父はなぜかとても絵が上手で、絵のコンクールではいつも好成績をあげていたそうです。
今でも新聞の切り抜きはスクラップしてあります。
その賞品は色鉛筆だったりしたので、それを亡くなったお兄さんの子供達にあげてたりしていたそうです。
で、年頃になったら、友達が一人二人と夢を見て上京していったので、父も後を追った。
当時、3000円だけもって汽車に乗って東京へ向かった。
泊まることもなく公園のベンチに寝たり、漫画家の友達の三畳間のアパートで寝泊まりした。
漫画家の友達は夜、仕事をするので寝床を借りて、昼間は漫画家さんは眠るので父は外へ出て仕事を探した。
映画館の看板の絵から始めたのかな?
で、高度成長期は日本橋の高島屋やその他の仕事を請け負ってやっていた。
当時はパソコンなんかなかったので全て手描き。
父は、下書きなどはせず、どんどんと仕事をこなしていった。
父は家では自分は社長だ!って言っていたのに、幼い私は父の仕事場について行った時に、
父が頭を下げているのを見て「なんで?」って思った。笑
そりゃ、そうだよね。仕事をいただくんだから。
ま、とにかく毎日、毎日、忙しく朝4時には車で仕事場に向かって行った。
で、私が小学生の時にはどうにか一戸建てを建てることができ引っ越した。
近所の人達は皆、驚いていたそうだ。
まさか!って。
そう、私達が一番貧乏だと思っていたからだ。
母は商店街のお店で鍋を買おうとしたら「どうせ買えないんでしょ」って言われたそうだ。
まぁ、父、母も相当苦労したと思うけど、喧嘩も絶えなかったね。
私はいつも喧嘩のない家庭を望んいた。
学校に行っても、いつもうわの空でそんなことを考えていた。
なので、お勉強できましぇん。笑
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