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月華抄 北園俊治

「岩城宏之先生、最後のタクト」に寄せて

 岩城宏之先生 最後のタクト

 金沢を愛した指揮者 岩城宏之  
 終戦直後、学校の先生から、「これからの日本は文化で立つしかない」と諭されて始めた木琴。そこから音楽家、指揮者の人生の始まった、故・岩城宏之先生。敗戦を経験し、戦後の新しい時代を作るために人生を燃焼されたお一人。
 近年は、あまりに高校生が、というより学校教育自体が、歴史を継承して未来に託す謙虚な姿勢を忘却してしまい、僕も先達をご紹介をする機会をご無沙汰している。こういう志を受け継がなければ、戦後の今の文化や教育を担う資格はないのであるけれど。
 このごろ、悪気はなく、僕などの指揮で笑う部員のいるのは、この齟齬。練習では理詰めに設計していっても、本番では、プロなら当たり前に音楽的に表現すべき様々な意思や思惟を入魂して熱くなる。それが、今の子たちには伝わらない。僕ら旧人類が音楽にこめる意味がわからず、たゞ可笑しくみえてしまう。
 「哀愁」の意味が感覚として経験としてわからない、そんな部員もいる。
 コンクールで一時のご褒美をもらったり、その場の快楽にしか、関心を知らないとしたら、これは、文化つまり人間の喪失。ゆゑにしょうもない紋切り型の流行を追うしかなく、感動とはいえないものを感動と錯覚するしかなくなる。それが、今のすでに実働世代全般に及ぶかもしれない。民度の劣化にも繋がる。学力低下の真の原因ともいえる。
 そのあたり、高校生の多感な時期に、先達から啓発されていると、行き詰まったときに立ち直る、さらにはより高邁な志への糧となったものであるけれど。かつては。
 そういう人間と文化への洞察の利いてくると、単に当座のお世話係ではない、ほんまの高校教育が展望できる。またむしろ、「教師」なんていう高飛車な自称は、したくなくなる。例えば、パリやウィーンで通用するならともかく、とてもとても凡人の自分は「師」には及ばない。自らも、謙虚に熱い憧憬をもって理想を仰ぐ一人。
 こう心得てくると、ほんまに行き詰まった生徒…というか人様に対して、一歩、二歩、引いて、大きく見渡して、大らかに当人を含めたの真理をとらまえられてくる。駄弁までに。

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